『加速する拳』10
撃鉄を下ろし解き放たれた銃弾が、やはり以前と同じようにシルヴィアの眼前まで迫った所で見えざる壁に阻まれる。魔法の壁はシルヴィアの疾走に合わせて移動しているらしく、これでは近接戦を押し付けられるまで銃撃はまったく封じられたも同然だ。そう悟ったイヴァナはすかさずマジカライズライフルをステッキの姿に戻し、シルヴィアがどこまで間合いを詰めてくるかを判断することに最大の注意を裂くことにした。
二人の間の距離が5歩分ほどにまで縮まった瞬間、シルヴィアの足が止まる。それをいち早く認識すると、イヴァナはマジカライズステッキを再び変身させ、ダガーの形状に生まれ変わらせる。
一方、シルヴィアも同様に相手の動向に注目し、考察を開始する。
イヴァナが得物として選んだダガーは、ごく至近の距離における格闘戦でならば非常に高い戦闘力を発揮するものの、相手に武器のリーチで上回られてしまえばその時点でほぼ成す術がなく、通常なら無手よりマシという保険扱いの装備にしかならない。しかしマジカライズステッキという変幻自在の武器を手にしておきながら、それを始めからダガーの形に変身させたイヴァナの選択は、仮に他の武器に心得がなかったとしても不可解である。
見れば、ダガーを握る手は臨戦時にあるまじき緩慢さで不気味なゆらめきを描いている。一見すると獲物を弄び挑発している動きのようだが、しかし実は手首のしなやかさと可動域の広さを暗に示しているのだ。
ダガーのゆらめきがシルヴィアの意識をシミュレーションの世界へと誘う。
こちらの得物のリーチが広ければ広いほど、振りの速さで勝る相手にとってはむしろ好都合だ。安易に斬りかかろうものなら間隙を縫って急所を討たれるし、逆に防戦に回れば今度は縦横無尽に繰り出される斬撃を前に反応する暇なく切り裂かれることだろう。
かと言って間合いを開けすぎれば、しなやかな手首の返しと共にダガーの投擲が襲ってくるに違いない。魔法少女の強化された身体能力から放たれる投擲は、銃弾と大差ない速度に容易く達する。いくら間合いを開くとは言え、近接戦の延長に過ぎない距離ではまず間違いなく回避しきれない。投擲する瞬間を認識できても、身のこなしが絶対的に間に合わないのだ。ならばそれを阻止する為にも、相手のフィールドたる近接戦に臨まねばならない。
挑発と取るか、威嚇と取るか。相手の技量を見定める究極の振るい。
この振るいをすり落ちるようであれば十秒と足らず命を落とすことだろうが、少なくともシルヴィアは違った。
「フン……面白いヤツね」
「…………」
シルヴィアが選んだ得物は拳銃だった。
普通ならまずあり得ない選択を前にして、流石のイヴァナも目を丸くする。
一瞬、愉快げに目を細めたあと、イヴァナはすかさずシルヴィアの懐へと迫った。対するシルヴィアも飛び込むようにして前進する。
銃を手にしながら自ら間合いを詰めようとするシルヴィアの奇異な行動を前に、イヴァナは更に度肝を抜かれ、慌てて一歩踏みとどまった。互いに前進した為にイヴァナが計算していたよりも間合いの縮み方が早く、踏みとどまった時点で、既にダガーの間合いまでもう1歩ほど。その1歩も呆気なくシルヴィアの足が踏み越え、半ば強制的にイヴァナはダガーを振らざるを得なくなる。
最も間合いの遠い武器を手にしながら最も間合いの狭い武器のリーチ内へ自ら飛び込み、あまつさえ格闘戦を仕掛けるなど、シルヴィアが取った選択はどれ一つとして尋常ではない。が、イヴァナにとって有利な間合いの戦いなはずだというのに、不思議と格闘戦は拮抗していた。
ダガーの閃きをかわされ、マジカライズピストルの銃口が頭に向かう。それを打ち払いダガーを逆手に握り直してふたたび振るうと、持ち手から遮られふたたび銃口が返ってくる。
数手切り結ぶことでイヴァナは、“この拳銃は剣だ”という確信を得るに至った。
マジカライズピストルの銃口から伸びる射線は、直線を描いて脅威をなすという点において刀剣に等しいため同様の対処が必要とされるが、このとき最も厄介なのは射線という実体なき刃渡りだ。
刃に実体がないということは、長大にして同時に短小という至極都合のいいリーチを有することでもあり、しかし拳銃本体がそなえる間合いはダガーよりも短いから、間合いをより詰められてしまえばダガーの攻撃は根本から防がれてしまう。間合いを離すことのリスクは共有させられつつ、格闘戦で不利な要素ばかり押し付けられているようなものだ。
無論こんな芸当は並大抵の人間に成せるものではなく、シルヴィアがどれだけ熟達した戦士であるかが容易に窺える材料でもあった。イヴァナはますます胸を躍らせる。
「あなた、強い。まともにやり合える相手なんて久々よ……」
「……言葉は無用。…………我々はお前を捕まえる」
シルヴィアの言い放った一言が、イヴァナにはたと本当に果たすべき目的を思い出させる。――撤退だ。
間合いを離せないこともあって、闘争に興じすぎるあまり自身の置かれている大局的位置をすっかり失念していまっていた。
あくまで眼前の格闘に集中しつつ、ほんの一握りの注意を他の味方へと向ける。黒服は一人を残して全滅し、その一人も、メッシュの少女に助太刀する形で二人の魔法少女に挑んでいたが、たったいま後方からの狙撃を受けて倒れたところだった。
メッシュの少女は一人で二人の魔法少女を同時に相手取り、あちらもまた撤退がままならない様子だ。
後方の狙撃手から放たれる殺気が、メッシュの少女からこちらへと照準を切り替えたのを肌で感じる。二対一になっているあちらよりも、一対一のこちらを優先するのは当然だろう。加えて、間合いを離すリスクを倍増させる狙いもあるかもしれない。
絶体絶命の状況に立たされたイヴァナは、嫌で堪らないものの仕方なくメッシュの少女へ念話をつなげた。
(ちょっと、メッシュの。この状況どうするつもり?)
(メッシュのとは失敬だネー……ボクにもリンドウっていう名前ガ)
(どうでもいい。対策だけ簡潔に述べろ)
(狙撃手の目がそっちに釘付けなのは丁度イイネ。相手を一瞬押し切ッテ、うしろでイッちゃってるあの子を連れて2回転移するヨ。1回目でキミを背後から拾って、2回目で本部マデ)
(わかったわ)
宣言するなりメッシュの少女――リンドウは、朱莉が突き入れてくる短槍の柄をこともなげに掴み、更にそれで緋桐の拳を受け止める。
これまで避けるばかりに終始して反撃する余裕もないかと思われていただけあって、二人は攻勢を削がれてしまった事に驚きを隠せない。その隙を見逃さなかったリンドウは柄と拳の交差部を蹴り返し、足元で痙攣するゆずに手を触れた。するとフィルムの連なりからある一場面だけが抜け落ちるように、リンドウとゆずの姿がぱっと消失する。二人が再び現れたのは、数メートルほど先にいるイヴァナの背後だった。
「――!」
転移したリンドウの姿を最初に視認したのは緋桐だった。
変身によって強化された魔法能力を瞬間的に最大行使することで、リンドウの思惑をとっさに把握し転移先の位置を割り出したのだということは、当の発見者たる緋桐すらも気付いていない。そういった分析などにはそもそも今は関心がなく、ただひたすらに“逃がしてはならない”という意識のみが彼女を突き動かしている。
手にしたマジカライズピストルに再び殺気を装填し、その照準を改めてリンドウへと向け、そして眉間を捉えるなり緋桐は一切の躊躇いなく発砲した。
予想外の追撃にさしものリンドウも虚を突かれたのか、慌てて掴んだイヴァナの背を引き寄せる。バランスを崩し倒れ掛かったイヴァナの足に弾丸は容赦なく突き刺さり、僅かに角度を逸らして貫通した。弾丸が大腿を通り抜ける間、幾許かの猶予を与えられたリンドウは反れた弾丸を容易く避けてみせる。
「ぐっ……お前!!」
大腿に穿たれた空洞を撫でる冷たい感触と相反するように、銃傷が熱を帯びる。
熱の正体が痛覚であるとことと、リンドウの盾にされたこと。その両方を悟りイヴァナが声を荒げた瞬間には、既に転移が始まっていた。
倉庫から移り変わった景色は、一週間前にも訪れたビル群の路地裏だった。眼を慣らそうと目蓋を閉じていたイヴァナだが、これでは屋の内外こそ違えど仄暗さにおいてはさして変わりない。
アスファルトの硬い地面に足を着けるなり、大腿を貫く痛みが容赦なく熱量を増す。
大腿に穿たれた銃傷は一週間前に狙撃されたものとほぼ同じ箇所にありながら、しかし比較にならないほど大きい。
殺気を弾丸として放つマジカライズステッキの銃撃。その破壊力は行使する者の殺意に依存するものとされるが、だとすればイシュタルの新人と思しきあの少女の懐く殺意は並外れている。はっきり言えば異常だ。
リンドウを憎悪している瞬間のイヴァナでさえこれだけの殺気を放てるかは疑わしく、しかも契約から日の浅い新米が繰り出したことを考えれば、そもそもの元来持つ凶暴性というものが桁違いなのだろう。イヴァナらが属するクル・ヌ・ギアにとって、先行きに影を落としかねない存在と言えた。
大腿の出血は殊のほか激しく、急ぐ状況とはいえ応急処置をしないわけにはいかないほどだ。イヴァナが薄汚れた地面に座り込んだのをいいことに、怪我を負わせた原因たるリンドウはおどけた調子でステップを踏んでいる。
「ヤー、あの子の殺気は凄かっタ……ネ?」
「お前……よくも私を盾にしてくれたな」
「ボクがやられちゃってたラ、こうして逃げることも出来なかったヨ?」
「……で、ここはどこよ」
「術式痕を辿って本部に来られても困るカラ、一旦別の場所を中継するのサ。その為にもう少し歩かないとネ……?」
明るく言ってのけるリンドウの笑顔は、当然だがイヴァナを励まそうとして見せたものではない。むしろ喜悦に歪んでいる、と言ったほうがより正確か。
「それなら転移させた少女たちと同じ場所に飛べばいい。向こうでトラックに乗せてまた中継地点まで行くんだから、私達もそれについていけばいい」
「下請けのせいで痛い目をみたばっかりだからネ。帰りくらいは自力で歩いていきたいヨー」
「…………」
「アッ、そういえば今回の責任者はキミだったカナ? ゴメンネ~、皮肉を言うつもりじゃなかったんだヨ~?」
「…………弁解するつもりはない」
治癒魔術を使った強引な止血を済ませて立ち上がるイヴァナの肩に、気を失ったゆずが押し付けられた。自力で歩くのもやっとなほど痛むイヴァナの足は、更なる負担を受けてまた血を滲ませはじめる。
「だったらせめてこれくらいは働いてくれてもいいヨネ?」
「くッ……」
「それじゃあ、行こうカ?」
軽やかなステップを刻むリンドウと、一人の少女と負傷した片足を引き摺りながら必死に歩みを進めるイヴァナ。対照的な二つの足音が路地裏の闇へと溶けるように進んでいく。
これから歩くことになる距離を思うほど、足の痛みが増していくようにイヴァナは感じた。