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『加速する拳』01

 朝の涼しい空気に触れた肌が無駄な力を宿す。これではいけないと深呼吸を繰り返して身体から力を抜く。息を吐くごとに筋肉が弛緩していき、それに反比例するかの如く意識が研ぎ澄まされていく。

 形だけ落ち着いた緋桐は、正面に向き合ったプラチナブロンドの美少女を改めて見つめる。相手はとっくに準備ができているようで、鷹のように鋭い視線をこちらに向けていた。

 寮棟の地下トレーニング場に立つ二人の間には、凛と張り詰めた空気が流れていた。

「準備できた……かも。シルヴィアちゃん、お願い」

「分かった」

 プラチナブロンドの美少女・シルヴィアは緋桐に浅く一礼すると、さっとファイティイングポーズに移る。緋桐のほうも、彼女から教わったマジカルマーシャルアーツの基本を思い出して構えをとる。

 無音のトレーニング場にゴングが鳴ったような気がする。二人の対戦形式の手合わせが始まった。

 シルヴィアはファイティングポーズのまま微動だにしない。強者の余裕が生む出す、むしろ虚無的なまでの威圧感がそこにあった。

 構えをとったはいいものの、緋桐の頭は真っ白だ。体重の動かし方や狙うべき部位など、理屈だけなら身体に染み付いている。攻撃するための準備は既に纏まっている。緋桐を迷わせているものはそれよりももっと手前にあった。

 攻撃することそのものに迷いがあるのだ。

 決心のつかないままに片足を踏み出し、どこに定めたわけでもない拳で突く。当然ながらそれは簡単にかわされ、逆に相手の拳を眼前に示されただけに終わった。

「う……参りました」

「…………」

 拳を収めると無言のままに一礼し、シルヴィアはトレーニング器具のほうへ戻っていった。

 今日はサンドバッグではなく木人椿――丸太に木棒を備えて人の形を模した、中国の南派武術で用いる練習具――を使うらしい。木の軋む音が響きわたり、寂しく消えていく。

「ごめんなさい。えっと、怒って……る?」

「怒ってない。……私の流派ではヒギリの適正と噛み合わない」

「やっぱり、才能ないのかな……。殴りかかっていくことに恐怖心があって」

「…………」

「戦わなきゃいけなくても、どうしたって躊躇ってしまうよ……」

「傷つける痛みを知らなければ、痛みから身を守ることもできない」

「………………うん」

 シルヴィアの平坦な語調が殊更に緋桐の胸に刺さる。いくら教えても成長する素振りがないことを、彼女は怒ってるのかもしれない。怒っている人ほど怒っていないと言うのがセオリーだ。

 申し訳なさに力なく俯いていると、ふと木人椿のきしむ音が止んだ。見上げてみると、シルヴィアが緋桐に向き直っていた。

「上福本紗雪の流派なら相性は悪くないはず」

「それって……」

「彼女の教えを受けるといい」

 待っている、と続けるとそれっきり、シルヴィアはまた木人椿のほうへと向き直ってしまった。

 どうやら本当に怒っておらず、率直な評価を述べただけだったらしい。それどころかより相性のよい流派と師を薦めてくれたのだ。

「あ、ありがとう! ……紗雪さんに話してみる!」

 やはりシルヴィアは冷たくなどない。そう思うと緋桐は、どうしようもなく嬉しくなってしまうのだった。



 魔法少女派遣“イシュタル”の本部は二つの棟から構成されていて、所属魔法少女たちの生活に関わる施設は寮棟、仕事の連絡・作業に関わる施設はオフィス棟、というふうに使い分けられている。

 オフィス棟の地下一階には術式不干渉結界アンチマジカルフィールドと呼ばれる、魔術や魔法などの異能力を封じる結界が常時展開されている。ここは机と椅子と拘束具のみが配置された簡素な部屋で、マジックミラーを隔てた隣の監視室と合わせて、刑事ドラマなどで見られる取り調べ室の様相を呈していた。

 現在、取調室には椅子に拘束された少女と取調べを行っている刑事の2名、監視室にはそれを見守るスーツ姿の大イタチと気だるげな巨乳の女性の2名、合計4名がオフィス棟地下にいた。

 取調室の刑事は、苛立たしげに机をかつかつと叩き、相手の少女が口を開くのを待っていた。

 一方で少女のほうは、ちらちらと落ち着きなく周囲を見回しては青ざめていくばかりで、まるでまともな言葉を発しそうにない。

「…………俺は刑事だけどな、取り調べに手加減は一切不要だと教えられてきた。お前は見たところ十四、五歳あたりのようだが、関係ない。このままクル・ヌ・ギアのことについて口を開かないなら強硬手段に出る。その前にさっさと話しておけ。忠告だ」

「ヒィ……ィイ…………あーぁぅ…………うゥ」

 少女は先日シルヴィアたちが捕獲した、瀬川刑事の殺害・砂垣匠ならびに協力者二名殺害の犯人として取調べを受けている。

 捕獲当時は白いローブに覆われてよくわからなかった容貌も、今では蛍光灯の下にはっきりと確認できる。

 ぱっちりとして吊り上った目に高く尖った鼻、への字に結んだ口元。幾重にもロールさせふわふわする茶髪とは対照的に、気の強そうな印象が全体に見られる。ほんのりと赤らんだ白色の肌に可愛らしいそばかすを浮かべた北欧系の少女だ。

 そんな生来の刺々しい印象もつい先ほどから失せはじめ、精神に失調をきたし始めているような素振りが見てとれる。

「おい、口を開けと言ってるんだ!! 4人も殺してまで奪ったあの宝玉で、クル・ヌ・ギアは何をするつもりだ!? ほら、答えろよ!!」

「っィイ…………ヒィ……ヒッ、ハァ……ア」

『相模さん、落ち着いてください』

「…………すいませんアナトさん。少し休憩入れましょう」

 相模はスピーカーを通して隣の監視室から届いた言葉を受け、はっと我に返った。恩師を殺した相手が目の前にいるという状況はどうしたって彼の激情を煽る。もはや取り調べというより、怒鳴り散らしているだけにしか過ぎなかった。

 監視室から見守っているスーツ姿の大イタチ・アナトは、少女の尋常でない様子が少し気がかりだった。

「あの子、様子がおかしいね。目の焦点が合ってない」

「魔術的に調合したドラッグかしら?」

「恐らくはね。そうとう酷いものを服用していたようだ」

「情報を漏らされるくらいなら壊してしまったほうがいい、っていう事なのね」

「らしいやり方だよ。リハビリが思いやられるなぁ……」

「私は仕事が詰まってるから、そっちは回さないでほしいわ。仕事のほかにも気になってるコトはあるし」

「枝里にはかなり負担をかけてしまってるからね……仕方ない。僕が引き受けるよ」

 頭を抱えるアナトを横目に、気だるげな女性・枝里がカップうどんを取り出す。机にある電気ポットからお湯を注ぐと、欠伸を噛み殺して背もたれに体重を預けた。目の下にはくまが浮かんでいる。彼女が疲れ果てていることは明白だった。

「ところで仕事のほかに気になる事って、何なんだい?」

「緋桐ちゃんの両親の件。借金をしていたっていう金融組織だけど……聞いたこともない所だから少し気になってて」

「あぁ、それは僕も感じていた。あれはどうにも違和感が拭えないね。近いうちに本格的な探りを入れなきゃ」

「そういうわけで、クル・ヌ・ギアの子にはしばらく構ってられないかも」

「引き渡しの日時も、異能犯罪対策部と話し合わないといけないなぁ……」

 アナトは改めてマジックミラーの向こうでうなだれる相模の背中に目をやる。憤りとやるせなさを滲ませるその虚脱ぶりは、アナトに新たな憂鬱の種を予感させた。



 この数日間、早朝にシルヴィアから稽古をつけてもらうことが緋桐の新しい習慣となっている。トレーニング場に残留するシルヴィアの強い思念を無意識的に読み取っていたため、緋桐が基本をものにするまでの時間は驚異的に短かった。ところが応用の段階に入った途端に、緋桐の成長は全くと言っていいほどに止まった。

 応用の段階に入ってから“相手を攻撃するための技術である”ということをより強く意識するようになり、躊躇いが生まれてしまうのだ。

 仕事でシルヴィアの足を引っ張らないためにも、早急にこの躊躇いを拭い去らねばならない。

 トレーニングでかいた汗を流したら急いで紗雪に頼みに行かなければ、と緋桐は思う。

 二人は階段を上っていき、寮塔一階の最奥にある大浴場へと向かう。

「あっ」

「あら」

 更衣室に入ると、ちょうど紗雪が脱衣しようとしている最中だった。脱ぎかけの衣服から見え隠れする胸は形よく整っていて、枝里ほどではないがそれなりに豊満であった。

「わたくしの胸に興味がありまして?」

「いえ……ちょっと羨ましいなって」

「ふふ、正直ですわね」

 シルヴィアの視線が一瞬、緋桐と紗雪の胸を行き来した気がした。悲しいことに緋桐のそれは紗雪の半分くらいのサイズしかない。もっともシルヴィアに至っては全く無いに等しいのだが、この中で一番幼いであろう彼女では仕方がない。

 着替えながらふと思い出したように緋桐が問う。

「そういえば朱莉さんは一緒じゃないんですね?」

「朱莉は部屋のシャワーで済ませてしまうタイプですの。私は単に気まぐれで朝風呂に来ましたけれど」

「なるほど。確かに朱莉さんはそんなイメージですね」

 紗雪と話しながら準備する緋桐をよそに、シルヴィアはあっという間に衣服を脱いで浴場へ入っていった。その振る舞いはほんの少しだが慌てているように見える。

 なにかまずいことでもしたかな、と不安になる緋桐の横顔を、紗雪は妙ににやにやした顔で見守っていた。

 追って二人も浴場に入る。シルヴィアは入り口から最も遠い蛇口の前にバスチェアを構え、既に体を洗い流していた。

 相変わらずにやにや顔の紗雪はそろそろと近づいていき、シルヴィアの隣に陣取る。緋桐も紗雪の隣に陣取り、一段落したところで恐る恐る本題を切り出した。

「あの……紗雪さんに頼みたいことがあるんです」

「頼み、とは?」

「紗雪さん流のマジカルマーシャルアーツを、私に指導してほしいんです」

 意を決して頭を下げてみると、紗雪はきょとんとした顔で返してきた。緋桐の畏まった態度のせいで拍子抜けしたらしい。

「それはそれは……何故わたくしのもとで?」

「シルヴィアちゃんに指導してもらっていたんですけど、紗雪さんの流派のほうが向いていると助言を受けまして」

「ふふ……っあはははは!」

 緋桐が説明を終えたとたん、紗雪はせきを切ったように笑い出した。それも今までの上品で静かな笑いとは違い、腹を抱えるようにして笑っている。

 もしかして馬鹿にされているのではないかと緋桐は一抹の不安を抱く。しかしそれは杞憂だったようだ。

「な、なにか変なこと言いました?」

「いえ、畏まった様子で当たり前のことを仰るので、なんだかおかしくって」

「当たり前……なんですか?」

「シルヴィア流のマジカルマーシャルアーツを完全にマスターできる人など、シルヴィアを置いて他にいるわけがありませんのよ」

「それってどういうことですか?」

「シルヴィアの魔法は、時間を止めて観察・思考をするというもの。一瞬の戦闘でも無限の選択肢をもつため、できることを絞り込む必要がない――――つまり、覚えるべきことが通常よりも遥かに多くなるのです」

「なるほど。あ、でも基本の部分は一応、全部覚えられました。私の魔法でトレーニング場に残ってるシルヴィアちゃんの思念を読み取ったら、すんなり覚えきれて」

「まあ。恐ろしいまでの逸材ですわね……。では何故に向いていないと?」

「応用の段階に入ってから、人を傷つけることへの恐怖、みたいなものが生まれはじめて……」

「それは、そうでしょう。シルヴィアは本来排除されていた残酷な技法をも復古させていますの。身体の破壊や容赦ない殺害のために特化しているのだから、本能的に恐怖を抱くのは当たり前のことですわ」

「身体の破壊……」

 今朝まで習っていた技の数々を生きた相手に使ったとき、どんなふうに炸裂するのだろうか。骨を砕き急所を潰すさまが容易に想像できて、緋桐はにわかに戦慄する。やはりそんな拳を積極的に誰かに向けることなど出来そうにない。

「それではお引き受けしましょう。確かに、貴女には私のやり方のほうが向いてそうですわね」

 にっこりと微笑み了承した紗雪は体を洗い終えると、先んじて湯船に浸かっていたシルヴィアのほうへと歩み寄る。またもやにやにや顔に変貌すると、紗雪はシルヴィアの向かい側に浸かった。

「おそらくシルヴィアも、貴女にああいった過激な技を使って欲しくないのでしょう……ね?」

 ずばり言い放たれた言葉に、シルヴィアは目をそらすかたちで応える。それは暗に肯定しているに等しかった。


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