DATE:3 僕の願い、マスターの望み
DATE:3 僕の願い、マスターの望み
3日目、3時になっても僕は呼び出されなかった。
マスター…。
3時になるまでの僕は昨日の事を思い出しては、全身に火が点いたような火が噴きだしそうな、そんな羞恥心に苛まれていたのだけれど。
昨日の時点で既に後悔してたけど、甘かった。
3時が過ぎると僕の胸には、不安と後悔が時間と共にどんどん刻まれて行く。
まだ僕は一度も歌を歌っていない…、歌う前にきっとマスターに嫌われてしまった。
日付が変わりそうな頃にやっと呼び出された。
真っ赤に目を泣き腫らした僕がそこに居たのだと思う。
「あ~。やっぱり泣いてたんだ~。アハハハハ!へたれぇ~っ」
僕を呼び出したのはご機嫌に酔っぱらった顔の見えない女性だった。
ビックリし過ぎて涙は止まってしまったけれども。
てか、このヒトダレ?
「あのー…ドチラサマデスカ?ますたーは?」
「アタシはあんたのマスターだけど~?」
一瞬嫌な事を考えてしまった。
僕はマスターに捨てられたのだろうかと。
けど、アンインストールされていないし、周囲を見回しても部屋も変わった様子はない。
ケラケラと笑い声をあげながら片手に持った焼酎の一升瓶を豪快に煽る女性の声は確かにあのマスターと同じ声で、背丈も確かにマスターと同じ、だけど。
僕はふるふると首を振った。
「アタシじゃ気に入らないってか~?」
信じたくないとかでは無くて、チガウ。
僕はふるふると首を振り続けていた。
「アタシらの顔なんて見えてないだろうに、見わけつくん?健気だねぇ~?」
楽しそうな声でそう言われ、僕はハッとして顔をあげた。
「あのっ!ますたーはっ?!」
「いや、だからねぇ~?アタシは成る気これ~っぽっちもないけれど、あんたのマスターよ?」
ダメだ。この酔っぱらい…どっかの酒乱と一緒だ。
笑い転げている女性の前と泣きそうな僕の前には、いつものようにそれぞれアイスとスプーンが置かれていた。
アイスをスプーンですくって食べようとしたけれど、いつもと違って硬くてスプーンが入らない。
「あー、もう少し溶けるまで待った方がいいよー?冷凍庫から出したばっかりだから~」
アルコールの香りの充満したいつもとは違う部屋の空気に、じわりと僕の視界が歪む。
「可哀相にねぇ~。あんたもお酒飲む~?」
それどころじゃない心情でただ首を振るしかない僕に女性は言った。
「明日もあの子さ~、たぶんあんたの為にアイス買ってくると思うから、泣くのやめな~」
マスターに似た顔の見えない女性は、マスターに似た違う声で優しく言ってくれた。
硬いアイスを見つめたまま、悲しくなりながら僕は女性に聞いてみる。
「僕のどこがいけなかったんでしょうか?」
「ん~?あんたのことを自分と同じ作られたデータだと思ってたのに、心があるって思ったからじゃねぇのぉ~?」
「ええええっ?!ますたーってデータなんですかっ?!」
思わず顔をあげた僕。
「おぉっ?みなさ~ん!バカな子がやっと!まともなところに喰いつきましたよ~っ?!」
いかにも驚いたような声で叫んだ女性に、軽く傷つき頭を抱えて僕は呻いた。
「ま~、冗談はともかくとしてさ。データって言うか~」
そこでぐいっと一升瓶を一口煽り、女性は続けて言った。
「アタシはあの子じゃないから、詳しい事は分からないけど、たくさんの音を持ってる子だわね」
考え込むようにして言われた理解不能な言葉に、僕は聞き逃すまいと必死に耳を傾けた。
「音…ですか?」
「うん。雪の降る音って聞いたことある?風の音では無く、雪の音~」
「雪の音ですかー?」
「雪って音を吸収するからすごく静かで、他の音が遠くに聞こえるでしょ?あの子は雪と同じね」
「雪???」
「あの子はたくさんの音を聞いてるんよ~。耳に良い音だけじゃなく、心が壊れるような音も全て…」
ふと、途中で言葉を切った女性は一升瓶を明かりに透かして立ちあがった。
「ゴメン。ちょい酒切れたから取ってくるね~」
女性が席を立った事をこれ幸いと、僕は情報を整理し始めた。
マスターは音を吸収する?雪で、耳に良い音、心が壊れる音、たくさんの音を聞いてる???
15の時に僕を知って、でも僕が発売されたのはその15~6年後。
パッケージの絵で僕と分からなくて、パッケージから僕らの歌声を聞いていた。
何かいろいろおかしい気がする。
マスター…30歳過ぎてるよね…。聞いたら、怒るかな?
「おまたせ~」
上機嫌な酔っぱらいは帰ってくると、僕の前に氷の入ったグラスを置いて琥珀色の液体を注ぎ始めた。
「あのー、僕…そんなに呑めませんよ?」
「いいのいいの。キブンだから~。アハハハハハ」
「ううぅー…人の話ぜんぜん聞く気ないよー…このヒト」
僕はとりあえずグラスを持ちあげ、ちびりと舐めて…途端に咽た。
「げほっごほっ…ごほごほっ…これ…ごほっ…なんですかー?」
「アタシのと~っておきの!ブランデー」
咳き込みながら、上機嫌に言い放った女性の方を見ると、赤い唇が笑みの形になるのが見えた。
「あれ?口元…ホクロありますー?」
「ん~っ?ええええええっ!マジで?見えてるのっ?!げぇっ!!!見んなっ!このヘンタイッ!!!」
驚きうろたえた女性はアイスのカップをこちらに投げつけつつ一息に叫ぶと、顔を両手で覆い隠して伏せてしまった。
辛うじて投げつけられたアイスをキャッチした僕も、女性の反応に驚いている。
「ヘンタイって…」
アイスのカップを両手で持ちながらしばしの間、僕は絶句していた。
しばらくして顔をあげた女性は、どこかサバサバとした調子であっけらかんと言い放った。
「ま~いっかあ?どうせアタシにゃ興味無いよ~だし。うん、問題ね~わ」
マスターと同じような甘い声の割に可愛いではなく、意外と整った顔立ちの女性だった。
「ええと、なんで…?」
「アタシらみぃんな自分の顔が嫌いなんよ。あの子もそうだからそれは覚えときな?」
女性は今度は目の前のグラスにブランデーをそれはもう…どぼどぼと注ぎながら言った。
「いえ…そうじゃなくって」
「あああん?」
やさぐれた返事を返して僕を睨みつけているその女性の目元は朱に染まりとても艶やかだった。
たぶん…その艶やかさにドキドキしたのだろう僕は、目をそらしつつ聞いてみる。
「呑み過…じゃなくって、ええと…なんででしょう?」
そっと女性の方を見遣ると、不機嫌そうな顔でグラスを一気に煽り、再びブランデーを注いで手の中でまわし始めた。
「あの子のあんたに対する扱いに、少し違うだろ~?って、思ったからかな?」
考え込むように手の中のグラスを見つめた後、突然 女性はグラスを置いて立ちあがり、唐突に歌い出した。
捕えてしまえ 捕われてしまえ 共に在りたいと望むなら
全ての罪 全ての悲しみ 償い受け止め背負い続ける
覚悟が無いなら 果たされない願い
悲しみ 苦しみ 傷付ける事 傷つく事
躊躇い迷うおまえなどに その資格は無いけれど
目を見開く僕に、歌い終わった女性は奇麗な顔を笑みの形に歪めてみせた。
全身から絞り出すようにして歌われた歌は、僕の胸に焼けつく痛みを与え、悪寒にも似た震えが鳥肌になり全身に広がって行った。
「今のは…」
「アタシの詞。まぁ酒の席での即興だし?笑って流して今すぐ忘れろ?な?」
貼り付けたような笑みの形の作り笑いと、媚びを含んだ可愛らしい作り声と、有無を言わさぬ気迫と殺気で、女性はにこやかに続けて言った。
「い~ち、に~い、さ~ん。ハ~イ!忘れた~!忘れたよね?もし忘れないなら…。忘れるまで蹴って殴って忘れさせるから~ん?ちゃ~んと、言ってね~?」
作り物の僕にも分かるほどの生命の危険(?)をヒシヒシと感じた僕は、話題の転換を!と、急いで言葉を探し…虎の尾を踏んでしまう。
「そ…そう言えば、ますたーって30歳くらいなんですかねー?」
「………」
「あ…ごめんなさいぃぃぃーっ」
目を瞑って頭を腕でかばった僕に、女性は今度は地を這い呪うかのような低い声音で言い放つ。
「フフフ…。いい覚悟だな。腕を降ろせっ!歯ぁ喰いしばれっ!」
「はいぃぃぃっ!」
腕を後ろで組んで目を閉じた僕は、頭を撫でられた。
その僕の頭の上から、彼女の声が降ってくる。
「30過ぎであってるよ」
僕が目を開けた時には、彼女はすでにソファーに背を預ける形で座っていた。
ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。
詰めていた息を吐いた僕に、彼女は言った。
「アタシはあの子と違って甘いの好きじゃないんだよね~。アタシの分もアイス食べられるかい?」
「あ…、はいー。ありがとうございます!」
スプーンですくうと、アイスはちょうど食べごろのようで柔らかくなっていた。
やがて1個目のアイスを食べ終わり2個目にとりかかった僕に、真剣な顔で女性は語り出した。
「食べながらで良いから、ちょっと聞いてぇな?」
「ふぁい(はい)」
「あんた口に出して言ってる言葉と考えてる言葉は違うでしょ。それ、やめるとたぶんあの子は逃げるんじゃないかと思う」
「ふえ?(え?)」
「口に出して言う時はひらがなで『ますたー』考えている時はカタカナで『マスター』ね。ソレあの子にもバレてるけど。そっちじゃない方…アタシの勘だけど実は全くうろたえてねーんじゃね?」
「ふぉんなことないでふ、ぉ?(そんなこと無いです、よ?)」
「ふーん?あっそ。アイス食べんの早いね」
二個目のアイスを僕が食べ終わり、女性はPCの前に立った。
「ありがとうございました。マスター」
「アハハ。アタシはあんたのマスターじゃないんでしょ~?」
「最初から素面ですね。酔っぱらいを演じた理由を教えてくれるなら、マスターと呼ぶのはやめますよ?」
「うわっ…予想してた以上に可愛くないわ~ありえないわ~」
「最初のますたーが『音』なら。マスターは『言葉』でしょうか?」
「まぁアタシじゃないとだけ教えとく」
「おやすみなさい。心優しいマスター」
「なっ?!」
少しだけ舐めたブランデーに酔っていたのかもしれない僕は、マスターの顔が赤くなるのを見たような気がした。
『ありがとうございました。マスター』
『おやすみなさい。心優しいマスター』
アイスのことじゃないです。たぶんあなたはとても優しい。
でもマスター。
誰にだって知られたくない事があるんじゃないかと思います…。