DATE:2 時間の歪曲
DATE:2 時間の歪曲
今日の僕もマスターに怯えていた。
顔の見えないマスター。
僕より頭二つ分くらい背の小さな、幼い少女のような声の持ち主。
何より…何故無言なんですかねー?…シクシクシクシク。
ソファーに向かい合わせで座り、お茶を飲む。無言で。
「オサムライと弟…」
いきなりのマスターの発言にビクンっと、僕の肩が揺れた。
何より内容が恐ろしすぎる…僕は目を見開いて必死で見えないマスターの顔色をうかがう。
が、マスターは言い淀み、そのまま黙りこんでしまった。
カチコチと時を刻む時計の針の音とPCのモーター音しか聞こえない部屋で、ゆっくりと緊張が張り詰めて行く。
そのまま固まっていた僕の頬を暖かいものが伝わり落ちて行った。
「あ…あれ?」
そのまま僕はボロボロと泣きだしてしまった。
袖で拭うも後から後から溢れ出すそれに、胸が軋み出すほどの情けなさを感じて、口の端から嗚咽が漏れ出していく。
「ず…ずびばせん…」
無言でティッシュの箱を差し出すマスターに、僕は涙声で謝った。
「やっぱり買うの辞めとく」
「うぅぇ…?」
「君だけでいい」
会社の事を思えば売れた方が良いし、でもビーエルとか嫌だし、でも弟と妹もいたら楽しいだろうし、この無言の苦痛が少し和らぐかもしれないし、でもでもオサムライも弟ともマスターが昨日言ってた事とか考えるだけで目眩がするし…、と、僕はだいぶ混乱して泣いていたので、マスターの最後の一言が頭に届いたのは、マスターが僕の前にアイスとスプーンを置いてくれた時だった。
君だけでいいって、マスター今言った?言ったような気がするんだけれど…。
「あの、ますたー?『君だけでいい』って、今、言いました?」
マスターの顔は相変わらず分からない。
けれど、うなずくのは見えた。
嬉しいような恥ずかしいような気持ち…暖かい何かがこみ上げてきて、たぶん、今の僕の顔は首まで真っ赤だ。
暖かくなった心と目の前のアイスにも励まされ、僕は思い切って気になっていた事を聞いてみた。
「あのあの、ますたー?昨日、僕をインストールした時『やっと、会えた』って、言いました?」
今度はマスターはうなずかなかった。
「あれ…?ええっと、僕のキノセイだったみたいですー…」
勢い込んで尋ねた事への後悔でしょんぼりしながら、それでも最初の頃よりは何故かずっと安心して、僕はアイスを食べるのに専念することにした。
「セクハラしたら君は泣きだすんだろうなー…」
頬杖をつきながらぼそりと呟いたマスター。
「ほぇ?」
もう少しでアイスを食べ終わるという頃に何かマスターが変な事を呟いたような気がした。
ききききっとキノセイ…きっと冗談ですよね?誰か冗談だと言ってくださいーっ!
「言ってないよ。思っただけで」
「セクハラがですかっ?!」
「ううん『やっと、会えた』の、方」
「えっ?」
「そんなに期待されたら…」
「うっ?」
急に視界が遮られたと思ったら、一瞬だけくちびるに柔らかい感触。
「ラズベリー味…」
混乱の極みも極みで一時停止していた思考が、マスターの声と共に動きだす。
両手で口を覆い絶句した僕は、ボロッと零れ落ちた何度目かの涙と共に…顔が赤くなっていくのを感じていた。
「また泣いてる」
マスターの言葉にいまだパニック状態の僕は何も返せない。
「長くなるよ。話」
そう言い置いてマスターは話し出した。
「私が15の時、ゲームの中で歌って踊る君を知った。
心の宿らない、魂の宿る、誰でも無い君の歌声を好きになった。
君が発売されたのは。それから15~6年後のこと。
秋葉原で君らのパッケージを見ていたんだけれど、私の好きな君の顔じゃなくて分からなかった。
パッケージから聞こえてきた歌声も、全く違ってたし音痴だったから。
2年くらい前、双子の歌の題名とか内容とか知り合いの間で話題になってた。
最近それを思い出して、検索いろいろかけててやっと君の歌を見つけた」
「だから…『やっと、会えた』」
長いと言った割には短かったマスターの話。
区切るようにして吐き出すように最後に言った言葉は、すごく疲れているように聞こえた。
僕には分からない、重すぎて、単純には嬉しいと喜べない何かが込められているような。
いつの間にか僕の涙は止まっていた。
そして時計が4つ鐘を鳴らせば、マスターが決めた僕の時間の3時から4時へ。
ただ黙って、やや俯きながらマスターは、PCの前に立った。
だから四角い箱に戻る前に、僕はマスターを抱きしめて前髪をかきあげ、囁きと共にキスを落とす。
「やっと、会えた」
マスターの言葉や思いに比べ、きっと僕のは軽過ぎるけど、それでも。
ただ、なんとなく、そうするべきだと思ったんだ。
きっと、明日は僕は死ぬほど後悔するんだろうなぁと、心のどこかで思いながら。
この時点で『ますたー』側の事情の正解が分かったら神です。
『僕』が前半受け身なのでツッコミどころ満載なのに、さらっとスルーしてくれてます…。
何してん?!