DATE:9 恋の記憶
DATE:9 恋の記憶
朝からそわそわと落ち着きの無い僕を、プリンさんが笑っていた。
雪さんと彩さんを迎えに行くと言うリュウさんに、連れて行ってほしいとお願いした僕は、起動した日から1か月経たないと外に出られないからと言われ落ち込み。
それを見てまたプリンさんが笑い、肩を落とす僕はリュウさんに頭を撫でられたりしていた。
帰ってきたら『おかえりなさい』を笑顔で言おうと思っていた。
それから僕の心を伝えたいと思っていた。
「おかえりなさい。彩さん」
笑顔で言った僕に、彩さんは少し震える声で言った。
「ただいま」
僕に声をかけられた彩さんが泣き出す寸前みたいな顔をしたから、僕は不思議に思った。
その彩さんの顔を見て、プリンさんの顔から笑顔が消えたことも、僕は不思議に思っていた。
リュウさんが抱きかかえて運んできた雪さんは、目を閉じていて。
「雪さん、寝ちゃったんですか?」
僕が問いかけると、リュウさんが少し硬い声で答えてくれた。
「あー。ちょっと疲れたんだろう。雪の部屋のドア開けてくれるか?」
「はい!」
返事をしてから僕は眠ってるなら仕方が無いかと、リュウさんの腕の中の雪さんを覗き込むようにして、小さく囁いた。
「雪さん、寝ちゃってるみたいだけれど。…おかえりなさい、ますたー」
きっと、僕の声は聞こえているはずだから。
雪さんをベッドに寝かせた後、リュウさんは言った。
「彩もちょっと疲れてるみたいだし、お祝いは後な?お前は雪についててやってくれ」
「はい。雪さんが起きたら、台所に行けばいいですか?」
少し考え込んだリュウさんは、雪さんのベッドの傍らに立つ僕に椅子を引っ張り出してきてくれた。
「とりあえず、座っとけ。まー、夕飯の時には呼びに来るから、それまで一緒に居てやれ」
「はい、分かりました。椅子ありがとうございます」
リュウさんに返事をしながら僕は椅子に座った。
「じゃー、俺は彩の方の様子見てくるから」
「あ…、はい」
雪さんが目覚めるのを待つ間、僕は今までの事を思い出したりして過ごしていた。
8日前の3時。
今またその時が近づいていた。
「雪さん早く起きないかなー?」
僕は椅子に座りながらも身を乗り出してベッドに頬杖をついて、雪さんの顔を覗き込むようにして見ていた。
一番初めに僕が目を覚ました時、初めて見た顔の見えないマスター。
顔が見えないのが怖くてあの時の僕は震えたのだと思っていた。
でも、違ってた。
『やっと、会えた』と、声に出して言われた時にも同じように、僕の心が怖さとは違うもので震えていた。
怖さと違うのは分かっても、それが何なのかまでは、その時の僕には分からなかった。
今ではそれが何なのか知ってる。
あの日、僕はどうして、雪さんの額にキスをしたのか?
その答えを、今では知ってる。
「そう言えば雪さんが先に僕にキスしたんだっけ。また、ラズベリー味のアイス食べたいなー」
雪さんが起きたら話したい事がたくさんある。
それでちゃんと伝えて…。
そこまで考えた時、隣の部屋から3つ鐘が鳴るのが聞こえた。
「3時になっちゃった」
リュウさんやプリンさんと比べれば、雪さんの顔は顕著に幼さが残っている。
成長したら雪さんは、リュウさんみたいに色っぽくなるのかな?
それともプリンさんみたいな…ええと…癒し系?みたいになるのかな?
彩さんと話した時、彩さんから30過ぎって聞いたけれど、記憶の年数の事だったんだろう。
そう言えば少しだけ不安はある。
他の誰でもない僕の歌声を最初に好きになってくれたのは、オリジナルさんだった。
まぁ、オリジナルさんに夢の中で会った時、僕自身には興味が無いようだったけど。
雪さん自身が僕の顔と声と、それに僕自身を好きでいてくれたらいいなと思う。
聞いたら教えてくれるだろうか?
つい、笑みがこぼれてしまう。
教えてくれても、くれなくても、きっと頬を染めるであろう雪さんが目に浮かんできて。
『音の海』は、正直怖かった。
でも僕は、狂ったように泣き叫ぶ雪さんが怖かったんじゃ無くて…。
そんな雪さんを前に、何もしてあげられないって事が怖かったんだ。
天までそびえ立つ高い崖を登れと言われているような、遥か遠くに霞んで見える滝壺に飛び込めと言われているような、手の届かない雪さんへの、絶望と恐怖。
助けたい、守りたい、手を差し伸べたい。
そう決心していたからこそ感じた、絶望と恐怖だったんだって。
僕の心はもうその時には決まっていたんだ。
その時、再び隣の部屋から鐘が鳴るのが聞こえてきた。
「4時になっちゃった」
待つのはもう怖くない。
彩さんが教えてくれた気持ち。
もう、間違えたりしない。
リュウさんが教えてくれた気持ち。
僕も諦めずに、笑うよ。
プリンさんの教えてくれた気持ち。
だから。
ねぇ?マスター?目が覚めた時は傍に居て、一番にマスターに伝えるんだ。
僕自身の気持ちを。