DATE:8.1 空在の理由 (前)
DATE:8.1 空在の理由(前)
うとうととまどろみ続ける僕の耳に、楽しそうに笑いさざめく声が聞こえてきた。
くすくすと笑うその声は、純粋過ぎるほど優しく包み込むような暖かさで愛を歌う。
けれどもどこか安心できない無視できない何かが気になった僕は、目を覚まして起き上ると寝ぼけ眼をこすりつつ周囲を見回した。
「あ。おはようございます。プリンさん」
「あら~?起きちゃったのね~?おはよ~ございます」
部屋の入口で…たぶん、覗いてるつもりで、ドア全開な…プリンさんは楽しそうな声で言った。
「ええと…、リュウさん起こします?」
「いいのいいの。朝に弱いから起こすと怖いのよ~。それより、朝ご飯作ったから一緒に食べない?」
「えーとー…」
昨日、確かリュウさんに何か大切な事を言われたような気が…。
「アイスを手作りしてみたのよね~」
「今、行きますね!」
アイスの言葉に僕は満面の笑みを浮かべて、リュウさんを起こさないようそっとベッドから滑り降りた。
「あらあら、アイスで釣れちゃった~。よっぽどアイス大好きなのね~」
ころころと鈴を転がすような声で笑いながらプリンさんが言い、僕らは台所へと降りて行った。
テーブルについた僕に、プリンさんはおかゆとお味噌汁と卵焼きとサラダを出してくれた。
プリンさんが僕と同じメニューを自分の前に置いて行ったが、その量はどれも僕の半分以下…。
「あの!…プリンさん。僕、もう少し少なくても大丈夫ですよ?」
「あら~?あと5人分は作ってあるから、おかわりしても大丈夫なのよ?ワタシが食べる量少ないと思ったのね?」
「えーと、…あ、ごめんなさい」
「うふふ。食べてくれる人が居ればワタシは幸せなのよ。だから、冷めないうちにね?いただきます」
「あ、いただきます」
シンプルなメニューながら昨日と同じく、一口一口に驚きが走るほどの美味しい朝食だった。
朝の空気の冷たさに自分の身体も冷たく冷やされていたが、食べるにつれて心も体も温まって行った。
やがて食べ終わった僕がプリンさんの方を見れば、量は僕の方が多かったはずなのにプリンさんはまだ食べていた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
僕の言葉にプリンさんは微笑みを浮かべてうなずきで答え。
ゆっくりと咀嚼し口の中のものを飲み込むと、プリンさんは席を立ちあがって、僕に暖かいお茶とバニラアイスを出してくれた。
「ありがとうございます」
僕がお礼を言うと、プリンさんは笑いながら言った。
「ちゃんとバニラビーンズと生クリームも使ったから美味しいわよ?お店のものには負けちゃうんだけどね~」
優しいプリンさんの笑顔と手作りだと言うバニラアイスを前に、俯きそうになる顔をあげて僕はプリンさんに尋ねてみる。
「あのー、…プリンさんはどうして。…あんなことを?」
「ん~?それは昨日の事かしら~?ワタシ謝らないわよ?」
「ええと、あのーですね…。謝ってほしいわけじゃ無くて…」
動揺する事も無く変わらぬ笑みのまま、お茶を飲むプリンさん。
考え込む僕を笑みを浮かべたまま見つめる、プリンさんの表情はなんのてらいもないものだった。
かえって僕の方が視線をそらしてしまった。何かに負けた気がする…。
「ふふふ。昨日の夜あれからリュウに何かされなかった?それで得た答えはあなたに必要なものだったんじゃないかしら?」
よく分からずにプリンさんを見上げると、プリンさんは教えてくれた。
「人はね、比べる事で知ることのできるモノがあるのよ。
溺れてしまうならそれでおしまい。それもまたその人の出した答え。
リュウなんかに言わせればワタシはとてもタチが悪いキチガイなんだそうよ~?
作られたばかりのあなたじゃワタシに敵わない。ハードル高いリュウの方がいいから譲ったの。
あの男けっこう面倒見いいし~。リュウは優しかったでしょ?」
そこで僕を促すように見て、プリンさんが聞いてきた。
「はい!いい人です」
にこにこと笑って言った僕にプリンさんは自分の口元に握り拳をあてて「きゃあ~」と言って笑った。
何故か僕の背筋を悪寒が駆け抜けていく。あれ?
「うふふ。まぁまぁ。現実はちゃんと分かってるから気にしないでね~?ただの脳内妄想だから~」
僕の腕には何故か鳥肌が立っていて不思議に思ったけれど、プリンさんが楽しそうなので良しとしよう。
「そうね~?もう一つだけ。あなたまだ『音の海』を怖いと思ってるかしら?」
「………」
プリンさんの言葉に僕は一瞬で固まった。
目を見開いたまま僕は何も言葉を返す事ができないでいる。
「あらあら~。それじゃ質問を変えるわね~?雪ちゃんのことも怖いと思っちゃってる?」
その問いに…僕は少し考え、けれども言葉が見つからずプリンさんを必死に見つめ、ただふるふると頭を振った。
ここで初めてプリンさんの表情が少し変化するのが見えた。
どこがどう変わったのかまでは僕には分からなかったけれど…、プリンさんは初めて会ったときから僕に対しての表情を仮面のように貼り付けた『変わらぬ笑顔』だけで通していたから…。
変化したのは笑みだけでなかったようだ。
今までのようなどこか楽しそうな女の子らしい声ではなくて、少し低い落ち着いた声でプリンさんは僕に言った。
「在る物を在るがままに受け入れるしかないのよね。
認めてしまったその上で、ワタシは楽しんで笑ってる。
リュウには『お前は狂ってる』って言われるけれど…。
怖さも悲しみも痛さも辛さも、そういうものだと楽しんでる。
中には…、もしかしたらそれだけしか、ないものもあるかもしれない。
一つも喜びを見つける事ができなくてもね、人間って笑う事くらいならできるのよ?」
どこか遠くを見るような目で話していたプリンさんは、僕を見てそこで言葉をいったん切ると、元の仮面のような笑顔に戻り、明るい声で言った。
「あら?いやーね~?そんなに真剣に素直に聞かれちゃうと困っちゃうわ~。
逃げたければ逃げればいいし、どうしてもなら諦めなければ、求めた形は変わるかもだけれどいつか手に入るとワタシは信じてるわ~。
証明は、オリジナルと雪ちゃんとあなたがしてくれたしね?」
この話はおしまいとばかりに、プリンさんは改めて食事に戻った。
仮面のような笑みに戻ったプリンさんは、これ以上は教えてはくれないだろう。
「アイス、いただきますね…」
僕は溶けかかったアイスを食べながら考えて行く。
大事な事を言われているような気がするけれど、プリンさんのお話はところどころ曖昧な笑みに隠されているみたいで、どういう意味なのか僕にはよく分からなかった。
このバニラアイス美味しい…。