DATE:7.3 運命の意図
DATE:7.3 運命の意図
椅子に座らされたままキスされていた僕は、意識が半ば飛んだ状態だった。
ここは台所で、キスしてるのはプリンさん…。
思考も言葉も次から次へ気まぐれに舞う蝶のように頭に止まらず、掴もうとすれば浮かんでは弾けて消える泡のように消滅し続けていた。
そんな状態の僕を救ってくれたのは、缶ビールを取りに来たリュウさんだった。
「お前ら…。何やってんだ?」
その声に顔をあげたプリンさん。けれども僕は仰向いたまま人形のように動かず。
「あら?リュウ邪魔しないでよ~」
楽しそうに言ったプリンさんに、リュウさんは呆れたように言った。
「いや、おまっ…。どー見てもそれ、本気で喰おうとしてるだろ?」
「あら?食べちゃ駄目なの~?」
「いや…。まぁ…。最後まで責任取れよ?」
目をそらしつつ軽い口調でアッサリと言い捨てると、リュウさんは冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「…分かったわよ。…この子すごく美味しいのに~」
リュウさんの言葉にしばし考え込んでいたプリンさんは残念そうに言い、リュウさんは換気扇の下で煙草に火をつけて缶ビールを開け飲み始めた。
「ワタシだってこの子が喉を枯らすほど泣いてたりしなければ、ここまでしたりはしなかったわよ」
どこかやさぐれたようにプリンさんはリュウさんに訴えた。
「ほー、それで?喰ってたと?」
プリンさんはしどろもどろになりながら話し始めた。
「え~とね~。この子『音の海』を…認識?できるみたいよ~?雪ちゃんと同じレベルでね。
あとはね~。オリジナルがこの子にほんの一瞬だったけれど接触してると思うわ。たぶんそれが後押しになっちゃったのね~」
「で?」
「泣いてた理由を知りたかっただけなんだけれど~。やっぱり欲しいんだけれど、駄目?」
リュウさんの方を上目使いに見ながらプリンさんは僕の喉を撫でつつ言った。
リュウさんは吸っていた煙草をもみ消してプリンさんを睨みながら言う。
「お前いい加減にしとけよ?」
「けち~。この子ワタシのこと『プリンさん』って、可愛い名前で呼んでくれて~。ワタシ嬉しかったから甘やかしてあげたかったのに~」
「…お前、さっき『この子、美味しい』って言ったろ?
味覚データのお前が『美味しい』って、相手どこまで喰っちまうかわかんねーじゃん」
「でも、このままは可哀相よ?…ん?もしかしてリュウが面倒を見るの?」
「俺しかいねーじゃねぇか…」
「ふ~ん?うふふふふふ。それはそれで美味しそう」
プリンさんの妖しい笑い声にリュウさんは鳥肌を立てて青くなった。
「それじゃ、頑張ってね?」
そう言うとプリンさんは、僕を離し台所から出て行ってしまう。
リュウさんは缶ビールを始末しながら僕に言った。
「聞こえてねーと思うけど、最初は風呂な?それから今日は俺のところで寝ろ」
聞こえてはいますよ?ただ…、頭の中に声が残らないんです…。
曖昧な意識のままの僕は風呂に入れてもらいパジャマとかを着せられベッドに寝かされた。
その間まで、何度も体に震えが走り変な声をあげる僕に、リュウさんは特に何を言うこともなく。
1つだけ大きく溜息をついて、リュウさんもまたベッドに入ってきた。
「俺が分かるのは『力』とか『神経』みたいなものな?
だから、お前がどんな状態かは分かる。っつーか、同じ男として普通に分かる。
男と同衾とか嫌だろーが、感覚の調整するだけだから、少し我慢な?」
そう言いながら僕を抱き寄せ腕枕をしたリュウさんは、もう片方の手を僕の目の上に当てた。
リュウさんの腕の中、僕の思考を奪っていた体に走る甘い痺れが消えて行く。
お風呂に入ったからでも、ベッドに寝かされたからでもない。
春の陽だまりの中にいるような、眠りに就く直前のような、うっとりするような暖かさ。
体全体が温まって行くにつれ、次第に体の感覚も落ち着いていき、僕の意識が正常に戻って行く。
プリンさんのは『味覚データ』なんかじゃないと思う。
生きる力を欲望で引き出すもの。食の欲望も。性欲も。体の内に火をつけて自身の内から燃やすもの。焼きつくして行くもの。
照らし暖める太陽のようなリュウさんの暖かさと、対になるもの。…そんな気がした。
僕の目の上に当てられたリュウさんの手を、僕は両手でどかしながら言う。
「ご迷惑おかけしてすみませんでした…」
「まぁ夢でも見たと思って忘れろ。学習はしろよ?俺だってあいつ怖えぇんだから…。次は助けてやんねーからな?」
「はい…。でも、悪い人ではないんですよね?」
そう言った僕に、リュウさんは半身を起して勢いよく言った。
「おまっ!そんなんじゃ次は最後まで喰われっぞ?!見かける前に気合いで逃げろっ!根性で気配を察するんだっ!」
びっくりして僕はぽかーんとリュウさんを見上げてしまった。
そんな僕を見て、リュウさんは片手で自分の顔を半分覆うと目を閉じながら言う。
「…はぁ、参ったなー。自覚ねーやつに、言っても分かんねーか」
苦い口調で言いながら頭を振っていたリュウさんの動きがふと、止まった。
「って、…自覚させりゃいーのか?」
言葉と共に目を開いたリュウさんは僕に視線を戻して微笑み、その笑みをゆっくりと華やかな艶やかなものへと変化させていった。
雪さんに似た、大人の色香の漂う顔ではあったけれど、今まで見ていたリュウさんの笑みはもっと、…明るく朗らかなもの。
蕾が綻び開き始めた花弁が、色を濃くして深みを闇を艶やかに増して行くように。
人の目を魅了する香りを放って咲き誇り、輝くような光を増して行くように。
大輪の華が咲き、魅了された者を嘲笑い、見下すような傲慢ささえ魅力的な。
リュウさんの人懐っこい笑みの下に隠されていた…人の形をしたナニカ…。
意識しないままのろのろと操られるように僕は起き上がり…、顔の半分を覆ったままだったリュウさんの手首を掴み外させ…、あらわになった視線を揺らがせることもない真っ直ぐで艶やかな笑みに、衝動が弾けた。
乱暴に肩を掴み引き倒し両手首を掴んで縫い付け、体で体を押さえつけ………、僕はリュウさんの肩に頭を押し付け衝動に耐える。
触れたい。もっと笑ってほしい。その顔を歪ませ怯えるところが見たい。もっと僕を見てほしい。僕に喘ぎ泣くあなたの声が聞きたい。もっと泣いてほしい。僕に乱れて咲いて行くあなたが見たい。
されるがままに抵抗もせず、引き寄せられるがまま倒れ、無言のまま押さえつけられている、あなた。
僕が何をしようとも関係なく手の届かない…あなたは今と同じ笑みのままだと、どこかで悟って何かがほろほろと崩れ落ちてく。僕が壊れて行く。
やがて肩口で泣きじゃくり始めた僕に、リュウさんは言った。
「あー。泣くな。よく我慢できた。よしよし。俺たちはお前の事が好きだけれど、いい人だろーが何だろーが、好きの意味を間違えんなってことだ」
そして泣き続ける僕をそのままに、リュウさんは誰に言うでもなく言う。
「なんだろ?作ったって意識があるせいか、子供みたいに思っちまうのか?どーも甘やかしちまうな」
「落ち着いたか?」
そう言って缶ビールを渡してくるリュウさんに、僕は小さな声で謝った。
「…すみませんでした」
あれから僕はリュウさんの顔をずっとまともに見る事ができないでいた。
下を向いたままビールをすする。
ふと、リュウさんが近づいてきて、僕の顎に手をかけると仰向かせた。
驚いた僕が思わず目を上げると、リュウさんの顔が近づいてきて…。
「や、だからさ。さっき、逃げろって言ったよな?」
息がかかるほどの距離で見つめあい囁かれた言葉にも、僕はまともに反応できなかった。
リュウさんは僕から離れると疲れたような溜息をついて缶ビールを煽りつつ言う。
「信頼してくれてんのはありがてーし、それを裏切ろうとは思わねーんだがなー。俺もお前にたまにクルことがある。っても、理性を上回るほどじゃないからな?だがよー、ホントいーかげん危機感、持てよ」
その言葉と共に僕を見たリュウさんの流し目が色っぽくて、ゾクリとしてよく分からないまま真っ赤になって慌てて下を向いた。
「…ワザとかっ?!ワザとじゃねーって分かっちゃいるが。くそっ。雪ーっ!とっとと帰ってきてこいつ調教し直しやがれーっ!」
僕から顔をそむけて窓の方へ叫んだリュウさんが呼んだ、雪さんの名前に反応しハッとして尋ねた。
「あ。あの…雪さんどこ行ったんですか?」
「ん?検査しに行ってるだけだから明日には帰ってくる。心配すんな」
「雪さん…どこか具合悪いんですか?」
「うんにゃ?いつもの事さ。昨日、熱出したろ?それの検査。今朝は熱下がってたし」
「そーだったんですか…」
「あー。部屋に雪がいなくて声が出なくなるまで泣いてたのか?お前よく寝てたんで起こさなかったんだが…。悪ーことしたな…『捨てられた』とか思ったん?」
リュウさんの発した言葉に僕の身体がビクっと反応してしまい、慌てて僕は言う。
「違いますっ!僕は…確かに組み上げられた人格を元に反応を返したりはしてますが…」
言葉の止まってしまった僕にリュウさんが言う。
「最初は俺達なんかも『アイデンティティ』ってやつか?自分自身を見つけ出すのに苦労すんだわ。
前の自分の記憶なんかも引き継いでいたりすっから。これは本当に俺の感情なのか?って、な?」
「僕も同じですか?」
「あー?どーだろ?ちと違ってたか?」
そう言うとリュウさんは傍らの机から煙草と灰皿を取り出し、窓を開けて言った。
「吸ってもかまわん?」
「あ…、はい」
リュウさんは深く煙草を吸い込み窓の外へと煙を吐くと、初めて会った時と同じような楽しげな笑みを浮かべて話始めた。
「前にちらっと言ったかもしれんが、雪がお前を望んだんだ。
だがな、オリジナルもお前の歌う歌とか好きだったんだそーだ。
お前の人格の元んなったソフトウェアが発売されるン十年も前に、お前の歌とか知ってたらしくスゲェ好きで探したらしい。
発売される前だぜ?どーやって知ったんだろーな?
俺たちが作られる理由はオリジナルがそれを望んだからもあるらしーんだが、大きな理由はそー言った現象の解明だな。
ただ…オリジナルも短い命だったんだが、作られた俺たちはもっと短けぇ。少しずつオリジナルの回路を分けてんのに保たねー。
俺は以前オリジナルに接触されたことあってな?そのせーか今んとこ安定して長生きしてる。
だが、俺らを望んだクセによー、オリジナルは俺らにあんま興味無ぇみてーでな?
滅多に接触してこないんだが、たまにそれぞれに記憶のカケラを見せたり、その能力のカケラを見せに来たりはするんだが…」
窓の外を見つめながら黙り込んだリュウさんに、僕は言った。
「あの…。たぶんですけど…」
「ん?」
「自由に生きてほしいって思ってるんじゃないかと。リュウさんが僕に望むように…」
「へ?俺が?…お前に何望んでるっつーんだ?」
「はい。プリンさんがキスしていたの止めてくれたし。
それにさっき、…ええと僕のこと襲いたくなるみたいなこと言ってましたよね?
僕が…あの…その…ですね…。リュウさんのこと押し倒した時、少しでも動かれたら僕何してたか分からないです…。でも動かなかった。僕を跳ね除けて逆に押し倒すくらいのことできるのに。
雪さんも、僕が僕である事…なのかな?自分らしさ?を、持てるようになのかな?
最初は僕の元になったデータの人格に合わせた話しかしなかったし…」
「あー、なんだ?つまりあれか。一個人として、人として、認めてて、その上で自由に生きろ、と?」
一生懸命話した僕の言葉をまとめた後、リュウさんは顔をしかめて言う。
「お前にオリジナルの記憶とかは入ってねーはずなんだが」
「夢を見たんです。発狂寸前で泣き叫ぶ雪さんを指してあれも幸せって、言ってました。
それにたぶん僕の歌声は好きは好きでも、オリジナルさんは僕にも興味は無いみたいですよ。
僕の歌を求めたのは、僕を求めたのは、雪さんなんです」
「お前ホントにオリジナルに接触されたんだな」
「酷い人ですよね」
「まー、冷てぇよな」
「なんで泣いてる雪さんを見て笑ってられるんですかねー?何も感じてないわけじゃないでしょーに!」
「って、おまっ!まさかの絡み酒っ!?」
「うううっ、雪さんが可哀相です…。ぐすぐす」
「しかも泣き上戸とかありえねーっ!男のくせに泣くなー!うぜぇ!」
リュウさんに泣きながら絡み、しがみついて泣いた僕は…いつの間にか眠ってしまったようだった。
「男に貸す胸なんかねーっ!」とか、いろいろ言うリュウさんの声を微かに聞きながら。