第83話:打ち明け話
帝への進講という、あまりに危険な秘密を抱える永倉。
その事実は、ついに鬼の副長・土方歳三の知るところとなります。
不穏な空気が漂う屯所で、永倉は土方と二人きりでの対峙を迫られることに。
御所からの帰り道、夜の冷気が火照った思考を心地よく冷ましていく。俺は、人知れず大きなため息を一つ、吐き出した。帝という、この国の頂点に立つお方を相手に「議会」や「憲法」を説く。我ながら、あまりにも現実離れした行いだ。これが露見すれば、新選組そのものが朝敵と見なされかねない。
そのリスクは重々承知の上だ。だが、やらねばならなかった。薩長が主導する、徳川を排除した形だけの近代化ではない。幕府を、そしてこの国そのものを根幹から「魔改造」し、列強と渡り合える真の近代国家を築き上げる。そのためには、帝の理解と協力が不可欠なのだ。
問題は、これをどうやって仲間たち、特に土方さんに説明するかだった。
「面白い。やってみろ」
いつだって、俺の突拍子もないプランを後押ししてくれたのは土方さんだ。だが、今回ばかりは次元が違う。一介の剣客集団である新選組の幹部が、帝の家庭教師を務めている。あまりに荒唐無稽で、信じろと言う方が無理な話だろう。
思考の沼に沈みながら歩を進めるうち、壬生の屯所が見えてきた。いつもなら隊士たちの活気や笑い声が漏れ聞こえてくる時間帯だというのに、今夜の屯所は不気味なほどに静まり返っている。まるで、巨大な獣が息を殺して獲物を待っているかのような、張り詰めた静寂。
(……この空気は)
俺は覚悟を決めた。門をくぐると、案の定、隊士たちの視線が一斉に突き刺さる。そのどれもが、戸惑いと訝しさを隠せないでいた。彼らの視線を背中で受け止めながら、まっすぐに奥へと向かう。目指す先は、近藤さんの部屋であり、俺たちの実質的な司令室でもある一室だ。
その部屋の前に、一人の男が腕を組み、仁王立ちで待っていた。
「……土方さん」
月光に照らされたその横顔は、能面のように無表情だった。だが、その瞳の奥には、静かに燃える青い炎が見て取れた。鬼の副長、土方歳三。この空気を創り出した元凶であることは、疑いようもなかった。
「……遅かったな」
低く、地を這うような声。問いかけではない。事実の確認だ。
「少し、野暮用が長引きまして」
「そうか。野暮用、ね」
土方さんはそれ以上何も言わず、顎で部屋の中を示した。有無を言わせぬ、絶対的な圧力。俺は黙って頷き、部屋の襖に手をかけた。
部屋の中には、近藤さんの姿はなかった。おそらく、土方さんが意図的に人払いをしたのだろう。がらんとした部屋の中央に、ぽつんと置かれた一つの座布団。まるで、罪人を裁くための白州のようだ。俺がそこに腰を下ろすのを待って、土方さんはゆっくりと襖を閉め、俺の背後で胡坐をかいた。逃げ場はない、という無言の意思表示だった。
部屋を照らすのは、揺らめく蝋燭の炎が一つだけ。二人の間に、重苦しい沈黙が落ちる。先にそれを破ったのは、やはり土方さんだった。
「永倉」
静かな呼びかけ。だが、その声には刃のような鋭さが宿っていた。
「お前が、俺たちに隠れて何をしているのか。洗いざらい、話してもらおうか」
来たか。山崎さんの監察方は優秀だ。俺が頻繁に御所へ出入りしていることは、とうに報告が上がっているのだろう。問題は、その理由だ。公家の誰かと密会しているのか、あるいは、別の勢力と通じているのか。土方さんの頭の中では、様々な憶測が渦巻いているに違いない。
下手に誤魔化せば、この男が持つ俺への信頼を、根底から破壊することになる。それは、この時代で俺が持つ最大の武器を失うことに等しい。
俺は、観念したように深く息を吸い、そして、ゆっくりと吐き出した。
「……驚かないで、聞いてくれますか」
「内容による」
「はは……手厳しい」
乾いた笑いが漏れる。だが、土方さんの目は一切笑っていなかった。俺は居住まいを正し、正面から土方さんの瞳を見据えた。
「俺は、帝の学問指南役をしています」
一瞬の沈黙。
土方さんの眉が、ぴくりと動いた。彼の表情からは、感情が抜け落ちていた。あまりに突拍子のない言葉に、脳が理解を拒んでいるかのようだ。
「……なんだと?」
「言葉の通りです。帝……主上に、俺が知る知識を進講しています」
蝋燭の炎が、ぱちりと音を立てて爆ぜた。土方さんは絶句していた。その怜悧な頭脳が、俺の言葉の意味をようやく咀嚼し始めたのだろう。彼の顔に、驚愕、困惑、そして疑念が複雑に混じり合った表情が浮かぶ。
「……貴様、正気か? 一介の浪士であるお前が、帝に……何を、進講しているというんだ」
「世界の情勢、です」
俺は、よどみなく語り始めた。この日ノ本の外に広がる世界の広さ。蒸気の力で鉄の船を動かし、大陸を駆け巡る列強諸国の存在。彼らが持つ、桁違いの軍事力と、植民地支配という名の侵略の実態。
「俺たちが京の治安を守るために刀を振るっている間にも、世界は刻一刻と動いています。そして、その矛先が、いつこの日ノ本に向けられてもおかしくはない」
次に、産業革命について語った。工場というシステムが、いかにして爆発的な生産力を生み出すか。それが国家の富を、そして国力そのものをいかに左右するか。
「そして……」
俺は言葉を区切り、土方さんの反応を窺った。土方さんは、ただ黙って聞いていた。その目は、もはや俺個人を見ているのではない。俺の言葉を通して、その向こうにある途方もなく巨大な何かを、見据えようとしているかのようだった。
「国の、在り方について」
「……国の、在り方?」
「はい。西欧の国々が、いかにしてその強大な力を手に入れたのか。その根幹にある仕組み……『議会』と『憲法』について、進講しています」
民が代表者を選び、国の法を作る。生まれや身分に関係なく、法の下では誰もが平等であるという理念。君主や為政者でさえ、その法に縛られるという「立憲君主制」の概念。
俺の口から語られる言葉の一つ一つが、土方歳三という男がこれまで築き上げてきた価値観、武士としての常識、そしてこの国の秩序そのものを、根底から揺さぶっているのが分かった。
「……お前は」
長い沈黙の後、土方さんがようやく絞り出した声は、わずかに震えていた。
「お前は、帝を、どうするつもりだ」
「どう、とは?」
「その……『ぎかい』だの『けんぽう』だのというものを帝に吹き込み、この国を、幕府を、どうしようというんだ」
その問いに、俺は静かに、しかし力強く答えた。
「魔改造するんです」
「……なに?」
「徳川幕府を、史上最強の近代国家に魔改造する。薩長なんかに好きにはさせない。俺たちの手で、この国を生まれ変わらせるんです。そのためには、帝の権威と、俺の未来知識、そして土方さん、あなたと新選組の実力が必要不可欠なんです」
荒唐無稽。
あまりに壮大で、現実離れした計画。
だが、俺の瞳には、狂気と紙一重の、絶対的な確信が宿っていたはずだ。
土方さんは、言葉を失っていた。目の前の俺が、もはや自分と同じ地平に立っていないことを、悟ったのだろう。池田屋で手柄を立て、京の治安を守る。そんな次元ではない。俺は、自分たちが刀を振るって守ろうとしているこの国の、その未来そのものを、たった一人で背負い、動かそうとしていた。
戦慄が、土方さんの背筋を駆け上ったのが見て取れた。
それは、恐怖ではない。畏怖だ。
友であり、同志であり、最高の参謀だと思っていた男が、いつの間にか、自分たちの手の届かない遥か高みで、途方もない大事業を成し遂げようとしている。
長い、長い沈黙が部屋を支配した。蝋燭の炎だけが、まるでこの世の物とは思えない話を聞かされた証人のように、静かに揺らめいていた。
やがて、土方さんは深く、深く息を吐き出した。そして、全ての感情を押し殺したような、静かな声で問いかけた。
「……なぜ、黙っていた」
その声は、怒りでも、失望でもなかった。ただ、純粋な問いだった。最強のパートナーであるはずのお前に、なぜ、その途方もない覚悟を、たった一人で背負い込ませてしまったのか、と。そんな響きが、俺の胸に突き刺さった。
ついに土方に全てを打ち明けた永倉。
語られたのは、帝を巻き込み、幕府を「魔改造」するという壮大な計画
常識を覆す話に驚愕し、言葉を失う土方。
彼の最後の問いは、怒りではなく、唯一無二の相棒に向けられたもののようです。




