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第81話:議会と憲法

帝への進講を続ける新八。


今回のテーマは、国のあり方を根底から覆す「議会」と「憲法」です。

 御所の奥、清涼殿の一室は、いつものように静寂と清らかな白檀の香りに満たされていた。だが、その空気はどこか張り詰め、心地よい緊張感をはらんでいる。玉座に座す孝明天皇の真剣な眼差しが、その緊張感の源であった。


「永倉よ、前回の『産業革命』の話、誠に興味深かった。蒸気の力が鉄の船を動かし、人を乗せた車を走らせる。にわかには信じがたいが、そなたの話には奇妙な説得力がある」


 天皇の言葉に、永倉新八は畳に手をつき、深く頭を下げた。


「もったいのうございます。ですが、本日お話しする儀は、その蒸気機関よりも、この日ノ本の未来を大きく左右するやもしれませぬ」


「ほう。申してみよ」


 促され、永倉は顔を上げた。その瞳には、未来を知る者だけが持つ、強い光が宿っていた。


「本日お話しいたしますは、西欧における国の治め方、『議会』と『憲法』についてにございます」


「ぎかい……けんぽう……?」


 聞き慣れない言葉に、天皇はわずかに眉をひそめる。永倉は、よどみない口調で説明を始めた。


「国を治めるのは、帝や将軍だけではございません。西欧の多くの国では、『議会』と呼ばれる場所に民の代表者を集め、国の決まりごと、すなわち『法』を作り、国の運営について話し合わせるのでございます」


「民の代表、だと? それは、公家や大名のことではないのか?」


「いえ、そうではございません。農民、商人、職人、あらゆる身分の者たちが、自らの代表者を選び、都へ送り出すのでございます。これを『選挙』と呼びます」


 永倉の言葉は、この時代の人間にとってはまさに青天の霹靂であった。生まれながらにして定められた身分という絶対的な秩序。それが、この国の根幹を成してきた。民が、お上を選ぶ? ありえない。それは、秩序の崩壊、世界の終わりを意味する。


 しかし、孝明天皇は、感情的な反発を示すことなく、冷静に問いを重ねた。


「……面白い。続けよ。その『選挙』とやらで選ばれた者たちは、議会で何をするのだ?」


「はい。彼らは、民の声を代弁いたします。例えば、年貢のことであれば、農民の代表が『これ以上の取り立ては、村が立ち行かなくなる』と訴える。あるいは、商人の代表が『新しい橋を架ければ、物流が盛んになり、国が豊かになる』と提案する。それらの声を元に、議会で議論を重ね、最も国益にかない、民のためになる道を探るのでございます」


「……」


 天皇は、黙って永倉の話に耳を傾けている。その脳裏には、これまでに届いた数え切れないほどの嘆願書や、各地の代官から送られてくる報告書の山が浮かんでいた。それらは、常に為政者の視点で書かれたものであり、民の本当の声が、どれほどそこに含まれているのか。


「つまり、議会とは、国中の民の声を一つに集めるための仕組み、ということでよいか」


「御意。そして、その議会で作られる法の中でも、最も重要にして、国の根幹を成す大いなる法。それが、『憲法』にございます」


 永倉は、そこで一度言葉を切り、天皇の反応を窺った。その目が、さらに強い興味の光を宿したのを見て、彼は続けた。


「憲法とは、国の形、統治の仕組み、そして民の権利を定めた、すべての法の頂点に立つ法でございます。そして、この憲法の最も重要な点は…」


 永倉は、あえてゆっくりと、一言一言を区切って言った。


「為政者すらも、その法に縛られる、という点にございます」


「なに……?」


 その瞬間、天皇の纏う空気が、わずかに揺らいだ。これまで保たれていた冷静さが、初めてかすかな動揺を見せる。


「為政者が、法に縛られる、だと? 法とは、為政者が民を従わせるために作るものではないのか」


「西欧では、そうは考えませぬ。法の下では、すべての人間が平等である、と。これを『法の支配』と呼びます。たとえ王や皇帝であっても、憲法に定められた手続きを踏まずに、民から税を取り立てたり、罰したりすることは許されないのでございます」


 それは、万世一系の天皇を神聖不可侵の絶対的な権威として頂点に戴く、この国の在り方、すなわち「国体」そのものを根底から揺るがしかねない、危険な思想であった。天皇が、法に縛られる? 神の子孫である自分が、民の作った法に従わねばならぬと、この男は言うのか。


 一瞬、部屋に緊張が走る。永倉の額に、じわりと汗が滲んだ。史実の孝明天皇は、極度の攘夷主義者であり、古い秩序を重んじる保守的な人物であったはずだ。あまりに急進的な思想を説きすぎたか…?


 だが、玉座からの次の言葉は、永倉の予想を裏切るものだった。


「……なるほど。理には、かなっておるな」


 天皇は、怒りでもなく、拒絶でもなく、深い思索の海に沈むかのように、静かに呟いた。


「為政者が己の欲望のままに権力を振るえば、国は乱れる。それは、歴史が証明しておる。法という枷を自らにはめることで、権力の暴走を防ぎ、国の安寧を保つ。そういうことか」


「左様にございます。そして、憲法は、民の権利を守るための盾ともなります。憲法には、民が生まれながらにして持つ『基本的人権』が定められております。思想、言論、信教の自由。理由なく捕らえられたり、罰せられたりしない権利。それらは、たとえ為政者であっても、侵すことのできない、神聖な権利であるとされております」


 永倉は、この国の未来を思い描きながら、熱を込めて語った。俺が作りたいのは、徳川幕府が支配するだけの国じゃない。民一人ひとりが、自らの人生を、自らの意志で切り拓いていける国だ。そのためには、権力者の気まぐれで全てが覆されるような社会であってはならない。絶対的な権力者を縛る「法」と、民の自由を守る「権利」の保障が、不可欠なのだ。


「……」


 孝明天皇は、再び長い沈黙に入った。その目は閉じられ、表情からは何の感情も読み取れない。だが、その中で、凄まじい速度で思考が回転していることを、永倉は肌で感じていた。


 この国の形。天皇の在り方。民とは何か。統治とは何か。


 永倉がもたらした西欧の知識は、天皇がこれまで自明のものとして受け入れてきた世界の全てを、根底から揺さぶっていた。それは、不快な衝撃であると同時に、抗いがたい魅力を持つ、新しい世界の可能性でもあった。


 やがて、ゆっくりと目を開いた天皇は、まるで遠くを見るような目で、永倉に言った。


「永倉よ。そなたは、この日ノ本も、いずれは西欧のような国になるべきだと考えているのか」


 それは、核心を突く問いだった。永倉は、一瞬の逡巡の後、腹を括って答えた。


「恐れながら申し上げます。蒸気機関という新しい力が世界を変えつつある今、この国もまた、変わらねば生き残ることはできませぬ。ですが、西欧の猿真似をする必要はございません。万世一系の帝を戴く我が国の美しき伝統と、西欧の合理的な仕組み。その二つを融合させ、この日ノ本独自の、新しい国の形を築き上げるべきであると、臣、永倉は愚考いたします」


「……日ノ本独自の、新しい国の形…」


 天皇は、その言葉を、まるで大切な宝物を慈しむかのように、口の中で繰り返した。


「面白い。実に、面白い男よ、そなたは」


 その日の進講は、そこで終わった。


 退出の許しを得て、清涼殿を辞する永倉の背中に、天皇はもう一度だけ声をかけた。


「永倉。次もまた、そなたが知る世界のことを聞かせてくれ。楽しみに、しておるぞ」


 その声には、紛れもない信頼と、そして未来への期待が込められていた。


 永倉は、深く、深く頭を下げた。廊下を歩きながら、彼は込み上げてくる興奮を抑えることができなかった。


 変わる。この国は、変わることができる。そして、その変化の中心に、俺がいる。


 薩長が主導する武力革命ではない。帝と幕府が手を取り合い、民と共に歩む、新しい国づくり。そのための布石は、着実に打たれつつあった。


 永倉の心には、確かな手応えがあった。壬生の屯所で待つ仲間たちの顔を思い浮かべながら、彼の足取りは、未来へと向かう希望に満ちて、力強かった。


お読みいただきありがとうございます。

民が代表を選び、法を作り、為政者すらもその法に縛られる。

新八が説く西欧の仕組みは、神聖な存在である帝にとって危険な思想のはずでした。

しかし、帝は意外な反応を見せ、日ノ本の未来が大きく動き出します。



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― 新着の感想 ―
すでに禁中並公家諸法度があるから下地にはなりそう
聖徳太子の十七条憲法が、明治維新の五か条の御誓文のベースになっている。 そして、『和をもって尊しとなし』『万機公論に決すべし』が議会開設への根拠になっている。 明治憲法はドイツ憲法をモデルにしているが…
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