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第71話:御所の死闘

今回は、帝の御所が謎の刺客に襲われるという、絶体絶命の危機から始まります。

しかし、これは全て新八が仕掛けた壮大な迎撃作戦の始まりでした。

沖田や斎藤たち各隊長が、それぞれの役割を持って戦場を駆け巡ります。

 時が止まったかのような錯覚。それが、三条通を支配する感覚の全てだった。公家たちの悲鳴と、黒装束の集団が放つ無機質な殺気。その二つの音だけが、凍り付いた空気の中を支配していた。だが、その均衡は、第三の音によって、ガラスのように粉々に砕け散った。


「新選組である! 帝をお守りしろッ!」


 俺、永倉新八の絶叫だった。それは単なる声ではない。この瞬間のために張り巡らせていた、巨大な蜘蛛の巣を起動させるための合図。反撃の狼煙だ。俺は懐から取り出した煙管型の発煙筒を天に掲げ、力強くその口を叩いた。パン、という乾いた音と共に、一条の赤い煙が空高く立ち上る。


 その煙を待っていた。まるでこの瞬間のために、そこに存在していたかのように。


 それまで、恐怖に怯え、道端にひれ伏すただの民草であったはずの男たちが、あるいは荷を放り出して逃げ惑う行商人の一人であったはずの者たちが、一斉に、しかし恐ろしいほどの静けさをもって立ち上がった。彼らが羽織っていたくたびれた着物が翻る。その内側から現れたのは、鮮やかな浅葱色の羽織。そして、その背中で燃えるように揺れる、「誠」の一文字。


「一番隊、続け!」「三番隊は側面を叩け!」「八番隊は退路を断て!」


 土方歳三、藤堂平助、そして俺の声が、次々と戦場に響き渡る。怒号と共に、浅葱色の波が、黒装束の集団へと一斉に襲いかかった。


「なっ……伏兵だと!? いったいどこから……!」


 黒装束の刺客たちが、初めて人間的な動揺の声を上げた。彼らの計画は完璧だったはずだ。公家の脆弱な警護を瞬時に突破し、帝の身柄を確保、あるいは弑逆しいぎやくする。京の町が、自分たちの主君が望む混乱の渦に叩き込まれる様を、彼らは夢想していたはずだ。まさか、狩人であったはずの自分たちが、一瞬にして獲物の立場に叩き落とされるとは、想像だにしなかっただろう。


 京の雅やかな大通りは、一瞬にして怒号と刃鳴りが支配する、血と鉄の匂いが立ち込める戦場へと変貌した。


 その先陣を切り裂いたのは、やはり、あの男だった。


「あははっ! やっと出番ですね、永倉さん!」


 まるで待ちくたびれた子供が、待ちわびた玩具を与えられたかのような、屈託のない声。一番隊隊長、沖田総司。彼は人垣を飛び出すや否や、まるで重力など存在しないかのように軽やかに宙を舞い、敵陣の只中へと舞い降りた。その涼やかな口元には、この凄惨な状況にはあまりにも不釣り合いな、無邪気な笑みさえ浮かんでいる。


「ちょっと遅いですよ。待ちくたびれて、斬る相手がいなくなるところでした」


 そんな軽口を叩きながら、その手にした愛刀「菊一文字則宗」が、残像を伴う閃光を放つ。「三段突き」と呼ばれる、神速にして無慈悲な連撃が、真正面の刺客の喉を、まるで吸い込まれるように正確に貫いた。血飛沫が舞うのも構わず、返す刀で左右の敵の胴を薙ぎ払う。刺客たちが驚愕に目を見開いたまま崩れ落ちる中、さらに一歩踏み込み、背後から迫っていた別の敵の心臓を、背中から貫き通した。


 一連の動きに、一切の淀みがない。それはもはや剣技というよりは、死を振りまく舞踊。その華麗な舞の軌跡には、赤い飛沫と崩れ落ちる黒装束の骸だけが、無慈悲に積み上がっていく。沖田の率いる一番隊もまた、鬼神の如き隊長の背中を追うように、鋭利な刃となって敵陣を切り裂き、その組織的な連携を内側から破壊していった。


(よし、計画通りだ)


 俺は戦況全体を冷静に俯瞰しながら、第二の発煙筒を燻らせる。今度は、青い煙。それは、第二波、第三波の攻撃開始を告げる、より緻密な作戦行動への移行を意味する合図だ。


 敵は予想以上の手練れ揃いだった。その太刀筋は鋭く、動きには一切の無駄がない。おそらく、どこかの藩が、あるいはこの襲撃を裏で糸引く岩倉具視自身が、極秘裏に育て上げた暗殺専門の部隊なのだろう。だが、それすらも俺の想定の範囲内だ。この日のために、俺は新選組という組織を、ただの剣客集団から、近代的な戦闘組織へと作り変えてきたのだから。


(個の武勇でどれだけ優れていようと、組織的な戦術の前では無力だということを、その身をもって教えてやる!)


 青い煙が空に溶けるのを待っていたかのように、音は、なかった。


 少なくとも、常人には決して聞こえないほどの微かな衣擦れの音だけを残して、斎藤一は路地の影から影へと渡っていた。彼の率いる三番隊は、沖田の一番隊のような派手さはない。だが、まるで統率の取れた狼の群れのように、敵の注意が正面の激戦に引きつけられている隙を突き、その側面から静かに、そして確実に牙を突き立てていく。


 斎藤の目は、眼下で繰り広げられる個々の戦闘には目もくれず、ただ一人、乱戦の中から冷静に周囲へ指示を飛ばしている、指揮官らしき男だけを捉えていた。その男は、他の刺客たちとは明らかに立ち居振る舞いが違う。無駄口を叩かず、最小限の動きで戦況を把握し、的確な指示で部隊を動かしている。間違いなく、この襲撃部隊の頭脳。あの男を潰せば、敵の組織的抵抗は瓦解する。


 斎藤は、逃げ惑う民衆の波に逆らうように、しかし誰にもぶつかることなく、するり、と人波を抜け、指揮官の男の背後にある旅籠の屋根に、音もなく降り立った。まるで、最初からそこにいたかのように。


 獲物を見据える蛇のような、冷たく昏い眼差し。斎藤は刀を逆手に持ち替え、その体勢を低く沈み込ませる。あとは、飛びかかるだけ。その一瞬の静寂は、戦場の喧騒の中で、異様なほどの緊張感を放っていた。


「二番隊、前へ! 鳳輦の周囲を固めろ! 蟻一匹近づけるな!」


 俺は自らも刀を抜き放ち、二番隊の隊士たちと共に、帝の乗る鳳輦の周囲に円陣を組む。俺たちの役目は、この防衛線を死守すること。そして、一番隊と三番隊が切り崩した敵の綻びを、的確に叩き潰すことだ。


「うおおおおっ!」


 側面からは、原田左之助が率いる十番隊の槍衾が、刺客たちの突進を阻む。槍の長いリーチは、刀の間合いを許さず、敵の足を確実に止め、その勢いを殺いでいた。


 陽動部隊による民衆の混乱。

 一番隊による正面突破と敵陣の攪乱。

 三番隊による指揮系統の破壊。

 十番隊による突進の阻止。

 そして、俺たち二番隊による絶対防衛線の構築。


 それぞれに明確な役割を与えられた部隊が、有機的に連携し、一つの巨大な戦闘機械として機能する。これこそが、俺が未来の知識を基に作り上げた、新選組の新しい戦い方だった。個々の剣技に頼るのではなく、組織力で敵を圧倒する。近代戦の思想を、この幕末の世に持ち込んだのだ。


 黒装束の刺客たちは、明らかに混乱していた。個々の技量では、新選組の隊士と互角か、それ以上かもしれない。だが、四方八方から、まるで波状攻撃のように繰り出される連携攻撃の前には、なす術がない。分断され、孤立させられ、一人、また一人と数を減らしていく。


 刃鳴りの音が、次第に数を減らしていく。怒号が、断末魔の悲鳴へと変わっていく。勝利は目前かと思われた。


 その時、斎藤が動いた。屋根を蹴り、闇色の影となって宙を舞う。狙いは、指揮官の男の、がら空きになった首筋。必殺の一撃。


 しかし、その瞬間、指揮官の男は、まるで背中に目がついているかのように、振り向きもせずに半歩だけ横にずれた。斎藤の刃が、火花を散らして石畳を抉る。


「ほう。壬生の狼も、地に落ちたか」


 指揮官の男は、初めて声を発した。その声は、年の頃にそぐわぬほど、冷たく、乾いていた。斎藤は即座に体勢を立て直し、男と対峙する。その目に、初めて焦りの色が浮かんだ。


「……貴様、何者だ」


 斎藤の問いに、男は答えず、ただ口の端を吊り上げて不敵に笑った。その笑みは、自らの死すらも、この先の計画の一部であると告げているかのようだった。


「――時は、満ちた」


 男がそう呟いた、直後。


 それまで全く動かなかった、通りの奥にある旅籠の中に潜んでいた最後の一団、およそ十名の刺客が、死を覚悟した形相で、一斉に飛び出してきた。彼らは、俺たちが繰り広げる主戦場には目もくれず、ただ一点、警護が手薄になった鳳輦へと、最短距離を一直線に殺到する。


 しまった! 今までの戦闘そのものが、陽動だったのか!


 俺の背筋を、氷のように冷たい汗が流れ落ちた。新選組の主力が、前線の戦闘に釘付けにされている今、鳳輦を守る最後の砦は、俺と数名の二番隊士のみ。敵の狙いは、俺たちの戦力を分散させ、この最後の一点突破を成功させることだったのだ。


「させるかあっ!」


 俺は、前世の記憶も、永倉新八としての矜持も、全てをかなぐり捨てた。ただ守るべき者のために、一人の武士として、死を覚悟した凶刃の奔流へと、身を躍らせた。


お読みいただき、ありがとうございます。

未来知識で立てた作戦は完璧だと思ったのですが、敵はさらにその上をいっていました。

主力が前線に釘付けにされたこの状況で、本命の敵が帝の元へ殺到します。

残されたわずかな手勢で帝をお守りできるのか?


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