第68話:新選組の知恵
帝の警護という重大な特命を拝命した新選組。
新八は、未来の知識を駆使して練り上げた前代未聞の警護計画を幹部たちに提示します。
土方歳三の部屋は、蝋燭の炎が揺れる薄闇の中に、張り詰めた静寂が満ちていた。上座に座る土方とその隣の俺を前に、呼び集められた男たちが胡坐をかいている。
一番隊組長、沖田総司。その涼やかな顔立ちは常と変わらぬが、病の気配を微塵も感じさせない鋭い眼光が、俺たちを射抜いている。
三番隊組長、斎藤一。感情の読めない無表情のまま、その存在は闇に溶け込むように静かだ。だが、彼の全身から放たれる剣気は、部屋の空気を一層重くしていた。
十番隊組長、原田左之助。種子島仕込みの豪快な槍働きで知られる男は、腕を組み、何事かと訝しむように眉をひそめている。
この三人に加え、俺と土方さん。新選組最強の戦闘力を誇る五人が、この密室に揃っていた。
「夜分に集まってもらったのは他でもない」
静寂を破ったのは、土方さんだった。彼のいつも以上に低い声が、部屋の隅々まで響き渡る。
「我ら新選組に、会津藩主・松平容保公より、直々の特命が下された」
特命、という言葉に、沖田の眉がぴくりと動き、原田がごくりと喉を鳴らした。斎藤は変わらず無表情だが、その背筋がわずかに伸びたのを俺は見逃さなかった。
土方さんは、容保公から託された書状を一同の前に示し、簡潔に、しかし言葉の一つ一つに重みを込めて説明を始めた。きたる主上の参内、その行列を狙う大規模な襲撃計画の存在。そして、その計画を阻止し、帝の御身を極秘裏に守護するという、我らが拝命した任務の全容を。
話が進むにつれ、幹部たちの顔色が変わっていく。京の治安維持とは、次元が違う。これは、この国の根幹を揺るがしかねない、まさしく国家レベルの危機だった。
「…つまり、俺たちがしくじれば、帝が…」
原田が、信じられないといった表情で呟く。
「そういうことだ。この任に失敗は許されん。我ら新選組の存在意義、その全てが問われる一戦となる」
土方さんの言葉に、部屋は再び重い沈黙に包まれた。池田屋の比ではない。比較にすらならない重圧が、俺たちの両肩にのしかかっていた。
その沈黙を破ったのは、俺だった。
「そこで、皆さんに俺の考えた警護計画の全容を共有したい」
俺は立ち上がると、容保公の前にも広げた、京の市街が詳細に描かれた地図を壁に貼り付けた。そこには、参内の行列が通る道筋が、赤い線で示されている。
「これは、単なる斬り合いや警護ではない。俺たちの知恵と組織力で、敵を完全に無力化するための『戦』です」
俺は地図を指し示しながら、語り始めた。
「まず、敵の狙いは、行列が最も無防備になるであろう、いくつかの隘路、つまり道が狭くなる地点に絞られます。俺の分析では、特に危険なのはこの三箇所」
俺は地図上の三つの地点を指で叩いた。一つは寺社の門前、もう一つは商家が密集する通り、そして最後は川に架かる橋の上。
「敵は、おそらく三手に分かれて時間差で襲撃を仕掛けてくるでしょう。一つは陽動、一つは主攻、そしてもう一つは退路を断つための伏兵。我々は、その全てを上回る手を打つ必要があります」
俺の言葉に、幹部たちは息を詰めて地図に見入っている。
「そこで、我々も部隊を三つ、いや、四つに分けます」
俺は懐から、それぞれの隊の役割を記した紙を取り出した。
「第一部隊、暗号名は『飛燕』。率いるは、沖田総司」
名を呼ばれ、沖田さんが「はい」と短く応える。その目は、すでに獲物を見つけた鷹のように鋭く輝いていた。
「沖田さんの部隊は、新選組最強の剣戟部隊。その突破力は、敵の主力を食い破るための、我々の『剣先』です。ただし、動くのは敵の本体、主力が姿を現してから。それまでは、物陰に潜み、息を殺して待機していただきます」
「…じっと待つのは、あまり得意じゃないんですけどね」
沖田さんが悪戯っぽく笑うが、その声には武者震いが混じっていた。
「第二部隊、『影』。これを率いるは、斎藤一さん」
斎藤さんが、静かに頷く。
「斎藤さんの部隊には、最も重要な役割を担っていただきます。それは、敵の動きを事前に察知し、その意図を探る『目』となってもらうこと。襲撃予想地点に事前に潜入し、敵の伏兵の位置、規模、指揮官は誰か、といった情報を収集し、逐一こちらへ報告してもらいます」
これは、現代でいうところの威力偵察(Reconnaissance in force)と情報収集(Intelligence gathering)を兼ねた、極めて高度な任務だ。剣の腕はもちろん、高い隠密性と冷静な判断力が求められる。斎藤さんをおいて、この役をこなせる者はいない。
「第三部隊、『猪突』。これは、原田左之助さんにお願いしたい」
「おう、任せろ!」
待ってましたとばかりに、原田さんが胸を叩く。
「原田さんの部隊は、その名の通り、猪武者のように敵陣へ突っ込んでいただきたい。ただし、それは陽動です。敵の先鋒が現れた瞬間、派手に斬り込み、敵の注意を引きつける。敵が原田さんの部隊に気を取られている隙に、沖田さんの部隊が本命を叩く。いわば、最強の『囮』です」
「ははっ、面白え!派手に暴れて、敵の度肝を抜いてやりゃあいいんだな!」
豪快に笑う原田さんを見て、俺は続けた。
「そして、第四の部隊。全体の指揮と、戦況に応じた遊撃を担う『中核』。これを、俺と土方さんで担当します。戦況がどちらに転んでも対応できるよう、常に二手三手先を読んで動く、作戦の『頭脳』です」
俺の説明に、三人はただ黙って聞き入っている。彼らの頭の中で、俺の言葉が徐々に具体的な戦場の絵として形作られていくのが分かった。
「だがな、永倉」
口を開いたのは、土方さんだった。
「部隊を四つに分けるのはいい。だが、それらがどうやって連携する?戦が始まっちまえば、声での伝令など届かんぞ」
「その点も、考えてあります」
俺は自信をもって頷いた。
「各部隊間の情報伝達には、山崎さんの監察方を伝令役として配置します。さらに、緊急の合図として、色付きの煙玉を使用します。赤は『敵主力発見』、黒は『敵の罠あり』、黄色は『至急救援を請う』。この三色で、最低限の意思疎通を図ります」
煙玉。その言葉に、幹部たちの目が見開かれる。忍びの道具として知られてはいるが、それを組織的な情報伝達手段として用いるという発想は、彼らにはなかったのだろう。
「さらに、もう一つ。これが、この作戦の成否を分ける、最も重要な要素です」
俺は一呼吸置いて、言った。
「各部隊に、専門の『救護方』を置きます」
「きゅうごがた…?」
原田さんが、怪訝な顔で首を傾げる。
「はい。戦闘で傷ついた仲間を、安全な後方まで運び、応急手当を施す専門の部隊です。これまでのように、仲間が斬られたらその場で見捨てるか、あるいは誰かが戦列を離れて助けに戻る、といった無駄は許されません。一人でも多くの仲間を生きて帰す。それが、部隊の士気を維持し、最終的な勝利に繋がるんです」
これは、俺がいた現代の組織では当たり前の、兵站と衛生(Logistics and Medical)の概念だ。だが、この時代において、それは革命的な発想だった。武士の誉れとは、華々しく戦場で死ぬこと。負傷者は足手まとい。そんな考えが根強いこの時代に、俺は「命を使い捨てにしない」という、全く新しい価値観を提示したのだ。
部屋は、水を打ったように静まり返った。
沖田さんも、原田さんも、そして土方さんまでもが、驚愕の表情で俺を見つめている。
最初に沈黙を破ったのは、意外にも斎藤さんだった。
「…理に適っている」
彼の静かな、しかし確信に満ちた一言が、空気を震わせた。
「敵の退路は。挟撃する以上、完全に包囲すべきでは」
鋭い指摘だ。さすがは斎藤さん。作戦の核心を的確に突いてくる。
「いいえ、あえて退路は一つだけ残します」
俺は地図の一点を指さした。
「敵を完全に包囲すれば、彼らは鼠のように、死に物狂いで抵抗するでしょう。そうなれば、こちらの被害も大きくなる。だから、あえてここを逃げ道として残す。ただし…」
俺は不敵に笑った。
「その先には、山崎さんが仕込んだ『本当の罠』が待っています。そこまで含めて、我々の作戦です」
俺の言葉に、幹部たちの顔に、驚きと感嘆、そして興奮が入り混じった複雑な表情が浮かんだ。
それは、単なる剣客集団の戦術ではない。敵の心理を読み、情報を制し、組織の力を最大限に引き出す、高度に計算された「近代的な作戦」だった。
「…はっ、ははは!」
最初に笑い出したのは、沖田さんだった。
「面白い!実に面白いじゃないですか、永倉さん!そんな戦、今まで聞いたこともない!僕の剣が、あなたの知恵の中でどう躍るのか…想像しただけで、楽しくなってきちゃった」
「全くだ!ただ斬り合うだけが戦じゃねえってことか!永倉、おめえ、とんでもねえ奴だな!」
原田さんも、興奮を隠しきれない様子で叫ぶ。
そして、土方さんが、深く、長く息を吐き、静かに口を開いた。
「…見事だ、新八。お前の策、とことん乗らせてもらう」
彼の双眸には、俺への絶対的な信頼の色が浮かんでいた。
「これならば勝てる。いや、勝たねばならん。新選組の、そしてこの国の未来のために」
俺は、改めて全員の顔を見渡した。
沖田さんの純粋な闘志。斎藤さんの静かな覚悟。原田さんの揺るぎない勇気。そして、土方さんの鋼の意志。
俺が持ち込んだ現代の知恵という名の「部品」が、新選組という「組織」の中で、今、完璧に噛み合った。
「御意!」
四人の声が、一つに重なった。それは、単なる命令への服従ではない。同じ目的を見据え、共に死線を越える覚悟を決めた者たちの、魂の共鳴だった。
「よし!」
土方さんが立ち上がり、力強く号令を下した。
「各自、ただちに自分の部隊の人選に入れ!作戦の詳細は、追って通達する!時間は無いぞ、急げ!」
「「「はっ!」」」
沖田さん、斎藤さん、原田さんが、引き締まった表情で部屋を出ていく。その背中には、先ほどまでの比ではない、明確な使命感と闘志が漲っていた。
後に残された俺と土方さんは、どちらからともなく、壁の地図を見つめた。
無数の線と文字が書き込まれた、一枚の紙。
だが、俺たちには、それがこれから繰り広げられるであろう、激しい戦いの縮図に見えていた。
帝都の守護者として、新選組がその真価を発揮する時が、刻一刻と迫っていた。
新八が提案した四部隊編成による立体的な警護作戦。
沖田を剣先に、斎藤を目に、原田を囮とし、土方と共に自身は頭脳となる壮大な計画。
帝の行列が京の町を進む中、運命の時が刻一刻と迫ります。




