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第65話:会津藩への直訴

帝暗殺というおぞましい計画。

その首謀者が公家の岩倉具視であるという驚愕の事実に、新八は辿り着きました。

一刻を争う事態に、永倉は近藤、土方と共に、会津藩主・松平容保への決死の直訴を決意します。

果たして、一介の浪士たちの声は藩主へ届くのか?

「行くぞ」


 土方歳三のその一言が、凍てついた屯所の空気を切り裂いた。彼の双眸には、もはや迷いの色はなく、ただ一点、会津藩主・松平容保への直訴という目的だけを見据えた、鋼のような光が宿っていた。俺、永倉新八が導き出した、あまりにもおぞましい筋書き――帝の暗殺計画。その途方もない重圧を前にしても、この鬼の副長は一瞬たりとも怯まなかった。


「近藤さんを呼んでくる。新八、お前はすぐに発てるようにしておけ。証拠となる資料も全てだ」

「わかってます」


 土方さんの言葉に短く応え、俺は卓上に散らばった地図や山崎が残した人相書きを素早くかき集める。一枚一枚が、岩倉具視という巨大な黒幕の存在を指し示す、千金の重みを持つ証拠だった。


 間もなく、鬼気迫る様子の土方さんに伴われ、局長である近藤勇が部屋に入ってきた。彼の朴訥とした顔には、普段の温厚な笑みはなく、事の重大さを物語るかのように、硬い緊張が張り詰めている。


「話は土方から聞いた。新八、お前の読み、俺は信じる。試衛館の頃から、お前の物の見方は他の誰とも違っていた。そのお前が、命を懸けてもいいと言うのなら、俺もこの命と新選組の命運、お前に預ける」


 近藤さんの真っ直ぐな瞳が、俺を射抜く。その言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。そうだ、俺は一人じゃない。俺の知識を信じ、共に戦ってくれる仲間がいる。史実では非業の死を遂げるはずだったこの人たちと、俺は今、未来を、この国の歴史そのものを変えるための戦いに挑もうとしているのだ。


「ありがとうございます。必ず、この国難を乗り越えてみせます」


 俺は力強く頷き、近藤さん、土方さんと共に、夜の闇がまだ色濃く残る京の町へと駆け出した。目指すは、京都守護職の本陣、会津藩邸。俺たちの運命、そして日本の未来を左右する、あまりにも大きな賭けが始まろうとしていた。


 ◇


 会津藩の京屋敷は、黒谷の本陣とは別に設けられた、政治活動の拠点である。以前、俺の情報地図を献策するために訪れた時とは比べ物にならないほど、物々しい警備の武士が立ち並び、俺たちを厳しい視線で射抜いていた。


「何者だ! 夜更けに会津藩邸に何の用か!」


 槍を構えた門番の怒声が飛ぶ。当然の反応だった。いくら俺が容保公からその才を認められているとはいえ、新選組はあくまで会津藩お預かりの浪士集団。何の事前連絡もなしに、夜更けに藩主への拝謁を求めるなど、常識外れも甚だしい。


 しかし、ここで臆するわけにはいかない。一刻を争うのだ。近藤さんが一歩前に進み出て、堂々たる態度で名乗りを上げた。


「我らは新選組局長・近藤勇。副長・土方歳三、同じく副長助勤・永倉新八。京都守護職たる、松平肥後守様に、一刻も早くお伝えせねばならぬ儀があり、罷り越した! 取り次ぎを願いたい!」


 その声は朗々と響き渡ったが、門番たちの訝しむ色は消えない。

「新選組だと? 肥後守様が、お主らのような浪士に会われるはずがなかろう。要件があるならば、然るべき筋を通して出直してこい」


 冷たくあしらわれ、門が閉ざされそうになる。その瞬間、今まで黙っていた土方さんが、地を這うような低い声で言った。


「――我らが斬り開いた池田屋の功を、お忘れか。あの時、我らが命を懸けて守ったものが何だったか、今一度思い出していただこう。このまま我らを追い返せば、会津藩は、いや、この日ノ本は取り返しのつかぬ事態に陥る。その責め、お主一人で負えるのか?」


 土方さんの全身から放たれる、尋常ならざる気迫。それは、修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、人の心を直接揺さぶる力を持っていた。門番は思わず息を呑み、その顔から血の気が引いていく。


「……待っておれ。上役に確認してくる」


 その言葉を最後に、門番は慌てて屋敷の中へと消えていった。残された俺たちの間に、重い沈黙が流れる。俺の心臓は、これからの謁見を前に、大きく、そして不規則に鼓動を刻んでいた。


 待つこと、およそ半刻。固く閉ざされていた門が、再びゆっくりと開かれた。現れたのは、先ほどの門番とは明らかに格の違う、壮年の武士だった。彼は俺たち三人を値踏みするように一瞥すると、静かに告げた。


「肥後守様が、お会いになる。こちらへ」


 その言葉に、俺と土方さんは目を見交わした。最大の関門は、突破した。


 ◇


 通されたのは、以前にも訪れたことのある、藩邸の奥にある広大な書院だった。磨き上げられた床、一分の隙もなく整えられた調度品。その全てが、二十万石の藩主が持つ威光と格式を物語っている。


 やがて、衣擦れの音と共に、上座に一人の男が静かに座した。

 松平容保。徳川宗家への忠義を貫き、火中の栗を拾うがごとく京都守護職の重責を担う、悲劇の名君。その人は、俺が以前会った時と変わらず、理知的な光を宿す涼やかな目元をしていた。だが、その奥に浮かぶ憂いの色は、京の情勢が緊迫するにつれて、さらに深まっているように見えた。彼の両脇には、見覚えのある藩の重臣たちが、厳しい表情で控えている。


「面を上げよ。近藤、土方、そして永倉。夜更けに何事だ」


 凛とした声が響く。俺たちは一斉に頭を下げ、近藤さんが代表して口上を述べた。


「この度の突然の拝謁、ご無礼の段、伏してお詫び申し上げます。なれど、一刻の猶予もならぬ、国家の一大事。恐れながら、肥後守様にご報告申し上げたく…」


「許す。申してみよ。永倉、そなたの献策、この私も頼りにしている」


 容保は、感情の読めない静かな声で促した。その言葉に、俺は背筋が伸びる思いだった。近藤さんが俺に目配せをする。ここからは、俺の役目だ。


 俺は一つ深呼吸をすると、覚悟を決めて顔を上げた。そして、前世でかつて培った全てを懸け、冷静に、かつ詳細に、俺たちの掴んだ驚愕の事実を語り始めた。


「申し上げます。我らは、先日の池田屋事件にて押収した機密文書の分析を続けておりました。その結果、京で頻発する過激な騒乱の裏に、ある一つの資金源が存在することを突き止めました」


 俺は言葉を区切り、居並ぶ重臣たちの顔を見渡す。誰もが訝しげな表情だ。俺は構わず続けた。


「その金の流れを追ううち、一つの名が浮かび上がりました。公家の重鎮、岩倉具視様でございます」


「なっ…!」

「馬鹿な!」


 その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。重臣たちから、驚きと怒りの声が上がる。公家、それも朝廷内で重きをなす岩倉具視が、騒乱の黒幕だと? 一介の浪士の戯言と断じるには、あまりにも突拍子がなく、そして不敬な言葉だった。


「静まれ」


 容保の一喝が、騒然となりかけた場を鎮める。彼の視線は、真っ直ぐに俺を捉えていた。その目に、侮蔑の色はない。ただ、静かに真実を求めている。


「続けよ、永倉」

「はっ。我らは山崎烝配下の監察方を使い、岩倉様の屋敷周辺を探らせました。すると、素性の知れぬ腕利きの浪士たちが、頻繁に出入りしている事実を掴みました。そして、彼らが執拗に調べていたもの…それは、御所周辺の警備状況と、主上の参内の日程にございました」


 俺の言葉が進むにつれ、重臣たちの顔から血の気が引いていくのが分かった。点と点が繋がり、その先にあるおぞましい結論に、誰もが気づき始めていた。


「奴らの狙いは、畏れ多くも、主上ご自身。すなわち、今上帝の暗殺にございます」


 ついに、核心を突いた。

 その瞬間、書院は水を打ったように静まり返った。誰もが、呼吸をすることさえ忘れたかのように、俺の言葉の衝撃に打ちのめされていた。


「我らの分析では、襲撃は、主上が参内される特定の日に、特定の経路で決行されます。敵の目的は、帝の暗殺による京の混乱を誘発し、幕府の権威を失墜させ、その混乱に乗じて倒幕の主導権を握ることにあるかと」


 俺は、昨夜、土方さんに語ったプロファイリングの全てを、淀みなく、冷静に、事実だけを積み重ねるように説明した。目的、兵力、場所、タイミング。それは、一人の浪士の憶測などではない。膨大な情報から導き出された、冷徹なまでの危機管理シミュレーションの結果だった。


 長い、長い沈黙が続く。やがて、一人の老臣が、震える声で絞り出した。


「…信じられぬ。公家の岩倉様が、帝を弑し奉るなど…あってはならぬことだ。何かの間違いであろう! 証拠はあるのか、証拠は!」


 その言葉は、その場にいる全員の心の声を代弁していた。そうだ、信じられるはずがない。あまりにも衝撃的で、常軌を逸した計画。俺の言葉は、彼らがよって立つ世界の常識そのものを、根底から揺るがすものだったのだから。


 松平容保は、固く目を閉じ、何かを深く、深く考えているようだった。その顔には、苦悩の色が浮かんでいる。信じるべきか、信じざるべきか。この若き藩主は、今、人生で最も重い決断を迫られていた。


 四方から突き刺さる、疑いと敵意の視線。俺は、その全てを一身に受け止めながら、静かに次の言葉を待った。このままでは、ただの妄言として一蹴される。そうなる前に、俺は、彼らが信じざるを得ない、決定的な「証拠」を突きつけなければならなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ついに会津藩主・松平容保への直訴に踏み切った新選組。

新八の口から語られたのは、衝撃的な「帝暗殺計画」と、その黒幕としての岩倉具視の名。

常識外れの進言に、会津藩邸は震撼します。

果たして、悲劇の名君・松平容保は、この途方もない話を信じるのか?

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