表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/73

第61話:黒幕の影

池田屋事件から数ヶ月。京の都にはかりそめの平穏が訪れていました。

新八の改革により、新選組は財政的にも安定し、隊士たちの士気も高まっています。

しかし、その裏で不穏な金の流れが…。

新八は監察方の山崎烝と共に、京に渦巻く見えざる陰謀の正体を追います。

 池田屋事件の激震が京の都を駆け巡ってから、早数ヶ月が過ぎようとしていた。

 あれほどまでに猛威を振るった不逞浪士たちの動きは鳴りを潜め、夏の盛りを過ぎた都には、まるで嵐の前の静けさのような、かりそめの平穏が訪れていた。俺が断行した組織改革によって、新選組の財政と兵站は劇的に改善され、隊士たちの士気もかつてないほどに高まっている。屯所の風紀は引き締まり、誰もが「最強の組織」へと生まれ変わる手応えを感じていた。


 だが、俺の心は、その静けさとは裏腹に、むしろ波立ち続けていた。


「永倉様、お持ちいたしました」


 夜半、屯所の一室。障子越しにかけられた声に、俺は顔を上げた。山崎烝。新選組の監察方であり、俺が最も信頼する諜報のプロフェッショナルだ。音もなく入室した彼は、俺が机代わりに使っている文机の前に座すと、数枚の紙片を差し出した。


「今宵もまた、金の流れに奇妙な動きが」


 部屋の半分を占領する畳の上には、京の市街を描いた巨大な地図が広げられている。その上には、無数の付箋が貼られ、墨で引かれた線が複雑な模様を描き出していた。池田屋で押収した長州の機密文書。そこに記されていた名、場所、日付。それらを起点に、俺は山崎の諜報網を駆使して、京に渦巻く金の流れを追跡していた。


「西陣の呉服商『丹波屋』が、素性の知れぬ浪士数名に多額の金を渡したとの証言を得ました。名目は用心棒代、と」

「先日は東山の両替商が、同じような連中に。理由はこちらも似たようなものか」

「はっ。いずれも、池田屋以降にわかに羽振りが良くなった商人たちです。表向きは長州との取引が途絶えた穴を埋めるため、新たな商いを始めたと申しておりますが…」


 山崎の報告を聞きながら、俺は地図の上に新たな線を書き加える。呉服商、両替商、米問屋……一見、何の関係もない点と点が、金の流れという一本の線で結ばれていく。その線は、まるで蜘蛛の巣のように、京の都全体を覆い尽くさんとしていた。


「個々の事件は小さい。浪士による押し込みや、小規模な打ちこわし。だが、金の出所と流れを繋ぎ合わせると、奇妙な法則性が見えてくる」


 俺の呟きに、山崎は固唾を飲んで地図を見つめている。彼は俺の意図を正確に理解していた。俺たちが追っているのは、目に見える浪士たちの狼藉ではない。その背後で、彼らを操り、京に混乱の火種を撒き続けている、見えざる「何か」の正体だ。


「奴らは、我々新選組や所司代の目が届きにくい場所で、意図的に小さな騒乱を繰り返している。治安の悪化を京の民に印象付け、幕府の権威を少しずつ削り取っていく。まるで、じわじわと毒を盛るように」


 官僚時代に培ったデータ分析と思考が、頭の中で高速回転する。金の流れ、人の動き、事件の発生場所とタイミング。全ての情報を統合し、最適化していく。そして、複雑に絡み合った蜘蛛の巣の中心、全ての線が収束する一点に、俺はゆっくりと指を置いた。


 そこに記されていたのは、特定の藩の名でも、過激な浪士の名でもなかった。


「……岩倉、具視……」


 声に出した瞬間、部屋の空気が凍りついた。

 山崎が息を呑む気配が伝わる。無理もない。それは、朝廷に仕える公家の、それも重鎮の名だった。尊皇攘夷派の公家として知られてはいるが、今は政界から退き、岩倉村に蟄居しているはずの人物。


「馬鹿な……。あの方が、このような……」

「確たる証拠はない。だが、状況証拠が示している。金の流れを遡っていくと、必ずこの人物に行き着く。複数の金の流れは、巧妙に偽装された複数の経路を辿り、最終的に岩倉具視という一点に集約されるんだ」


 俺の脳裏には、霞が関で腐敗した政治家たちの資金ルートを暴き出した、幾多もの捜査の記憶が蘇っていた。手口は同じだ。複数のダミー組織や個人を経由させ、金の出所を分からなくする。だが、金の流れは嘘をつかない。金の集まる場所こそが、全ての計画の源泉だ。


「池田屋は奴らにとっても想定外だったはずだ。だが、奴は諦めていない。長州という大きな駒を失った今、より狡猾に、より静かに、水面下で倒幕の機会を伺っている。京の治安を乱し、幕府の無力さを帝や民に知らしめ、機が熟すのを待っているんだ」


 俺は確信していた。この男こそが、池田屋事件の背後で糸を引いていた黒幕であり、今なお続く京の混沌の元凶であると。


 その夜、俺は土方歳三の部屋を訪れた。

 鬼の副長は、灯火の下で黙々と愛刀の手入れをしていた。俺のただならぬ気配を察したのか、彼は刀を置くと、静かに顔を上げた。


「どうした、永倉。また何か厄介なことでも見つけたか」

「見つけた、というよりは、見つけてしまった、と言うべきかもしれません」


 俺は、山崎と突き詰めた分析の全てを、土方さんに包み隠さず話した。押収文書の分析、金の流れの追跡、そして、その先に浮かび上がった岩倉具視という存在。


 一通り話し終えても、土方さんは何も言わず、ただじっと俺の目を見ていた。その鋭い眼光が、俺の言葉の真偽を、その奥にある覚悟を、見定めようとしている。


 やがて、彼はふっと息を吐き、腕を組んだ。


「……馬鹿を言え。公家の、それも岩倉様が、不逞浪士どもを操って京に火を放つだと?一体、何のために。何の得がある」


 その反応は、俺も予想していたものだった。突拍子もない話だ。一介の浪士隊に過ぎない俺たちが、天皇家におわす帝の側近を疑うなど、不敬も甚だしい。


 だが、俺は冷静に首を横に振った。


「得ならあります。それも、計り知れないほどの。土方さん、奴らの狙いは単なる打ちこわしや強盗じゃない。目的は『秩序の崩壊』そのものです」

「秩序の崩壊、だと?」

「そうです。京の治安が悪化し、幕府の力が及ばないと誰もが認識した時、どうなるか。人々は新たな秩序、新たな権威を求めます。その時、帝を担ぎ出し、『朝廷こそが真の統治者である』と宣言する絶好の機会が生まれる。岩倉は、そのための舞台装置として、京の混乱を演出しているんです」


 これは、剣客の発想ではない。国家の転覆を狙う、政治家、革命家の発想だ。俺の言葉に、土方さんの表情が初めて険しく歪んだ。彼の頭脳が、俺の立てた仮説の危険性と、そして、その恐ろしいほどの合理性を理解し始めたのだ。


「俺たちは、ただの不逞の輩を相手にしているわけじゃない。もっと大きな、日本の形そのものを変えようと画策している巨大な敵と対峙しているんです」


 沈黙が落ちる。部屋に響くのは、油皿の灯心がパチリと爆ぜる音だけだ。

 やがて、土方さんは低い声で呟いた。


「……なるほどな。いいじゃねえか、新八」


 その声には、怒りでも恐怖でもなく、武者震いにも似た獰猛な喜色が混じっていた。


「相手が公家だろうが、何だろうが関係ねえ。新選組の、いや、誠の旗の敵は斬る。ただそれだけだ。だが……」


 土方さんは言葉を切り、俺の目を真っ直ぐに見据えた。


「証拠がねえ。今の段階で会津公にこの話を上げたところで、戯言として一蹴されるのが関の山だ。下手すりゃ、俺たちの首が飛ぶ」

「ええ。だからこそ、奴が動く前に、動かぬ証拠を掴む必要があります」


 俺たちの視線が、暗闇の中で交錯する。

 敵は、見えざる黒幕。その手は長く、力は強大だ。だが、俺たちには俺たちの戦い方がある。


「山崎に、岩倉周辺の監視を強化させろ。どんな些細な情報でもいい。金の流れ、人の出入り、全てを洗い出すんだ」


 土方さんの言葉に、俺は力強く頷いた。

 京の都の静寂の裏で、新たな戦いの火蓋が、静かに切って落とされようとしていた。俺たちの敵は、もはや巷の浪士ではない。帝の側に潜む、巨大な影そのものだった。



第二部始めました! お読みいただきありがとうございます。

池田屋事件の衝撃も冷めやらぬ中、新八は早くも次なる脅威の存在を突き止めました。

その名は岩倉具視。

朝廷の重鎮である公家が、なぜ京の混乱を煽るような動きを見せるのか。

確たる証拠がない中、新八たちはこの巨大な敵にどにように立ち向かうのか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ