第60話:持続可能な組織へ
会計と兵站の「見える化」改革は、新選組に確かな変化をもたらしました。
無駄な支出は削減され、隊士たちの意識も向上。鬼の副長・土方歳三もその成果を認めました。
そんな中、新八は会津藩の重臣から突然の呼び出しを受けます。
俺が断行した会計と兵站の「見える化」改革から、一月が過ぎた。屯所の空気は、まるで張り替えた障子紙のように、清々しく、そして引き締まったものへと変わっていた。
「永倉さん、ご覧ください!先月の決算です!」
昼下がりの屯所の一室。勘定方の河合耆三郎が、興奮した面持ちで帳簿を広げた。彼の指差す先には、先月の支出合計と、改革前に比べてどれだけの費用が削減できたかを示す数字が、墨痕鮮やかに記されている。
「素晴らしい……。特に、交際費と仕入費の削減額が大きいですね」
「はい!土方副長の一声で、不急の宴席は全て禁止になりましたし、相見積もりの導入で、各商人たちも以前のようなふっかけた値では納入できなくなりました。浮いた資金で、先日来の要望だった隊士全員分の新しい胴着と、稽古用の竹刀三百本を補充できます!」
実直な河合は、まるで自分の手柄のように胸を張る。その姿が微笑ましく、俺は心から彼の労をねぎらった。この男もまた、史実では金銭問題に巻き込まれ、無念の死を遂げる一人だ。だが、こうして金の流れが透明化され、彼自身がその有用性を実感している今、未来は確実に変わり始めている。
俺たちの背後で腕を組み、黙ってやり取りを聞いていた土方歳三が、静かに口を開いた。
「上々だな。だが、本当の成果は数字だけじゃねえ」
土方さんの視線は、部屋の窓から見える中庭に向けられていた。そこでは、非番の隊士たちが数人集まり、自分たちの槍の穂先を念入りに磨いている。以前なら、酒でも飲んで管を巻いているか、昼寝でもしている時間だった。
「隊士たちの目つきが変わった。自分たちが使う武具を、自分たちの手で管理する。自分たちの暮らしを、自分たちの工夫で良くしていく。てめえが壁に貼り出したあの『家計簿』は、ただの紙切れじゃなかった。二百人以上の男たちに、『当事者』としての自覚を植え付けたんだ」
鬼の副長からの、これ以上ない賛辞だった。俺は少し照れくささを感じながら、頭を掻いた。
「すべては、新選組を日本最強の組織にするためです」
その言葉に、土方さんは満足げに頷いた。だが、彼の目はすでに次を見据えている。
「ああ。だが、そのためにはまだ足りねえもんがある。永倉、てめえの本当の仕事はここからだ」
土方さんの言葉の意味を測りかねていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、一人の隊士が部屋に駆け込んできた。
「申し上げます!会津藩公用人、広沢様がお見えです!近藤局長、土方副長、そして……永倉様にご面会とのこと!」
俺の名前が呼ばれたことに、部屋にいた全員が息を呑む。一介の組長でしかない俺を、会津藩の重臣が名指しで呼び出すなど、前代未聞のことだった。
屯所の奥にある、最も格式の高い一室。上座には、柔和な表情ながらも、その奥に鋭い知性を感じさせる四十代半ばの武士が座っている。会津藩公用人、広沢富次郎その人だった。
俺と近藤さん、土方さんの三人が揃って頭を下げると、広沢氏は穏やかな口調で言った。
「面を上げられよ。本日は他でもない。先日の『建白書』、そしてその後の新選組の目覚ましい活躍、我が主、松平肥後守様もことのほかお喜びである」
広沢氏の言う『建白書』とは、俺が情報分析部門を立ち上げる際に提出した、京都市中の情報網構築の必要性を説いたものだ。それが容保公の耳にまで入っていたらしい。
「滅相もございません。我々は、会津藩お預かりの身として、当然の務めを果たしているまで」
そう言って恐縮する近藤さんの横で、俺は背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。これは、単なる表敬訪問ではない。試されているのだ。俺の持つ知識と、その価値を。
予想通り、広沢氏の次の言葉は、俺に向けられたものだった。
「永倉殿、と申されたか。噂はかねがね。剣の腕はもとより、算術と兵法にも明るい異才の士がいる、と。貴殿が献策したという情報網、そして会計の改革。見事な手際だと、我が殿も感心なされていた。一体、どこでそのような知恵を身につけられたのか、差し支えなければお聞かせ願いたい」
探るような視線が、俺に突き刺さる。ここで下手な答えはできない。俺は一呼吸置いて、慎重に言葉を選んだ。
「は。特定の師についたわけではございません。ただ、故郷で学んだいくらかの算術と、江戸で聞きかじった海外の事情を、我流で組み合わせたに過ぎませぬ。例えば、異国の軍隊では、前線で戦う兵士と同じくらい、後方で食料や弾薬を管理し、補給路を維持する『兵站』を重視するとか。また、敵を知るには、まず己の足元を固め、自らの懐具合を正確に把握することから始めねば、戦はできぬ、と」
俺は「官僚」としての知識を、この時代の人間が理解できる言葉に変換し、よどみなく語った。情報、会計、兵站。それらが三位一体となって初めて、組織は持続可能な戦闘能力を維持できる。それは、時代を超えた普遍的な真理だ。
俺の話を聞き終えた広沢氏は、しばらく目を閉じて何かを考えていたが、やがてゆっくりと目を開くと、深く頷いた。
「なるほど……。目から鱗が落ちる思いだ。我ら会津武士は、勇猛果敢に戦うことこそが本分と心得てきた。しかし、戦というものは、ただ斬り合うだけではないのだな。永倉殿、貴殿の言う『持続可能な組織』、その考え、我が会津藩にとっても大いに参考になる」
広沢氏はそう言うと、懐から一通の書状を取り出した。
「これは、殿からの内々の書状だ。永倉殿を、新選組組長の任はそのままに、会津藩の『軍事顧問参与』に任ずる、とある。今後、新選組のことだけでなく、京における会津藩全体の兵法、兵站についても、遠慮なく知恵を貸してほしい、と」
軍事顧問参与。その予想外の言葉に、近藤さんと土方さんが息を呑むのが分かった。浪士の集まりに過ぎなかった新選組の、しかも一組長である俺が、会津藩の正式な役職に就く。それは、俺個人だけでなく、新選組全体の地位が、公的に認められた瞬間でもあった。
「……謹んで、お受けいたします。この永倉新八、身命を賭して、会津藩、そして新選組のために尽くす所存です」
俺は、床に額がつくほど深く、頭を下げた。
広沢氏が帰った後、部屋には重苦しいほどの沈黙が流れていた。最初に口を開いたのは、近藤さんだった。
「永倉君、すごいじゃないか!会津藩の軍事顧問参与とは!これで我々新選組も、名実ともに会津藩の一翼を担う存在となれた。これもすべて、君の働きのおかげだ」
手放しで喜ぶ近藤さんに対し、土方さんは厳しい表情を崩さない。
「近藤さん、浮かれるのはまだ早い。これは、俺たちが会津藩から、より重い責任を負わされたということだ。下手をすれば、藩の存亡に関わる判断を迫られることになるかもしれねえ」
その通りだ。土方さんの言う通り、これは栄誉であると同時に、重圧でもある。俺の双肩に、新選組二百人の命だけでなく、会津藩という巨大な組織の未来の一部までが、のしかかってきたのだ。
史実を知るがゆえの、「神の視点」。誰を救い、誰を見捨てるか。その選択の重みが、今までとは比較にならないほど増してしまった。俺の改革によって、組織から弾き出され、不満を募らせる者もいるだろう。俺の献策一つで、会津藩の、ひいては幕府の未来が、大きく変わってしまうかもしれない。
俺は、本当にその責任を背負いきれるのか?
俺の内なる葛藤を見透かしたかのように、土方さんが俺の肩を叩いた。
「何を迷うことがある。てめえは、てめえが正しいと信じる道を、これまで通り突き進めばいい。文句を言う奴がいれば、俺が斬る。判断を誤れば、俺が腹を切る。それだけのことだ。なあ、近藤さん」
「うむ。土方君の言う通りだ。我々は、もはや一心同体。永倉君の知恵、土方君の規律、そして自分で言うのもおこがましいが、俺にも未だ人望だけはあると思う。この三つが揃ってこそ、新選組は無敵の組織となる。一人で抱え込むな、永倉君。我々がいる」
近藤さんの温かい言葉と、土方さんの不器用な励まし。その二つが、俺の心の迷いを吹き払ってくれた。そうだ。俺は一人じゃない。この二人となら、どんな困難な未来も乗り越えられるはずだ。
「近藤先生、土方さん……ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。顔を上げた時、俺の目にはもう迷いはなかった。
「俺たちの戦いは、まだ始まったばかりです。長州や土佐の連中が、京で不穏な動きを見せています。来るべき動乱に備え、情報網と兵站をさらに強化し、新選組を盤石の組織に仕上げなければなりません」
俺の言葉に、二人の顔が引き締まる。
情報戦における優位性の確立と、財政・兵站改革。俺がもたらした二つの変革は、新選組を単なる剣客集団から、近代的な視点を持つ持続可能な戦闘組織へと昇華させた。
京の情勢は、依然として予断を許さない。だが、俺たちには力がある。史実の知識という最強の武器と、それを実現するための組織力、そして何よりも、信頼できる仲間たちがいる。
窓の外に広がる京の街を見下ろしながら、俺は静かに誓いを立てた。
必ず、全員で生き残る。そして、この手で、徳川幕府を、日本を、史上最強の近代国家へと魔改造してやる。
雌伏の時は終わった。これから始まる新たな時代、その中心にいるのは、俺たち新選組だ。
(第一部 雌伏の京都 完)
主人公の持つ現代知識と「持続可能(SDGs)な組織」というビジョンが、百数十年の前倒しで会津藩中枢に届きました。
彼の改革は新選組という枠を超え、より大きな舞台へと繋がっていきます。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
本作はこれにて第一部完結です。
物語は、なるべく間を置かずに、第二部を開始する予定です。
引き続き、主人公と新選組の活躍にご期待ください。




