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第53話:相関図の完成

昼夜を分かたぬ分析の末、永倉と山崎はついに敵の相関図を完成させます。

池田屋事件以降の断片的な情報は、桂小五郎を中心とした巨大なネットワークとして可視化されました。

剣や槍よりも強力な「情報の地図」を手に、新選組の反撃が始まろうとしています。

 あれから、何日が過ぎただろうか。


 蝋燭の燃え尽きる匂いと、墨の香り、そして紙が発する乾いた匂い。それらが混じり合った濃密な空気が、屯所の奥まった一室に澱んでいた。


「……永倉さん、これを」


 かすれた声で差し出された湯呑みを、俺は無意識に受け取った。視線は壁に貼られた無数の紙片から動かない。湯呑みの温かさだけが、自分がまだ生きていることを教えてくれる。


 声の主、山崎君も目の下に濃い隈を浮かべ、顔色は紙のように白い。だが、その瞳の奥には、俺と同じ種類の、狂気にも似た熱が宿っていた。


 池田屋から持ち帰った膨大な資料。斎藤さんが足で稼いできた生々しい情報。監察方が京の隅々から集めてくる噂の数々。それら全てを突き合わせ、分類し、繋ぎ合わせる作業は、まさしく終わりなきジグソーパズルだった。


 前世の官僚時代、予算編成の時期には「霞が関のカイワレ」などと揶揄されるほど青白くなりながら、連日連夜の徹夜で巨大なスプレッドシートと格闘したものだ。あの頃の俺は、国家という巨大な機械を動かすための歯車の一つとして、数字の羅列に魂を削っていた。


 だが、今は違う。目の前にあるのは、数字ではない。人の名前、店の名前、金の流れ、そして、それらを結ぶ見えざる「繋がり」だ。一つ一つの紙片の向こうに、生身の人間の顔が、その暮らしが、そして内に秘めた思想が見える。これは、国家の予算書などより、遥かに生々しく、そして危険な代物だった。


「……山崎君、祇園の小間物屋に出入りしていた浪士たちの身元、全て割れたか?」


「はい。監察方の総力を挙げ、昨日までに全員の素性を特定しました。ほとんどが池田屋の生き残りですが、数名、これまで名前の挙がっていなかった者が混じっています。おそらく、宮部鼎蔵の死を知り、桂小五郎の下に馳せ参じた者かと」


「そうか。その者たちの実家、交友関係、金の出入り……徹底的に洗ってくれ。どんな些細な繋がりも見逃すな」


「承知」


 短く応じる山崎君の横顔は、もはや単なる監察方の一隊士ではなかった。巨大な情報網を統括する、冷徹なインテリジェンス・オフィサーのそれだ。俺が持ち込んだ現代の諜報・分析手法は、彼の類稀なる才能と驚異的な記憶力によって、この時代に最適化され、凄まじい勢いで根を張り始めていた。


 俺は筆をとり、最後の紙片に一つの名前を書き込んだ。そして、おもむろに立ち上がり、壁の中央、赤い墨で書かれた「桂小五郎」という名前の真下に、その紙片を貼り付けた。


 瞬間、脳内で何かが繋がる音がした。


 バラバラだった情報の断片が、一つの巨大な絵を形作る。点と点が線で結ばれ、線が面となり、そして、立体的な構造となって俺の眼前に立ち現れた。


「……できた」


 思わず漏れた声は、自分でも驚くほど乾いていた。


「……完成、したのですか?」


 山崎君が、息を呑んで壁を見上げる。


 そこにあったのは、もはや単なる情報の羅列ではなかった。


 桂小五郎という新たな「脳」を中心に、幾重にも張り巡らされた神経網。長州藩邸という公式ルートとは別に、呉服商『越後屋』などを経由して公家や薩摩藩の一部からもたらされる資金の流れ(黄色い線)。堺の商人を介し、巧妙に偽装されて京へ運び込まれる武器のルート(紫の線)。そして、最も複雑怪奇に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた、市井に潜む協力者たちのネットワーク(黒い線)。


 それは、一介の小間物屋の主人から、腕利きの職人、遊郭の女将、果ては幕府の役人にまで及んでいた。彼らは、思想的な共鳴者もいれば、金で雇われた者、あるいは弱みを握られて協力している者もいる。それら全てが、誰と誰が、いつ、どこで、どのように繋がっているのか。一目で理解できる形で可視化されていた。


「……これが、京の地下に潜む、もう一つの権力構造……」


 山崎君の呟きに、俺は静かに頷いた。

「ああ。俺たちが作り上げた、京の『情報の地図』だ」


 この地図があれば、敵の動きを予測できる。金の流れを止め、武器の流入を阻み、協力者たちを一人、また一人と無力化できる。これは、剣や槍よりも遥かに強力な、俺たちだけの武器だった。


「……土方さんと近藤さんを、お呼びしてくれ」


「……なんだ、これは」


 部屋に入ってくるなり、土方さんが発した第一声は、驚愕そのものだった。彼の鋭い目が、壁一面に広がる情報の海図を捉え、その異様さに絶句している。一歩遅れて入ってきた近藤さんもまた、普段の鷹揚な態度はどこへやら、目を見開いて立ち尽くしていた。


「永倉、一体何を……」


 近藤さんの問いに、俺は壁を指し示した。

「見ての通りです。池田屋事件後の、敵の新たな陣容。その全てを可視化したものです」


 俺は、まるで巨大なプレゼン資料を前にした、やり手営業マンのように、冷静に、そして淡々と説明を始めた。


「中心は、やはり桂小五郎。宮部鼎蔵という先導者を失った今、彼が事実上の指導者です。そして、これが彼の張り巡らせた新たな組織網の全体像です」


 俺は、桂小五郎の名を中心に、いかにして資金や武器、人員が動いているかを、線を指でなぞりながら解説していく。公家の名、豪商の名、浪士たちの隠れ家、連絡役の正体。斎藤さんが掴んだ点と、俺たちが文書から読み解いた線が、完璧な一つの図形を描いていることを証明してみせた。


 説明が進むにつれて、二人の表情が刻一刻と変化していく。

 近藤さんの驚きは、やがて感嘆へと変わった。

「……凄い。これほどのものだったとは。敵の繋がりが、まるで掌を指すように分かる。永倉君、君は一体……」


 彼の言葉は、もはや俺を単なる一隊士として見てはいなかった。未知の能力を持つ者への、畏敬の念すら含まれているように感じられた。


 一方、土方さんの反応は、より現実的で、そして俺の能力の本質を的確に射抜いていた。彼は驚愕の後、その目を細め、まるで獲物を品定めするかのように、図の細部を食い入るように見つめ始めた。


「……面白い。実に面白い。金の流れと人の動きが、全て連動している。一人の商人を叩けば、どの公家が痛みを感じるかまで分かる、というわけか」

「その通りです。副長」

「この黒い線……市井の協力者共か。こいつらが一番厄介だと思っていたが……ここまで洗い出したか。大工、左官、畳屋……こいつらが藩邸や屋敷に出入りするうちに、情報を抜き、人を手引きする。この相関図があれば、誰が一番怪しいか、優先順位をつけて潰せる」


 土方さんは、興奮を隠そうともせず、唇の端に獰猛な笑みを浮かべた。それは、最強の武器を手に入れた将の笑みだった。


「永倉。お前さんの頭の中には、一体何が詰まっているんだ?蘭学か?それとも、何か別の……」

「さあ……。ただ、物事を整理し、繋ぎ合わせ、全体像を把握するのが得意なだけです、昔から」


 俺は曖昧に笑って見せた。まさか、前世で培った国家公務員のスキルです、などと言えるはずもない。


「得意なだけ、か。これだけのものを、たった数日で作り上げておいて、よく言う」

 土方さんは、壁の図から俺に視線を転じると、フッと息を吐いた。

「……恐れ入ったよ、永倉。お前さんは、剣の腕も立つが、本当の武器はそっちだったか。俺は、お前さんを少し見誤っていたらしい」


 それは、彼からの最大の賛辞だった。現実主義者で、実利を何よりも重んじる土方歳三が、俺の「情報」という武器の価値を、完全に認めた瞬間だった。


 近藤さんが、感慨深げに口を開く。

「この地図があれば、我々は闇雲に敵を追う必要がなくなる。先手を打ち、敵の計画を未然に防ぐことができる。多くの隊士の命が、これで救われるだろう。永倉君、本当によくやってくれた」


 その言葉に、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。そうだ。俺がこの力を使うのは、そのためだ。死亡フラグを叩き折り、一人でも多くの仲間を救う。そのための、羅針盤なのだ、これは。


「ですが、これで終わりではありません」

 俺は気を引き締め、二人に向き直った。

「これは、あくまで現時点での相関図。敵も馬鹿ではない。常に形を変え、繋がりを更新していくはずです。俺たちの戦いは、この地図を常に最新の状態に保ち、敵の変化に先んじ続けることです」


 俺の言葉に、土方さんと近藤さんは力強く頷いた。


「ああ、分かっている」

 土方さんは、新たな決意を瞳に宿して言った。

「この『地図』は、局長と俺、そしてお前さんと山崎、斎藤までの極秘とする。これより、この地図に基づき、対長州の新たな策を練る。永倉、お前さんには、引き続きこの情報の元締として、俺の隣に立ってもらうぞ」


「……御意」


 俺は、深く頭を下げた。

 壁に広がる、巨大で複雑な情報の地図。それは、俺がこの時代で生きる意味そのものだった。


 この地図が、俺と、新選組の、そして徳川幕府の未来を切り拓く。


お読みいただきありがとうございます。

完成した相関図は、土方に「最強の武器」と言わしめ、新八はその情報分析能力を認められます。

剣ではなく情報を武器とする、新選組の新たな戦いが始まります。

この「地図」を手に、彼らが次に打つ一手は何か。次回の展開にご期待ください。

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― 新着の感想 ―
ふらっと出てきて『面白い、実に面白い』と面白がるだけの土方さん、って要ります?
横文字が増えてるような。冷めます。
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