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第52話:点と線

「第52話 点と線」をお届けします。

なにやら松本清張氏のベストセラーのような副題になってしまいました(汗)

壁一面に広がる情報の海図を前に、永倉と山崎は分析を開始します。

そこへ、監察方の斎藤一がもたらした祇園での不審な動き。

過去の記録である「点」と、現在の情報である「線」が繋がった時、池田屋事件から逃れた、より狡猾な敵の影が浮かび上がります。

 土方さんが満足げに部屋を去った後、俺と山崎君はしばし、壁一面に広がる巨大な情報の海図を前に呆然と立ち尽くしていた。池田屋から持ち帰った漆塗りの文箱。その中身を全て解き放ち、分類し、壁に貼り付けた結果が、この光景だった。


 墨と紙の匂いが満ちる静寂の中、壁に貼られた無数の短冊だけが、声なき声で俺たちに何かを訴えかけているようだった。それは、池田屋で潰えたはずの、巨大な陰謀の残骸だ。


「永倉さん……」


 先に沈黙を破ったのは山崎君だった。彼の声は、興奮と畏怖がない交ぜになったような、不思議な響きを帯びていた。


「これが、奴らが描いていた計画の全体像……。これほどの規模だったとは。我々は、巨大な獣の首を、すんでのところで刎ねたのですね」


 彼の言葉に、俺は静かに頷いた。壁の図は、まさに京の地下に張り巡らされた巨大な獣の神経網だった。宮部鼎蔵という脳は死んだ。だが、その身体――資金源、武器の密輸ルート、そして市井に潜む無数の協力者たちは、まだ生きている。


「ああ。だが、首を刎ねただけでは不十分だ。この獣は、新たな頭を求めて必ず動き出す。俺たちの仕事は、その動きを完全に解明し、第二、第三の池田屋事件を防ぐことだ」


 俺たちは再び壁に向き合った。作業は、これまでの「分類」から「分析」へと移行する。


「まず、金の流れを再確認するぞ。金の流れは、組織の血流だ。宮部鼎蔵亡き後、この金はどこへ向かうのか」


 俺は、黄色い墨で金の流れを示した線を見つめた。大坂や堺の豪商から、複数のルートを経て、京の長州藩邸や宮部鼎蔵のもとへ集められていた金の川。その流れは、池田屋事件を境に、ぷっつりと途絶えているはずだ。


「山崎君、監察方の網を使って、この金の出どころである商人たちの動きを探ってくれ。特に、長州藩邸との接触がなかったか、あるいは別の誰かと接触しようとしていないか」

「承知いたしました。すでに手は打っております。数日のうちに、何らかの報告が上がるかと」


 さすがは山崎君だ。仕事が早い。

 俺は次に、紫の墨で示した武器――『まき』の密輸ルートに目を移した。これもまた、金の流れと連動し、堺の商人を通じて薩摩藩名義で仕入れられ、京へ運び込まれていた。このルートも、今は停止しているはずだ。


 だが、俺の頭には、一つの大きな懸念があった。

 池田屋のあの夜、俺が取り逃がした男――桂小五郎。


 史実では、彼は池田屋の会合に遅刻したことで難を逃れたとされている。だが、俺が対峙したあの男は、間違いなく桂小五郎だった。史実がどうあれ、彼は生きている。そして、宮部鼎蔵を失った今、長州藩の過激派をまとめ上げられる人物がいるとすれば、それは彼しかいない。


「……永倉さん、気になる記述を見つけました」


 山崎君が、一枚の書状を手に取った。それは、宮部鼎蔵と、ある公家の間で交わされた密書だった。

「『月琴』と署名されています。おそらくは公家の雅号かと。内容は、宮部への資金提供の約束ですが、最後にこうあります。『万一の際は、"対馬"の者を頼られたし』と」


「対馬?」

 俺は、壁に貼られた短冊の中から、「桂小五郎」の名前を探し出した。彼の経歴を記した紙片の隅に、俺自身が書き加えたメモがある。

 ――『長州藩京都留守居役。変名多数。偽名の一つに"対馬"姓を名乗った記録あり』


 俺と山崎君の視線が、空中でぶつかった。

 パズルのピースが、音を立てて嵌っていく。


「『月琴』は、宮部が死んだ場合の保険として、桂小五郎を考えていた……!」

「そして、その桂は池田屋から逃げ延びている。つまり……」


「ああ。新しい『頭』は、もう決まっているということだ」


 その時だった。背後の戸が、音もなくスッと開いた。俺と山崎君が振り返ると、そこに氷のような静けさをまとった男が立っていた。


「斎藤さん……」


 三番組組長、斎藤一。彼は普段、単独で行動し、京の街に潜む不穏な動きを探っている。その彼が、俺たちの部屋を訪ねてきた。よほどのことがあったに違いない。


「……面白いものを描いているな」


 斎藤さんは、感情の読めない平坦な声でそう言うと、壁の海図に視線を向けた。彼の視線は、獲物を探す鷹のように鋭く、図の上を滑っていく。


「何か掴めたか?」

 俺が尋ねると、斎藤さんは懐から一枚の紙を取り出した。走り書きのような簡単な見取り図だ。


「祇園の一角にある、しがない小間物屋。ここ数日、夜な夜な人の出入りがある。客を装って中を覗ったが、奥の座敷に数人の男が集まっていた。いずれも、池田屋の残党と思われる風体だ」

「中心になっている人物は?」

「分からん。だが、店の主人の動きが妙だ。男たちが帰った後、主人は決まって夜更けに、ある場所へ向かう」


 斎藤さんは、見取り図の一点を指さした。

「ここだ。長州藩の御用達である、呉服商『越後屋』。主人は、裏口から入り、しばらくすると戻ってくる」


『越後屋』。その名前に、俺は壁に貼られた金の流れ図の中から、一枚の短冊を指し示した。

「斎藤さん、その呉服屋、この図にも名前がある。例の公家『月琴』を通じて、宮部鼎蔵に資金を提供していた商人だ」


 俺の言葉に、斎藤さんの目がわずかに見開かれた。

 斎藤さんが足で稼いだ「生」の情報と、俺たちが文書から読み解いた「過去」の情報が、今この瞬間にピタリと一致した。


「……なるほど。小間物屋は、残党たちの隠れ家。そして、呉服屋が、新たな司令塔との連絡役、というわけか」

 斎藤さんの声に、初めて明確な手応えの色が浮かんだ。


「ああ。そして、その司令塔こそが……」


 俺は、赤い墨で書かれた「桂小五郎」の短冊を指先で弾いた。

「桂小五郎、その人だ」


 俺たち三人の間に、緊張が走る。

 池田屋で叩き潰したはずのネットワークが、すでに再編に向けて動き出している。宮部鼎蔵という分かりやすい神輿を失い、より狡猾で、より慎重な指導者のもとで。


「敵の狙いは、報復だろう。だが、以前のような大規模な騒乱は起こせない。戦力が削がれすぎた。おそらくは、幕府要人の暗殺……あるいは、俺たち新選組の主要幹部の命を狙ってくるはずだ」


 俺は壁の海図を見渡した。そこには、俺が知る史実――池田屋事件の「その後」へと繋がる、新たな道筋が生まれようとしていた。桂小五郎という、より危険で、より厄介な敵が、闇の中から静かにこちらを窺っている。


 だが、今度は俺たちが先手を取る。


「斎藤さん、その小間物屋と呉服屋の見張りを続けてくれ。ただし、決して深入りはするな。敵の尻尾を掴むのは、もう少し後だ」

「……承知した」

「山崎君、俺たちは引き続き、この海図の精度を高める。特に、桂小五郎が使いそうな他の偽名、潜伏先、協力者、その全てを洗い出すぞ」

「はい!」


 俺たち三人の視線が、静かに交錯する。

 剣の斎藤、諜報の山崎、そして、未来知識を持つ俺。それぞれの武器は違えど、目指す場所は同じだ。


 壁に広がる情報の海図は、もはや単なる過去の記録ではなかった。それは、未来の脅威を予測し、俺たちが進むべき道を示し、仲間たちを勝利へ導くための、唯一無二の羅針盤だった。


 俺は、この羅針盤を手に、歴史の修正力という見えざる敵と、桂小五郎という新たなる強敵に、敢然と立ち向かう覚悟を固めた。この見えざる戦争に勝利し、俺たちの手で、新しい日本の夜明けを掴み取るために。


お読みいただき、ありがとうございます。

永倉の分析、山崎の諜報、そして斎藤の足で稼いだ情報が一つとなり、新たな敵・桂小五郎の存在が明らかに…

それぞれの武器を手に、三人は見えざる戦争へと挑みます。


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