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第47話:池田屋、突入

元治元年六月五日、遂に池田屋事件の火蓋が切られました。

近藤勇を先頭に、沖田総司、永倉新八らが浪士の集う旅籠へ突入します。

鬼神の如き近藤、神速の剣技を見せる沖田。

激しい戦闘の最中、永倉は冷静に戦況を分析し、真の目的である「機密文書」の在り処を探します。

 亥の刻に入りて四半刻過ぎ。京の町は、祇園囃子の喧騒が嘘のように静まり返り、家々の窓からは明かりが消え、人々は深い眠りについていた。だが、三条大橋を西へ進んだ一角、旅籠「池田屋」だけは、その闇の中で不気味な熱気を放っていた。集いし男たちの酒気と気炎、そしてそこから漏れ伝わる物騒な密談が、今宵の嵐を予感させていた。


 その池田屋の前に、音もなく十数名の男たちが集結する。先頭に立つのは、試衛館以来の大将、近藤勇。その隣には、一番組組長・沖田総司、そして俺、永倉新八が続く。後方には、藤堂平助、原田左之助といった、いずれも一騎当千の猛者たちが、静かにその時を待っていた。


 俺たちの服装は、普段の隊服ではない。動きやすさを重視した筒袖に、急所を守るための鎖帷子を仕込み、頭には黒塗りの鉢金を巻いている。闇に紛れるための、実戦に特化した装束だ。


「……行くぞ」


 近藤さんが、短く、しかし腹の底に響く声で呟いた。その一言が、合図だった。


「御用改めである!手向かい致すにおいては、容赦なく斬り捨てる!」


 近藤さんの雷鳴のような声が、夜の静寂を切り裂いた。同時に、裏口を固める土方さん率いる別働隊の鬨の声が、遠くから響き渡る。完全に、包囲した。


 玄関の戸を蹴破り、俺たちは一斉に屋内に雪崩れ込んだ。一階の広間では、十数名の尊攘派志士たちが、酒宴の真っ最中だった。突然の乱入者に、彼らの顔が驚愕と怒りに染まる。


「な、何奴だ!」

「新選組だと!?」

「狼どもめ、よくも乗り込んできたな!」


 罵声と共に、数人の男が刀を抜いて斬りかかってくる。だが、それはあまりにも無謀な抵抗だった。


「邪魔だ!」


 先陣を切った近藤さんの愛刀「虎徹」が、闇を切り裂く一閃の光となり、正面の男を袈裟懸けに斬り伏せる。返り血を浴びながらも、その勢いは止まらない。続く二人目、三人目を、まるで薙ぎ払うかのように斬り捨てていく。


「死にたくなければ、道を開けろ!」


 その姿は、まさに鬼神。普段の温厚な姿からは想像もつかない、凄まじいまでの剣気と殺意。これが、天然理心流四代目宗家、近藤勇の本当の姿だ。


「うわあああっ!」


 その圧倒的な迫力に気圧され、志士たちが僅かに怯んだ。その隙を、沖田君が見逃すはずがない。


「はい、そこまでですよ」


 まるで舞うような、しなやかな足取り。沖田君の体は、人混みをすり抜けるようにして敵陣の懐深くへと潜り込む。そして、次の瞬間には、彼の周囲にいた三人の男が、首筋から血飛沫を上げて崩れ落ちていた。見えなかった。常人には捉えることすら不可能な、神速の三段突き。


「総司!先を急ぐぞ!」

「分かっています、近藤先生!」


 先頭の二人が道を切り開く。俺と藤堂君、原田君は、左右から襲いかかってくる敵を確実に仕留め、脇を固める。


「せあっ!」


 右から迫る刃を、俺は最小限の動きで受け流し、そのまま体勢を崩した相手の胴を、水平に薙ぎ払う。肉を断ち、骨を砕く感触が、柄を通して腕に伝わる。だが、感傷に浸っている暇はない。すぐに次の敵が、槍を構えて突進してくる。


「永倉さん、危ない!」


 藤堂君が、俺の前に割り込み、その槍を弾き飛ばす。彼は、北辰一刀流の免許皆伝。小柄な体格ながら、その剣技は鋭く、的確だ。


「助かる、平助!」

「これくらい、どうってことないですよ!」


 俺たちは、互いに背中を預けるような形で、次々と襲い来る敵を斬り伏せていく。狭い屋内での乱戦は、剣の腕前だけではなく、仲間との連携が何よりも重要になる。その点において、試衛館時代から苦楽を共にしてきた俺たちに、一日の長があった。


 しかし、俺の本当の目的は、敵を斬ることではない。


(帳場はどこだ……!宮部や吉田といった大物は、奥の部屋か!?)


 斬り結びながらも、俺の目は常に周囲の状況を冷静に観察していた。官僚として培った、危機的状況下での情報収集能力と分析能力。それが、この修羅場で、俺の最大の武器となっていた。


 玄関から入ってすぐ右手に、帳場らしきものがある。だが、今は乱戦の最中。あそこへたどり着くのは容易ではない。それよりも、奥の部屋だ。おそらく、この騒ぎの中でも動じていない大物たちが、重要な密談を交わしているはず。そして、そこにこそ、俺が求める『機密文書』がある可能性が高い。


「近藤さん!俺と総司で奥へ進みます!ここは藤堂たちに任せて!」

「うむ、分かった!頼むぞ、永倉君!」


 近藤さんの許可を得て、俺は沖田君に目配せする。

「総司、奥だ!大物を叩く!」

「はい、心得ました!」


 俺たちは、広間の乱戦を藤堂君たちに任せ、一気に階段を駆け上がった。二階もまた、酒宴の席が設けられていたようだが、階下の騒ぎを聞きつけ、すでに臨戦態勢に入っていた。


「来たか、新選組!」


 階段を上がった先、襖の奥から、一際大きな体躯の男が姿を現した。肥後藩出身、宮部鼎蔵。この池田屋に集った尊攘派志士たちの、中心人物の一人だ。その眼光は鋭く、手にした刀からは、並々ならぬ手練れの風格が漂っていた。


「いかにも。新選組副長助勤、永倉新八。同じく、一番組組長、沖田総司。神妙に縛につけ!」

 俺が名乗りを上げると、宮部は鼻で笑った。


「笑わせるな、幕府の犬どもが。この俺を誰だと心得る。天誅の先駆け、宮部鼎蔵であるぞ!」


 宮部の背後には、吉田稔麿、杉山松助といった、長州藩の重鎮たちの顔も見える。やはり、大物は二階に集まっていたか。そして、吉田稔麿の懐が、わずかに膨らんでいるのを、俺は見逃さなかった。


(あれだ……!あの懐の中に、文書がある!)


 確信があった。吉田稔麿は、松下村塾の秀才であり、このクーデター計画の立案者の一人。彼が、計画の全てを記した文書を肌身離さず持っていても、何ら不思議はない。


「総司、奥の間の連中は俺が引き受ける!お前は宮部を頼む!」

「……永倉さん一人で、大丈夫ですか?」

 沖田君が、心配そうに俺を見る。彼の目には、俺がただの剣の腕自慢ではない、何か別の目的を持っていることが、既に見抜かれているようだった。


「ああ、問題ない。お前こそ、油断するなよ。宮部は、ただの大男じゃない」

「分かっています。……では、ご武運を」


 沖田君はそう言うと、宮部に向かって、すっと間合いを詰めていく。二人の剣士の間に、火花が散るような緊張が走る。


 俺は、その隙に、吉田稔麿たちがいる奥の間へと踏み込んだ。

「吉田稔麿!貴様の懐にあるものを、こちらへ渡してもらおうか!」


 俺の言葉に、吉田の顔色が変わる。図星だった。

「な、何を……」

「とぼけるな!お前たちが企てていた、京を火の海にする計画の全てが記された文書だ!」


 俺は、刀の切っ先を吉田に向ける。だが、彼の前に、二人の志士が立ちはだかった。

「吉田様には、指一本触れさせん!」


 斬り合いは避けられない。だが、目的はあくまで文書の確保だ。無駄な殺生は避けたい。しかし、相手にその気はない。二人が同時に、左右から斬りかかってきた。


 俺は、冷静に相手の動きを見極める。右の男の太刀筋は速いが、やや単調。左の男は、動きに迷いがある。


(右をいなし、左を制する!)


 瞬時に判断を下し、体を沈める。右の男の刃が、頭上を空しく通過する。その勢いを利用して、俺は回転するように立ち上がり、左の男の鳩尾に、刀の柄を叩き込んだ。


「ぐふっ……!」


 呻き声を上げて崩れ落ちる男。残るは一人。だが、その男は、俺の動きに怯むことなく、再び斬りかかってきた。その瞳には、狂信的な光が宿っている。説得は、もはや不可能だ。


(ならば!)


 俺は、覚悟を決めた。

「南無阿弥陀仏……!」


 小さく呟き、踏み込む。相手の刃を、俺の刀の鍔元で受け止める。甲高い金属音。火花が散る。力が拮抗する。だが、俺はそのまま相手の体を押し込み、壁際まで追い詰めた。


 そして、一瞬の隙を突き、相手の腕を蹴り上げる。刀が宙を舞う。がら空きになった胴体へ、俺は無慈悲な一撃を叩き込んだ。


「がはっ……!」


 血反吐を吐きながら、男はゆっくりと崩れ落ちていった。


 俺は、返り血を拭うこともせず、呆然と立ち尽くす吉田稔麿へと歩み寄る。

「さあ、渡してもらおうか。それで、お互いに無駄な血を流さずに済む」


 吉田は、顔面蒼白になりながらも、懐に手をやろうとしない。

「……断る。我々の悲願、貴様らのような者に、渡してたまるか」


 その瞳には、まだ抵抗の光が宿っていた。だが、その時。


「そこまでだ、稔麿」


 静かな声と共に、襖が開き、一人の男が姿を現した。その顔を見て、俺は息を呑んだ。


「桂……小五郎……!」


 史実では、この場にいなかったはずの男。長州藩の麒麟児、桂小五郎が、静かに刀を構え、俺の前に立ちはだかっていた。


 歴史が、俺の知るものとは、明らかに違う方向へと、軋みを上げて動き出していた。


お読みいただき、ありがとうございます。

池田屋の内部で、壮絶な斬り合いが繰り広げられました。近藤、沖田、そして新八たちの剣が冴えわたります。

しかし、これは単なる殲滅戦ではありません。

新八は乱戦の中、ついに帳場の位置を特定するが…

果たして彼は文書を手に入れることができるのか?

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