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第46話:出陣

古高俊太郎の自白により、ついに池田屋事件の火蓋が切られます。

京を火の海にせんとする浪士たちを討つべく、隊士たちの士気は最高潮に。

しかし、主人公はただ敵を斬るだけでは不十分だと知っていました。

これは、京の未来を賭けた情報戦なのです。

 元治元年六月五日、亥の刻(午後十時)。壬生の前川邸に構えられた新選組屯所は、かつてないほどの熱気と殺気に満ち満ちていた。古高俊太郎の自白がもたらした衝撃的な計画――京の街を火の海に変え、帝を長州へ拉致するという未曾有のクーデター計画は、隊士たちの血を沸騰させるには十分すぎた。


「急げ!ぐずぐずするな!」「俺の鉢金を知らんか!」「刀に油を引いておけ!錆びていたら斬れるものも斬れんぞ!」


 中庭では、隊士たちが怒号を飛ばし合いながら、慌ただしく出動の準備を進めている。鎖帷子を身に着ける者、鉢金を額に結わえる者、愛刀の手入れに余念がない者。誰もが、これから始まるであろう壮絶な戦いを前に、その顔を緊張と興奮で紅潮させていた。闇夜に響く甲冑の擦れる音、刀が鞘に収まる鋭い音、そして男たちの荒い息遣いが、一つの不協和音となって夜のしじまを切り裂いている。


 その喧騒の中心で、鬼の副長・土方歳三が仁王立ちになって采配を振るっていた。

「一番組から三番組までは近藤局長に続け!残りは俺と行動を共にする!いいか、今宵の相手はただの浪士ではない。我らが誠の旗に刃向かう、国賊どもだ!一人たりとも生かして帰すな!」


 土方さんの檄が飛ぶ。その言葉に、隊士たちの士気は極限まで高まっていた。誰もが、一刻も早く池田屋へ駆けつけ、国賊どもを成敗せんと逸る心を抑えきれないでいる。俺もまた、その熱気に当てられ、血が沸き立つような感覚を覚えていた。だが、同時に、頭の中では官僚だった頃の冷静な自分が、警鐘を鳴らし続けていた。


(ダメだ、このままじゃダメだ……!)


 史実の池田屋事件。新選組の名を天下に轟かせた輝かしい勝利。しかし、その裏で多くの重要人物を取り逃がしている。桂小五郎は対馬藩邸にいて難を逃れ、生き残った者たちが、その後の新選組、そして幕府をさらに苦しめることになる。目の前の敵を斬るだけでは、何も解決しない。それはただの復讐の連鎖を生むだけだ。


「待ってください!」


 俺は、今にも飛び出していかんばかりの土方さんの前に立ちはだかった。

「永倉!?何を悠長なことを!どけ!」

 土方さんの鋭い視線が俺を射抜く。その瞳には「邪魔をするなら斬る」と、本気の殺気が宿っていた。だが、ここで退くわけにはいかない。


「土方さん、近藤さん!少しだけ、時間をください!」

 奥の間から出てきた近藤さんが、怪訝な顔で俺と土方さんを見ている。俺は、二人の視線を真っ直ぐに受け止めながら、一気にまくし立てた。


「池田屋にいる者をただ斬り伏せるだけでは、この騒動は終わりません!むしろ、ここで仕損じれば、取り逃がした者たちがさらに過激な行動に走り、京は本当の地獄と化すでしょう!」

「だからこそ、一刻も早く叩くのだ!」

「違います!叩くべきは『頭』と『根』です!」


 俺は、前世で培った組織論、危機管理の知識を総動員して言葉を紡いだ。

「どんな組織も、それを動かす頭脳と、活動を支える資金源、そして手足となる人員がいなければ機能しません。古高の自白で、敵の計画の概要は掴めました。しかし、それは氷山の一角に過ぎないはずです!」


 俺の気迫に、土方さんがわずかに押し黙る。近藤さんが、興味深そうに顎に手を当てた。


「奴らの計画の全貌、武器や活動資金の調達先、それを提供している黒幕、そして京や諸藩に潜伏している同志の名簿……。そういった、奴らの組織の全てが記された『機密文書』が、必ず池田屋にあるはずです。おそらくは、宮部鼎蔵や吉田稔麿といった、指導者格の者が肌身離さず持っているか、帳場かどこかに隠している」

「……文書、だと?」

 土方さんが、初めて俺の言葉に耳を傾けた。


「はい。その文書を確保すれば、我々は京に潜む尊攘派の組織を根絶やしにできます。誰が敵で、どこに潜み、誰が金を流しているのか、その全てが明らかになる。そうなれば、会津藩や所司代とも連携し、一網打尽にできるのです。これは単なる斬り合いではない。京の未来を賭けた、情報戦なのです!」


 俺の言葉が、その場の熱狂に、冷水を浴びせかけた。いや、違う。より熱く、それでいて冷静な、新たな闘志の炎を灯したのだ。


「……面白い」

 最初に口を開いたのは、土方さんだった。その瞳から、単なる斬り合いへの渇望とは違う、冷徹な戦略家の光が宿っていた。

「なるほどな、永倉。貴様の言う通りだ。蛇を殺すなら、毒の牙を抜き、頭を潰さねば意味がねえ。根こそぎ叩き潰す……気に入ったぜ、そのやり方」


 近藤さんが、深く頷いた。

「永倉君、君の言う通りだ。我々は、ただの剣客集団ではない。京の治安を守り、この国を支える柱となるべき存在だ。目先の勝利に酔い、大局を見失うところであった。危ないところを、君が救ってくれた」


 近藤さんはそう言うと、中庭にいる全隊士に聞こえるよう、朗々とした声で言った。

「皆、聞け!今宵の我々の目的は、二つ!一つ、池田屋に集う国賊どもを一人残らず殲滅すること!そしてもう一つ!奴らの陰謀の全てが記された機密文書を、何としても確保することである!」


 隊士たちが、一瞬どよめく。しかし、すぐにその意味を理解し、新たな決意を顔にみなぎらせた。


「作戦を変更する!」

 土方さんの声が響き渡る。

「近藤局長率いる先発隊が、直ちに池田屋へ向かい、内部へ突入。戦闘を開始すると同時に、永倉の指揮の下、文書の捜索を開始する!総司、永倉を援護しろ!奴に指一本触れさせるな!」

「御意」

 隣にいた沖田君が、にこりと笑って頷いた。その目は、全く笑っていなかったが。


「俺が率いる後発隊は、会津藩邸に急行し、応援を要請。その後、池田屋を完全に包囲し、逃げ出す蟻一匹通さぬ壁となる!良いな!」

「「「応!!」」」

 地鳴りのような雄叫びが、壬生の夜空を震わせた。


 作戦は定まった。俺は、近藤さん、沖田君、そして原田君や藤堂君といった屈強の隊士たちと共に、先発隊として池田屋へ向かうことになった。


「永倉君」

 出陣の直前、近藤さんが俺の肩を叩いた。

「君のその知恵、この新選組にとって、何物にも代えがたい宝だ。今宵の戦、頼んだぞ」

「はっ。この身命を賭して、必ずや」


 俺は、深く頭を下げた。官僚として国に尽くしながらも、志半ばで倒れた前世。その無念が、今、この幕末の地で、違う形で果たされようとしている。歴史を変える。それは、神にでもなったかのような、恐ろしい傲慢さかもしれなかった。だが、やらねばならぬ。目の前で失われようとしている多くの命を、この国の未来を、救うために。


「永倉さん」

 闇の中を進みながら、隣を歩く沖田君が、そっと囁いた。

「なんだか、すごく楽しそうですね。まるで、待ち望んでいた祭りにでも行くみたいだ」

「……武者震いだよ。君こそ、刀の鯉口を何度も切っているじゃないか」

「ええ。久しぶりに、思いきり剣が振るえそうですから」


 軽口を叩きながらも、互いの掌が汗で湿っているのが分かった。これから向かう先は、死地だ。俺の知る史実では、新選組側にも死者が出る激戦となる。だが、俺がいる。俺の知識がある。そして、何より、この頼もしい仲間たちがいる。


 祇園囃子の音が、遠くに聞こえる。華やかな祭りの裏側で、血で血を洗う死闘が始まろうとしていた。俺は、腰に差した愛刀「播州住手柄山氏繁」の柄を、強く、強く握りしめた。


 未来は、まだ誰にも分からない。

 だが、俺たちの手で、必ずや最良の未来を掴み取ってみせる。

 その固い決意を胸に、俺たちは京の闇を、池田屋へとひた走った。


お読みいただき、ありがとうございます。

出陣の熱気に沸く隊士たちを、新八は制止します。

ただ敵を斬るのではなく、陰謀の根を断つための「機密文書」の確保。

果たして、土方と近藤はこの前代未聞の策を受け入れるのか?

次回、運命の池田屋へ。

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― 新着の感想 ―
>尊攘派のネットワークを根絶やしにできます。 流石にこれは幕末の仲間たちには通じないかと
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