第45話:自白
ついに古高俊太郎を捕らえました。
しかし、鬼の副長・土方歳三による凄惨な拷問も、彼の固い口を開かせることはできません。
忠義に燃える志士を前には、暴力は無力なのでしょうか?
元治元年六月五日、深夜。京の街は、深い眠りについていた。しかし、その闇に紛れ、一つの作戦が静かに、そして迅速に進行していた。場所は、東洞院通四条上ル、枡屋喜右衛門こと古高俊太郎の邸宅。俺、永倉新八と土方歳三、沖田総司、そして選りすぐりの隊士たちが、息を殺してその周囲を取り囲んでいた。
「時機は満ちた。永倉、総司を呼べ。各隊長にも触れを出せ。今夜、鬼を狩りに行くぞ」
土方さんのその号令から、わずか一刻。我々は誰にも気づかれることなく、完璧な包囲網を完成させていた。これは、単なる奇襲ではない。五日間にわたる「静かなる包囲網」によって、この邸宅の構造、見張り役の交代時間、そして今夜、古高が一人でいることまで、全てを掌握した上での、必然の捕縛劇だった。
土方さんの合図一つで、隊士たちが音もなく壁を乗り越え、裏口から邸内へとなだれ込む。悲鳴が上がる間もなかった。抵抗を試みた数人の手下は、沖田君の神速の剣技の前に、その刀を抜くことさえ許されずに無力化された。
そして、帳簿が散らばる店の奥の間で、呆然と立ち尽くす古高俊太郎を、我々は確保した。彼は、何が起こったのか理解できないという顔で、ただ我々を見つめていた。
「新選組……なぜ……」
その問いに答える者はいなかった。古高の身柄は厳重に拘束され、人目を忍んで壬生の屯所へと連行された。これから始まるのは、もう一つの戦場。物理的な力ではなく、意志と情報をぶつけ合う、尋問という名の戦いだ。
屯所の裏手にある、普段は物置として使われている薄暗い蔵。そこに、古高俊太郎は荒縄で柱に縛り付けられていた。彼の前には、腕を組み、氷のような瞳で彼を睨みつける土方歳三が立っている。俺と近藤さんは、少し離れた場所からその様子を見守っていた。
「さて、枡屋喜右衛門……いや、古高俊太郎と呼んだ方が良いか。単刀直入に聞く。貴様らの企み、その全てを話してもらおうか」
土方さんの低い声が、蔵の湿った空気を震わせる。しかし、古高は顔に嘲るような笑みを浮かべたまま、口を固く閉ざしている。
「……何の事やら、さっぱり分かりかねますな。私はしがない古物商。人違いではございませんか、新選組の先生方」
「ほう、まだ白を切るか」
その瞬間、土方さんの雰囲気が変わった。鞘に収まったままの和泉守兼定の柄で、古高の顎を打ち上げる。鈍い音と共に、古高の口から苦悶の声が漏れた。
「貴様がどれだけ口が堅かろうと、構わん。この土方歳三が、その骨の髄まで、一言一句残さず聞き出してくれる。覚悟はいいな?」
そこから先は、凄惨の一言に尽きた。鬼の副長の名は、伊達ではない。土方さんは、人間の急所を知り尽くした上で、決して命を奪うことなく、最大限の苦痛を与える術を心得ていた。焼け火箸を腕に押し付けられ、肉の焼ける匂いが立ち込めても、古高は歯を食いしばり、決して屈しなかった。その瞳に宿る狂信的なまでの光は、いささかも揺るがない。
(これが、勤皇の志士か……)
その壮絶な姿に、俺は戦慄すると同時に、ある種の敬意すら抱いていた。彼らは、自らの信じる「正義」のために、命を、そしてこの身の痛みを、容易く投げ出すことができるのだ。
一刻ほどが過ぎただろうか。さすがの土方さんにも、焦りの色が浮かび始めていた。これ以上の拷問は、古高の命を危険に晒す。そうなれば、元も子もない。近藤さんも、心配そうに眉を寄せている。
「土方君、もうよせ。その男は、ただの拷問では口を割らん」
「ですが、近藤さん!」
「永倉君。君の出番だ」
近藤さんに促され、俺は一歩前に出た。手には、この五日間で「霞が関」が集めた情報の全てをまとめた分厚い書類の束を持っている。
「古高俊太郎殿。ご苦労様です。あなたのその忠義心、見事なものだと感服いたしました」
俺は、静かに語りかけた。古高は、荒い息をつきながら、訝しげに俺を見上げる。
「ですが、あなたのその忠義も、もはや空しいだけです。なぜなら、我々はすでに、全てを知っているのですから」
俺は、書類の束から一枚の紙を取り出し、彼の目の前に突き付けた。
「五月二十日、大坂の商人・和泉屋より、鉄砲五十丁を仕入れ。代金は長州藩江戸藩邸より、偽名口座『山城屋』経由で送金。違いますかな?」
古高の目が見開かれた。
「五月二十三日、祇園の一力亭にて、長州藩士・桂小五郎、吉田稔麿らと密会。席を設けたのは、対馬藩士・大島友之允」
「なっ……!?」
俺は、構わずに続けた。彼の動揺が、手に取るように分かる。物理的な痛みとは全く質の違う、精神的な揺さぶり。情報の刃が、彼の心の鎧を少しずつ切り裂いていく。
「五月二十八日、あなたの店から、肥後藩・宮部鼎蔵の寓居へ、長持三棹が運び込まれました。中身は、先ほどの鉄砲と弾薬ですね。運んだ人足の名は、松吉と丑五郎。彼らには口止め料として、一両ずつ支払われています」
「なぜ、それを……ありえん……」
古高の声が、初めて震えた。彼の計画は、完璧な秘密裏に進められていたはずなのだ。金の流れも、人の動きも、全てを偽装し、隠蔽していたはず。それが、なぜ。まるで、天から全てを見られていたかのように、新選組の若造が、その全てを語っていく。
「あなたの忠義は、もはや無意味だと言ったはずです。あなたの仲間たちは、あなた一人の犠牲で事が収まるなどとは、微塵も考えていませんよ」
俺は、最後の切り札を切った。
「あなたは、捕まるべくして捕まった。いわば、捨て駒です。あなたという『尻尾』を我々に掴ませ、事を荒立てさせ、京の治安維持能力の欠如を天下に知らしめる。それこそが、桂小五郎らの真の狙い。あなたは、そのための生贄に過ぎない」
「だま……れ……」
「我々は、あなたの口から情報を得る必要すらないのです。なぜなら、あなたの仲間たちが、今夜どこで、何のために集まっているか、すでに知っているからです」
俺は、ゆっくりと、しかしはっきりと告げた。
「祇園、池田屋。今夜、あなた以外の主要な志士たちが、最終会合を開いていますね。議題は、数日後の決行日に向けての最終確認。違いますか?」
その言葉は、古高の心の最後の砦を、粉々に打ち砕いた。彼の瞳から、狂信的な光が消え、絶望の闇が広がっていく。顔は蒼白になり、縛られた体から力が抜けていくのが分かった。
「……負けだ……我々の、負けだ……」
絞り出すような声で、彼はつぶやいた。そして、堰を切ったように、その全てを語り始めた。
「我々の狙いは……風の強い日を選び、京の数か所から火を放つ……」
その計画は、俺の予想を、そして史実の知識すらも、遥かに上回るほどに恐ろしいものだった。
「火災の混乱に乗じ、御所を襲撃。中川宮朝彦親王を幽閉し、会津藩主・松平容保、そして一橋慶喜を暗殺する……」
土方さんの顔色が変わった。近藤さんの拳が、ギリ、と強く握りしめられる。
「そして……そして、帝を確保し、長州へと……お連れ申し上げる……!」
帝の拉致。それは、この国そのものを根底から覆しかねない、未曾有のクーデター計画だった。もし、これが成功していたら……。俺の背筋を、冷たい汗が伝った。
「その計画の最終確認を……今夜、池田屋で……」
全てを語り終えた古高は、まるで抜け殻のように、ぐったりと首を垂れた。
蔵の中を、重い沈黙が支配する。
最初にその沈黙を破ったのは、近藤勇だった。
「土方君」
「はっ」
「隊士を総動員せよ。今すぐ、池田屋へ向かう」
その声は、普段の温厚な彼からは想像もつかないほど、厳しく、そして決意に満ちていた。
「永倉君、君もだ。君の剣の腕と知恵が、ここからも必要になる」
「御意!」
土方さんが、蔵を飛び出していく。隊士たちに檄を飛ばす声が聞こえる。屯所全体が、にわかに殺気立ち、出動準備の喧騒に包まれていく。
俺は、柱に縛られたままの古高俊太郎を一瞥した。彼は、もはやただの敗北者だった。だが、彼の犠牲によって、俺たちは、この国の未来を揺るがす巨大な陰謀を、瀬戸際で食い止める機会を得たのだ。
(池田屋……)
史実では、新選組の名を天下に轟かせた、あの事件の舞台。だが、俺の知る歴史とは、すでに大きく様相が異なっている。敵の計画の規模も、我々が握る情報の質も、何もかもが違う。
これから始まるのは、単なる浪士の斬り合いではない。
徳川幕府の未来を、そして、この国の形を決める、分水嶺となる戦いだ。
俺は、愛刀の柄を強く握りしめ、近藤さんの後に続いて、喧騒の中へと駆け出した。
お読みいただき、ありがとうございます。
鬼の副長の拷問すら耐え抜いた古高の狂信的な忠義。
しかし、彼の知らないところで、全ては暴かれていました。
新八が突きつけるのは、暴力ではなく、動かぬ証拠の数々。
ついに始まる本当の「自白」。果たして、古高は全てを語るのか?




