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第44話:静かなる包囲網

古高俊太郎の情報は、長州藩が仕掛けた巧妙な罠である可能性が浮上。

血気にはやる新選組、特に鬼の副長・土方歳三を止めることはできるのか?


新八が提案する策は、武力ではなく情報を駆使した「静かなる包囲網」。

敵の掌の上で、新選組の反撃が始まります。

 薬部屋に重い沈黙が落ちていた。俺が提示した「長州の罠」という仮説は、あまりにも突拍子もなく、そして同時に、恐ろしいほどの説得力を持っていた。山崎さんは、地図の上で「古高俊太郎」と書かれた札を睨みつけたまま、微動だにしない。彼の額には、脂汗が滲んでいた。


「永倉様……もし、その仮説が真実だとすれば、我々はどうすれば……。このまま古高を捕らえれば、我らは長州の思う壺。かと言って、放置すれば奴らの計画が進んでしまう」

「だからこそ、情報戦を仕掛けるんです」


 俺は、きっぱりと言い切った。

「長州が、我々を掌で踊らせているつもりならば、その上で舞ってやろうじゃないですか。ただし、我々の筋書きで、我々の舞を、です。そのためには、敵を凌駕する『情報』が必要不可欠。古高俊太郎という男の全てを、我々が掌握するんです」


 俺の言葉に、山崎さんの瞳に再び光が宿った。彼が率いる監察方、そして俺が作り上げた諜報組織「霞が関」の真価が問われる時が来たのだ。


「土方さんのところへ行きますよ、山崎さん。鬼の副長を、我々の舞台に引きずり出すんです」


 俺たちは、足早に土方歳三の部屋へと向かった。障子を開けると、そこには眉間に深い皺を刻み、帳簿と睨めっこをしている鬼の副長がいた。隊の運営資金の算段でもしているのだろう。その姿は、剣客というよりも、むしろ辣腕の経営者のそれに近い。


「土方さん、急ぎご報告したい儀が」

 俺が切り出すと、土方さんは帳簿から顔を上げた。その鋭い視線が、俺と山崎さんを射抜く。


「永倉か。山崎も一緒とは、よほどのことだな」

「はい。長州の不逞浪士どもに、大きな動きがありました」


 俺は、まず山崎さんが掴んだ古高俊太郎の情報を、ありのままに土方さんに伝えた。長州の金蔵であり、武器弾薬の供給源であること。そして、惣兵衛と長州藩士を繋いでいた黒幕であること。土方さんの表情は、報告が進むにつれて険しさを増していく。


「……枡屋喜右衛門、本名・古高俊太郎。奴が、今回の騒動の根魁か。よし、すぐに手勢を差し向ける。一人残らず召し捕り、洗いざらい吐かせてくれる」


 土方さんが腰を浮かせかけた、その時だった。

「お待ちください、土方さん」

 俺は、静かに、しかし力強く制した。

「それは、敵の思う壺です」


「何?」

 訝しげな表情を浮かべる土方さんに、俺は先ほど山崎さんにした説明を、より詳細に、そして論理的に展開した。


「今回の件、あまりに都合が良すぎます。まるで、我々に『古高を捕らえろ』と囁いているかのようです。これは、長州が仕掛けた壮大な罠である可能性が高い」

 俺は、一呼吸置き、続けた。

「奴らの真の狙いは、計画の成就にあらず。むしろ、我々新選組に計画を『阻止』させること。それによって、京の守護職たる会津藩、ひいては幕府の権威を失墜させ、朝廷における発言力を得んとする、高度な政治的謀略……情報戦です」


 俺の言葉に、土方さんは再び腰を下ろした。彼は腕を組み、目を閉じて深く思考に沈んでいる。彼の沈黙は、俺の話を戯言として切り捨てているのではないことの証左だ。この男は、感情や先入観に流されず、常に物事の本質を見抜こうとする。だからこそ、俺は彼を信頼できる。


 やがて、土方さんはゆっくりと目を開けた。

「……面白い。面白いじゃねえか、長州の連中も。そこまで考えていたとはな」

 その口元には、獰猛な笑みさえ浮かんでいた。

「で、お前の策は何だ、永倉。ただ指を咥えて見ているつもりじゃねえだろ。罠だと分かった上で、どうやって奴らを出し抜く?」


「はい。策は一つ。『静かなる包囲網』です」

 俺は、地図を土方さんの前に広げた。

「今、古高を捕らえても、それは『尻尾』に過ぎません。我々が掴むべきは、古高に繋がる全ての不逞浪士の動向、そして、彼らが計画しているテロの全貌です。そのためには、古高を泳がせる必要があります」


 俺は、地図上の古高の店「枡屋」を指で叩いた。

「今日この時から、山崎さんの『霞が関』を総動員し、古高俊太郎の二十四時間を徹底的に監視します。彼がいつ、どこで、誰と会い、何を話すのか。手紙のやり取り、金の流れ、武器の搬入ルート。その全てを、我々が掌握するのです」

「泳がせて、情報を吸い尽くす、か。だが、危険も伴うぞ。万が一、奴らが決行に踏み切れば……」

「そのための『霞が関』です。情報は、その都度我々の元に集約させます。決行の兆候があれば、その瞬間に叩く。しかし、それまでは決して動かない。気づかれぬように、息を潜め、静かに、しかし着実に、包囲の輪を狭めていくんです」


 俺の策を聞き終えた土方さんは、満足げに頷いた。

「良いだろう。その策、乗った。山崎!」

「はっ!」

「永倉の指揮下に入れ。お前の持つ全ての駒を使い、古高俊太郎を丸裸にしろ。一分の隙も見せるな。これは、我ら新選組の真価が問われる戦だ」

「御意!」


 土方歳三という男の決断は、常に迅速かつ的確だ。俺の策の合理性と有効性を瞬時に理解し、即座に実行に移す。これほど頼もしい司令官はいない。


 その日から、京の街に、目に見えない巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされた。


 山崎さんの指揮のもと、「霞が関」の密偵たちが、商人、職人、物乞い、虚無僧と、様々な姿に身をやつして枡屋の周辺に溶け込んでいく。向かいの茶屋の二階からは、一日中、店の出入りが監視され、荷を運ぶ大八車の一つ一つまで、その中身が密かに改められた。古高が会う人物は、尾行によってその正体と住まいが突き止められ、新たな監視対象としてリストに加えられていく。


 情報は、数時間おきに、暗号化された文で俺と土方の元へ届けられた。

『午後、古高、壬生浪士組の元隊士・甲と接触。金銭の授受を確認』

『夜、大坂の商人・乙より、武器と思われる長持が数棹、店に搬入さる』

『深夜、長州藩士・丙が裏口より入店。一時間後に退去』


 集まってくる情報を、俺は地図の上に落とし込み、相関図を作成していく。それは、京の地下に張り巡らされた、恐るべきテロネットワークの全貌だった。俺の脳内にある史実の知識と、リアルタイムで集まる生の情報が組み合わさり、パズルのピースが一つ、また一つと埋まっていく。


 作戦開始から三日目の昼下がり。俺が薬部屋で情報の整理をしていると、ひょっこりと沖田総司が顔を出した。

「新さん、みーつけた。こんな所にいたんだ。ねえ、一本付き合ってよ」

 その手には、もちろん竹刀が握られている。この緊迫した状況を、彼はおそらく知らない。土方さんが、純粋な剣の求道者である沖田を、こういった謀略の中心から意図的に遠ざけているのだ。


「総司か。悪いが、今、立て込んでいてな」

「えー、つれないなあ。じゃあ、これが終わったら必ずだよ。約束だからね」

 沖田は、子供のように唇を尖らせると、部屋の隅にちょこんと座り込んだ。俺の邪魔にならないように、静かに素振りでも始めるつもりらしい。


 その無邪気な姿を見ていると、俺の胸に、ある種の葛藤が込み上げてくる。史実では、この一年後、池田屋事件で奮戦した彼は、病によって血を吐き、その短い生涯の坂道を転がり落ちていく。俺は、その未来を知っている。知っていながら、彼に何も告げることができない。


(必ず、助ける。お前も、近藤さんも、土方さんも。この新選組の仲間たちを、一人だって死なせはしない。そのためにも、この戦、絶対に負けるわけにはいかねえんだ……)


 俺は、沖田から視線を外し、再び地図の上の相関図に意識を集中させた。感傷に浸っている暇はない。俺が守りたい未来は、この情報戦の先にあるのだ。


 そして、作戦開始から五日が経過した夜。

 ついに、決定的な情報が俺の元にもたらされた。


『六月五日、夜。祇園・池田屋にて、主だった者どもによる最終会合の予定。決行は、その数日後、風の強い日を狙うものと推察さる』


 全ての駒が、盤上に揃った。

 俺は、その報告書を手に、土方さんの部屋へと向かった。俺の報告を聞いた土方さんは、静かに立ち上がると、壁に立てかけてあった愛刀・和泉守兼定を手に取った。


「時機は、満ちたな」


 その声は、氷のように冷たく、しかし、底知れぬ闘志を秘めていた。

「永倉、総司を呼べ。各隊長にも触れを出せ。今夜、鬼を狩りに行くぞ」


 静かなる包囲網は、今、その牙を剥き、獲物に襲いかかろうとしていた。長州の描いた筋書きをズタズタに引き裂き、俺たちの勝利を刻むために。



お読みいただき、ありがとうございます。

新八の策は鬼の副長・土方歳三を動かし、ついに「静かなる包囲網」が始動しました。

これから、新選組の真価が問われる情報戦が始まります。

「霞が関」を駆使し、古高俊太郎の全てを暴くことができるのか。

諜報戦の行方を、お楽しみに。

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