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第42話:不審な煙

主人公が設立した諜報組織「霞が関(仮)」が本格的に動き始めます。

山崎烝と斎藤一という心強い仲間と共に、京に潜む不穏な影を追います。


祇園で起きた一見ただの火事が、やがて京を揺るがす大きな事件へと繋がっていくかも?

小さな情報の断片から、巨大な陰謀の正体を見抜けるでしょうか。

 山崎烝と斎藤一という、情報戦における二本の強力な矢を手に入れてから、およそ半月が過ぎた。俺が「霞が関」と密かに呼んでいる、新選組内の非公式諜報組織は、まだ生まれたての赤子同然だったが、それでも着実に、産声を上げ始めていた。


 山崎さんは、持ち前の几帳面さと探求心を発揮し、俺が提案した情報網構築の理論を驚くべき速さで吸収していった。彼は、俺が口にした「協力者アセットの適性評価」「情報伝達経路ルートの秘匿化」「相互参照クロスリファレンスによる信憑性(確度)の検証」といった、この時代の人間には耳慣れないであろう概念を、まるで乾いた砂が水を吸うように自らのものとしていった。


 一方の斎藤さんは、その圧倒的な実働能力で「霞が関」の骨格を支えていた。彼が率いる三番隊の隊士たちは、そのほとんどが口数の少ない、影のような男たちだったが、こと密行・追跡・潜入といった裏の仕事に関しては、他の隊の追随を許さない精鋭揃いだ。彼らは斎藤さんの手足となって京の街を駆け巡り、山崎さんがリストアップした協力者候補の身辺を洗い、その人間が本当に信用に足るのかを、まるで古美術品を鑑定する目利きのように厳しく、そして正確に見極めていった。


 俺たちの最初の協力者となったのは、祇園の一角で口入れ屋を営む「お香」という女だった。彼女はまだ四十代前半だが、その筋では名の知れた顔役で、祇園界隈のありとあらゆる情報に通じている。斎藤さんの調べによれば、彼女は過去に悪質な浪士に騙され、一人娘を不具にされたという暗い過去を持っていた。その浪士が長州の出身であったことが、彼女を我々の協力者とする、何より強力な「楔」となった。


「あてが差配する芸妓や太鼓持、それに飯屋の女中たちにも、ようく言い聞かせておきましたえ。妙なことを企んどる輩がおったら、どんな些細なことでもあてに知らせるように、とな。これも、亡くした娘の供養のためどす」


 そう言って静かに微笑んだお香の目は、決して涙を見せることはなかったが、その奥には、長州への消えない憎悪の炎が揺らめいていた。


 こうして、お香の店を最初の拠点として、俺たちの諜報網は、蜘蛛の巣のように、ゆっくりと、しかし確実に京の街に張り巡らされていった。芸妓たちの他愛ない噂話、車夫たちが耳にした立ち聞き、料亭の板前が目にした不審な会合。それら無数の情報の断片は、暗号化された手紙や、連絡役の隊士を通じて、壬生屯所の片隅にある薬部屋――「霞が関」の本部へと、日夜集められ始めた。


 その日、俺が薬部屋の戸を引くと、山崎さんがいつものように山と積まれた情報の断片を前に、唸るような声を上げていた。彼の前には、京の地図が大きく広げられ、そこには様々な色や形の印が、びっしりと書き込まれている。


「永倉様、ちょうど良いところへ。少し、気になる煙の匂いがしておりまして」

「煙?」

 俺が聞き返すと、山崎さんは地図上の一点を指で示した。そこは、祇園町の外れにある、小さな区画だった。

「三日前、このあたりで火事がありましてな。炭薪を商う小さな店が全焼した、と。火の不始末による失火として処理されたのですが……」


 山崎さんは、手元にある数枚の紙片を俺の前に並べた。それらは、別々の協力者から、別々の経路で寄せられた情報だった。


 一枚目。祇園の芸妓からの報告。

「件の炭薪問屋の主人・惣兵衛が、火事の数日前から、毎晩のように店を訪れる数名の侍と密会していた。いずれも長州訛りの男たちだった」


 二枚目。惣兵衛の店の向かいにある呉服屋の番頭からの密告。

「惣兵衛は、ここ最近、妙に羽振りが良かった。とても小さな炭薪問屋の儲けとは思えぬ額の金を、どこかから得ていたようだ」


 そして、三枚目。これが決定打だった。

 火事の鎮火後、現場の整理に入った町火消し組頭の一人。彼もまた、お香を通じて我々に協力する者の一人だった。彼が、焼け跡から偶然見つけ出したという、一通の書状の燃え残り。その断片には、かろうじて判読できるいくつかの単語が記されていた。


「……強風……の日……御所……に……」


 俺は、息を呑んだ。

 バラバラだった三つの情報が、この燃えさしの書状によって、一つの禍々しい線で結ばれる。


 長州藩士との密会。不審な金の動き。そして、「強風」「御所」という不穏な単語。


「失火じゃないな。これは、口封じだ」

 俺が呟くと、山崎さんは静かに頷いた。

「私も、そう思います。惣兵衛は、長州の何らかの計画に加担していた。しかし、何らかの理由で、計画の実行を前に消された。店ごと、証拠と共に焼き払われたのです」


「問題は、その計画の中身だ」

 俺は、再び書状の燃え残りに目を落とした。「強風の日」「御所」。この二つの単語が意味するものは何か。


 前世の記憶が、警鐘のように頭の中で鳴り響く。

(まさか……)


 歴史上、この時期に長州が引き起こした、京を舞台にした大事件。それは、禁門の変、そして池田屋事件だ。だが、そのどちらも、まだ少し時期が早い。だとすれば、これは、その前段階の、まだ歴史の教科書には載っていない、闇に葬られた計画なのかもしれない。


「山崎さん、この惣兵衛という男、他に何か分かっていることは?」

「はい。斎藤様の方で、すでに洗いをつけております。それによりますと、惣兵衛はもともと腕の良い火薬職人だった、と」

「火薬職人……!」


 炭薪問屋の主人が、元火薬職人。

 その男が、長州藩士と密会し、大金を受け取っていた。

 そして、彼の店が全焼し、焼け跡から「強風の日」「御所」と書かれた書状が見つかる。


 パズルのピースが、恐ろしい絵を形作り始める。


「焼き討ちか……」

 俺の口から、無意識に言葉が漏れた。

「連中は、風の強い日を狙って、御所に火を放つつもりだったんだ。そして、その混乱に乗じて……」


 混乱に乗じて、何をするつもりだったのか。帝を長州へ連れ去る? あるいは、幕府の要人を暗殺する? いずれにせよ、京の都が火の海になることは間違いない。


「永倉様、この件、すぐに土方副長へご報告を」

 山崎さんが、緊張した面持ちで俺を見た。

「いや、まだだ」

 俺は、首を横に振った。

「まだ、確証がない。これは、あくまで状況証拠からの推測に過ぎん。今この段階で土方さんに上げても、『不確かな情報で隊を動かすな』と一喝されて終わりだ」


 土方さんの性格は、俺が一番よく分かっている。彼は、石橋を叩いても渡らないほどの慎重派だ。特に、隊の存亡に関わるような大きな動きに関しては、完璧な証拠がなければ決して動かない。


「俺たちがやるべきは、この推測を『事実』に変えることだ。連中の計画の、動かぬ証拠を掴む」

 俺は、広げられた京の地図を睨みつけた。

「惣兵衛は消された。だが、計画そのものが消えたわけじゃない。連中は、必ず別の火薬職人を探すはずだ。あるいは、すでに別の協力者がいるのかもしれない」


 俺は、山崎さんに向き直った。

「山崎さん、京中の火薬を扱う店、あるいはそれに類する技術を持つ職人を、片っ端からあげてくれ。どんな些細な情報でもいい。金の動き、人の出入り、少しでも不審な点があれば、すぐに報告を」

「承知いたしました」


「それから、斎藤さんには、惣兵衛と接触していた長州藩士たちの人相書きを、協力者全員に回すよう伝えてくれ。連中が次にどこに現れるか、その足取りを掴むんだ」


 俺は、次々と指示を飛ばした。頭の中では、無数の情報が高速で回転し、次なる一手を模索している。


 これは、俺たちの「霞が関」にとって、最初の大きな試練となるだろう。

 この不審な煙の先に待つ、巨大な陰謀の炎を、俺たちは未然に消し止めることができるのか。


 俺は、薬部屋の窓から、西に傾きかけた太陽を見つめた。京の街並みが、茜色に染まっている。それは、まるでこれから起ころうとしている惨劇を暗示しているかのような、不気味なほどの美しさだった。


(絶対に、思い通りにさせてたまるか)


 俺は、固く拳を握りしめた。この街を、そしてこの国を、血と炎で染めようとする者たちがいるのなら、俺は、この身に宿した現代知識と、仲間たちの力を全て結集して、その野望を叩き潰す。


 たとえ、歴史の裏で、誰にも知られることのない「影」の戦いを演じることになったとしても。


 それが、この時代に転生した俺に課せられた、使命なのだから。


お読みいただきありがとうございます。

ついに情報戦が始まりました。


バラバラに見えた情報が一つに繋がり、恐ろしい計画の輪郭が浮かび上がってきました。

歴史の知識を持つ主人公は、この危機にどう立ち向かうのか。

いよいよ池田屋事件に向けて物語が動き出します。どうぞお楽しみに

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