第40話:静かなる終焉
主人公が仕掛けた「孤立の策」は、芹沢派の結束を着実に蝕んでいきました。
金と暴力で繋がっていた関係は、疑心暗鬼という見えざる刃によって崩れ去ります。
支援者は離れ、腹心さえも距離を置き始めました。
かつての権勢を失い、孤立していく芹沢の姿は、彼の時代の終わりが近いことを静かに物語ります。
俺の放った「孤立の策」は、予想以上の効果を発揮した。まるで、乾いた草原に放たれた火のように、疑心暗鬼の炎は芹沢派の隅々にまで燃え広がり、彼らの結束を灰燼に帰せしめたのだ。
もはや、芹沢鴨の周りには、誰もいなかった。
あれほど羽振りの良かった商家からの付け届けは、ぴたりと止んだ。それどころか、街で顔を合わせても、蜘蛛の子を散らすように逃げていく始末だ。金の切れ目が、縁の切れ目。実に分かりやすい構図だった。
屯所内での孤立は、さらに深刻だった。
「おい、平山! 平間! 今宵も島原に繰り出すぞ! 付き合え!」
ある日の昼下がり、いつものように芹沢が酒臭い息を吐きながら、取り巻きたちに声をかけた。だが、かつてであれば、喜んで尻尾を振ってついてきたはずの平山五郎と平間重助は、気まずそうに顔を見合わせるだけだ。
「……先生、申し訳ありません。今日は、ちょっと野暮用が……」
「なんだと? この俺の誘いを断るというのか!」
芹沢が目を剥いて凄んでも、二人の態度は煮え切らない。彼らの心は、すでに芹沢から離れていた。匿名の手紙に書かれていた、会津藩からの厳しい沙汰。その恐怖が、芹沢への忠誠心をいとも簡単に上回ったのだ。
「新見はどうした! あの男はどこにいる!」
苛立ちを隠せない芹沢が、もう一人の腹心の名を叫ぶ。だが、当の新見錦は、数日前から屯所に姿を見せていなかった。聞けば、「病気療養」と称して、どこぞに身を隠しているらしい。彼もまた、己の保身のために、早々に沈みゆく船から逃げ出したのだ。
「……おのれ、おのれぇぇぇっ!」
誰もが自分を避けていく。その紛れもない事実に、芹沢は獣のような咆哮を上げた。自慢の鉄扇を抜き放ち、怒りのままに縁側の大黒柱に叩きつける。だが、その破壊行為に、もはや誰も眉をひそめはしなかった。ただ、遠巻きに、冷ややかな視線を送るだけだ。
それは、まるで檻の中で吠える、一匹の猛獣を見ているかのようだった。かつて、その牙と爪で、京の街を、そして壬生浪士組を恐怖で支配した男の、あまりにも哀れな末路だった。
その光景を、俺は土方さんと共に、少し離れた場所から静かに眺めていた。
「……永倉。お前の策は、完璧に功を奏したな」
土方さんが、どこか複雑な表情で呟いた。彼の視線の先には、なおも一人で荒れ狂う芹沢の姿がある。
「刀を抜かずして、敵をここまで追い詰めるとは……。正直、俺は、お前のことが少し怖くなったぞ」
「……」
俺は、何も答えなかった。怖い、と言われても仕方がない。俺がやったことは、武士の風上にも置けない、卑劣な謀略だ。正々堂々、剣で決着をつけることを是とする土方さんからすれば、到底受け入れがたいやり方だろう。
だが、俺は、この方法しか知らなかった。
血を流せば、憎しみが生まれる。憎しみは、新たな争いの火種となる。史実では、芹沢鴨は土方さんたちによって暗殺された。その結果、壬生浪士組は「新選組」として生まれ変わるが、同時に、芹沢派の残党という火種を抱え込むことになった。
俺は、その未来を知っている。だからこそ、血を流さずに、芹沢鴨という「問題」を解決する必要があったのだ。
「……土方さん。俺は、ただ、浪士組を、もっと強く、もっと大きな組織にしたいだけなんです。そのためには、内輪で争っている暇はないはずです」
俺の言葉に、土方さんは何も言わず、ただじっと俺の目を見つめていた。その深い瞳の奥に、どんな感情が渦巻いているのか、俺には窺い知ることはできない。
その時だった。
「永倉! 土方君! 少し良いか!」
屯所の奥から、近藤さんが姿を現した。その表情は、いつになく晴れやかだった。彼の後ろには、会津藩の公用人と思われる武士が数名控えている。
「今、会津藩の公用方より、正式な達しがあった! これより、我ら壬生浪士組は、会津藩お預かりの正式な組織として、京の治安維持を担うことになった!」
近藤さんの言葉に、試衛館派の隊士たちから、どっと歓声が上がった。これまで日陰者として扱われてきた彼らが、ようやく日の目を見ることを許された瞬間だった。
「そして!」と近藤さんは、一度言葉を切り、組の全員を見渡した。「組織の名称も、正式に『新選組』と改める! それに伴い、改めて組の体制を発表する!」
皆が固唾を飲んで見守る中、近藤さんは高らかに宣言した。
「局長は、この近藤勇! そして、副長は土方歳三と山南敬助!」
そこまでは、誰もが予想していたことだった。だが、近藤さんは、芹沢派の残党たちが集まる方角に、そして俺に向かって、真っ直ぐな視線を送った。
「芹沢局長、新見副長は、本日をもってその任を解く! そして、副長助勤には、これまで通り、永倉新八、お主がその任に当たる! 今回の一件、お主の働きなくしては、こうも穏便には済まなかった。これからも、その知恵で新選組を支えてくれ!」
それは、単なる役職の再確認ではなかった。この芹沢失脚劇の真の立役者が誰であるかを、そして、これからの新選組が「力」だけでなく「知恵」を以て進んでいくのだということを、内外に示すための、力強い宣言だった。
俺は、皆の前で深く、深く頭を下げた。
「……副長助勤として、誠心誠意、新選組に尽くす所存です」
その言葉を口にした瞬間、俺の脳裏に、霞が関の薄暗いオフィスで、分厚い資料の山に埋もれていた前世の記憶が蘇った。国を動かす官僚になることを夢見ながら、志半ばで命を落とした、あの無念の日。
だが、今、俺は、この幕末の京で、再び、国を、歴史を動かす立場に立っている。それは、剣の腕前だけではない。前世で培った知識と経験、すなわち「知恵」によって、自ら掴み取った地位だった。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。視線の先には、歓喜に沸く隊士たちの姿と、その輪から外れ、一人寂しく酒を煽る、芹沢鴨の姿があった。
物理的な戦闘は、一切なかった。一滴の血も、流れてはいない。
だが、芹沢鴨は、確かに「死んだ」のだ。壬生浪士組の筆頭局長としての彼が、今日、この瞬間、静かに、そして完全に、終焉を迎えたのだ。
この一件により、俺の「血を流さずに敵を制する」参謀としての地位は、新選組内部で、確固たるものとなった。
だが、俺は知っている。これは、まだ序章に過ぎない。これから先、新選組には、そして俺には、さらに過酷な運命が待ち受けていることを。
俺は、固く拳を握りしめた。史実を知るがゆえの苦悩。誰を救い、誰を見捨てるかという、神のような視点。その重い十字架を背負いながらも、俺は前に進むしかない。
薩長を出し抜き、徳川幕府を史上最強の近代国家に魔改造する。その途方もない野望を、この手で実現させるために。
無血革命で鴨さんを失脚させ、主人公は参謀としての地位を確立しました。
しかし、まだまだこれは新選組の序章に過ぎません。
史実を知る新八は、これからの行く手に待ち受ける更なる困難を知っています。
新八の本当の戦いはまだ始まったばかりです。
歴史の奔流の中で、仲間たちを守りきり、理想を成し遂げることができるのでしょうか。




