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第4話:武士の身体、官僚の頭脳

前世の知識を総動員して独自の剣術を編み出した栄吉は、神道無念流の道場で急速に頭角を現していきます。

常識外れの稽古法、そして物理法則に基づいた剣技は、やがて達人である師範の目にも留まることになります。

果たして、官僚の頭脳は武士の世界でどこまで通用するのでしょうか。

異色の剣士が歴史に新たな一石を投じる第4話、ぜひご覧ください。

「生き残るための最適解」――すなわち、俺自身が誰よりも「強く」なること。

 その結論に至ってから、俺の日常は一変した。


 神道無念流の道場「撃剣館」。その稽古は、早朝の素振りから始まり、午前は一対一の打ち込み稽古、午後は掛かり稽古と、日が暮れるまで続く。これまでは、永倉栄吉(後の新八)の身体に宿る記憶と才能に任せ、無我夢中で木刀を振るっていた。だが、明確な目的意識を持った今、稽古の一つ一つが、俺にとって意味のある「プロジェクト」へと変わった。


「栄吉、最近のお主の剣は、何やら少し変わったな」


 ある日の稽古の後、師範である百合元宗次郎ゆりもとそうじろうが、汗を拭う俺に声をかけた。百合元師範は、白髪混じりの厳ついかおに、鍛え上げられた鋼のような肉体を持つ、神道無念流の達人だ。


「変わった、でございますか?」

 俺はとぼけてみせたが、内心では「バレたか」と舌を出していた。


 無理もない。俺が今やっていることは、この時代の剣術の常識からすれば、あまりにも異質だったからだ。


 例えば、素振り。

 他の門弟たちが、ただひたすらに回数をこなし、肩と腕の筋力を鍛えているのを横目に、俺は毎回、意識するポイントを変えていた。


(今日のテーマは「重心移動の最適化」だ)


 脳内の『詳説日本史研究』には載っていないが、俺の頭には、霞が関の激務の合間に読み漁った、あらゆる分野の知識が詰まっている。物理学、運動力学、そして人体の構造に関する知識。それらを総動員し、俺は自分の剣術を再構築し始めていた。


 足の裏で地面を掴む感覚。膝の角度、腰の回転、そして肩甲骨の動き。それら全ての連動によって生み出されるエネルギーを、いかにロスなく木刀の先端に伝えるか。俺はミリ単位で体の使い方を調整し、最も効率的なフォームを模索していた。


「うむ。以前のお主の剣は、荒々しいが故の鋭さがあった。まるで、嵐の中の若木のような、危うい魅力があったわ。だが、今のお主の剣は……そうだな、まるで水車のようだ」

「水車、でございますか?」

「そうだ。無駄な力みがない。ただ、流れるように動き、それでいて、一撃一撃が恐ろしく重い。最小限の動きで、最大の威力を生み出している。まるで、何かのことわりに基づいて動いているかのようだ」


 師範の慧眼けいがんには恐れ入る。まさにその通りなのだ。


 打ち込み稽古では、「テコの原理」を応用した。相手の竹刀を、力で受け止めるのではない。竹刀と腕が接する「支点」、力が入る「力点」、そして相手の力が最も加わる「作用点」。その三つの関係性を瞬時に分析し、最小限の力で相手の力のベクトルを逸らす。


 相手が渾身の力で面を打ち込んできても、俺は木刀の鍔元つばもとで軽く受け流す。すると、相手は前のめりになって体勢を崩す。そこへ、がら空きになった胴を、今度は俺が「重心移動」を最適化した一撃で打ち込むのだ。


「ぐっ……!」

 体格で俺を上回る兄弟子が、面白いように畳の上に転がった。


「な、なんだ今の……?」

「栄吉の奴、また妙な技を……」


 門弟たちがざわつく。彼らにとっては、俺の動きがまるで手品のように見えているのだろう。だが、これは手品でもなければ、天賦の才でもない。純然たる「理論」と「分析」の産物だ。


 俺は、稽古の度にPDCAサイクルを回していた。


 Plan(計画):今日の稽古では、「相手の力のベクトルを読む」訓練に重点を置く。

 Do(実行):掛かり稽古で、複数の相手を同時に捌きながら、個々の攻撃の方向と強さをリアルタイムで分析し、最適な回避行動と反撃を試みる。

 Check(評価):今日は5人抜きを達成したが、6人目の突きに対応が遅れた。原因は、5人目を打ち込んだ後の残心ざんしんが疎かになり、視線の切り替えがコンマ数秒遅れたことだ。

 Action(改善):明日の稽古では、一撃の後に必ず半歩下がり、視界を広く保つ動きを意識的に組み込む。


 まるで、霞が関で予算編成のシミュレーションを繰り返していた頃のように、俺は淡々と自分の剣技をアップデートしていく。武士の身体に、官僚の頭脳。この二つの融合が、俺を急速に成長させていた。


「栄吉。少し、わしと打ち合ってみるか」

 百合元師範が、静かに木刀を構えた。道場の空気が、一瞬で張り詰める。門弟たちが、固唾を飲んで俺たちを取り囲んだ。


 師範との稽古は、普段の打ち合いとは訳が違う。それは、もはや稽古ではなく、実戦そのものだ。


「お願い、いたします!」

 俺は深々と頭を下げ、正眼に構えた。


 師範の構えには、一切の隙がない。静かな水面のように穏やかでありながら、その底には計り知れない圧力が渦巻いている。


(分析を開始する)


 俺の脳が、高速で回転を始める。

 師範の呼吸のリズム、視線の動き、足の指先の僅かな力の入り具合。あらゆる情報をインプットし、次の動きを予測する。


(来る……!右上段からの、袈裟斬り!)


 予測と同時に、師範の木刀が動いた。風を切り裂く、凄まじい一撃。

 だが、俺にはその軌道が、まるでスローモーションのように見えていた。


 俺は、一歩も引かない。むしろ、半歩踏み込む。

 師範の木刀が俺の左肩を捉える寸前、俺は体を捻り、相手のふところに潜り込んだ。同時に、木刀のつかで、師範の右腕の内側にある急所――尺骨神経を打ち据える。


「ッ……!」


 師範の剛腕から、一瞬だけ力が抜ける。木刀の軌道が、僅かに逸れた。

 その刹那の隙を、俺は見逃さない。


 懐に飛び込んだ勢いのまま、俺は体を回転させ、師範のがら空きになった脇腹に、強烈な一撃を叩き込んだ。


 ズンッ、という鈍い音が、静まり返った道場に響き渡る。


 時が、止まったかのようだった。

 門弟たちは、何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くしている。


 やがて、百合元師範が、ゆっくりと木刀を下ろした。

 その顔には、驚愕と、そして歓喜の色が浮かんでいた。


「……見事だ、栄吉」

 師範は、脇腹を押さえながら、満足そうに頷いた。

「儂の剛剣を、力で受けず、技で制したか。いや、技というよりは……だな。お主の剣には、明確な『理』がある」


「……恐れ入ります」

 俺は、荒い息を整えながら、再び深く頭を下げた。


 この日を境に、道場での俺を見る目は、完全に変わった。「奇妙な剣を使う若造」から、「底知れない実力を持つ天才」へと。


 だが、俺は天才ではない。

 俺の武器は、才能ではない。知識と、分析力だ。

 そして何より、仲間を死なせたくないという、強烈な意志だ。


 稽古を終え、一人縁側で夜空を眺める。

 俺の脳裏には、これから出会うであろう、試衛館の仲間たちの顔が浮かんでいた。


 朴訥だが人の心を掴む大男、近藤勇。

 鋭い眼光を放つ美丈夫、土方歳三。

 天才的な剣の才を持つ美少年、沖田総司。


 彼らと共に、この混沌の時代を駆け抜ける。

 そして、誰も死なせることなく、新しい時代の夜明けを迎える。


 そのためには、この「武士の身体」と「官僚の頭脳」を、さらに研ぎ澄まさなければならない。


 俺は、夜空に浮かぶ月を見上げながら、固く誓った。

 俺の戦いは、まだ始まったばかりだ。

 これは、歴史に対する、俺の挑戦状だった。



お読みいただき、誠にありがとうございます。

第4話では、主人公が官僚時代の分析能力を駆使して師範越えを果たすまでを描きました。


彼の強さの秘密は、才能ではなく「理論」と「分析」です。

この異質な強さが、これから出会うであろう近藤勇や土方歳三たちの目に、どのように映るのでしょうか。

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