表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/80

第35話:参謀の眼差し

壬生浪士組として京の市中見廻りが始まりましたが、芹沢派の横暴な振る舞いが組織内に不穏な影を落とします。

このままでは内部から崩壊しかねないと危機感を抱いた主人公。

彼は、剣の腕だけではなく、現代知識を活かした「情報戦」で組織を生き永らえさせることを決意します。

 壬生浪士組が正式に発足してから、数日が過ぎた。俺たちは会津藩から支給された揃いの浅葱色の羽織こそまだないものの、隊士として京の市中見廻りを開始していた。表向きは、京の治安を守るという大義名分を掲げた、晴れがましい初仕事だ。しかし、その内情は、いつ爆発してもおかしくない火薬庫そのものだった。


「おい、そこの町人!俺たちは会津様お預かりの壬生浪士組だ。我らが通るのだ、道を空けぬか!」


 昼下がりの四条河原町。大股で道を練り歩きながら、大音声で威嚇するのは、芹沢派の平隊士だ。その横では、局長であるはずの芹沢鴨が、まるで当然とでもいうように尊大に顎をそらし、気に入らない通行人を睨みつけている。彼らの後ろを歩く試衛館の仲間たちは、苦虫を噛み潰したような顔で、ただ黙って付き従うしかなかった。


 俺は、そんな一団から少し離れた場所で、腕を組みながらその光景を冷静に観察していた。俺の隣には、同じく苦々しい表情を浮かべた土方さんがいる。


「…永倉。あれを見ろ。あれが、会津藩の威光を借りた者の姿か。まるでやくざの練り歩きじゃねえか」

「同感です、土方さん。あれでは、京の民から信頼されるどころか、蛇蝎の如く嫌われるだけでしょう。我々の存在意義そのものが問われます」


 俺の言葉に、土方さんは「ちっ」と鋭く舌打ちした。

「近藤先生は『今は耐える時だ』と仰るが、いつまで耐えればいい。芹沢の奴らは、日に日に増長している。いずれ、取り返しのつかない問題を起こすぞ」


 その通りだ。組織というものは、一度腐敗が始まれば、その進行は驚くほど早い。特に、芹沢派のように規律よりも感情や欲望を優先する者たちが権力の一部を握ってしまった場合、その腐敗は組織全体を蝕む癌となる。


 官僚時代、俺はそうやって崩壊していく組織を嫌というほど見てきた。原因はいつも同じだ。内部統制の欠如、そして情報の欠落。敵は常に外にいるとは限らない。むしろ、最も恐ろしい敵は、内部に潜んでいるものだ。


(剣の腕だけでは、この組織は守れない)


 俺は改めてその事実を痛感していた。副長助勤という役職を得た今、俺がなすべきことは、ただ剣を振るって敵を斬ることではない。この壬生浪士組という、生まれたばかりの脆弱な組織を、いかにして生き永らえさせ、そして俺の望む未来へと導くか。そのためには、情報――インテリジェンスが不可欠だ。


 敵の動向、味方の状態、世間の評判、金の流れ。それら全ての情報を正確に収集し、分析し、次の一手を打つ。それこそが、俺が現代で培った最強の武器であり、この時代を生き抜くための生命線だった。


 その日の夜、俺は八木邸の自室で、一人の男を待っていた。昼間の見廻りで一緒だった、山崎烝やまざき すすむだ。彼は大坂の町医者の子で、薬の行商をしながら京の地理や人情に詳しく、その目立たない物腰と人当たりの良さから、様々な情報を自然と集めることに長けていた。史実では、新選組の監察方としてその能力を遺憾なく発揮する男。彼を使わない手はない。


 しばらくして、障子が静かに開き、山崎が音もなく入ってきた。

「永倉先生、お呼びと伺いましたが」

 彼は畳に手をつき、深々と頭を下げる。その所作は、剣客というよりも、商人のそれに近い。


「ああ、待っていた。堅苦しい挨拶はいい、楽にしてくれ」

 俺はそう言うと、単刀直入に切り出した。

「山崎。お前に、頼みたい仕事がある」

「仕事、でございますか?」

 訝しげに顔を上げる山崎に、俺は懐から数枚の小判を取り出し、彼の前に置いた。


「これは、手付金だ。お前の能力を、俺は高く評価している」

 山崎の目が、わずかに見開かれる。

「…私の、能力、と申されますと?」

「とぼけるな。お前はただの薬売りじゃない。人の懐に入り込み、情報を引き出す術を知っている。その観察眼は、そこらの隊士とは比べ物にならん。そうだろ?」


 俺が真っ直ぐに彼の目を見つめると、山崎は一瞬視線を泳がせた後、ふっと息を吐いて肩の力を抜いた。その表情は、先ほどまでの人の好い行商人のものではなく、全てを見透かすような、冷徹な観察者のそれに変わっていた。


「…永倉先生は、恐ろしいお方だ。俺が隠しているつもりの本性まで、お見通しとは。それで、俺に何をしろと?」

 金には手を付けず、彼は静かに尋ねる。金だけで動く男ではない、か。好都合だ。


「俺の『目』となり、『耳』となってもらう。まずは、芹沢派の動向を探ってほしい。特に、金の流れだ。奴らは最近、豪商や公家に出入りしていると聞く。誰と会い、何を話し、どこから金が流れているのか。些細なことでもいい、全て俺に報告しろ」


 きれいごとだけでは、人は動かない。だが、大義と実利、その両方を示せば話は別だ。

「この仕事は、壬生浪士組を、ひいては京の安寧を守るためのものだ。だが、危険も伴う。これは、その対価だ。今後も、成果に応じて報酬は支払う。どうだ、引き受けるか?」


 山崎は、しばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて静かに小判を懐にしまうと、再び深々と頭を下げた。

「…御意。この山崎烝、永倉先生の『目』となり『耳』となりましょう」


 彼が部屋を去った後、俺はもう一人、別の男の存在を思い浮かべていた。斎藤一だ。無口で、何を考えているのか分かりにくい男だが、その剣の腕は確かで、何よりも彼の洞察力は群を抜いている。彼は、他人の殺気や敵意を、まるで獣のように敏感に感じ取ることができる。


 翌日の稽古の後、俺は道場の隅で一人、黙々と素振りをしている斎藤に声をかけた。

「斎藤。少し、いいか」

 彼は素振りをやめ、静かに振り返る。その目は、感情の色を一切映さず、ただ俺を映している。


「お前にも、頼みたいことがある」

 俺は山崎にしたのと同じように、芹沢派の監視を頼んだ。ただし、斎藤に求める役割は違う。

「お前は、奴らの『影』を見張れ。山崎が金の流れのような『表』の情報を探るなら、お前は奴らの内に潜む『裏』…殺気や敵意、裏切りの兆候を探ってほしい。お前になら、それができるはずだ」


 斎藤は何も言わない。ただ、じっと俺の目を見つめ返してくる。その沈黙が、肯定なのか否定なのか、他の者には判断がつかないだろう。だが、俺には分かった。彼の瞳の奥に、確かな承諾の色が浮かんでいるのを。やがて彼は、こくりと小さく頷くと、再び素振りを始めた。言葉は、必要なかった。


 こうして俺は、山崎烝という組織の外から情報を集める『目』と、斎藤一という組織の内側から殺気を探る『影』、二つの情報網を手に入れた。


 その夜、俺は土方さんと二人、酒を酌み交わしていた。

「永倉、お前、最近何か妙な動きをしてないか?」

 土方さんが、探るような目で俺を見る。この男の勘の鋭さは、油断ならない。


「妙な動き、とは?」

 俺はあくまで白を切る。

「山崎や斎藤と、こそこそ何を話している。俺に隠し事か?」

「隠し事なんてありませんよ。ただ、副長助勤として、組織のために何ができるかを考えていただけです。芹沢派の動きは、我々にとって脅威ですからね。備えは必要でしょう」


 俺の言葉に、土方さんはふんと鼻を鳴らした。

「…まあ、いい。お前の言う通り、備えは必要だ。芹沢の首は、いずれ俺が獲る。だが、その時が来るまで、奴らに好き勝手させるわけにはいかねえ。お前の『知恵』、存分に貸してもらうぞ」


「ええ、もちろんです。この壬生浪士組を、日本最強の組織にするために」

 俺は笑って杯を掲げた。


 土方さんは、俺が芹沢派の粛清という未来を知っていること、そしてそのための布石をすでに打ち始めていることには気づいていない。それでいい。彼には、最強の武力装置としての『鬼の副長』に徹してもらう。組織の設計図を描き、未来への道筋を示すのは、俺の役目だ。


 京の夜は、まだ深い。尊攘浪士たちの殺気、そして内なる敵の腐臭が、この壬生の屯所にも微かに漂い始めている。だが、俺の眼差しは、すでにその先の脅威を見据えていた。この戦乱の世で生き残り、歴史を俺の望む方向へ捻じ曲げるために。


 俺は、もはや単なる一介の剣客ではない。この組織の未来を左右する、参謀なのだから。


主人公は、組織を内部から守るため、ついに参謀として動き出します。

山崎烝を外部からの情報を集める「目」に、斎藤一を内部の殺気を探る「影」に任命し、独自の諜報網を構築しました。

もはや単なる剣客ではない彼の眼差しは、芹沢派粛清という未来を見据えています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ