表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/80

第28話:密命

ついに京に到着した浪士組。

しかし、清河八郎の不審な動きは続き、永倉新八の疑念は深まります。

そんな中、土方歳三に呼び出された永倉は、清河の真意を探るという密命を受けることになります。

京の闇を舞台に、永倉のもう一つの戦いが始まります。

 文久三年二月二十三日。

 江戸を発って半月、俺たち浪士組二百数十名は、ついに目的地の京の都へ到着した。

 東海道の華やかさとは違う、古びた趣と格式を漂わせる町並み。だが、その静けさとは裏腹に、都大路を往く人々の目には、どこか張り詰めたような光が宿っていた。江戸のそれとは質の違う、底冷えのする、粘りつくような緊張感が、この古都全体を覆っている。

 尊王攘夷を叫ぶ過激な志士たちと、それを鎮圧しようとする会津藩や幕府の役人たち。見えざる火花が、この町の至る所で散っているのだ。


「ここが、京か…」


 誰かが、ごくりと喉を鳴らす。

 中山道での熱狂も、この本物の緊張感を前にしては、わずかに色褪せていた。俺たちの戦場は、ここなのだ。誰もがそれを肌で感じ取っていた。


 浪士組の宿舎は、すぐには決まらなかった。二百数十名という大所帯を一度に受け入れられる場所など、そうそうあるものではない。数日間の交渉の末、清河八郎が確保してきたのは、京の郊外、壬生村にある郷士・八木源之丞の邸宅だった。

 母屋に離れ、そして立派な道場まで備えた屋敷ではあったが、二百名を超える男たちが寝起きするには、あまりに手狭だった。八木家の母屋には清河をはじめとする幹部が陣取り、俺たち平隊士は、近隣の新徳寺や前川邸などに、すし詰め状態で押し込まれることになった。


「少し狭苦しいですが、これも公方様のため。皆で耐え忍びましょうぞ!」


 案の定、不満が噴出しかけたところで、近藤先生が人の良い笑顔で皆を諭す。その実直な言葉に、試衛館の仲間たちは素直に頷き、荷を解き始めた。

 だが、俺の目は、八木邸の一室で配下の者たちと談笑する清河の姿を捉えていた。彼の周りには、出羽や水戸出身の、特に尊攘思想の強い者たちが常に集まっている。試衛館の面々のような、純粋に将軍警護を志す者たちとは、明らかに一線を画していた。


 京に着いてからの清河の動きは、俺の疑念をますます深いものにしていた。

 彼は、浪士組の編成に着手すると、重要な小隊長の役に、ことごとく自分の息のかかった者を配置した。俺たち試衛館の面々は、その剣腕を評価されてか、一つの隊にまとめられはしたものの、あくまで一兵卒の扱いに過ぎない。近藤先生は隊のまとめ役のような立場にはなったが、正式な役職を与えられたわけではなかった。


 さらに不可解なのは、清河の行動範囲だった。

 彼は「朝廷との連携を図る」という名目で、頻繁に屋敷を空けた。供を連れて公家の屋敷に出入りしているという噂が、まことしやかに囁かれる。

 将軍が上洛し、その警護にあたるというのが、俺たちの任務のはずだ。幕府の役人である浪士組取扱を差し置いて、一介の浪士の首魁に過ぎない清河が、なぜ公家と直接接触する必要があるのか。


「清河先生も、お忙しいのだな。公方様と帝の架け橋となるべく、奔走しておられるのだろう」


 縁側で呑気に日向ぼっこをしながらそう語る近藤先生に、俺は内心でため息をついた。この人は、どこまでもお人好しだ。清河の言葉を、一点の曇りもなく信じ切っている。

 その隣で、土方さんが苦虫を噛み潰したような顔で、じっと中庭を睨んでいる。俺と彼の視線が、一瞬だけ交わった。言葉はなくとも、互いが同じ疑念を共有していることは明らかだった。


 その夜のことだ。

 夕食を終え、仲間たちが酒盛りを始めようかという頃合いに、俺は前川邸の自室で一人、刀の手入れをしていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った部屋で、油を染み込ませた布が鞘を滑る音だけが響く。

 京の緊張感は、俺の神経を鋭敏に研ぎ澄ませていた。この町では、いつ、どこで、誰が敵になるか分からない。この刀だけが、俺の命を守る唯一の盾なのだ。


 その時、障子の向こうから、低い声がかかった。

「永倉か。いるなら出てこい」

 土方さんの声だ。

 俺は刀を置くと、静かに立ち上がり、障子を開けた。夜の闇の中に、煙管の火がぼんやりと浮かんでいる。


「土方さん。どうかなさいましたか」

「少し付き合え。人目につかん場所で話がしたい」


 有無を言わさぬ口調だった。俺は黙って頷き、誰にも気づかれぬよう、そっと部屋を出た。

 土方さんは先に立って闇の中を進み、八木邸の裏手にある道場へと俺を導いた。昼間は浪士たちの荒々しい気合いが満ちていた道場も、今はしんと静まり返り、月光が板張りの床を青白く照らしているだけだ。


 道場の真ん中で、土方さんは足を止めた。そして、ゆっくりとこちらに振り返る。その両の目は、夜の闇よりもなお深く、鋭い光を宿していた。


「永倉。中山道での、お前の言葉を覚えているか」

「……忘れるはずがありません」

「あの時、俺は清河の胡散臭さに気づいてはいた。だが、お前ほど奴の狙いを正確には見抜けていなかった」


 土方さんは、懐から煙管を取り出し、火をつけた。紫煙が、月光の中でゆらりと揺れる。


「京に来てからの奴の動きは、どうだ。お前の目にはどう映る」

 試されている。俺は直感した。これは、単なる世間話ではない。俺という男の価値を、土方歳三が見極めようとしているのだ。


 俺は、ここ数日の観察と分析を、包み隠さず話した。

 浪士組の作為的な人員配置。将軍警護という本来の任務から逸脱した、公家との密会。そして、浪士たちに配られるのが武器や警護の計画ではなく、尊王攘夷を煽る書き物ばかりであること。

 俺の報告を、土方さんは黙って聞いていた。そして、俺が話し終えると、深く、長い息を吐いた。


「…やはり、お前の言う通りかもしれん」


 その声には、確信と、そしてわずかな怒りの色が混じっていた。


「あの男は、俺たちを、幕府を、そして公方様をも裏切るつもりだ。将軍警護などというのは、江戸の幕閣を欺き、俺たちのような腕の立つ駒を京に集めるための方便に過ぎん」


 土方さんは、俺の目の前まで歩み寄ると、その鋭い視線で俺を射抜いた。


「永倉新八。お前に、密命を下す」


 密命。

 その言葉の重みに、俺は息を呑んだ。


「清河の真意を探れ。奴が何を企み、誰と繋がり、この浪士組をどこへ導こうとしているのか。その全てをだ」

「……」

「そのためならば、手段は問わん。連中の懐に飛び込んででも、尻尾を掴んでこい。お前には、それができるはずだ」


 それは、あまりに危険な任務だった。清河の周りを固めているのは、狂信的な尊攘思想に染まった連中だ。少しでも疑われれば、闇に葬られることなど造作もないだろう。

 だが、俺の心に恐怖はなかった。むしろ、武者震いがするほどの興奮が、体の芯から湧き上がってくるのを感じていた。


 土方さんは、俺の目を見て、ふっと口元を緩めた。

「お前の剣の腕は、試衛館の誰もが認めるところだ。だが、俺が買っているのは、それだけじゃねえ」

 彼は、俺の胸を指さした。

「俺が買っているのは、その目だ。上っ面に惑わされず、物事の本質を見抜く、その目だ。近藤さんには、それがない。あの人は光だ。人を惹きつけ、導く太陽だ。だが、光が強ければ、その分、濃い影もできる。俺たちは、その影の中で動かねばならん」


 光と影。

 その言葉は、すとんと俺の胸に落ちた。

 近藤先生が、俺たちの掲げる「誠」の旗印であるならば、土方さんは、その旗を守るための「策」そのものだ。そして今、俺は、その策謀の一端を担う、最初の駒として選ばれたのだ。


 これは、土方歳三からの、最初の信頼の証だった。

 中山道の夜に交わした「見えざる組」の約束が、今、確かな形となって動き出す。


「…承知いたしました。この永倉新八、土方歳三の『目』となり、『耳』となります」


 俺は、深々と頭を下げた。

 これより、俺の戦いが始まる。京の町を舞台にした、もう一つの戦いが。それは、剣の腕だけでは生き残れない、知略と胆力が試される暗闘だ。

 道場の床に落ちる自分の影を見つめながら、俺は静かに覚悟を決めた。この京の闇に、深く、深く、潜っていく覚悟を。


お読みいただきありがとうございます。

今回は、土方が永倉の洞察力を買い、二人の間に特別な信頼関係が生まれました。

「光」である近藤先生を支えるため、「影」として動くことを決意した二人。

清河の企みを暴くため、永倉は危険な密命に挑みます。

今後の二人の暗闘にご期待ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あっさり京に着いたんですね… だとすれば、芹沢一派との共闘で出来た壬生浪士隊の 感じは無いのかな? 内部闘争は無くなるけど、水戸派で名が売れてる 関連で公儀に浪士隊結成をねじ込めた印象なんですけどね…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ