第229話:開戦
夜明けの江戸湾に榎本艦隊の巨砲が轟く。
市街地への被害を避けつつ、薩長軍の砲台を正確に粉砕した。
その砲声を合図に、新八や土方たち新選組も江戸城外郭へ突撃を開始する。
江戸湾に白み始めた空が、水面を薄鈍色に染め上げていく。
静寂に包まれた海上に、威容を誇る大和軍(北海道共和国軍)の艦隊が停泊していた。その中心に陣取る旗艦・開陽丸の甲板で、海軍奉行にして艦隊司令官の榎本武揚は、単眼鏡を手に江戸の街並み、そしてその奥にそびえる江戸城を静かに見据えていた。
「夜が明けたな……」
榎本はポツリと呟いた。その声には、これから始まる凄惨な戦いへの覚悟と、新しい時代を切り開くという確固たる意志が込められていた。
彼の視線の先には、品川から芝にかけて構築された薩長軍の砲台陣地が見える。彼らは英国から供与された最新鋭のアームストロング砲を並べ、海からの攻撃に備えていた。しかし、榎本の目には、それらの配置が手に取るようにわかっていた。事前の偵察と、緻密な測量計算によって、敵の砲台の位置は完全に把握されている。
「各艦、目標確認。照準合わせ」
榎本の静かな、しかしよく通る声が甲板に響く。伝令が走り、手旗信号と発光信号によって、全艦隊に命令が伝達されていく。
巨大な艦砲が、ギギギ……と重々しい音を立てて旋回し、砲身がゆっくりと持ち上げられる。目標は、薩長軍の砲台のみ。市街地への誤射は絶対に避けなければならない。それは、大和軍首脳陣の総意であり、何より江戸の民を戦火から守るための絶対条件であった。
「距離、仰角、計算通り。いつでも撃てます」
「よし」
榎本は大きく息を吸い込み、そして、右手を力強く振り下ろした。
「全門、撃てぇッ!」
ズドォォォォォォン!!
開陽丸をはじめとする艦隊の巨砲が一斉に火を噴いた。海面が震え、空気を切り裂くような轟音が江戸湾に響き渡る。
放たれた無数の砲弾は、朝焼けの空に美しい放物線を描き、正確無比に薩長軍の砲台陣地へと降り注いだ。
ドゴォォォォン!! チュドォォォン!!
凄まじい爆発音が連続して巻き起こる。榎本の計算は完璧だった。砲弾は寸分の狂いもなく敵の砲台に直撃し、アームストロング砲を次々と吹き飛ばしていく。土砂が舞い上がり、火柱が上がり、薩長軍の陣地は瞬く間に壊滅状態に陥った。
反撃の暇すら与えない、圧倒的な艦砲射撃。これこそが、近代海軍の力であった。
◇
「始まったな……」
俺は、江戸城外郭の最前線で、海の方角から轟く凄まじい砲撃音を聞きながら呟いた。
足元の地面が微かに震え、遠くの空に黒煙が立ち上るのが見える。榎本さん率いる艦隊が、見事に薩長軍の砲台を粉砕してくれた証拠だ。
「海軍が道を作ってくれた。次は俺たちの番だ」
俺の隣で、土方歳三がニヤリと口角を上げた。
決戦を前に、俺たちは北海道で新調した黒を基調とした動きやすい軍服に身を包んでいる。しかし、胸の奥で燃える「誠」の炎は、京都にいた頃と何一つ変わっていない。いや、むしろあの頃よりも強く、熱く燃え盛っている。
俺は腰に差した刀の柄をゆっくりと握りしめた。
今、俺の腰にあるのは、長年苦楽を共にしてきた愛刀・播州住手柄山氏繁ではない。それは今、佐那の下にある。
『必ず生きて戻る。その時まで、俺の魂を預かっていてくれ』
そう言って手渡した時の、佐那の真っ直ぐな瞳を思い出す。彼女もまた、江戸の町を守るために市民部隊を率いて戦っている。俺がここで死ぬわけにはいかないのだ。
今、俺が握るのは、五稜郭で打たれた無銘の頑丈な実戦刀だ。氏繁ほどの馴染みこそないが、重さといいバランスといい、俺の剛剣に耐えうるだけの十分な強度を持っている。
「目標、江戸城外郭! 薩長の連中に、俺たちの力を見せてやれ!」
土方が愛刀・和泉守兼定を天に突き上げ、裂帛の気合と共に号令をかけた。
「新選組、突撃ィィィッ!!」
「おおおおおおおッ!!」
地鳴りのような雄叫びと共に、俺たち新選組は一斉に駆け出した。
その先陣を切るのは、一番隊組長・沖田総司だ。
「さあ、行きますよ!」
総司の足取りは、羽のように軽かった。かつて彼を苦しめた労咳の影は、今や微塵も感じられない。北海道での最新医療と療養、そして何より「仲間と共に戦う」という生きる希望が、彼を完全に復活させていた。
総司は、混乱に陥っている薩長軍の防衛線に、文字通り疾風のごとく突っ込んだ。
「な、なんだこいつは!?」
「撃て! 撃てぇ!」
慌てて最新式のスナイドル銃を構える薩長兵たち。しかし、彼らが引き金を引くよりも早く、総司の姿はブレて消えた。
「遅いよ」
耳元で囁くような声が聞こえた瞬間、薩長兵の胸に鋭い痛みが走ったに違いない。
シュッ、シュッ、シュッ!
総司の代名詞とも言える絶技「三段突き」。平青眼の構えから放たれるその突きは、あまりの速さに一つの残像しか見えない。敵は自分が斬られたことにすら気づかぬまま、次々と崩れ落ちていく。
「総司さんの背中は、私が守ります!」
総司の死角を突こうとする敵兵がいれば、すかさず琴の長薙刀が唸りを上げてそれを薙ぎ払った。法神流の免許皆伝である彼女の薙刀術は、男顔負けの鋭さと力強さを持っている。
総司が前方の敵を鮮やかに斬り伏せ、琴がその周囲の敵を薙ぎ払う。二人の息の合った連携は、まるで一つの生き物のように戦場を舞い、薩長兵たちを圧倒していった。
「ふふっ、まだまだこれからですよ」
総司は無邪気な笑みを浮かべながら、血の滴る菊一文字を振るい、敵陣の奥深くへと切り込んでいく。彼の通った後には、ただ倒れ伏す敵兵の山が築かれていった。
「総司たちにばかりいい格好はさせられねぇな!」
俺もまた、無銘の刀を抜き放ち、敵陣へと躍り出た。
立ちはだかる数人の長州兵が、銃剣を構えて俺を取り囲む。
「どらぁッ! そこをどけェ!」
俺は一歩も引かずに正面から激突した。神道無念流の真骨頂である「力」と「技」の融合。刀の重さが違う分、筋力で無理やり軌道をねじ伏せる。
「龍飛剣ッ!!」
下段から跳ね上げるような強烈な斬撃。それはまるで、地を這う龍が天へと昇るかのような軌跡を描いた。
ガァァァン!
敵の銃剣ごと、その身体を宙へと跳ね飛ばす。圧倒的な膂力と、変幻自在の剣筋。氏繁でなくとも、俺の剣の冴えは少しも鈍ってはいない。俺の前に立つ者は、ことごとくその剛剣の餌食となった。
「新八! 一人で突っ走りすぎるなよ!」
背後から声をかけたのは、十番隊組長・原田左之助だ。アイツは自慢の長槍を風車のように振り回しながら、俺の死角をカバーするように躍り出た。
「どけどけぇ! 俺の槍の錆になりたい奴からかかってこい!」
左之助の槍術は、宝蔵院流の型破りな実戦槍術だ。突く、払う、叩く。長いリーチを活かした変幻自在の攻撃に、薩長兵たちは近づくことすらできない。
「うわぁぁッ!」
「ひぃぃッ、化け物だ!」
左之助が一振りするだけで、数人の敵がまとめて吹き飛ばされる。その豪快な戦いぶりは、味方の士気を大いに高め、敵の戦意をゴリゴリと削いでいった。
「左之助、無駄な動きが多い」
冷静な声と共に、左之助の横をすり抜けていったのは、三番隊組長・斎藤一だ。
斎藤の歩みは静かだった。燃え盛る戦場の中にあって、アイツだけが氷のように冷たい空気を纏っている。
「なめるなァ!」
薩摩の示現流の使い手が、猿叫と呼ばれる独特の気合と共に、斎藤に向かって大上段から刀を振り下ろしてきた。一撃必殺を信条とする、恐るべき剣だ。
しかし、斎藤は表情一つ変えない。敵の剣が振り下ろされる直前、わずかに半歩だけ身をずらした。
ブンッ!
薩摩兵の剛剣が空を切り、地面に激突する。その瞬間、敵の体勢が大きく崩れた。
「隙あり」
斎藤の愛刀・鬼神丸国重が、閃光のように煌めいた。無駄のない、最短距離を走る刺突。刃は敵の喉元を正確に貫いていた。
音もなく倒れる敵を一瞥もせず、斎藤は次なる獲物へと向かう。アイツの剣は「悪・即・斬」の信念のもと、機械のように正確に敵の急所を穿ち続けていた。
総司の「速さ」、俺の「力」、左之助の「豪」、そして斎藤の「冷」。
俺たち新選組の組長たちが、それぞれの持ち味を存分に発揮し、薩長軍の防衛線をズタズタに引き裂いていく。
背後には、井上源三郎さんや藤堂平助ら、他の組長たちに率いられた隊士たちが怒涛のように続き、開いた突破口をさらに押し広げていった。
「ひ、退け! 退けェ!」
「駄目だ、防ぎきれん! 奴らは人間じゃない、鬼だ!」
最新鋭の兵器を過信していた薩長軍は、俺たちの常軌を逸した白兵戦能力の前に、完全にパニックに陥っていた。指揮系統は崩壊し、兵士たちは武器を放り出して逃げ惑う。
鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破ったという彼らの慢心は、この江戸の地で完全に打ち砕かれたのだ。
「よし、外郭の制圧は完了したな」
前線から送られてくる報告を受け、土方が満足げに頷いた。俺も刀の血振るいをして、鞘に納める。
榎本艦隊の正確な砲撃と、俺たちの電光石火の突撃。陸海が一体となった大和軍の完璧な連携作戦は、開戦からわずかな時間で、江戸城の外郭防衛線を完全に突破することに成功した。
「だが、本番はこれからだ」
土方は、朝日に照らされてそびえ立つ江戸城の天守を睨みつけた。
外郭を突破したとはいえ、城内にはまだ大久保利通や岩倉具視に率いられた薩長の本隊が待ち構えている。そして、その奥には、彼らが人質として利用しようとしている偽の帝と、日本の未来が懸かっているのだ。
「新八、総司、一、左之助! 息を整えろ!」
土方の声に、俺たちは一斉に頷いた。
「次は大手門だ。一気に城内へなだれ込むぞ!」
「応ッ!!」
俺たちの力強い返事が、朝の空気に響き渡る。
大和創生戦争における最大の決戦、江戸城攻防戦の火蓋は、今まさに切って落とされた。俺の見据える先には、新しい日本の夜明けが待っている。佐那との約束を果たすためにも、決して負けるわけにはいかない戦いが、そこにあった。
愛刀を佐那に預け、生還の誓いと共に無銘の刀を握る新八。
労咳を克服し、かつての鋭さを取り戻した沖田総司の戦いぶりが薩長軍を圧倒する。
琴の薙刀の援護も加わり、新生・新選組の快進撃は止まらない。
彼らの刃は新しい時代を切り開くため、江戸城の奥深くへと突き進んでいく。




