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第225話:決戦前夜

江戸城総攻撃を明日に控えた夜。

北海道軍の本営では、新選組の面々が天幕に集い静かに杯を交わしていた。

史実なら散っていたはずの命が、新八と共に運命を切り拓き、今ここに集結している。

決戦前夜の穏やかでかけがえのない時間が彼らを包み込む。

 江戸城総攻撃の前夜。

 城外に布陣する北海道軍の本営は、嵐の前の静けさに包まれていた。

 春の夜風にはまだ少し冷たさが残り、それが肌を刺すたびに、明朝に控えた決戦の現実味を帯びさせる。

 兵士たちは皆、それぞれの思いを胸に、武器の手入れをしたり、故郷の家族への手紙を書いたりして過ごしていた。焚き火の爆ぜる音が、時折静寂を破る。


 そんな中、本営の一角にある天幕に男たちが集まっていた。

 新選組の主要構成員たちだ。

 土方歳三、近藤勇、沖田総司、斎藤一、原田左之助、藤堂平助、山南敬助、井上源三郎、松原忠司、武田観柳斎、そして伊東甲子太郎。

 かつて京の都で共に剣を振るい、血を流し、そして北海道という新天地で共に夢を追いかけた仲間たちが、今ここに揃っている。

 天幕の中には、簡素な酒肴と、北海道から運んできた秘蔵の酒が用意されていた。


「……ここまで、長かったな」

 最初に口を開いたのは、近藤勇だった。

 彼は、配られた酒をじっと見つめながら、しみじみと言った。

 その顔には、数々の苦難を乗り越えてきた者だけが持つ、深い皺が刻まれている。だが、その瞳はかつてないほど穏やかだった。局長としての重圧から少し解放され、一人の武人に戻ったような顔つきだ。


「ああ。全くだ」

 土方歳三が、いつもの不敵な笑みを浮かべて応じた。

 彼は、洋装の軍服に身を包み、その姿はすっかり近代軍の指揮官として板についている。だが、杯を持つ手つきだけは、昔と変わらない無骨なものだった。


「いろいろあったが、みんな生きてる。それが一番だ」

 土方の言葉に、全員が深く頷いた。

 史実を知る俺にとって、この光景は奇跡以外の何物でもない。

 山南さんは脱走の罪で切腹し、平助や伊東さんは油小路で散り、井上さんは淀千両松で戦死し、沖田は病に倒れていたはずだ。近藤さんだって、板橋で斬首される運命だった。

 だが、今、彼らはここにいる。

 俺たちが足掻き、運命を捻じ曲げてきた証だ。生きたまま、この決戦の地を踏んでいる。


「明日は僕も戦いますよ。琴さんに止められてもね」

 沖田総司が、悪戯っぽい笑顔を見せた。

 その顔色は、かつてのような死相漂う蒼白さはなく、健康的な赤みが差している。

 北海道の澄んだ空気と、最先端の医療、そして何より琴さんの献身的な看病が、彼を死の淵から遠ざけた。

「総司、無理はするなよ。お前が倒れたら、琴さんが俺たちを恨むからな。『あんたたちが無理させたんでしょ!』ってな」

 原田左之助が、豪快に笑いながら沖田の背中をバシッと叩く。

 原田もまた、上野戦争で死ぬはずだった男だ。

 だが今は、北海道軍きっての槍の使い手として、その名を轟かせている。腹の傷を見せびらかす癖も相変わらずだ。


「背中は任せろ」

 斎藤一が、短く、しかし力強く言った。

 多くを語らない彼らしい言葉だが、その一言には千金の重みがある。

 彼が背中を守ってくれるなら、俺たちは安心して前だけを見て戦える。会津での死闘をくぐり抜けてきた彼の剣気は、以前にも増して鋭くなっていた。


「それにしても、まさか武田さんまでここにいるとはな」

 藤堂平助が、少し呆れたように武田観柳斎を見た。

 武田は、かつて新選組内部で策謀を巡らせ、粛清されかけた男だ。

 だが、北海道に渡ってからは、その軍学の知識と弁舌を活かし、外交や補給の面で意外な才能を発揮していた。

「ふん、私の才能を正当に評価したのは、家茂閣下だけですからね。この戦い、私の軍略がなければ勝てませんよ。補給線の確保がいかに重要か、君たちのような猪武者にはわからんでしょうがね」

 武田は、相変わらずの憎まれ口を叩きながらも、どこか嬉しそうに眼鏡の位置を直した。

 かつての嫌味な部分は鳴りを潜め、今では「口は悪いが頼りになる軍師」という立ち位置に収まっている。彼なりの「誠」を見つけたのかもしれない。


「武田君の言う通りだ。我々の戦いは、もはや剣を振るうだけでは勝てない。諸外国との交渉、そして国内の世論を味方につけるための大義名分……それらを整えてこそ、真の勝利と言える」


 伊東甲子太郎が、美しい所作で杯を傾けながら静かに言った。

 かつて新選組を割って御陵衛士を結成し、油小路で暗殺されるはずだった彼もまた、この場にいる。彼の明晰な頭脳と幅広い人脈は、北海道共和国の外交や内政において不可欠なものとなっていた。


「伊東先生の仰る通りです。俺たちも、ただ斬り合うだけの集団から、新しい国を創るための軍隊になったんですからね」

 藤堂平助が、伊東の言葉に深く頷く。

 かつて伊東を慕って新選組を離れ、共に命を落とすはずだった平助だが、今はわだかまりもなく、同じ旗の下で笑い合っている。思想の違いで血を洗う争いをした過去も、今となっては遠い昔のことのようだった。


「まあまあ、武田君も伊東君も頑張っているじゃないか。ねえ、源さん」

 山南敬助が、穏やかな微笑みで井上源三郎に話を振る。

 山南さんもまた、一度は死を選ぼうとした男だ。

 だが、今生では、共に北海道に渡った恋人・明里あけさととの愛を貫き、新選組の知恵袋として支えてくれている。その知性は、武力だけでは解決できない多くの局面で俺たちを助けてくれた。


「ええ、ええ。みんな、立派になりましたよ。トシさんも、カッちゃんも。試衛館の道場で竹刀を振っていた頃が懐かしいですねぇ」

 井上源三郎が、目を細めて二人を見た。

 最年長の彼は、いつも俺たちを温かく見守ってくれる親父や兄貴のような存在だ。

 彼が生きていてくれるだけで、新選組という組織には温かい血が通う。彼がいる場所が、俺たちの帰る場所になる。


「……俺は、ただ剣を振るうことしかできんがな」

 松原忠司が、ボソリと呟いた。

 「今弁慶」の異名を持つ彼は、一時期精神を病みかけたこともあったが、仲間たちの支えで立ち直り、今は柔術師範として兵たちの指導にあたっている。

 彼の誠実さと不器用さは、変わらない。だが、その腕力は以前にも増して頼もしいものになっていた。


 俺は、一人一人の顔を見渡した。

 京での日々。池田屋の激闘。禁門の変。鳥羽伏見の敗走。そして、北海道での開拓と建国。

 全ての思い出が、走馬灯のように蘇る。

 喧嘩もした。対立もした。殺し合いになりかけたことさえある。

 それでも、俺たちはここまで辿り着いたのだ。


「さあ、明日は総仕上げだ。俺たちの手で、新しい時代を切り開こうぜ」

 俺が杯を掲げると、全員がそれに続いた。

 天幕の中に、杯が触れ合う澄んだ音が響く。

 それは、明日への誓いであり、共に生き抜いてきた仲間たちへの賛歌でもあった。


 決戦前夜。

 新選組は、かつてないほど強固な絆で結ばれ、夜明けを待っていた。

この瞬間、俺たちは最強だった。どんな敵が来ようとも、この絆があれば負ける気はしなかった。


 ◇


 宴が終わり、仲間たちがそれぞれの持ち場へと戻っていく。

 俺は一人、天幕の外に出た。

 夜風が心地よい。

 空には、満天の星が輝いている。

 明日の夜には、この空が砲火で赤く染まるのだろうか。


 懐中時計を取り出し、時間を確認する。

 まだ、夜明けまでは時間がある。


「……行くか」


 俺は、誰に言うともなく呟いた。

 向かう先は、決まっている。

 この戦いが始まる前に、どうしても会っておかなければならない人がいる。

 俺の帰りを待ち続けてくれた、大切な人。

 そして、明日の作戦の鍵を握る人。


 俺は、闇に紛れて本営を後にした。



本来の歴史では非業の死を遂げるはずだった新選組の仲間たちが、誰一人欠けることなく笑顔で酒を酌み交わす。

新八が必死に足掻き、守り抜いた「誠」の絆がそこにはあった。

数々の苦難を乗り越えた彼らは、明日、新しい日本を創るための最後の戦いへと赴く。

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