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第223話:江戸包囲網

ついに新八たち北海道軍による江戸城の完全包囲が完了した。

海からは榎本率いる艦隊が睨みを効かせ、陸からは土方率いる精鋭が補給路を断つ。

かつて幕府を守るため戦った男たちが、今は新しい日本を創るため古巣へ刃を向ける。

 江戸の空は、鉛色の雲に覆われていた。

 だが、その重苦しい空気とは裏腹に、地上では歴史的な転換点が刻まれようとしていた。

 北海道共和国軍による、江戸城完全包囲である。


 江戸湾には、国務総裁兼海軍奉行・榎本武揚率いる北海道共和国海軍の主力艦隊が展開していた。

 旗艦「開陽」を筆頭に、「海の巨城・甲鉄」、さらには「回天」「蟠竜」「千代田形」といった歴戦の艦艇に加え、新たに建造された蒸気装甲艦などが威容を誇示するように停泊している。

 その砲門は、かつて自分たちが守るべき要塞であった江戸城の海側砲台に向けられていた。

「皮肉なもんだな」

 開陽の甲板で、榎本武揚は海風に吹かれながら呟いた。

 隣には、副官の荒井郁之助が立っている。

「総裁……敵の砲台に動きはありません」

「ああ。こちらの戦力を見せつけられて、手も足も出ないといったところだろう。だが、油断はするな。薩摩の連中は、追い詰められた鼠ほど厄介なものはない」


 榎本は、望遠鏡を覗き込んだ。

 レンズの向こうには、かつて幕臣として通い慣れた江戸の町並みが見える。

 だが、その風景は、どこかよそよそしく感じられた。

 自分たちは一度、この地を捨てた。そして今、異邦の軍隊のような顔をして戻ってきたのだ。

「俺たちは、何のためにここへ来たのか。それを忘れてはならんぞ」

「はっ。新しい日本を創るため、であります」

「そうだ。破壊するためではない。再生するためだ」

 榎本は、強く言い聞かせるように頷いた。


 ◇


 一方、陸路からは軍事総裁兼陸軍奉行・土方歳三率いる陸軍本隊と、国防軍長官兼近衛師団「新選組」組長・近藤勇率いる国防軍が、江戸城を半円状に包囲していた。

 品川、板橋、千住、内藤新宿。

 主要な街道口はすべて北海道軍によって封鎖され、江戸城への補給路は完全に断たれていた。


 土方歳三は、愛馬に跨り、包囲陣を巡回していた。

 彼の纏う軍服は、北海道の厳しい冬を耐え抜くために改良された機能的なものであり、その胸には共和国の徽章が輝いている。

 兵士たちは、土方の姿を見ると背筋を伸ばし、敬礼を送る。

 彼らの多くは、かつて幕府軍として敗走し、北海道で再起を誓った者たちだ。

 その瞳には、復讐心ではなく、自信と規律が宿っていた。

「あと一息だ。気を抜くなよ」

 土方は、兵士たちに声をかけながら進む。

 その視線は、遠くに見える江戸城の天守に向けられていた。

 かつて、自分が命を懸けて守ろうとした城。

 将軍家茂を守り、幕府を守るために奔走した日々が、走馬灯のように蘇る。

(あの頃は、ただがむしゃらだったな……)

 土方は、自嘲気味に笑った。

 守るべきものは変わっていない。だが、その守り方は大きく変わった。

 古い体制にしがみつくのではなく、新しい形を作り上げることで守る。

 それが、北海道で学んだことだった。


「副長……いや、陸軍奉行」

 声をかけてきたのは、島田魁だった。

 巨躯を揺らしながら、土方の馬に歩み寄る。

「偵察隊からの報告です。城内の薩長軍、かなり動揺しているようですぜ。脱走兵も出ているとか」

「そうか。無理もない。海も陸も塞がれちゃ、袋の鼠だ」

「いっそ、一気に攻め込みますか?」

「馬鹿野郎。無駄な血を流してどうする。俺たちの目的は、城を落とすことじゃねぇ。敵の戦意を挫くことだ」


 土方は、島田をたしなめた。

 かつての「鬼の副長」なら、迷わず攻撃を命じていただろう。

 だが、今の土方は違う。

 彼は、軍の指揮官として、政治的な影響や戦後の統治まで見据えていた。

「焦るな、島田。果実は熟してから落とすもんだ」


                  *


 本営の作戦室では、山南敬助が忙しく動き回っていた。

 机の上には、各地から寄せられる報告書や地図が山積みになっている。

 山南は、それらを素早く読み解き、的確な指示を飛ばしていた。

「通信傍受班より報告! 城内の無線通信をキャッチしました!」

 部下の報告に、山南は眼鏡の位置を直しながら顔を上げた。

 北海道軍は、最新鋭の無線通信技術を導入しており、敵の通信を傍受することも可能だった。

 一方、薩長軍も英国から供与された通信機を使っていたが、暗号化の技術は北海道軍に劣っていた。


「内容は?」

「はっ。『食料、弾薬共に欠乏。兵の士気低下著し。救援求む』……発信元は、城内の長州軍指揮所と思われます」

「ふむ。予想通りですね」

 山南は、地図上の江戸城に赤いピンを刺した。

「補給路を断ってから三日。そろそろ限界でしょう。特に、水が問題です。神田上水は我々が押さえていますから」

「降伏は時間の問題でしょうか?」

「ええ。ですが、窮鼠猫を噛むとも言います。特に、岩倉具視や長州の過激派は、死なば諸共と考えている節がある。油断は禁物です」

 山南の表情は険しい。

 彼は、知略によって敵を追い詰めることを得意としていたが、同時に人間の狂気というものも理解していた。

 理屈では動かない人間が、一番厄介なのだ。

「引き続き、監視を強化してください。特に、城内からの不審な動きには注意を」

「はっ!」


 ◇


 前線に近い仮設の野営地。雨音だけが響くテントの中で、俺は腕を組んで座っていた。

 湿った空気が肌にまとわりつく。だが、それ以上に重苦しいものが、俺の胸の内にはあった。

 隣には、佐那が静かに控えている。彼女の気配だけが、張り詰めた神経を少しだけ和らげてくれる。


「……やはり、やるしかないか」

 独り言のように、思わず言葉が漏れた。

 昨夜、勝先生の仲介で西郷隆盛と会った時のことを思い出す。

 あの男は言った。「城に戻り、大久保を説得する」と。その目に嘘はなかった。俺はそう信じている。

 だが、あれから半日が過ぎた今も、城内からの反応はない。

 それどころか、偵察隊の報告によれば、城壁には新たな銃座が増設され、徹底抗戦の構えを見せているという。

「新八様……」

 佐那が、心配そうに俺の顔を覗き込む。

「西郷様は、きっと動いてくださっています。ですが、あの大久保という方が……」

「ああ。一筋縄じゃいかねぇだろうな。あの人は、自分の信じる正義のためなら、親友でも斬れる人だ」


大久保利通という男は、微塵の迷いもなく法の執行を命じる。冷徹なまでの信念。それは敵ながら敬服に値する強さだが、今はそれが、和平への道を塞ぐ最大の障害となっていた。

 西郷さんの情熱だけでは、あの氷のような理性を溶かすことはできないのかもしれない。

「俺は、もう一度だけ賭けてみたいんだ」

「賭け、ですか?」

「ああ。西郷さんを信じる賭けだ。だが、ただ待っているだけじゃねぇ」

 俺は立ち上がり、テントの入り口を荒々しく開けた。

 外には、冷たい雨が降り続いている。この雨が、江戸を血で染める涙雨にならなければいいが。

「俺たちが、西郷さんの背中を押してやる必要がある。……無益な血を流さないためにな」

 俺は、近くにいた伝令兵を呼びつけた。

「土方さんと山南さん、それに榎本総裁に伝えてくれ。作戦会議を開きたい、とな」


 ◇


 数時間後、本営の大会議室には、北海道共和国軍の首脳陣が顔を揃えていた。

 榎本武揚国務総裁、土方歳三軍務総裁、山南敬助参謀。

 さらに、大統領府から派遣された特別顧問として、勝海舟先生も同席している。

 そうそうたる面々だ。だが、その表情は一様に優れない。

「状況は芳しくねぇな」

 勝先生が、開口一番に言った。

「城内じゃ、岩倉の公家侍どもが喚き散らして、兵隊たちを煽ってやがる。『降伏する者は斬る』とな。西郷さんも、動きが取れねぇみてぇだ」

「ならば、力攻めしかありませんか」

 土方さんが低い声で言う。その目には、非情な決断を下す覚悟が見え隠れしていた。

 だが、俺は首を振った。まだだ。まだ諦めるには早い。


「いや、まだ手はあります」

「手だと? どんな手だ、新八」

 土方さんが身を乗り出す。

 俺は、全員の顔をゆっくりと見渡してから、静かに切り出した。

「降伏勧告。だが、ただの勧告じゃない。……大統領閣下、いや、上様のお言葉を、直接届けるんだ」


 その場がざわめいた。

 徳川家茂。その名前は、今なおこの国において絶大な意味を持つ。

 旧幕臣たちはもちろん、薩長軍の中にもいるであろう尊皇の志を持つ者たちにとって、かつての将軍であり、現・北海道共和国大統領の言葉は、強烈なインパクトを与えるはずだ。

「上様のお言葉……か」

 榎本総裁が、顎に手を当てて考え込む。

「確かに、効果はあるだろう。だが、薩長の上層部は、それを逆手に取って『朝敵の妄言』と切り捨てるかもしれんぞ」


「だからこそ、内容が重要なんです」

 山南さんが、俺の意図を汲んで口を挟んだ。

「単なる降伏勧告ではなく、新しい日本の理念を示す。そして、罪を問うのは首謀者のみとし、一般兵士の命と生活を保証する。……これを、徹底的に周知させるのです」

「周知させるって、どうやって? 城内に入ることはできねぇぞ」

 土方さんのもっともな問いに、俺はニヤリと笑ってみせた。

 北海道で見た、あの光景を思い出しながら。


「空から降らせるんです」

「空?」

 全員が怪訝な顔をする。無理もない。

 俺は説明を続けた。北海道で開発された熱気球を使い、上空から大量のビラを撒くという作戦だ。

 さらに、矢文や、凧を使った宣伝も行う。

 物理的な攻撃ではなく、情報を武器にするのだ。


「なるほど。面白い」

 勝先生が膝を叩いた。その顔には、悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。

「大砲の弾の代わりに、言葉の弾を撃ち込むってわけか。粋じゃねぇか」

「西郷さんなら、きっとわかってくれるはずだ。これが、俺たちからの最後のメッセージだってな」

 俺の言葉に、土方さんもフッと笑い、頷いた。

「よし、乗った。……だが、期限を切ろう。明日一杯だ。それまでに回答がなければ、総攻撃を開始する」

「異存はありません」

 榎本総裁が決断を下した。

「全軍に通達! 明朝、作戦開始! 江戸城を、言葉で埋め尽くせ!」


 こうして、史上稀に見る「言葉の爆撃」作戦が動き出した。

 それは、武力による制圧ではなく、心による制圧を目指した、俺たち北海道共和国軍ならではの戦い方だった。


 会議室を出て、俺は雨上がりの空を見上げた。

 雲の切れ間から、薄日が差し込んでいる。

(頼むぜ、西郷さん。……あんたの男気、見せてくれよ)

 江戸包囲網は、物理的な包囲から、心理的な包囲へとその性質を変えようとしていた。

 決戦の時は、刻一刻と迫っている。俺は拳を握りしめ、来るべき明日に思いを馳せた。


海陸からの完全包囲と情報戦により、城内の薩長軍は物資も尽きかけ完全に袋の鼠となっていた。

無駄な血を流さず敵の戦意を挫くという土方や山南の冷静な采配が光る。

一方、最前線で待機する新八の胸中には、決戦を前にした重苦しい緊張感が漂っていた。


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― 新着の感想 ―
この時代に無線はまだ発明されてないので、さすがに無理があるかと。 有線での電信ならあり得ますが……。
いやあ、首謀者のみの処分で良いのなら、鳥羽伏見の戦いで終了していたのでは?
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