表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
222/228

第222話:勝海舟の仲介

新政府軍と北海道軍の決戦が迫る中、江戸の薩摩藩邸では勝海舟がある男を待ち受けていた。

しかし、現れたその男は深手を負い、さらに彼を追って暗殺者の手が迫る。

 江戸の町は、連日の雨に濡れていた。

 だが、その雨も、町を覆う不穏な熱気を冷ますには至らない。

 薩長を中心とする新政府軍と、北海道から南下してきた旧幕府軍――北海道共和国軍との決戦が、目前に迫っていたからだ。


 そんな中、田町にある薩摩藩邸の一角、蔵屋敷の奥まった部屋に、勝海舟の姿があった。

「……遅ぇな」

 勝は、懐中時計を取り出し、苛立たしげに舌打ちをした。

 約束の刻限は過ぎている。

 西郷が遅れるはずはない。あの男は、時間には几帳面だ。

 何かあったのか。

 勝の脳裏に、大久保利通の冷徹な顔がよぎる。

(まさか、一蔵の野郎……)

 その時、部屋の外で微かな物音がした。

 雨音に紛れた、衣擦れの音。そして、複数の足音。

 勝は瞬時に身構え、腰の刀に手を掛けた。

 襖が、音もなく開く。


「……先生。お久しゅうございます」

 現れたのは、西郷隆盛であった。

 だが、その姿は異様だった。

 いつもの軍服ではなく、粗末な着流し姿。そして、その顔色は蒼白で、肩で息をしている。

 背後には、数人の護衛らしき男たちが倒れているのが見えた。

「西郷さん! どうした、その怪我は!」

 勝が駆け寄ると、西郷の左腕から血が滴っているのが見えた。

 西郷は、苦痛に顔を歪めながらも、力なく笑った。

「……一蔵どんの、手厚い見送りでごわす。ここへ来る途中、待ち伏せされもした」

「大久保がか……!」

 勝は歯噛みした。

 大久保は、西郷が独自の動きに出ることを察知し、実力行使に出たのだ。

 盟友であったはずの二人が、殺し合うまでに至るとは。

「先生……永倉どんは?」

「まだだ。だが、もう来るはずだ」

 勝がそう答えた瞬間、庭の方から鋭い破裂音が響いた。

 硝子戸が砕け散り、黒い影が数人、部屋の中に飛び込んでくる。

 黒装束に身を包んだ、暗殺者たちだ。

 その手には、抜き身の刀が握られている。

「西郷隆盛! 逆賊として成敗する!」

 先頭の男が叫び、西郷に向かって斬りかかる。

 西郷は手負いだ。避けることもままならない。

 勝が抜刀しようとするが、別の男がそれを阻む。

「させん!」

 勝の前に立ちはだかる刃。

 万事休すか。

 そう思われた瞬間、一条の閃光が走った。

「させません!」

 凛とした声と共に、長い柄の武器が唸りを上げて空間を切り裂いた。

 薙刀である。

 その切っ先は、正確無比に暗殺者の手首を打ち据え、刀を弾き飛ばした。

「なっ……女!?」

 驚愕する暗殺者たちの前に、一人の女性が立ちはだかった。

 

 白の稽古着に袴姿。乱れた髪を鉢巻で留め、その瞳は燃えるような意志で輝いている。

「北辰一刀流、千葉佐那! この場は一歩も通しません!」

 佐那は薙刀を構え、西郷を背に庇うように立った。

 その姿は、まさに鬼神の如き美しさであった。


「女だてらに……殺せ!」

 暗殺者たちが一斉に襲いかかる。

 だが、佐那の薙刀は、風車のように回転し、敵の刃を次々と弾き返す。

 間合いに入らせない。

 薙刀の間合いの長さを生かした、鉄壁の防御。

 しかし、敵の数は多い。次第に佐那の呼吸が乱れ始める。

「くっ……!」

 一人の刃が、佐那の袖を切り裂いた。

 その隙を突いて、別の男が西郷に迫る。

「死ねぇ!」


 絶体絶命。

 その時、天井の梁から何かが落下してきた。

 ドスン、という重い音と共に、男が一人、床に叩きつけられる。


 ◇


 俺は、土煙の中からゆっくりと立ち上がった。

 足元には、俺が踏み潰した刺客が一人、白目を剥いて伸びている。

 天井裏で息を潜めていた甲斐があったというものだ。

「すまん。遅れた」

 俺は、あえて不敵な笑みを浮かべてみせた。

 目の前には、驚愕に目を見開く刺客たち。そして、安堵の表情を浮かべる佐那の顔があった。

「新八さん!」

 佐那の声が弾む。その声を聞いた瞬間、俺の腹の底から熱いものが込み上げてきた。

 和宮・静観の帝より賜った孝明天皇の遺品・無銘伝正宗を抜き放つ。

 動乱の時代に、民を守るために生涯を捧げた孝明の帝の魂が宿ったかのような、力強く流れるような美しい刀身

 ずしりとくる重み。この感触が、俺の神経を研ぎ澄ませていく。


 俺は佐那の隣に並び、彼女と肩を並べた。

 背中を預けられる安心感。それは、近藤さんや土方さんと並んだ時と同じものだ。

「待たせたな、佐那。……それに、西郷さん。随分とやつれたな……」

 俺は視線を西郷に向けた。

 そこには、かつて「大西郷」と呼ばれた巨人の面影はなく、苦悩に満ちた一人の男がいた。

 だが、その瞳の奥には、まだ消えぬ光がある。

「永倉どん……」

 西郷が、眩しそうに俺を見る。

 かつては敵同士。鳥羽伏見では、互いに命を奪い合った仲だ。

 だが今は違う。俺たちは、同じ未来を見るためにここにいる。

「雑談は後だ! 来るぞ!」

 勝先生の鋭い声が飛ぶ。

 見れば、庭の方から新たな黒装束の集団が雪崩れ込んでくるのが見えた。

 その数、十数人。

 狭い室内での乱戦になる。

「佐那、背中は任せた!」

「はい!」

 佐那の返事は短く、力強い。

 俺は一歩踏み出し、神道無念流の構えをとった。

 敵の切っ先が迫る。

 速い。だが、見切れる。


 俺は半身になって刃を躱し、すれ違いざまに逆袈裟に斬り上げた。

 手応えあり。

 男が悲鳴を上げて倒れる。

 間髪入れず、右から別の刃が迫る。

 俺が受けるよりも早く、佐那の薙刀が横から閃いた。

 石突が男の鳩尾にめり込み、男はくの字になって吹き飛んだ。

「見事だ、佐那!」

「新八様こそ!」

 俺たちは、まるで長年連れ添った夫婦のように、阿吽の呼吸で戦っていた。

 俺が剛剣で敵を押し込み、その隙を佐那が薙ぎ払う。

 佐那が敵の足元を崩し、俺が止めを刺す。

 言葉はいらない。互いの気配だけで、次の動きが手に取るようにわかる。


 これが、絆というやつか。

 俺の剣は、かつてないほど冴えていた。

 人を斬るための剣ではない。守るための剣。

 それが、こんなにも軽く、鋭いとは。

「龍飛剣!」

 俺は叫び、剣を振るった。

 龍が天に昇るような軌道を描き、三人の敵を同時に薙ぎ払う。

 血飛沫が舞う中、俺は西郷に向かって叫んだ。

「勝先生! 西郷さんを連れて逃げてください! ここは俺たちが食い止める!」

「馬鹿野郎! おめぇらも一緒じゃなきゃ意味がねぇ!」

「後から追いつきます! 早く!」

 俺の気迫に押されたのか、勝先生は西郷の腕を掴んだ。


「行くぞ、西郷さん! 死に急ぐんじゃねぇ!」

「……すまん、永倉どん、佐那さぁ!」

 西郷は、血の涙を流すような表情で俺たちを見つめ、勝先生に引きずられるようにして裏口へと走った。

 刺客たちがそれを追おうとする。

「行かせるかよ」

 俺は、ニヤリと笑ってその前に立ちはだかった。

 体中の血が沸騰している。

 恐怖はない。あるのは、この場を支配しているという全能感だけだ。

「ここから先は、新選組のガムシンだ!」

 俺は再び剣を構え、敵の群れに飛び込んだ。

 激しい剣戟の音が、雨音を切り裂き続けた。


 ◇


 数刻後。

 赤坂にある勝先生の隠れ家。

 俺と佐那は、全身返り血を浴び、あちこちに切り傷を作っていたが、どうにか生きて戻ってくることができた。

 追っ手は全て撃退し、撒いてきた。

「……とんでもねぇ連中だ」

 勝先生は、呆れたように俺たちを見て、酒を差し出した。

「まずは一杯やりな。消毒代わりだ」

「これは、ありがたい」

 俺は酒を一気に煽り、ふぅと息を吐いた。

 喉を焼く酒精が、張り詰めていた神経を少しだけ緩めてくれる。

 隣では、佐那が俺の腕の傷を手際よく手当てしてくれている。

 その指先が温かい。


 西郷は、正座をし、深々と頭を下げた。

「永倉どん、佐那さぁ。……命を救うていただき、言葉もごわはん」

「頭を上げてください、西郷さん。俺たちは、あんたに死なれちゃ困るんだ」

 俺は真剣な眼差しで西郷を見た。

 この男が生きていなければ、この戦は終わらない。

「俺たちは、江戸を火の海にしたくない。あんたもそうだろ?」

「……いかにも」

「なら、話は早い。家茂閣下は、無益な血を流すことを望んでいない。あんたが協力してくれれば、戦を終わらせることができる」


 西郷は、俺の言葉を噛み締めるように聞いた。

 そして、ふと佐那の方を見た。

 佐那は、手当てを終え、俺に微笑みかけている。

 その笑顔を見て、西郷の表情がふっと緩んだ。

「……永倉どん。おはんらは、強か」

「え?」

「剣の腕だけじゃなか。心が、強か。互いを信じ、守り合う心。それが、おはんらを強くしとる」

 西郷の目から、憑き物が落ちたような穏やかな光が戻っていた。

 かつて、京で見たあの西郷隆盛の目だ。

「あの大久保一蔵どんも、国を思うあまり、心に鬼を棲まわせてしもうた。じゃが、おはんらには、鬼はおらん。あるのは、人としての温かさじゃ」

 西郷は、ゆっくりと立ち上がり、窓の外の雨を見上げた。


「おはんらがおるなら、日本は大丈夫かもしれん……」

 その言葉は、西郷自身の迷いを断ち切るためのものでもあったのだろう。

 彼は振り返り、勝先生と俺に向かって言った。

「勝先生、永倉どん。おいどんは、城に戻り、最後の務めを果たすつもりでごわす」

「城に戻るだと? 殺されるぞ!」

 勝先生が驚いて止めるが、西郷は首を振った。

「逃げてばかりでは、何も変わらん。おいどんが命を懸けて、城内の兵を説得する。そして、大久保どんともう一度、話をする」

「……死ぬ気か」

「死ぬときは死ぬ。じゃが、無駄死にはせん。この命、新しい日本の礎になるなら、本望じゃ」

 西郷の決意は固かった。

 その背中には、もう迷いはない。


 俺は、しばらく西郷を見つめていたが、やがてニカっと笑った。

 この男なら、やるだろう。

「わかった。あんたがそう決めたなら、俺は止めない。だが、これだけは約束してくれ。……生きて、新しい日本を見届けると」

「……承知した」

 西郷は、深く頷いた。


 会談は、当初の予定とは違う形になったが、より強固な信頼関係を結ぶこととなった。

 西郷は、勝先生の手引きで再び闇の中へと消えていった。

 残されたのは、俺と佐那。

「……行っちゃいましたね」

「ああ。だが、あの背中は、もう迷ってなかった」

 俺は、佐那の肩を抱き寄せた。

 彼女の体温が、俺の心に染み渡る。


「佐那。ありがとう。お前がいなけりゃ、俺も西郷さんも駄目だったかもしれない」

「いいえ……。私も、新八様と共に戦えて、嬉しゅうございました」

 佐那は、俺の胸に顔を埋めた。

 外の雨は、いつの間にか小降りになっていた。

 雲の切れ間から、月明かりが差し込んでいる。

 それは、来るべき夜明けを予感させるような、静かで優しい光であった。


 だが、戦いはむしろ、ここからが正念場である。

 俺は、佐那の温もりを感じながら、決意を新たにした。

 必ず、この戦を終わらせる。そして、佐那と共に、平和な時代を生きるのだと。


 翌日。

 北海道共和国軍の本営に、一つの報告がもたらされた。

 西郷隆盛が、江戸城内で独自の動きを見せ始めている、と。

 そして、それに呼応するように、俺もまた、最後の仕上げにかかる。


大久保の放った刺客から西郷を守るため、鬼神の如き戦いを見せる佐那。

そして絶体絶命の窮地に駆けつけたのは新八であった。

かつて敵同士として命を奪い合った西郷と新八が、同じ未来を見るために集う。

佐那と背中を預け合い、新八の刀が暗殺者を切り裂く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ