第216話:仙台集結
青葉城に集結した東北諸藩の重鎮たち。
彼らの前には、北海道共和国大統領・徳川家茂と、錦の御旗が掲げられている。
長きにわたる汚名を雪ぎ、正義の戦いへと挑む彼らの魂が震える。
青葉山に築かれた仙台城、その本丸から見下ろす城下は、かつてない熱気と興奮に包まれていた。
眼下に広がる街並みには、北海道共和国の「北辰旗」と、徳川家の「葵の御紋」が至る所に掲げられている。それは、長く続いた薩長新政府による圧政の冬が終わり、遅い春が東北の地に訪れたことを告げる光景だった。
「……壮観だな」
俺は、大広間の縁側で思わず呟いた。
隣に立った土方歳三が、愛刀・和泉守兼定の鯉口を親指で弾きながら、ニヤリと笑う。
「ああ。だが、浮かれてばかりもいられねぇぞ、新八。ここからが本番だ」
「無論です。ここ仙台を橋頭堡として、いよいよ関東へ打って出る」
俺たちは視線を戻し、大広間の中央へと向き直った。
そこには、歴史が大きく動く瞬間が待っていた。
上座には、北海道共和国大統領・徳川家茂が着座している。家茂の傍らには、帝の象徴である「菊の御紋」の旗が静かに掲げられていた。
その御前には、仙台藩主・伊達慶邦公を筆頭に、米沢の上杉、盛岡の南部、そして会津の松平家代表といった、東北諸藩の重鎮たちや旧幕閣が平伏していた。
彼らの肩は、微かに震えているように見えた。それは恐怖からではない。長きにわたり「朝敵」の汚名を着せられ、塗炭の苦しみを味わってきた彼らが、ついに正当な「官軍」として認められた、魂の震えだった。
「面を上げられよ」
家茂閣下の、凛とした声が広間に響く。
伊達公たちが、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、涙が滲んでいる者もいる。
「伊達公、そして東北の諸侯よ。長きにわたり、苦労をかけた。薩長の暴挙により、この国の理は歪められ、忠義の士が賊として追われる日々が続いた。だが、それも今日で終わりだ」
家茂閣下は立ち上がり、力強く宣言された。
「余は……いや、私は、大統領として、そして北に在られる静寛陛下の名において宣言する。これより我々は、逆賊・薩長を討ち、帝都・江戸を解放するために進撃する! この戦いは、復讐ではない。日本という国を、あるべき姿に戻すための『正義の戦い』である!」
「応ッ!!」
諸大名が一斉に声を上げ、再び深く頭を垂れた。
その光景を見つめる家茂閣下の表情は、決意に満ちていた。愛する妻を北に残してまでの出陣だ。その覚悟の重さが、言葉の一つ一つに乗っていた。
謁見の儀が終わると、直ちに軍議が開かれた。
広間の中央には、関東から東北にかけての巨大な地図が広げられる。
俺は指揮棒を手に取り、地図の上に立った。かつて経済官僚として培った分析能力と、この世界で積み上げてきた経験、そのすべてをこの作戦に注ぎ込む。
「現状の戦況を分析します」
俺の声に、集まった諸将の視線が集中する。
「敵である薩長新政府軍は、我々の予想以上の速度で東北へ兵を展開していました。しかし、それが彼らの致命的な弱点となっています。補給線は伸びきり、兵站は破綻寸前。加えて、占領地での略奪や暴行により、民衆の支持を完全に失っています」
俺は地図上の数箇所に赤い駒を置いた。
「対して我々は、北海道での産業革命によって蓄えた圧倒的な物資と、最新鋭の装備を有しています。さらに重要なのは、東北諸藩の合流により、地の利と兵数においても互角以上になったことです」
「では、永倉殿。具体的にどう攻めるおつもりか?」
質問を投げかけたのは、会津藩家老・西郷頼母だった。
史実では、家族を自刃させ、悲劇的な籠城戦の末に敗北した男だ。しかし今の彼は、生気みなぎる目で俺を見据えている。彼の背後には、護衛として控える少年たちの姿があった。白虎隊だ。彼らもまた、飯盛山で自刃する運命を回避し、未来のために剣を取っている。その事実に、俺は胸が熱くなるのを抑えきれなかった。
「作戦は、三方からの同時進撃です」
俺は指揮棒で、三つのルートを示した。
「第一に、土方歳三率いる陸軍本隊は、奥州街道を南下し、白河の関を越えて宇都宮、そして江戸へと真っ直ぐに進撃します。」
土方が腕を組み、不敵に笑う。
「山なら任せとけ。敵が隊列を整える暇もなく、背後から寝首を掻いてやるよ」
「第二に、水戸街道を進む遊撃隊および東北諸藩の連合軍。ここには、間もなく合流予定の近藤勇局長が指揮に入ります。平野部が多い水戸街道では、敵の大軍と正面衝突する可能性がありますが、そこは我々の火力と、近藤さんの……『求心力』で突破します」
近藤さんの名前が出た瞬間、土方の表情が少しだけ和らいだ。近藤さんはまだここにはいないが、間もなく到着する手はずになっている。
「そして第三に、榎本武揚総裁率いる海軍艦隊です。海路より江戸湾を封鎖し、敵の退路を断つと同時に、沿岸部の砲台を無力化します」
俺は地図上の江戸を、三方向から囲むように手で示した。
「奥州街道、水戸街道、そして海路。この三方から同時に圧力をかけることで、敵の戦力を分散させ、各個撃破します。敵は数こそ多いですが、寄せ集めの諸藩兵が混在しており、士気も低い。一角が崩れれば、雪崩を打って壊走するはずです」
「なるほど……。敵を包み込み、窒息させる策か」
西郷頼母が唸るように言った。
しかし、彼は一つだけ懸念を示した。
「だが、永倉殿。薩長も死に物狂いで抵抗してくるでしょう。特に、江戸に籠もられた場合、市街戦は避けられないのでは? 江戸を火の海にすることは、陛下も、そして大統領閣下も望まれておらぬはず」
もっともな指摘だ。史実の上野戦争や、戊辰戦争の惨禍を知る俺にとっても、それは絶対に避けたい事態だった。
「ご安心ください。そのための『策』も用意してあります」
俺は言葉に力を込めた。
「江戸には、我々の味方がいます。彼らが内部から呼応し、敵の指揮系統を麻痺させる手はずになっています。我々の目的は殲滅ではありません。敵の戦意を挫き、最小限の犠牲で武装解除させることです」
千葉佐那の顔が脳裏をよぎる。彼女は今も江戸で、危険を顧みず活動してくれているはずだ。彼女を信じる。そして、勝海舟先生の動きも。
「……あい分かった。会津全軍、この作戦に従おう」
西郷頼母が深く頷いた。
その言葉を皮切りに、伊達公も、上杉公も、次々と賛同の意を示した。
かつてバラバラだった東北が、いや、日本中の「誠」を持つ者たちが、今一つになろうとしていた。
その夜、仙台の街は祝祭のような賑わいを見せていた。
家茂閣下の計らいにより、軍用倉庫の酒や食料の一部が開放され、兵士と民衆に振る舞われたのだ。
街の通りには篝火が焚かれ、あちこちで車座になった宴が開かれている。
北海道軍の洋式軍服を着た兵士と、東北諸藩の和装の兵士、そして地元の町人たちが、肩を組み、酒を酌み交わしている。
「へぇ、これが北海道の『麦酒』ってやつか! 苦えけど、喉越しがたまらねぇな!」
「おうよ! 新政府の連中はまだ知らねぇだろうが、函館じゃあ、永倉先生の肝煎りでこいつを作り始めたんだ」
「へえ、先生が? さすがだな!」
笑い声が夜空に吸い込まれていく。
俺は一人、城門の近くからその光景を眺めていた。
史実では明治九年まで待たねばならない「開拓使麦酒」だが、この世界では俺が「古い蘭学書で見つけた製法」だと言い張って、数年早く完成にこぎ着けた。寒冷な気候と、自生するホップ。条件は揃っていたのだ。
「……いい光景だな」
背後から声をかけられた。振り返ると、土方が立っていた。彼の手には、二つの徳利が握られている。
「ああ。これが見たかったんですよ。誰も死なず、誰も恨まず、こうして笑い合える夜が」
俺は土方から徳利を受け取り、口に運んだ。冷たい酒が、熱った体に染み渡る。
「お前が『蘭学書』とやらから引っ張り出してくる知識には、毎度驚かされるぜ」
土方がニヤリと笑い、俺の顔を覗き込む。
「ビールに、新型の農具に、経済政策……。お前が読んでる本は、まるで未来から来た予言書みてぇだな」
俺は心臓が早鐘を打つのを感じながらも、平静を装って肩をすくめた。
「……こう見えて、昔から本を読むのだけは好きだったんですよ。それに、北の地で生き残るには、使える知恵は何でも使うしかなかった」
「ま、そういうことにしておいてやるよ。出所がどこであれ、お前の策が俺たちを救ってきたのは事実だ」
土方はそれ以上追求せず、自分の徳利を俺の徳利に軽くぶつけた。
彼は俺の秘密に薄々勘づいているのかもしれない。だが、あえて踏み込まない。それが、俺たちの間に流れる信頼の形だった。
「まだだ、土方さん。まだ終わっちゃいない。江戸を解放し、新しい政府を樹立するまでは」
「分かってる。だが、今夜くらいは酔っても罰は当たらねぇだろ。……明日は、近藤さんも来るしな」
その言葉に、俺の心臓がトクンと跳ねた。
近藤勇。
史実では板橋刑場で斬首された、我らが局長。
この世界では、芹沢鴨という奇妙な因縁によって命を救われ、その後は「大久保大和」として影の活動を続けてきた。
その彼が、ついに表舞台に帰ってくる。
「……そうですね。近藤さんが来たら、また忙しくなる」
「ああ。あの人は、座ってるだけで周りを騒がしくさせる天才だからな」
土方は憎まれ口を叩きながらも、その声は弾んでいた。彼もまた、盟友との再会を心待ちにしているのだ。
俺は夜空を見上げた。
北の空には、北極星が輝いている。そしてその遥か下、津軽海峡を越えた北の大地には、和宮様がいる。
かつて俺たちが目指した「誠」の旗印。それは形を変え、今や日本全土を照らす希望の光となろうとしていた。
「行くぞ、新八。兵たちが待ってる。副長と参謀が隠れて飲んでちゃ、示しがつかねぇ」
「ああ、行きましょう」
俺たちは喧騒の中へと歩き出した。
明日からは、いよいよ関東進撃。
歴史の歯車は、佳境に向けて大きく回転し始めていた。
だが、今の俺に迷いはない。
隣には土方がいる。前には家茂閣下がいる。そして明日には、近藤さんが帰ってくる。
新選組は、最強だ。
どんな歴史の修正力が働こうとも、俺たちは必ず、この手で未来を掴み取ってみせる。
仙台の夜風が、俺たちの背中を力強く押しているように感じられた。
新八が示したのは、奥州街道、水戸街道、海路からの三方面同時進撃作戦だ。
土方、近藤、榎本がそれぞれの戦場を受け持ち、薩長を包囲する。
会津の西郷頼母や白虎隊の姿もあり、悲劇の歴史は書き換えられようとしている。
だが、敵の必死の抵抗も予想された。




