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第203話:フランスの支援

新八たちの前に姿を現したのは、常識を覆す異形の鉄の塊であった。

薩長軍との戦力差に苦しむ北海道共和国軍に、ついに強力な支援が到着する。

 北の大地に遅い春が訪れようとしていた頃、俺は箱館港の桟橋に立っていた。

 海風はまだ冷たいが、どこか春の匂いを含んでいる。

 だが、俺の視線を釘付けにしていたのは、そんな季節の移ろいなど吹き飛ばすほどの、圧倒的な光景だった。

 沖合に、巨大な黒い影が浮かんでいる。

 それは、これまでの日本の海には存在しなかった、異形の鉄の塊であった。

 鋭角的な衝角ラムを持つ艦首、装甲に覆われた船体、そして中央に鎮座する巨大な砲塔。

 フランスから極秘裏に供与された最新鋭装甲艦、「甲鉄こうてつ」――別名、ストーンウォール号である。


 元々、この艦は幕府がアメリカから購入する契約を結んでいたものだ。しかし、戊辰戦争の勃発に伴い、アメリカが局外中立を宣言したため、引き渡しが凍結されていた。

 史実では、この後、中立が解除された際に新政府軍の手に渡り、箱館戦争において旧幕府軍の艦隊を壊滅させる「死神」となるはずだった艦だ。

 だが、この世界では違った。フランスが裏で手を回し、第三国を経由させるという離れ業を使って、我々の元へと送り届けてくれたのだ。


「こいつは……たまげたな」

 隣では、龍馬が口をあんぐりと開けてその巨体を見上げている。

「黒船を見た時も腰を抜かしたが、こりゃあそれ以上ぜよ。まるで鉄の城が海に浮いとるみたいじゃ」

「ああ。これがあれば、薩長の海軍とも互角以上に渡り合える」

 俺は、海風に吹かれながら力強く頷いた。

 俺のもう一方の隣には、フランス公使レオン・ロッシュが立っていた。端正な顔立ちに、洗練された軍服を纏い、自信に満ちた笑みを浮かべている。

「ムッシュ・ナガクラ。これが、我がフランス皇帝ナポレオン三世からの贈り物です」

 ロッシュは流暢な日本語で言った。

「英国が薩長にアームストロング砲を与えるなら、我々は貴国にこの『甲鉄』を与えましょう。……バランス・オブ・パワー(勢力均衡)というやつですよ」

「感謝します、ロッシュ公使。この恩は、必ず」

 俺が頭を下げると、ロッシュは優雅に手を振った。

「礼には及びません。我々も、極東における英国の独走を許すわけにはいきませんからね。それに……」

 ロッシュは声を潜め、俺の耳元で囁いた。

「貴国の掲げる『共和制』という理念。皇帝陛下も大いに興味を持っておられます。アジアにおける新たな光となることを期待していますよ」

 俺は、その言葉に込められた重みを感じ取った。

 フランスの支援は、決して無償の善意ではない。彼らもまた、この極東の島国に自国の権益を拡大しようとしているのだ。

 だが、今はその手を取るしかない。薩長という巨大な敵に対抗するためには、毒を食らわば皿までの覚悟が必要だ。


 甲鉄艦のタラップが下ろされ、一人の男が降りてきた。

 榎本武揚である。彼はオランダ留学で培った知識と語学力を買われ、この艦の回航責任者を務めていた。

「永倉君! 無事に着いたぞ!」

 榎本は満面の笑みで駆け寄ってきた。その顔は潮風で焼け、精悍さを増している。

「榎本さん、ご苦労様でした。……どうですか、乗り心地は」

「最高だ! この艦は化け物だよ。どんな荒波もものともせず、突き進むことができる。まさに、我々の未来を象徴する船だ!」

 榎本は興奮気味に語った。

「それに、積荷もたっぷりある。最新式のシャスポー銃が二千丁、それに野砲が二十門。弾薬も山ほど積んできた」

「二千丁……! それは助かる」

 俺は思わず声を上げた。

 現在、北海道共和国軍の装備は、東北諸藩から何とかかきあつめた、旧式のゲベール銃やエンフィールド銃が中心で、薩長軍の装備するスナイドル銃やスペンサー銃に比べて劣っていた。シャスポー銃があれば、その差を一気に埋めることができる。


「さあ、まずは歓迎の宴と洒落込みましょう。フランスの友人たちも、日本の酒を楽しみにしているようですから」

 榎本を促し、俺たちは五稜郭へと向かった。


 その夜、五稜郭の大広間では、フランス軍事顧問団を歓迎する宴が開かれた。

 本来ならば、この国の象徴である帝も出席されるべき場であったが、上座の中央には空席が一つ設けられていた。

 その空席を守るように、徳川家茂と和宮が座り、その周囲を俺や土方、榎本たちが囲んでいる。

 和宮の表情には、兄である帝を案じる憂いの色が浮かんでいたが、気丈にもフランスからの客人たちに微笑みを向けていた。


 フランス側からは、ロッシュ公使の他に、軍事顧問団の団長であるジュール・ブリュネ大尉らが出席していた。

 ブリュネは、まだ三十歳という若さながら、数々の戦場を渡り歩いてきた歴戦の勇士である。彫りの深い顔立ちに、知的な瞳。そして何より、その立ち居振る舞いからは、軍人としての規律と誇りが感じられた。


 俺は、少し離れた場所から、土方とブリュネが話している様子を眺めていた。

「ムッシュ・ヒジカタ」

 ブリュネは、グラスを片手に土方に話しかけている。通訳を介しての会話だが、その熱意は伝わってきた。

「あなたの部隊……シンセングミと言いましたか。非常に興味深い組織ですね」

「ほう? 異国の軍人さんにそう言ってもらえるとは光栄だな」

 土方は、酒をちびりと舐めながら、不敵な笑みを返した。

「規律が厳しく、死を恐れない精神性。まるで古代スパルタの戦士のようだ。……しかし、近代戦においては、精神力だけでは勝てません」

 ブリュネの言葉に、土方の目が鋭く光ったのが見えた。

「……何が言いたい」

「組織的な戦術、そして火力の集中運用。これらを身につければ、あなたの部隊は世界最強になれるでしょう。私が、それを教えたい」

 ブリュネは真剣な眼差しで土方を見つめた。

 土方はしばらく沈黙した後、ニヤリと笑った。

「面白い。俺たちを最強にしてくれるってんなら、喜んで教えを請おうじゃねぇか。……ただし、俺たちの魂までは売り渡さねぇぞ」

「もちろんです。武士道ブシドーの精神には、私も敬意を抱いています」

 二人はグラスを合わせ、乾杯した。

 俺は、その光景を見て安堵した。土方なら、新しい技術を取り入れつつも、新選組の魂を守り抜いてくれるだろう。


 宴の喧騒から少し離れようと、俺は広間の隅に移動した。すると、ロッシュ公使が近づいてきた。

「……英国の動きはどうですか?」

 俺は単刀直入に尋ねた。

「活発ですよ。パークス公使は、薩長に対して更なる軍事支援を約束したようです。ガトリング砲などの大量殺戮兵器もさらに追加供与されるでしょう」

 ロッシュの言葉に、俺は眉をひそめた。

「ガトリング砲か……。厄介だな」

 史実で知るその威力は凄まじい。生身の人間など、一瞬で肉塊に変えられてしまう。

「ええ。ですが、恐れることはありません。我々も負けてはいませんよ」

 ロッシュは懐から一枚の書類を取り出した。

「これは、フランス本国からの極秘指令書です。もし薩長が、貴国に対して不当な軍事侵攻を行った場合、フランス艦隊は『居留民保護』を名目に、軍事介入を行う用意がある……と」

「……本気ですか?」

 俺は驚愕した。それは、事実上の参戦宣言に等しい。

「あくまで『可能性』の話ですがね。しかし、このカードをチラつかせるだけでも、英国への牽制にはなるでしょう」

 ロッシュはウィンクしてみせた。

「外交とは、狐と狸の化かし合いですよ、ムッシュ・ナガクラ。貴方も、もっと狡猾になりなさい」

「……肝に銘じておきます」

 俺は苦笑した。

 この男もまた、食えない人物だ。だが、今は頼もしい味方であることは間違いない。


 翌日から、五稜郭周辺の練兵場では、フランス式軍事訓練が開始された。

 俺もまた、一兵卒としてその訓練に参加していた。

「アン、ドゥ、トロワ! 足並みを揃えろ!」

 ブリュネの号令が響き渡る。

 新選組の隊士たちや、旧幕府軍の兵士たちが、慣れない洋式歩兵操典に悪戦苦闘していた。

「おい、そこの! 背筋が曲がっているぞ!」

 ブリュネの指導は厳しかった。言葉が通じない部分は、身振り手振りや、通訳を介して徹底的に叩き込まれる。

 俺の隣では、原田左之助が槍を担ぎながらぼやいていた。

「くそっ、なんでこんな行進の練習ばっかりしなきゃならねぇんだ。戦は気合いだろ、気合い!」

「まあまあ、左之助。ブリュネさんの言うことにも一理あるさ」

 藤堂平助がなだめる。

「集団で動く時、一人の乱れが命取りになる。鉄砲の撃ち合いじゃ、個人の武勇より、部隊としての統制が重要なんだよ」

「ちぇっ、わかってるよ。……でもよぉ、やっぱり性に合わねぇな」

 原田は頭を掻いた。

 俺は苦笑しながらも、彼らの会話を聞いていた。

 確かに、これまでの戦い方とは勝手が違う。だが、俺たちは変わらなければならない。生き残るために。


 訓練の合間を縫って、俺は榎本と共に、甲鉄艦の艦内を視察することになった。

 狭い通路を抜け、機関室へと入る。

 そこは、轟音と熱気に包まれた空間だった。巨大なピストンが規則正しく動き、蒸気がシューシューと音を立てている。油の匂いが鼻をつく。

「すごいな……。これが、蒸気工学の粋か」

 俺は圧倒されていた。まるで、巨大な生き物の腹の中にいるようだ。

「ええ。ですが、これを動かすのは所詮人間でしかない」

 榎本が、大声で言った。

「どんなに優れた機械も、使う人間の心が伴わなければ、ただの鉄屑です。……永倉君、我々はこの力を、正しく使いこなせるだろうか」

 榎本の問いに、俺は静かに答えた。

「使いこなさなきゃならんでしょう。……未来を守るために」

 俺の脳裏に、史実における箱館戦争の悲劇がよぎる。

 燃え落ちる五稜郭、散りゆく仲間たち。土方歳三の最期。

 あんな未来は、二度と繰り返させない。

 そのために、悪魔の力でも、異国の力でも、利用できるものは全て利用する。

「榎本さん、頼みます。この艦は、我々の希望の砦だ」

「……承知した。この命に代えても、守り抜いてみせます」

 俺たちは固く握手を交わした。榎本の手は、油と煤で汚れていたが、とても温かかった。


 艦の甲板に出ると、冷たい風が火照った頬を撫でた。

 俺は手すりに寄りかかり、南の空を見つめた。

 その遥か彼方には、京がある。そして、薩長がいる。

 彼らもまた、必死で力を蓄えているはずだ。

 大久保利通、西郷隆盛。彼らの顔が脳裏に浮かぶ。

 かつては同じ国の未来を憂いた同志だったかもしれない。だが今は、倒さねばならない敵だ。

「……ここからが、正念場だ」

 俺は誰にともなく呟いた。

 風が、俺の髪を激しくなびかせた。



フランスの支援により、最新鋭装甲艦「甲鉄」と大量の近代兵器を手に入れた新八たち。

榎本武揚の合流やブリュネ大尉ら軍事顧問団との出会いは、劣勢の共和国軍に大きな活気をもたらした。


反撃の狼煙は、静かに、だが確実に上がろうとしている。

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