第198話:冬の試練
北の大地に容赦ない冬が到来した。
猛吹雪と極寒は、開拓民たちを追い詰め、食料不足と病魔が忍び寄る。
新八は備蓄の開放を指示し、アイヌの知恵を借りて対策に奔走する。
北の大地の冬は、俺たちの想像を遥かに超える厳しさで襲いかかってきた。
空は鉛色に閉ざされ、連日連夜、猛吹雪が吹き荒れる。
五稜郭の堀は厚い氷に覆われ、新しく建てたばかりの屯所の屋根も、雪の重みで悲鳴を上げていた。
「寒い……痛いほど寒いな」
俺は、巡回のために外へ出た瞬間、顔に突き刺さるような冷気に思わず顔をしかめた。
吐く息は瞬時に白く凍りつき、まつ毛に氷の粒ができる。
これが、北海道の冬か。
前世の記憶で知識としては持っていたが、実際に肌で感じるその威力は、言葉を絶するものだった。
開拓民たちの状況は深刻だった。
急ごしらえの小屋では隙間風を防ぎきれず、暖を取るための薪も不足し始めていた。
さらに恐ろしいのは、食料不足と栄養の偏りだ。
備蓄していた米や味噌は底をつきかけ、新鮮な野菜が摂れないことによる「脚気」の兆候が、あちこちで見られ始めていた。
足がむくみ、倦怠感に襲われ、最悪の場合は心不全で死に至る病。
江戸でも「江戸患い」として恐れられていたが、この極寒の地では、その進行はさらに早かった。
「備蓄倉庫を総て開放しろ! 米も、干し肉も、あるものは全て民に配れ!」
俺は五稜郭の中央広場で、部下たちに指示を飛ばした。
「それから、松本先生の指示に従って、薬草を煎じて配るんだ。アイヌの人たちから教わった『プクサ(ギョウジャニンニク)』だ。あれには脚気を防ぐ力がある!」
前話でアイヌの長老から教わった知恵が、今まさに命綱となっていた。
乾燥させて保存しておいたギョウジャニンニクを煮出し、その汁を人々に飲ませる。強烈な匂いだが、背に腹は代えられない。
松本良順率いる医師団も、不眠不休で巡回診療を行っていた。
「永倉さん、患者が多すぎます。薬も足りない……」
松本先生の顔色も悪い。目の下には濃い隈ができている。
「先生こそ、無理をしないでください。先生が倒れたら、誰が皆を診るんですか」
「医者が患者を見捨てるわけにはいきませんよ」
松本先生は力なく笑い、往診鞄を持って雪の中へと消えていった。
そんな中、将軍・徳川家茂の行動が、人々の心を支えていた。
家茂は、自らの食事を一日一食に減らし、残りを病人や子供たちに分け与えていた。
さらに、執務室の火鉢の炭さえも、「民が凍えているのに、余だけが暖まるわけにはいかぬ」と言って、供出させてしまったのだ。
「上様、お願いですから火鉢をお使いください! お体が冷え切ってしまいます!」
側近たちが涙ながらに懇願しても、家茂は頑として首を縦に振らなかった。
厚手の着物を重ね着し、白い息を吐きながら書類に向かうその姿は、鬼気迫るものがあった。
「余は、この国の長だ。民の痛みを知らずして、何が政か」
その覚悟は、五稜郭全体に伝播していた。
不平不満を漏らす者は一人もいなかった。
将軍様が耐えているのだ。俺たちも耐えよう。
その想いが、凍てつく寒さの中で、唯一の熱源となっていた。
新選組の隊士たちもまた、剣を鍬やスコップに持ち替え、奔走していた。
屋根の雪下ろし、薪割り、病人の搬送。
彼らは「誠」の旗の下、民のために働き続けた。
「よいしょっ、よいしょっ!」
吹雪の中、大八車を引く人影があった。
井上源三郎だ。
六番隊組長であり、隊内でも最年長の彼は、若者たちに混じって薪を運んでいた。
「源さん! そんな重いもの、俺たちがやりますから!」
若い隊士が慌てて駆け寄るが、源さんは人の良さそうな笑顔で首を振った。
「なんのなんの。体が動くうちは働くさ。それに、こうして動いていた方があったかいしな」
その顔は凍傷で赤く腫れ上がっていたが、瞳は優しく輝いていた。
「ほら、あそこの長屋のお婆さん、薪がなくて困ってるんだ。急ごうぜ」
源さんの背中を見て、若い隊士たちは涙を拭い、再び車を押した。
だが、過酷な環境は、確実に俺たちの体力を奪っていた。
ある日の深夜。
土方歳三が、血相を変えて俺の部屋に飛び込んできた。
「新八! 松本先生を呼んでくれ!」
「!!どうしました」
「山南さんが……山南さんが倒れた!」
俺たちは雪の中を走り、山南敬助の部屋へと急いだ。
部屋に入ると、山南は布団の中で浅い呼吸を繰り返していた。顔色は蝋のように白く、額には脂汗が滲んでいる。
松本先生がすでに診察を始めていた。
「……過労と、栄養失調です。それに、古傷が寒さで痛み、体力を奪ったのでしょう」
松本先生は静かに告げた。
北海道上陸以来の激務が、彼の体を蝕んでいたのだ。
彼は総長として、隊務の全てを取り仕切り、家茂公の補佐もし、さらにアイヌとの交渉記録の整理まで、寝る間を惜しんで行っていた。
「山南! しっかりしろ!」
土方が、山南の枕元に膝をつき、叫んだ。
その声に反応するように、山南がうっすらと目を開けた。
「……土方、君……」
その声は、消え入りそうなほど弱々しかった。
「馬鹿野郎! なんで黙って無理をした! 俺に言えばよかっただろう!」
土方は、山南の手を両手で握りしめた。その手は氷のように冷たかった。
山南は、ふっと微笑んだ。
それは、新選組の「サンナンさん」らしい、穏やかで知的な笑みだった。
「大丈夫です……少し、休みたかっただけですよ」
「休むなら、仕事が終わってからにしろ! まだ何も終わってねえぞ!」
土方の目から、涙が溢れそうになっていた。
鬼の副長が、初めて見せる弱さだった。
彼らは試衛館時代からの同志であり、誰よりも互いを理解し合う親友だったのだ。
「土方君……新選組を、頼みますよ」
「縁起でもねえことを言うな!」
「ふふ……そうですね。まだ、死ねませんね……」
山南は、土方の手の温もりを感じながら、再び目を閉じた。
呼吸は弱いが、安定している。
「峠は越えたようです。ですが、絶対安静が必要です。この冬の間は、無理をさせてはいけません」
松本先生の言葉に、俺たちは安堵の息を漏らした。
土方は、しばらく山南の手を握ったまま、動こうとしなかった。
俺はそっと部屋を出た。
廊下の窓から外を見ると、吹雪はまだ止む気配がなかった。
だが、俺たちの心は折れていなかった。
家茂公の献身、源さんの笑顔、そして土方と山南の絆。
それらが、この極寒の地で、俺たちを繋ぎ止める熱い鎖となっていた。
「負けるか……」
俺は拳を握りしめた。
冬将軍がどれほど暴れようとも、俺たちは必ず生き延びる。
そして春が来れば、反撃の狼煙を上げるのだ。
その時まで、この命の火を、絶やすわけにはいかない。
遠くで、夜明けを告げる鐘の音が、雪に吸い込まれるように響いていた。
山南敬助が倒れた。
激務と寒さが彼の体を蝕んでいたのだ。
土方の悲痛な叫びが響く中、山南は静かに微笑む。
彼の献身は、新選組とこの国の礎となっていた。
しかし、試練はまだ終わらない。
冬の厳しさは増すばかりで、彼らの結束と覚悟が試されようとしている。




