第195話:五稜郭の拡張
箱館の冬が迫る中、五稜郭では拡張工事が急ピッチで進められていた。
ブリュネ大尉の提案による近代的な都市計画に基づき、土方歳三の陣頭指揮のもと、隊士たちは槌を振るう。
箱館の冬は早い。
十月も下旬に入ると、朝晩の冷え込みは厳しさを増し、吐く息は白く染まるようになった。
だが、五稜郭の周囲は、寒さを吹き飛ばすほどの熱気に包まれていた。
カン、カン、カン!
木材を叩く槌の音。
ドスン、ドスン!
地を固める掛矢の響き。
そして、飛び交う怒号と歓声。
「おい、そこの丸太、もっと右だ! バランスが悪いぞ!」
「へいっ! 急げ、野郎ども!」
五稜郭の土手の上から、俺は、眼下に広がるその光景を見下ろしていた。
そこには、かつて見たことのない、奇妙で、しかし力強い「戦場」があった。
五稜郭に入城して数日。
俺たちは直ちに、この城郭の拡張工事に着手していた。
元治元年(1864年)に完成した五稜郭は、確かに最新鋭の西洋式城郭ではあったが、あくまで「箱館奉行所」を守るための施設であり、数千の軍隊と、それに付き従ってきた家族や町人たちを収容するには、あまりにも手狭だったのだ。
「ナガクラさん、見てくだサイ」
隣に立ったジュール・ブリュネ大尉が、大きな図面を広げた。
彼は、寒風の中でも薄着の軍服一枚で、顔を紅潮させながら熱っぽく語り始めた。
「五稜郭の基本設計は『ヴォーバン式要塞』デス。星形の稜堡は、死角をなくし、十字砲火を浴びせるのに最適デス。しかし、弱点もありマス」
「弱点?」
「イエス。北側の防御が薄いことと、居住スペースが圧倒的に足りないことデス。そこで……」
ブリュネは、図面の北側に太い線を引いた。
「ここに、新たな外郭を作りマス。そして、その内側を居住区とシマス。さらに、五稜郭の北約三キロの地点に、支城となる『四稜郭』を築き、相互に支援できる体制を作りマショー」
彼の提案は、単なる要塞の強化にとどまらなかった。
五稜郭を中心として、放射状に道路を敷き、その周囲に兵舎、官舎、商店、住宅を配置する。
それは、近代的な都市計画そのものだった。
「すごいな……。これなら、城というより一つの都市だ」
「その通りデス。新しい国には、新しい首都が必要デス。ここは、その心臓部になりマス」
ブリュネの青い瞳は、雪原の向こうにある未来都市を映しているようだった。
「よし、やろう。資材と人は、俺たちが何とかする」
俺が言うと、ブリュネは嬉しそうに「メルシー!」と叫び、俺の手を握りしめた。
現場の総指揮を執っているのは、土方歳三だ。
彼は、軍服の上着を脱ぎ捨て、白いシャツの袖を捲り上げ、黒いベストに革の長靴という出で立ちで、現場を走り回っていた。
「おい、第三班! 休憩が長すぎるぞ! 日が暮れるまでに、その堀を掘り切れ!」
「へいっ、副長!」
「そっちの石垣、積み方が甘い! 崩れたら誰が責任を取るんだ! やり直しだ!」
その声は雷のように響き渡り、作業員たちの背筋を伸ばさせる。
だが、不思議と反発する者はいなかった。
土方自身が、誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで現場に残り、時には自ら石を運んで汗を流していることを、誰もが知っていたからだ。
鬼の副長は、ここでは頼れる現場監督だった。
「土方さん、精が出ますね」
俺が声をかけると、土方は手拭いで額の汗を拭いながら、ニヤリと笑った。
「おう、新八か。……悪くねぇな、こういうのも」
「え?」
「人を斬るより、何かを作るってのは、性に合わねぇと思ってたが……案外、面白いもんだ」
彼は、積み上がりつつある石垣を愛おしそうに見上げた。
「俺の実家は農家だからな。土いじりは嫌いじゃねぇ。それに、こいつは俺たちの城だ。誰にも文句は言わせねぇ」
その顔は、京で修羅の道を歩んでいた頃よりも、ずっと晴れやかに見えた。
隊士たちもまた、それぞれの場所で奮闘していた。
原田左之助は、上半身裸になって、巨大な丸太を担ぎ上げていた。
「うおりゃあああ!」
気合一閃、数人がかりで運ぶような太い木材を、軽々と肩に乗せて運んでいく。
「すげぇ……あの人、人間か?」
「熊でもあんな芸当はできねぇぞ」
周りの作業員たちが、呆気にとられて見守る中、左之助は「へへっ」と自慢げに笑った。
「槍の稽古に比べりゃ、こんなもん軽い軽い! 喧嘩よりこっちの方が、飯が美味くていいや!」
その豪快な笑い声は、現場の空気を明るくしていた。
一方、知的な分野で活躍していたのが、武田観柳斎だった。
彼は、測量器具を覗き込み、細かくメモを取りながら、職人たちに指示を出していた。
「えー、そこの角度、あと二度右です。そう、そこ! 杭を打って!」
彼は、甲州流軍学の知識に加え、最近学んだ西洋の測量術を駆使して、正確な図面を引いていた。
「武田先生、ここの計算が合わないんですが……」
「貸してごらんなさい。……ああ、これは三角関数の使い方が違いますよ。正弦、余弦、正接……いいですか、ここはこうして……」
職人たちに算術を教えるその姿は、まるで寺子屋の先生のようだ。
「私の頭脳がなければ、この城は完成しませんよ。フフン」
鼻高々に言う彼だが、その表情には嫌味がない。
自分の才能が正当に評価され、必要とされている喜びが、彼を素直にさせているのだろう。
俺は、現場を歩きながら、胸が熱くなるのを感じた。
ここには、希望がある。
かつて京や江戸で、俺たちは「人斬り集団」として恐れられ、疎まれた。
だが、ここでは違う。
誰もが、新しい国を作るための「同志」であり、「建設者」なのだ。
武士も、町人も、農民も関係ない。
一つの目的に向かって、共に汗を流す仲間たちがいる。
「永倉様!」
ふと、声をかけられた。
振り返ると、泥だらけの着物を着た若い男が立っていた。
見覚えがある。江戸で脱走兵として処刑されそうになっていたところを、俺が助けた男だ。
「お前……生きていたのか」
「はい! おかげさまで。今は、大工の見習いとして働いています」
男は、真っ黒に日焼けした顔で、屈託なく笑った。
「ここはいいですね。身分なんて関係ない。働けば働いた分だけ、飯が食える。俺、ここで家を建てて、嫁さんをもらうのが夢なんです」
「そうか……それはいい夢だな」
「はい! 新八様たちが作ってくれたこの国で、俺は幸せになります!」
男は深々と頭を下げ、また作業に戻っていった。
俺は、その背中を見送りながら、拳を強く握りしめた。
守らなければならない。
この男の、そしてここにいる全ての人々の、ささやかな幸せを。
そのために、俺たちはここに城を築き、国を作るのだ。
夕暮れ時。
作業を終えた人々が、三々五々と宿舎へ戻っていく。
五稜郭の周囲には、いつの間にか仮設の小屋や商店が立ち並び、明かりが灯り始めていた。
煮炊きする煙の匂い。
子供たちの笑い声。
どこからか聞こえてくる三味線の音。
それは、荒野に生まれた、小さな、しかし確かな「街」の姿だった。
俺は、完成しつつある土塁の上に立ち、その灯りを見つめた。
星の形の城郭が、大地にその輪郭を刻み込んでいる。
それは、北の大地に灯された、希望の灯火のように見えた。
「さあ、明日も忙しくなるぞ」
俺はつぶやき、夜空を見上げた。
満天の星が、俺たちを祝福するように輝いていた。
大和創生戦争。
その本当の戦いは、破壊ではなく、創造から始まった。
土方は現場監督として生き生きと指揮を執り、原田は怪力で資材を運び、武田は測量術で貢献する。
かつて「人斬り」と恐れられた彼らが、ここでは建設者として輝いている。
新八は、彼らの姿に希望を見出す。五稜郭は、単なる城塞ではなく、未来への発信基地へと変貌しようとしていた。




