第192話:新選組、北へ
会津での説得を終え、松島湾へ戻った新八は土方歳三と再会する。
しかし、そこへ薩長軍の先鋒が迫っているとの急報が入る。
会津での説得を終え、俺は、仙台・松島湾へ取って返した。
そこには、懐かしい「誠」の旗が翻っていた。
土方歳三率いる新選組本隊である。
だが、その姿は、かつての京で見せた威容とは程遠かった。
隊服は泥と煤で汚れ、多くの隊士が包帯を巻いている。
関東での転戦、宇都宮城の攻防、そして会津への退却戦。
彼らは、傷つきながらも、ここまでたどり着いたのだ。
「新八か。遅かったじゃねぇか」
土方が、焚き火のそばで顔を上げた。
その顔には、深い疲労の色が滲んでいたが、瞳の鋭さは変わっていなかった。
「すまない、土方さん。会津の説得に手間取って……」
「容保公は?」
「納得いただいてます。今頃、全藩士を連れてこちらへ向かっているはず」
「そうか。……よくやった」
土方は、短く言った。
その時、伝令が駆け込んできた。
「報告! 薩長軍の先鋒、白河口を突破! その数、およそ三千! 急速にこちらへ接近中!」
場がざわめいた。
「三千だと!? こっちは負傷兵ばかりだぞ!」
「船の出航準備はまだか!」
土方が立ち上がる。
「狼狽えるな! 全軍、戦闘配置! 船が出るまでの時間を稼ぐんだ!」
だが、誰もがわかっていた。
この状態でまともにぶつかれば、ひとたまりもない。
全滅は必至だ。
その時、一人の男が静かに進み出た。
斎藤一だ。
彼は、いつものように無表情で、しかし確固たる意志を宿した目で土方を見た。
「副長。ここは俺に任せてもらおう」
「斎藤……」
「三千の敵を相手にするには、大軍は邪魔だ。少数の精鋭で、地形を利用して足止めする。その間に、あんたたちは先に行ってくれ」
それは、死を覚悟した殿軍の申し出だった。
土方は、斎藤の目をじっと見つめた。
止めても無駄だと、わかっていたのだろう。
「……死ぬ気か」
「まさか。俺はしぶといですよ。必ず追いつきます」
斎藤は、薄く笑った。
「俺も行きます!」
巨漢の島田魁が手を挙げた。
「斎藤さん一人にいい格好はさせませんぜ!」
他にも、数名の隊士が名乗りを上げた。
土方は、彼らを見回し、大きく頷いた。
「わかった。……頼んだぞ、斎藤」
「御意」
◇
白河口の南、険しい山道。
薩長軍の先鋒部隊が、意気揚々と進軍していた。
最新のアームストロング砲を引いた砲兵隊を先頭に、銃を持った歩兵が続く。
「賊軍など、一捻りだ!」
「仙台まで一気に攻め上るぞ!」
彼らが狭い切り通しに差し掛かった、その時だ。
ヒュンッ!
風を切り裂く音と共に、先頭の指揮官が落馬した。
眉間を、何者かに撃ち抜かれていた。
「敵襲! 敵襲!」
混乱する薩長軍。
その頭上から、岩や丸太が降り注ぐ。
「うわぁっ!」
悲鳴が上がる中、影のように数人の男たちが飛び降りてきた。
先頭に立つのは、斎藤一。
「悪・即・斬」
低い呟きと共に、彼の愛刀・鬼神丸国重が閃いた。
速い。
目にも止まらぬ速さで、次々と敵兵が斬り伏せられていく。
それは、剣術というよりは、殺戮の舞だった。
左利きの変則的な構えから繰り出される突きは、正確無比に敵の急所を捉える。
「ば、化け物だ……!」
恐怖にかられた兵士たちが、銃を乱射する。
だが、斎藤たちはすでにその場にはいない。
彼らは、地形を熟知していた。
岩陰に隠れ、木々に飛び移り、神出鬼没に敵を翻弄する。
島田魁も、その怪力で大岩を投げ飛ばし、敵の隊列を粉砕する。
たった数名の部隊が、三千の大軍を完全に足止めしていた。
薩長軍は、見えない敵への恐怖で、一歩も進めなくなっていた。
◇
松島湾では、最後の船が出航しようとしていた。
土方は、甲板に立ち、陸の方角を睨みつけていた。
「まだか……」
拳を握りしめる。爪が食い込み、血が滲む。
俺も、隣で祈るような気持ちで待っていた。
斎藤なら大丈夫だ。あいつは強い。
そう自分に言い聞かせても、不安は消えない。
「副長! あれを!」
見張りの隊士が叫んだ。
夕闇の中、数騎の馬が、海岸線を駆けてくるのが見えた。
先頭を行くのは、全身を返り血で赤く染めた男。
斎藤一だ。
「斎藤!」
土方が叫ぶ。
斎藤たちは、波打ち際まで馬を走らせ、そこから小舟に乗り移った。
船員たちが急いでロープを引き上げる。
甲板に上がった斎藤は、よろめきながらも、土方の前に立った。
その体には無数の傷があり、服はボロボロだったが、その表情は涼しげだった。
「副長、お待たせしました。敵は、当分動けません」
土方は、言葉が出なかった。
ただ、斎藤の肩を強く抱きしめた。
「……馬鹿野郎。心配させやがって」
「すみません。少し、遊びすぎました」
斎藤は、微かに笑った。
島田魁たちも、ヘトヘトになりながらも、生還を喜んで抱き合っている。
俺は、斎藤の背中を叩いた。
「よくやった、一。お前はやっぱり、新選組最強だ」
「よしてくれ、永倉さん。最強は、副長だ」
斎藤は、土方の方を見た。
土方は、涙を隠すように背を向け、海に向かって叫んだ。
「よし! 全艦、出航! 目指すは北だ!」
汽笛が鳴り響く。
船は、ゆっくりと動き出した。
遠ざかる陸地には、まだ戦火の煙が上がっていた。
だが、俺たちはもう振り返らない。
新選組は、再び一つになった。
北の大地で、新しい夢を見るために。
斎藤一と島田魁ら精鋭部隊は、圧倒的な戦力差をものともせず、ゲリラ戦で薩長軍を翻弄する。
彼らの奮闘により時間を稼いだ新選組本隊は、無事に出航を果たす。
血まみれになりながらも生還した斎藤を、土方は万感の思いで迎える。
船は北へ、希望の大地へと進む。




