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第15話:異質な知識の源泉

主人公がもたらした集団戦術は試衛館を変え始めたが、土方はその異質な知識の源泉に強い疑念を抱いていました。

ある夕暮れ、彼は主人公に鋭く問いただします。

「お前は一体、どこでそれを学んだ?」


未来の知識という真実を語れない主人公は、絶体絶命の窮地に立たされます。

築き始めた信頼が、今まさに試される緊迫の対話が始まります。

 あの夜、土方歳三と盤上の戦争を繰り広げてから、数日が過ぎた。試衛館の空気は、目に見えて変わりつつあった。


 道場に響くのは、もはや竹刀が激しく打ち合う音だけではない。


「一番隊、前へ! 二番隊は右翼に展開しろ!」

「敵の突きに合わせて体を開き、側面を打て! 一人で戦うな、線で戦え!」


 土方さんの鋭い声が、道場全体に響き渡る。彼の号令一下、門下生たちが数人ずつの組に分かれ、連携した動きを繰り返す。それは、俺が提案した集団戦術訓練の基礎だった。


 これまでの一対一の強さのみを求める稽古とは、明らかに質が違う。戸惑う者も少なくない。特に、試衛館生え抜きの古参の門下生たちは、個人の剣技を殺し、集団の歯車となるような動きに、あからさまな不満を顔に浮かべていた。


 一方で、この新しい訓練に、水を得た魚のように生き生きと順応する者たちもいた。


「おう、永倉!今の動き、どうだった?敵の太刀筋を仲間が受け止めて、俺ががら空きの胴を打つ!こりゃ面白いぜ!」


 休憩中、汗だくの原田左之助が、興奮した様子で俺の肩を叩いてきた。彼の隣では、藤堂平助も「一人で十人を相手にするのは無理でも、十人で協力すれば、二十人にも三十人にも勝てるかもしれない。すごいことだよ、これは!」と目を輝かせている。


 彼らのように、純粋な強さを求め、時流の大きな変化を肌で感じ取っている若い世代にとって、この合理的な訓練は新鮮な驚きと可能性に満ちているようだった。


 俺は、そんな道場の変化を、少し離れた場所から複雑な思いで見つめていた。俺が持ち込んだ、本来この時代には存在しないはずの知識。それが、土方歳三という稀代の組織者オルガナイザーの手によって、恐るべき速度で現実の形となっていく。その光景は、頼もしくもあり、同時に末恐ろしくもあった。


「永倉」


 稽古が終わり、皆が引き上げていく中、静かな声に呼び止められた。振り返ると、土方さんが手ぬぐいで汗を拭いながら、俺をまっすぐに見据えていた。その目は、昼間の喧騒の中とは違う、静かで、底の知れない色をしていた。


「少し付き合え」


 有無を言わせぬ口調で、彼は母屋の縁側へと俺を促した。二人で並んで腰を下ろすと、夕暮れ前の涼しい風が、火照った体を心地よく撫でていく。


 しばらく、どちらも口を開かなかった。聞こえるのは、庭の木々が風にそよぐ音と、遠くで鳴くひぐらしの声だけだ。沈黙を破ったのは、土方さんだった。


「この訓練、門下生たちの反応は上々だ。特に、原田や藤堂のような連中はな。だが、古参の者たちからの反発も強い。試衛館の剣を愚弄する気か、とな」

「……それは、仕方のないことかと。変化には、常に痛みが伴います」

「ああ、分かっている。だから、俺がすべて引き受ける。文句を言う奴らは、俺が力でねじ伏せるだけだ」


 こともなげに言う土方さん。その横顔には、揺るぎない決意が滲んでいた。この男は、一度やると決めたら、どんな障害があろうと突き進む。その実行力と胆力こそが、彼を「鬼の副長」たらしめる所以なのだろう。


「だがな、永倉」


 土方さんは、不意にこちらに向き直った。その鋭い視線が、俺の心の奥底まで見透かそうとするかのように、突き刺さる。


「俺が本当に聞きたいのは、そんなことじゃない。改めて問う。お前は一体、どこでこんな戦い方を学んだ?先日の将棋盤の一件もそうだ。あれは、ただの剣客が知るような戦術じゃない。まるで、何千、何万という兵を動かす将軍の思考だった。お前のその頭の中には、俺たちの知らない、どんな戦が詰まっているんだ?」


 来たか。

 俺は内心で、ごくりと唾を飲み込んだ。この問いが来ることは、覚悟していた。あの夜、俺は自分の知識を隠すことなく、彼にぶつけてしまった。この聡明な男が、それに疑問を抱かないはずがない。


 ここで下手に嘘を重ねれば、築き始めたばかりの信頼関係は、砂上の楼閣のように脆くも崩れ去るだろう。かといって、「実は俺、百五十年後の未来から来た官僚なんです」などと、真実を告げるわけにもいかない。狂人だと思われるのが関の山だ。


 どうする?どう切り抜ける?

 霞が関で叩き込まれた、老獪な政治家たちを相手にするための交渉術が、脳裏をよぎる。疑念を抱いた相手を懐柔するには、どうすればいいか。答えは一つ。一部の真実を、相手が受け入れやすい、都合のいい嘘でコーティングして提示するのだ。


 俺は、ふっと息を吐き、努めて穏やかな笑みを顔に貼り付けた。


「……そんなに、おかしなことを言っていましたか、俺は」

「とぼけるな。お前の言葉は、俺の知るどんな兵法とも異質だった。だが、同時に、恐ろしいほどに理に適っていた。だからこそ、俺はこうして動いている」


 土方さんの追及は緩まない。俺は、観念したように肩をすくめてみせた。


「参りました。土方さんには、敵いませんね」


 一拍おいて、俺は言葉を続ける。


「特定の流派というわけではないんです。昔、松前藩の父の蔵に、少し変わった兵法書がありまして。唐の国のものとも、天竺のものともつかない、不思議な書物でした。俺は子供の頃、それを遊び代わりに読んでいたんです」


 これは、半分は本当だ。いや、本質的には真実と言ってもいい。「詳説日本史研究」の教科書は、俺にとって、この世界ではどんな兵法書にも勝る「書物」なのだから。


「ほう。変わった兵法書、か」

「ええ。その書物には、単なる戦の勝ち負けだけではなく、国をいかに治め、組織をいかに動かすか、その『ことわり』について書かれていました。戦とは、ただ敵を斬り伏せるだけではない。兵を養い、情報を制し、人の心を動かすことこそが肝要である、と。俺は、その考え方に、子供ながらに強く惹かれたんです」


 俺の言葉に、土方さんは何も言わず、じっと俺の目を見つめていた。その瞳は、俺の言葉の真偽を探っているようだった。嘘は言っていない。だが、すべてを話してもいない。その微妙な空気感を、この男は敏感に感じ取っているはずだ。


「その『理』とやらは、兵站の重要性や、心理的な揺さぶりの効果まで説いていたとでも言うのか?まるで、この先の世で起こる戦を、見てきたかのような口ぶりだったぞ」


 鋭い指摘。核心を突かれ、心臓が跳ねる。だが、ここで動揺を見せてはならない。俺は、あくまでも平静を装い、ゆっくりと首を横に振った。


「先の世が見えるわけではありません。ですが、その書物が説く『理』を突き詰めていくと、自ずとそうした結論に至るのです。戦の本質は、いつの時代も変わらない。人と、物と、情報の奪い合いです。それを、いかに効率よく、合理的に行うか。俺が話しているのは、ただそれだけのことですよ」


 俺の答えに、土方さんは深く息を吐き、天を仰いだ。その表情は、納得したようでもあり、諦めたようでもあった。


「……そうか。得体の知れない書物もあったものだ」


 彼はそれ以上、俺の知識の源泉について追及しようとはしなかった。おそらく、俺が何かを隠していることには気づいているだろう。だが、それ以上踏み込むのは無粋だと判断したのか、あるいは、正体不明の知識の源泉を探ることよりも、その知識を利用することの方が重要だと考えたのか。


 しばらくの沈黙の後、土方さんは、まるで自分に言い聞かせるように、ぽつりと言った。


「近藤さんは、天然理心流という看板を背負い、この試衛館を守ることに必死だ。その心意気は、誰よりも尊い。だがな、俺はそれだけでは足りないと思っている。俺たちの夢は、こんな江戸の片田舎にある小さな道場で、燻って終わるものじゃない」


 彼の視線が、縁側の向こう、どこか遠い場所へと注がれる。その瞳に宿っているのは、飢えた狼のような、ギラギラとした野心の炎だった。


「俺は、武士になりたい。それも、ただ禄を食むだけの武士じゃない。この国の動乱の中で、自らの力で道を切り開き、歴史に名を刻むような、本物の武士にだ」


 土方さんは、ゆっくりと俺に向き直った。そして、その野心の色に満ちた目で、俺を射抜いた。


「永倉。お前のその得体の知れない『兵法書』の知識、俺にすべて教えろ。俺がそれを吟味し、形にしてやる。俺たちの剣と、お前の知恵。その二つが揃えば、俺たちはただの剣客集団ではない。本当の意味で、この国を動かす力を持つ『組織』になれる」


 それは、命令であり、懇願であり、そして共犯者への誘いだった。


 彼は、俺の知識の『正体』を解き明かすことよりも、その『価値』を見抜き、利用することを選んだのだ。この男の恐ろしさは、その合理性と、目的のためなら手段を選ばない非情さにある。


 だが、その非情さこそが、今の俺には何よりも頼もしく思えた。史実という巨大な濁流に抗うには、清濁併せ呑む、この男の力が必要不可欠だ。


 俺は、彼の燃えるような瞳をまっすぐに見つめ返し、深く、はっきりと頷いた。


「はい、土方さん。俺の知るすべてを、あなた方に捧げます。この身が朽ち果てるまで」


 その言葉に、土方さんの口元に、満足そうな笑みが浮かんだ。それは、鬼の副長の片鱗を覗かせる、獰猛で、しかしどこか美しい笑みだった。


 夕暮れの空が、濃い藍色に染まっていく。俺と土方歳三、二人の間に交わされた静かな契約。それは、後に「新選組」という、幕末の闇を切り裂く最も鋭い刃を鍛え上げるための、最初の火入れの儀式だったのかもしれない。俺は、この冷徹で合理的な男の隣で、未来を変えるための戦いに身を投じる覚悟を、改めて固めるのだった。



知識の源泉を問われ窮地に陥った主人公は、「不思議な兵法書」という方便で切り抜けます。

土方は真偽の追及より知識の価値を認め、自らの野望のため協力を求めました。


鬼の副長となる男からの、共犯者への誘い。

夕暮れに交わされた二人の静かな契約は、やがて幕末を駆け抜ける組織「新選組」誕生の礎となるのです。

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