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第14話:机上の戦争

集団戦術で異才を放つ主人公に、土方歳三は深い興味と疑念を抱きます。


ある夜、彼は主人公を呼び出し、将棋盤を戦場に見立てた試験を課しました。

敵兵50に対し味方はわずか10。この絶望的な状況でどう勝つか、お前の戦を見せろと迫ります。


剣の腕だけではない、主人公の持つ知識の源泉と真価が、今まさに試されるのです。

 集団戦術の訓練が始まって数日後の夜。俺は土方歳三に呼び出され、彼の私室に向かっていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った道場を抜け、母屋の一室の前に立つ。障子に映る人影は一つ。近藤さんの姿はないようだ。


「永倉です。お呼びにより参上しました」

「入れ」


 短く、鋭い声が返る。障子を開けると、部屋の中央には文机が置かれ、その上には将棋盤が鎮座していた。そして、盤を挟んだ向こう側で、土方さんが腕を組み、俺を射抜くような視線で待ち構えていた。部屋の隅で燃える蝋燭の光が、その端正な顔に深い陰影を落としている。


「土方さん、これは……?」

「まあ、座れ」


 促されるまま、俺は彼の正面に腰を下ろした。将棋盤の上には、駒が乱雑に置かれている。通常の将棋の配置ではない。歩兵の駒が、盤面のあちこちに散らばっていた。


「永倉。お前のやろうとしていることは理解した。理に適っているし、試衛館にとって、いや、俺たちにとって大きな力になるだろうこともな」


 土方さんは、盤上の駒を一つ、指先で弾いた。カチリ、と乾いた音が静寂に響く。


「だがな、俺はまだお前を測りかねている。お前は一体、何者だ?ただの剣術かぶれの若造が、なぜあのような戦術を知っている?なぜ、組織の動かし方を心得ている?」


 矢継ぎ早の問い。それは、俺がこの世界に来てからずっと、自分自身に問い続けてきたことでもあった。俺は、永倉新八なのか。それとも、霞が関の官僚なのか。答えはまだ、出ていない。


「俺は……俺ですよ。永倉新八です。ただ、少しばかり、物事を違う角度から見る癖があるだけです」

「ほう。違う角度、か」


 土方さんは、にやりと口の端を吊り上げた。その笑みは、獲物を見つけた狼を彷彿とさせる。


「面白い。ならば、その『違う角度』とやらを、俺に見せてみろ」


 彼はそう言うと、盤上の駒を指し示した。歩兵の駒が、二つの集団に分けられている。片方は数が多く、もう片方は見るからに少ない。


「この将棋盤を、戦場に見立てる。地形は、この盤の升目そのものだと思え。そして、この駒が兵だ」


 彼は、数の多い方の駒の集団を指した。


「こちらが敵兵。数は五十。そして……」


 次に、彼は数の少ない方の駒を俺の前に押しやった。


「こちらが味方。数は十。お前が率いる部隊だ」


 敵兵五十、味方十。五倍の戦力差。常識で考えれば、まともにぶつかれば一瞬で蹂躙されて終わる。これは、試験だ。俺の持つ知識の本質を、土方歳三という男が見極めるための。


「この状況で、お前ならどう動く?どう戦い、どう勝つ?お前の頭の中にある戦を、この盤上で再現してみせろ」


 彼の目が、爛々と輝いている。それは、純粋な好奇心と、底知れない探究心の色だった。この男は、ただの剣客ではない。生まれながらにして、組織を率い、人を動かす将の器だ。だからこそ、俺のやろうとしていることの価値を、誰よりも早く見抜いたのだ。


 俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。目の前にあるのは、単なる将棋盤ではない。これは、俺の能力を試すための、土方歳三が作り出した戦場だ。


「承知しました。ですが、いくつか条件を確認させていただけますか?」

「言ってみろ」

「まず、この地形について。升目は平地と見なしてよろしいか?森や川、丘などの障害物は?」

「面白いことを聞くな。……そうだな、盤の中央を縦に走るこの線を『川』としよう。渡るには二手にてを要する。そして、四隅のこの九つの升目を『丘』とする。丘の上からの攻撃は、平地の敵に対して有利に働く。これでどうだ?」


 土方さんは、淀みなくルールを設定していく。彼の頭の中でも、この盤はすでに立体的な戦場として構築されているのだろう。


「次に、兵站について。兵糧や矢弾の補給路は考慮に入れますか?」

「兵站だと?」


 土方さんは、初めて聞く言葉に眉をひそめた。


「はい。兵が戦うためには、食料や武器が必要です。特に、長期戦になれば、その補給路をいかに確保し、逆に敵の補給路をいかに断つかが、勝敗を分ける重要な要素となります。これを『兵站』と呼びます」


 俺は、前世の記憶から、軍事の初歩を解説した。土方さんは黙って聞いていたが、その瞳の奥の光が、さらに鋭くなったのを俺は見逃さなかった。


「……よかろう。今回は短期決戦と見なし、兵站の概念は除外する。純粋な兵の動きだけで、どう切り抜けるかを見せろ」

「承知いたしました。では、始めさせていただきます」


 俺は、すっと息を吸った。頭の中で、霞が関のオフィスで何百回と繰り返したシミュレーションが蘇る。国家の危機管理、災害対策、そして、対テロ作戦。状況は違えど、限られた情報とリソースで最適解を導き出すという本質は同じだ。


「まず、我が隊十名は、直ちにこの南東の丘を目指します」


 俺は味方の駒を数個、盤の右下の隅へ動かした。


「敵は五倍の兵力。平地で正面からぶつかるのは、自殺行為に他なりません。まずは、地形の利を得ることが最優先です。丘の上という高所を確保することで、敵の攻撃を半減させ、こちらの攻撃の効果を倍増させます」


「ふむ。定石だな。だが、敵が丘を包囲したらどうする?袋の鼠だぞ」


 土方さんが、すかさず敵の駒を動かし、丘を取り囲む陣形を作ってみせた。


「そこで、陽動を用います」


 俺は、味方の駒の中から、二つの駒を手に取った。


「この二名を、別動隊として川沿いに北上させます。彼らの任務は、敵を攻撃することではありません。敵の注意を引きつけ、兵力を分散させることが目的です。大声で鬨の声を上げさせたり、夜中に松明を掲げて大軍がいるように見せかけたりするのも有効でしょう」


 俺が二つの駒を盤の左側へ動かすと、土方さんは面白そうに口元を歪めた。


「陽動か。敵の目を欺くわけだな。だが、敵の将がそれを見抜いたら?陽動に構わず、主力が丘に総攻撃を仕掛けてきたらどうする?」


「その可能性も考慮に入れます。だからこそ、この陽動隊は、いつでも退却できる川沿いの道を進むのです。そして、敵が総攻撃を仕掛けてきた瞬間こそが、我らの勝機となります」


 俺は、丘の上に置いた残りの八つの駒を、指先で軽く弾いた。


「敵が丘に殺到し、陣形が伸びきったところを、側面から突くのです。高所からの突撃は、凄まじい破壊力を生みます。敵は、まさか少数である我らが反撃してくるとは思っていません。その心理的な油断、すなわち『不意』を突くのです」


 俺は、駒を使い、丘の上から駆け下りる部隊が、伸びきった敵の側面に突き刺さる様を再現してみせた。


「さらに、陽動隊の役割はそれだけではありません。敵の主力が丘に向かったことで手薄になったであろう、敵の背後を脅かすのです。たとえそれが二名であっても、背後に敵が現れたとなれば、敵兵は動揺します。前方の主戦場と、背後からの奇襲。二つの脅威に挟まれ、敵の指揮系統は混乱に陥るでしょう」


「……なるほど。敵の兵力を分散させ、最も脆弱になった一点を、最大戦力で叩く。そして、心理的な揺さぶりをかけて、組織としての機能を麻痺させる、か」


 土方さんは、腕を組んだまま、盤面を食い入るように見つめていた。彼の額には、うっすらと汗が滲んでいる。


「永倉。お前は……一体、どこでこんな戦を学んだ?」


 その声は、かすかに震えていた。それは、恐怖ではない。理解を超えたものに直面した時の、武者震いに近いものだった。


「書物からです。古い唐の国の兵法書などを、自分なりに解釈したに過ぎません」


 俺は、当たり障りのない嘘をついた。まさか、百年以上先の未来の知識だとは言えるはずもない。


 だが、土方さんは、もはやそんな言葉を信じてはいなかっただろう。彼は、将棋盤から顔を上げ、まっすぐに俺の目を見た。その瞳の奥には、戦慄と、そしてそれ以上に強い、歓喜の色が浮かんでいた。


「……恐ろしい男だ、お前は」


 それは、先日、模擬戦の後に言われた言葉と同じだった。だが、その響きは、まったく違って聞こえた。


「剣の腕だけではない。お前の本当の恐ろしさは、その頭脳だ。戦場のすべてを見通し、冷徹に最適解を導き出す、その戦略眼だ」


 土方さんは、ふっと息を吐くと、まるで大切な宝物でも見るかのように、盤上の駒を一つ、指でなぞった。


「永倉。お前は、ただの剣客ではない。お前は……『将』だ。それも、俺が今まで見たこともない、新しい時代の将だ」


 彼は立ち上がると、窓の外に広がる夜の闇を見つめた。


「この国は、これから大きな戦乱の渦に巻き込まれる。俺には分かる。その時、俺たちの剣だけでは、何も守れないかもしれん。だが、お前がいれば……お前のその知恵があれば、俺たちは、もっと大きな何かを成し遂げられるかもしれん」


 土方歳三。後の新選組副長にして、「鬼の副長」と恐れられる男。その男が、今、俺の能力を認め、未来への期待を口にしている。史実では、彼は最後まで武士として戦い、箱館の地で散った。だが、この世界では違う。俺がいる。俺の知識がある。


「土方さん。俺は、あなたや近藤先生の力になりたい。ただ、それだけです」


 俺がそう言うと、土方さんはゆっくりと振り返り、静かに頷いた。


「ああ、分かっている。だからこそ、俺はお前という男が気に入ったんだ」


 その夜、俺と土方さんは、夜が更けるのも忘れ、盤上の戦争を続けた。それは、二人の間に生まれた、奇妙で、しかし強固な信頼関係の始まりを告げる儀式でもあった。俺は、この冷徹で合理的な男の隣でなら、未来を変えられるかもしれないと、強く感じていた。史実という名の巨大な奔流に、二人で抗うための、これは静かな開戦の狼煙だった。



地形の利、陽動、敵の心理の掌握。

主人公が盤上で展開する鮮やかな戦術に、土方は戦慄と歓喜を覚えます。

その冷徹な戦略眼を認め、彼をただの剣客ではない「将」だと確信しました。

鬼の副長と未来を知る男。

夜を徹して続いた机上の戦争は、二人の間に生まれた固い絆と、来るべき未来へ共に抗う決意の証となったのです。

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