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第133話:京の共同戦線

新八からの密書を受け、土方歳三は京を守るためにある重大な決断を下します。

迫りくる脅威に対し、新選組はどう動くのか。

嵐の前の静けさの中、意外な二人の交流も……

 慶応二年初冬。京の都は、鉛色の雲に覆われていた。

 底冷えのする風が鴨川の水面を揺らし、町家の人々は早々に戸を閉ざしている。表向きは静寂を保っている京の街だが、その水面下では、かつてないほどの激流が渦巻いていた。


 新選組屯所、西本願寺。

 その一室で、副長・土方歳三は執務机に向かい、積み上げられた報告書の山と格闘していた。部屋の隅には火鉢が置かれているが、土方の放つ冷徹な気配のほうが、あるいは外気よりも冷たいかもしれない。


「……『偽りの夜明け』、か」


 土方が低い声で呟く。手にあるのは、江戸にいる永倉新八からの密書だ。

 そこには、驚くべき事実が記されていた。

 『薩長同盟、成立』。

 犬猿の仲である薩摩と長州が、坂本龍馬の仲介によって手を組んだという。常識で考えればあり得ない話だ。だが、新八の密書には続きがあった。


 『この同盟は、俺と龍馬が仕組んだ"時間稼ぎ"。薩長の手を握らせることで、暴発を防ぎ、その間に幕府を立て直す。だが、油断は禁物。奴らが本気で牙を剥く時は必ず来る』


 土方は密書を火鉢にくべた。炎が紙を舐め、黒い灰へと変えていく。

 新八の策は大胆不敵だ。敵同士を同盟させ、その同盟自体をコントロールしようというのだから。

 だが、それは諸刃の剣でもある。もし薩長が新八の意図を超えて結束し、倒幕へと舵を切れば、新選組だけで京の治安を維持することは不可能になる。


「数が足りねえな」


 土方が吐き捨てるように言った。

 隊士の数は増えた。装備も、新八の知識によって洋式銃を取り入れるなど近代化が進んでいる。だが、相手が薩摩と長州の連合軍となれば、話は別だ。

 京を火の海にしないためには、抑止力となる圧倒的な「武」が必要だった。


「副長。新徴組の中沢殿が参られました」


 障子の外から、小姓の声がかかる。

 土方の瞳に、鋭い光が宿った。


「通せ」


 襖が開き、一人の男が入室してくる。

 新徴組・中沢貞祇なかざわ ただまさ。庄内藩預かりの浪士組、新徴組の幹部である。

 新選組と新徴組。

 元を正せば、文久三年に結成された「浪士組」という同じ根を持つ兄弟のような組織だ。だが、京に残留した試衛館派(後の新選組)と、江戸に戻った庄内藩派(新徴組)とで袂を分かって以来、両者の関係は決して良好とは言えなかった。

 互いに「裏切り者」「腰抜け」と罵り合った時期さえある。


 だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではなかった。


「……待たせたな、中沢殿」

「いや。土方副長こそ、多忙の折に時間を割いていただき感謝する」


 中沢が重々しく頭を下げる。

 かつての険悪な空気は、そこにはない。あるのは、互いに背中を預けなければ生き残れないという、戦場特有の緊張感だった。


「単刀直入に言おう。薩長が手を組んだという情報は、そちらにも入っているな?」

「ああ。我々の探索方も、薩摩藩邸周辺で長州の人間が出入りしているのを何度も確認している。……信じ難いが、事実は事実として受け入れねばならん」


 中沢の言葉に、土方は頷いた。

 新八の言う通り、表向きの同盟は成立している。それが「偽り」であることを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。新徴組には、まだその真意までは伝えていない。

 だが、危機感を共有するには十分だ。


「中沢殿。俺は、新選組と新徴組の垣根を取り払いたいと思っている」


 土方の言葉に、中沢が目を見開いた。


「垣根を、とは?」

「指揮系統の一本化とまでは言わん。だが、情報の共有、共同での市中見廻り、そして有事の際の連携。これらを密にする。単なる協力関係じゃねえ。一つの『軍』として動けるようにしておきたい」


 それは、新選組の独立性を重んじる土方にしては、異例の提案だった。

 だが、中沢は即座にその意図を理解した。


「……来るべき、薩長との全面戦争に備えてか」

「ああ。新八……永倉君が戻ってくるまで、この京を何としても守り抜く。そのためには、あんたたちの力が必要だ」


 土方が頭を下げることはない。だが、その眼差しは真剣そのものだった。

 中沢はしばし沈黙した後、力強く頷いた。


「承知した。我ら新徴組も、徳川のために剣を振るう覚悟は同じ。……それに、現場の者同士は、我々が思うよりも早く打ち解けているようだしな」


 中沢の口元に、微かな笑みが浮かぶ。

 土方もまた、ふっと表情を緩めた。


「ああ。あの二人のことか」



 京の街、三条大橋の近く。

 寒空の下、二つの人影が並んで歩いていた。


 一人は、新選組一番隊組長・沖田総司。

 もう一人は、長身の剣士。新徴組の羽織を纏い、腰には大小の刀を差している。切れ長の目に、凛々しい顔立ち。どこからどう見ても美青年の剣客だが、その正体は中沢貞祇の妹、中沢琴なかざわ ことである。


 身長五尺七寸(約170センチ)。当時の男性としても大柄な彼女は、幼い頃から兄と共に武芸を叩き込まれ、男装して新徴組に参加していた。その剣の腕は、並の隊士では足元にも及ばない。


「琴さん、今日は非番ですか?」


 沖田が屈託のない笑顔で話しかける。

 琴は少し居心地が悪そうに、周囲の視線を気にしながら答えた。


「……ああ。兄上が、たまには息抜きをしてこいと五月蝿くてね。沖田殿こそ、見廻りではないのか?」

「僕も今日は休みです。土方さんが『たまには休まねえと、体が持たねえぞ』って、無理やり追い出されたんですよ」


 沖田は笑うが、その顔色は以前よりも良い。永倉が江戸から送ってくる栄養価の高い食事療法と、適切な休息が功を奏しているのだろう。


「奇遇だな。……では、少し歩くか」

「ええ、行きましょう! あ、そうだ。あそこに美味い甘味処があるんですよ。行きませんか?」


 沖田が指差したのは、鴨川沿いにある茶屋だった。

 琴は一瞬、躊躇した。

 男装の帯刀者が、白昼堂々と甘味処に入る。それは、彼女が自らに課している「武士としての規律」に反するような気がしたからだ。


「……いや、私は甘いものは……」

「嘘ですね」

「なっ」

「この前、屯所の差し入れの饅頭、誰よりも早く食べてたじゃないですか」


 沖田に悪戯っぽく指摘され、琴の頬が朱に染まる。

 男装していても、その反応は年相応の少女のそれだった。


「う、うるさい。あれは、毒見だ。毒見」

「はいはい、毒見ですね。じゃあ、今日のぜんざいも毒見をお願いしますよ、琴先生」


 沖田は琴の背中を強引に押し、茶屋の暖簾をくぐった。


 店の中は、町娘や商人たちで賑わっていた。

 新選組と新徴組の羽織を着た二人が入ってくると、一瞬、客たちの視線が集まる。だが、沖田の柔和な雰囲気と、琴の凛とした美しさに、客たちはすぐに警戒を解いた。


 運ばれてきたぜんざいを前に、琴はまだ少し強張っていた。

 刀を置き、正座を崩さない。


「琴さん、そんなに肩肘張ってたら、味が分からなくなっちゃいますよ」

「……性分だ。それに、私は男として育てられた。女のような真似は……」

「誰が決めたんです? 男は甘いものを食っちゃいけないなんて」


 沖田は匙で餅をすくい、口に運ぶ。

 

「んー、美味い! ほら、琴さんも」


 促されて、琴もおずおずと椀に手を伸ばした。

 一口、口に含む。小豆の優しい甘さが、冷え切った体に染み渡るようだった。

 思わず、琴の表情が緩む。


「……美味いな」

「でしょう?」


 沖田は嬉しそうに微笑んだ。

 そして、真剣な眼差しで琴を見つめた。


「琴さん。僕はね、君が男装していることをどうこう言うつもりはありません。それが君の生き方なら、立派な覚悟だと思います」

「……沖田殿」

「でも、僕の前では、ただの『中沢琴』でいてくれませんか? 新徴組の剣客でもなく、男のフリをする必要もない。ただ、美味しいものを美味しいと笑う、一人の琴さんで」


 琴は匙を止めた。

 これまで、数多の人間が彼女を奇異の目で見てきた。「女のくせに」「男勝りの」「化け物」。そんな陰口を叩かれることもあった。

 兄だけは理解してくれたが、それでも「新徴組のために」という大義名分が常にあった。


 だが、目の前の青年は違う。

 沖田総司は、彼女の強さも、弱さも、そして隠している女性としての部分も、すべてひっくるめて肯定してくれている。


「……君は、不思議な男だ」

「よく言われます」

「私は……背も高いし、可愛げもない。刀を振るうことしか能がない女だぞ」

「剣が強い女性、素敵じゃないですか。僕、自分より弱い人には興味ないんで」


 あっけらかんと言う沖田に、琴は思わず吹き出した。

 

「ふ、ふふっ。……そうか。君より強いとなると、それは骨が折れそうだ」

「おっと、食後の手合わせは勘弁してくださいよ。琴さんの薙刀、怖いんだから」


 二人の間に、柔らかな空気が流れる。

 琴は、久しぶりに心の底から笑った気がした。

 男として振る舞う緊張感から解放され、ただの人間として、一人の女性として扱われる心地よさ。

 それは、殺伐とした京の日常の中で、琴にとって唯一の安らぎとなっていった。



 数日後。

 新選組と新徴組による、初の大規模な合同市中見廻りが行われた。


 先頭を行くのは、土方歳三と中沢貞祇。

 そして、その脇を固めるのが、一番隊組長・沖田総司と、中沢琴だった。


 浅葱色の羽織と、黄土色の羽織。

 二つの色が入り混じり、整然と隊列を組んで行進する様は、京の民衆に強烈な印象を与えた。

 そして、路地裏に潜む不逞浪士たちには、絶望的な威圧感を与えたことだろう。


「おい、見ろよ。新選組と新徴組が一緒だぞ」

「仲が悪いって聞いてたが……」

「あの先頭の二人、すげえ迫力だな」


 民衆の噂話を背に受けながら、沖田は隣を歩く琴に小声で話しかけた。


「琴さん、調子はどうですか?」

「悪くない。……不思議だな。以前は新選組の連中を見ると、対抗心しか湧かなかったが」

「今は?」

「……頼もしい背中だと、思える」


 琴は、前を歩く土方の背中、そして隣を歩く沖田の横顔を見た。

 新選組の組織力と、新徴組の個の武力。

 この二つが噛み合えば、恐れるものなどない。


 土方が、ちらりと後ろを振り返った。

 沖田と琴が、目配せし合って頷くのを見て、土方は満足げに口角を上げた。


(あいつらが、かすがいだ)


 組織同士の提携は、書面上の契約だけでは成立しない。

 血の通った人間同士の信頼関係があってこそ、真の同盟となる。

 沖田と琴の交流は、両組の隊士たちにも波及していた。

 「沖田組長が認めた相手なら」「あの琴さんが心を許すなら」。そんな空気が、わだかまりを溶かし、強固な結束を生み出しつつあった。


 その夜、屯所に戻った土方は、江戸の方角を見上げて呟いた。


「新八。薩長が手を組んだ今、俺たちも変わらなきゃならねえ」


 新徴組という強力なパートナーを得て、新選組は「京を守る警察組織」から、「戦うための軍事組織」へと脱皮しつつあった。

 それは、「公議政体」を物理的な武力で支えるための、最強の布陣だった。


 だが、土方はまだ知らない。

 この強固な共同戦線さえも飲み込もうとする、巨大な歴史の奔流がすぐそこまで迫っていることを。



 一方、江戸。

 将軍・徳川家茂の居室にて。


 旅支度を整えた家茂の傍らで、永倉新八は静かに控えていた。

 いよいよ、運命の上洛が始まる。

 史実では、家茂はこの上洛で命を落とす。第二次長州征伐の最中、大阪城で脚気衝心により帰らぬ人となるのだ。

 だが、今の家茂は違う。

 永倉の献策による食事改善で脚気の兆候はなく、その瞳には未来を見据える強い意志が宿っていた。


「新八」

「はっ」

「京では、土方たちが待っているのだな」

「はい。頼もしい仲間たちが、上様をお守りするために牙を研いでおります。薩長同盟という脅威に対抗するために」


 家茂は深く頷いた。


「薩摩と長州が手を組んだと聞いた時は耳を疑ったが……そなたの言う通り、時代は動いているのだな。ならば、幕府も変わらねばならぬ」


 家茂の瞳には、迷いはなかった。

 兄上、孝明天皇にお会いし、自らの口で「公議政体」への移行を上奏する。

 それは、徳川の世を終わらせるのではなく、新たな形で日本を再生させるための決断だった。


「行きましょう、上様。歴史を変える旅へ」


 永倉の言葉に、家茂は力強く頷いた。


 京では土方たちが地盤を固め、江戸からは将軍と永倉が発つ。

 役者は揃った。

土方の英断により、新徴組との共闘体制が整いました。

一方で、沖田と琴の不器用ながらも温かい交流には心が和みます。

殺伐とした情勢の中、彼らの関係がどう変化してゆくのか?

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