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第13話:集団戦術という革命

理に適った剣術指導で門弟たちの信頼を得た新八は、次なる改革案を近藤と土方に提言します。

それは、個の強さではなく「集団戦術」の訓練でした。


一対一の決闘が主流の時代に、組織的な連携で戦うという考えは異質そのもの。

戸惑う門弟たちを前に、試衛館の在り方を根底から覆す、新たな挑戦が始まります。

 俺の風変わりな剣術講義が始まってから、一月ほどが経った。

「てこ」の原理や「重心」の概念を取り入れた指導法は、特にこれまで伸び悩んでいた門弟たちに劇的な変化をもたらした。無駄な力が抜け、理に適った動きを身につけた彼らの剣筋は、日増しに鋭さを増していく。その様子を、近藤勇さんは満足げに、そして土方歳三は相変わらずの無表情の奥で、何事かを見定めるように観察していた。


 手応えを感じた俺は、次の段階へ進むべき時が来たと判断した。その日の稽古が終わり、門弟たちが引き上げた後、道場に残っていた近藤さんと土方さんに声をかけた。


「近藤先生、土方さん。本日は、お二人に新たにご提案したい儀がございます」


 俺の改まった口調に、近藤さんは人の好い笑みを浮かべ、土方さんはすっと目を細めた。


「ほう、新八。今度は何だ?また面白い趣向か?」

「単なる趣向では終わりませぬ。試衛館が、これから来るであろう動乱の世を生き抜くために、どうしても必要となる考え方です」


 俺は一呼吸置き、はっきりと告げた。


「『集団での戦い方』。すなわち、戦術の訓練を取り入れていただきたいのです」


「戦術、だと?」


 訝しげに問い返したのは土方さんだった。彼の背後には、道場の壁に掲げられた「神道無念流」の木札が見える。個の武勇を極めることを是とするこの場所で、俺の言葉は異質に響いた。


「左様。これまでの稽古は、あくまで一対一の強さを求めるものでした。しかし、我らが今後直面するであろう戦いは、果たしてそのような一騎打ちでしょうか?否。おそらくは、多数対多数の、泥臭い乱戦になるはずです」


 俺は、前世の記憶――警察の機動隊や自衛隊の基礎訓練に関する知識を、この時代の言葉に翻訳しながら説明を始めた。


「例えば、こちらが十人、敵も十人だったとします。互いに腕自慢が揃っていたとして、それぞれがバラバラに斬り合えば、それは単なる十組の一騎打ちの集合体に過ぎません。運が良ければ勝てるでしょうが、悪ければ半数が討たれるやもしれぬ。しかし、もし我ら十人が一つの生き物のように連携し、常に味方が有利な状況――例えば、敵一人に対して味方二人で当たるような状況――を意図的に作り出せたら、どうなりましょうか?」


「……被害を最小限に抑え、確実に敵を殲滅できる、か」


 即座に本質を看破したのは、やはり土方さんだった。彼の瞳に、鋭い光が宿る。


「その通りです。一対一の武勇で劣っていても、二人、三人と連携すれば、格上の相手を打ち破ることも可能となります。個人の武の追求と、組織としての武の追求。これらは似て非なるもの。我らは、後者も同時に鍛え上げるべきです」


 俺の熱弁に、近藤さんは腕を組んで深く頷いた。彼の懐の深さは、常識外れの提案にも真摯に耳を傾けさせるところにある。


「面白い。実に面白いぞ、新八!具体的には、どうするのだ?」


「はい。まずは、基本となる『二人一組ふたりひとくみ』の連携から始めます。互いに死角を補い、一人が攻め、もう一人が守る。常に声を掛け合い、互いの状況を把握するのです」


 俺はさらに続けた。


「慣れてきたら、複数の組を連携させます。手や指を使った簡単な合図を決め、『右に展開』『後退援護』といった部隊としての動きを体に叩き込むのです。負傷した仲間を安全に後方に運ぶ『後詰ごづめ』の役割も重要になります。戦とは、ただ斬り合うだけでは勝てません。いかに味方の戦力を維持し、敵の戦力を削ぐか。そのための仕組み作りが肝要です」


 それは、この道場の誰もが聞いたことのない概念だった。剣は個人で磨くもの。戦は、その結果に過ぎない。そんな空気が支配的だった試衛館に、俺は「組織」という名の新しい風を吹き込もうとしていた。


「よし、わかった!新八、お前にすべて任せる。好きにやってみろ!」


 近藤さんの鶴の一声で、俺の提案は正式に採用されることになった。土方さんは何も言わなかったが、その視線は、俺のやろうとしていることの成否を、冷徹に見極めようとしているのが分かった。


 翌日から、試衛館の稽古風景は一変した。

 俺は門弟たちを二人一組に分け、まずは互いの背中を預けて円を描くように動く訓練から始めた。


「いいか!お前たちの命は、もはやお前だけのものじゃない!相方の命も背負っていると思え!自分の背中は、相方に預けろ!信じろ!」


 最初は戸惑っていた門弟たちも、繰り返し訓練するうちに、徐々にその意味を理解し始めた。一人では見えない背後からの攻撃を、相方が防いでくれる。自分が斬り込む瞬間、がら空きになる脇を、相方が固めてくれる。その安心感が、個々の動きをより大胆に、より鋭くさせた。


 次に、俺は簡単な手信号を教えた。

 人差し指を立てれば「突撃」。

 手のひらを広げて前に出せば「前進」。

 握り拳は「停止」。

 そして、それらの合図に従い、複数の組が一斉に動く訓練を繰り返した。


「一番組、二番組は正面から圧力をかけろ!三番組は右に回り込め!合図を待て!」


 道場に、木刀の打ち合う音だけでなく、俺の怒声にも似た指示と、門弟たちの短い応酬が響き渡る。


「右、クリア!」

「背後、頼む!」

「一人、崩したぞ!」


 それはもはや、剣術の稽古というよりは、軍隊の演習に近い光景だった。古参の門弟たちの中には、この変化に眉をひそめる者も少なくなかった。


「何だ、ありゃ。まるで子供のいくさごっこじゃねえか」

「剣士の誇りも何もあったもんじゃねえな」


 そんな陰口が聞こえてくるのも無理はなかった。だが、俺は意に介さなかった。なぜなら、この訓練の真価は、実戦形式で証明されると確信していたからだ。


 そして、訓練開始から十日後。俺は近藤さんと土方さんの見守る中、模擬戦を行うことを宣言した。


「これより、紅白戦を行う!赤組は、従来の通り、個人の判断で自由に戦え!白組は、俺の指示と、これまで訓練した連携のみで戦ってもらう!」


 赤組には、先ほど陰口を叩いていた古参の者たちを中心に、腕自慢の十人が選ばれた。対する白組は、俺の指導を受けていた新参の門弟たちが中心の十人。個々の技量で言えば、明らかに赤組が上だ。


「始め!」


 近藤さんの号令と共に、模擬戦の火蓋が切られた。

 赤組の猛者たちは、獲物を見つけた獣のように、それぞれが白組の相手に襲いかかった。対する白組は、俺の指示通り、二人一組で守りを固め、すぐには打ち合わない。


「焦るな!守りを固めろ!敵を引きつけろ!」


 俺は戦況を見ながら叫ぶ。赤組は、思うように攻めきれず、苛立ちを募らせていく。一対一ならすぐに終わるはずの相手が、二人で巧みに攻撃を受け流し、決定打を許さないのだ。


「今だ!一番組、二番組、中央を突破しろ!三番組、四番組は左右から挟み込め!」


 俺が大きく腕を振ると、それまで守勢だった白組が一斉に動いた。

 二組四人が赤組の中央に楔を打ち込むように突撃し、敵の陣形を分断する。その動きに動揺した赤組の側面から、残りの二組が襲いかかった。


「なっ!?」


 赤組の一人が、目の前の相手に集中するあまり、側面から打ち込んできた白組の木刀に対応できない。鈍い音を立てて胴に一撃を食らい、その場にうずくまる。一人、また一人と、数的有利を作られた赤組の門弟たちが、次々と戦闘不能に陥っていく。


 それは、まさしく革命だった。

 個人の武勇が、組織の戦術の前に無力化されていく。腕では劣るはずの白組が、赤組を圧倒していく。門弟たちは、自分たちの目の前で起きていることが信じられないといった表情で、その光景を呆然と見つめていた。


 最終的に、赤組はわずかな時間で全員が木刀を置くことになった。対する白組の損害は、軽傷者二名のみ。まさに、圧勝だった。


 道場は、水を打ったように静まり返っていた。勝った白組の者たちでさえ、自分たちが成し遂げたことの大きさに戸惑っているようだった。


 その沈黙を破ったのは、土方さんだった。彼はゆっくりと俺の元へ歩み寄ると、低い声で言った。


「永倉……お前は、恐ろしい男だな」


 その声には、非難の色はなかった。むしろ、その逆だ。彼の目は、まるで未知の兵器でも見るかのように、興奮と警戒の色を隠さずに俺を射抜いていた。


「この戦術、完成させれば、試衛館は化けるぞ。そこらの浪人やチンピラ相手どころか、藩の兵相手にすら渡り合えるかもしれん」


「そのために、この訓練を提案したのです」


 俺は静かに答えた。土方さんは、ふっと息を吐くと、俺の肩を強く叩いた。


「気に入った。とことんまで、やれ。俺も協力する」


 それは、この道場で最も合理的で、最も冷徹な男からの、最大の賛辞だった。

 ふと視線を上げると、近藤さんが俺を見て、力強く頷いていた。その目には、絶対的な信頼が宿っている。この人のために、この人たちを死なせないために、俺はここにいる。史実の結末を知るがゆえの罪悪感が、また胸を締め付けた。だが、今は前を向くしかない。


 俺は、この試衛館という小さな組織が、やがて「新選組」という名の、幕末最強の戦闘集団へと変貌を遂げていく、その確かな第一歩を、この足で踏みしめた実感を得ていた。未来は、まだ白紙だ。そして、その白紙の地図を描くのは、この俺自身なのだと、改めて心に誓った。


個の技量で勝る古参門弟たちが、組織戦術の前に完敗。

模擬戦の結果は、新八が提唱した集団戦の有効性を鮮烈に証明しました。


懐疑的だった土方もその価値を認め、俺に全幅の信頼を寄せます。

これは、試衛館がやがて「新選組」へと至る道の、確かな一歩です。

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