第128話:二つの誠
明けましておめでとうございます。
本年も新八たちの奮闘をどうぞ見守ってください。
京の都では、男装の麗人・中沢琴と沖田総司の間に、新たな物語が紡がれようとしています。
新選組屯所での騒動から数日後。
中沢琴は、京の北東、聖護院の一角にある屋敷を訪れていた。
そこは、庄内藩預かりの浪士組「新徴組」が、臨時の駐屯地として借り受けている場所だった。
本来、新徴組は江戸の市中警護を主任務としている。
だが、昨今の京における情勢悪化、特に薩長同盟の成立や不逞浪士の活発化を受け、幕府は江戸の精鋭を京へ派遣することを決定したのだ。
表向きは「将軍上洛に伴う警護の増強」だが、実際には、手が回りきらなくなった新選組の負担を軽減し、京の治安維持能力を底上げするための緊急措置だった。
「……琴か。まさか、本当にお前が来るとはな」
屋敷の奥から現れたのは、琴の兄・中沢貞祇だった。
無精髭を生やし、少しやつれたようにも見えるが、その眼光の鋭さは変わっていない。
「兄上! ご無沙汰しております」
琴は深々と頭を下げた。
「江戸の屋敷には誰もおりませぬゆえ、もしやと思い京へ参りましたが……やはり、こちらでしたか」
「ああ。急な命令でな。身支度もそこそこに、先発隊として送り込まれたのだ」
貞祇は苦笑しながら、琴の男装姿をじろりと見た。
「で、その格好はどうした。また道場破りでもしてきたか?」
「人聞きが悪いことを仰らないでください。旅の用心です。……ただ、少しばかり腕試しもいたしましたが」
琴は、新選組屯所での出来事を話した。
沖田総司との手合わせ。そして、彼が自分を女と知っても態度を変えなかったこと。
「ほう。あの天才剣士・沖田とやり合ったか。……相変わらず、お前の剣は恐ろしいな」
貞祇は呆れたように言ったが、その表情には妹への誇らしさも滲んでいた。
「まあいい。お前が来たのは好都合だ。人手が足りん。手伝ってくれるな?」
「はい! そのために参りました」
こうして、琴は新徴組の臨時隊士として、京の町を巡回することになった。
男装をし、大小を帯びて市中を歩く。
その凛々しい姿は、たちまち町娘たちの評判となったが、琴の心にあるのは、あの日手合わせをした一人の剣士のことばかりだった。
ある日の夕暮れ。
琴は、祇園の路地裏で不逞浪士の一団と遭遇した。
新徴組の羽織(新選組と同じダンダラ模様だが、色が違う)を見た浪士たちが、殺気立って囲んでくる。
「おいおい、こんな優男が侍気取りか?」
酔った浪士たちが、琴を取り囲む。
琴は無言で刀の柄に手をかけた。法神流の構えを取ろうとした、その時だ。
「やめときなよ。その子、強いよ?」
軽やかな声と共に、路地の向こうから浅葱色の羽織が現れた。
沖田総司だ。
「げっ、新選組の沖田……!」
浪士たちは顔色を変え、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「やあ、琴くん。奇遇だね」
沖田はニコニコと笑いながら近づいてきた。
「沖田様……。助太刀、感謝いたします」
「いいってことよ。……それより、新徴組に入ったんだって? 似合ってるよ、その羽織」
沖田は、琴が着ている新徴組の羽織を指差した。
「はい。兄の元で、微力ながら京の治安維持に努めております」
「そっか。じゃあ、僕らは同僚だね」
沖田は嬉しそうに言った。
「ねえ、これから少し時間ある? 美味しい団子屋を見つけたんだ」
こうして、二人は任務の合間を縫って、度々会うようになった。
剣の話、故郷の話、そして他愛のない世間話。
沖田の屈託のない笑顔と、鋭い剣技のギャップに、琴は次第に惹かれていった。
だが、同時に気づいたこともある。
沖田が時折見せる、苦しげな表情だ。
その夜は、冷たい風が吹いていた。
琴と沖田は、共同任務として市中の見回りをしていた。
人気の絶えた通りを歩いていると、突然、沖田が足を止めた。
「……ごめん、ちょっと」
沖田は壁に手をつき、激しく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……!」
その背中が、小さく震えている。
「沖田様!?」
琴は慌てて駆け寄り、彼の背中をさすった。
華奢な背中。
普段の鬼神のような強さからは想像もできないほど、その体は薄く、脆く感じられた。
「……はぁ、はぁ。……ごめん、驚かせちゃったね」
しばらくして、発作が治まった沖田が顔を上げた。
その顔色は蒼白で、額には脂汗が滲んでいる。
「大丈夫ですか? 無理をなさっては……」
「平気だよ。いつものことだから」
沖田は弱々しく笑った。
「……君の手は、温かいね」
その言葉に、琴の心臓がドクリと跳ねた。
背中をさすっていた手を、慌てて引っ込める。
「あ、あの……失礼いたしました」
「ううん。ありがとう。……すごく、楽になった」
沖田は、琴の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、いつもの少年のような無邪気さだけでなく、どこか儚げで、それでいて深い慈愛のような色が宿っていた。
琴は、自分の胸の奥で何かが弾ける音を聞いた。
これは、憧れではない。
もっと熱く、切ない感情。
恋だ。
男装の剣士として生きてきた自分が、初めて知る感情だった。
「……沖田様」
琴は意を決して言った。
「私にできることがあれば、何でも仰ってください。剣の相手でも、背中をさすることでも……何でも」
沖田は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。……じゃあ、これからも僕の『相棒』でいてくれる?」
「はい! 喜んで!」
その時、路地の向こうから土方歳三が現れた。
「総司、ここにいたか。……ん? そっちは新徴組の中沢か」
「あ、土方さん」
沖田はいつもの調子に戻り、ひらひらと手を振った。
「ちょっと休憩してたんですよ。琴くんと、作戦会議です」
「作戦会議だぁ? ……まあいい。新八から急ぎの報せが入った。屯所に戻るぞ」
土方の言葉に、沖田の表情が引き締まる。
「永倉さんから? ……わかりました。琴くん、またね」
「はい。お大事になさってください」
沖田と土方が去っていく背中を見送りながら、琴は自分の手を握りしめた。
まだ、彼の方に残る温もりが消えない。
新選組の「誠」と、新徴組の「誠」。
二つの旗の下で、不器用な恋が芽吹き始めていた。
だが、琴はまだ知らない。
沖田の病が、永倉新八の介入によって、史実よりも遥かに軽くなっていることを。
そして、彼らの前に待ち受ける過酷な運命を。
永倉からの報せ。
それは、江戸での「国家魔改造」が新たな段階に入ったことを告げるものだった。
歴史の歯車は、加速していく。
恋も、戦いも、すべてを巻き込んで。
剣で通じ合った二人の間に芽生えた、淡い恋心。
しかし、沖田の体には再び病魔の影が隠れ見えだします。
新八の介入は、最終的に彼の運命をも変えることができるのでしょうか。




