第127話:京の風来坊
本年も拙作にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
江戸で改革が進む一方、京の都にも新たな風が吹き込みます。
今年最後の更新、どうぞごゆっくりお楽しみください。
京の都。
新八が江戸で国家改造の青写真を描いていた頃、京の町には不穏な空気が漂い始めていた。
薩長同盟の成立により、倒幕派の動きは水面下で活発化し、新選組の屯所である西本願寺周辺も、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
そんなある日の午後。
屯所の門前に、一人の若者が現れた。
背が高く、すらりとした体躯。黒の着流しに、大小二本の刀を差している。
深編み笠を目深に被り、その顔はよく見えないが、立ち姿からは只者ではない気配が漂っていた。
「たのもー!」
若者が、よく通る声で叫んだ。
門番を務めていた平隊士が、怪訝な顔で応対する。
「何用か。ここは新選組屯所であるぞ」
「承知しております。拙者、上州から参りました中沢琴と申します。兄、中沢貞祇を訪ねて参りました」
中沢貞祇。
浪士組時代からの古参であり、現在は江戸に戻って新徴組の幹部を務めているはずだ。
「中沢さんなら、ここにはおらんぞ。江戸の新徴組だ」
「えっ!?」
若者……中沢琴は、編み笠を少し上げた。
そこから覗いたのは、驚くほど整った美貌だった。切れ長の瞳、通った鼻筋、そして陶器のように白い肌。
だが、その表情は「しまった」と言わんばかりに歪んでいる。
「江戸……ですか? てっきり、まだ京におられるとばかり……」
「入れ違いだな。江戸へ戻るがいい」
門番が追い返そうとしたその時、屯所の中から一人の男が現れた。
沖田総司だ。
彼は稽古着姿で、額には汗が光っている。
「どうしたんですか? 騒がしいですね」
「ああ、沖田先生。いや、人探しの者が来ましてな」
沖田は、門前の若者を見た。
そして、その目がキラリと光った。
剣客としての直感が、相手の実力を感じ取ったのだろう。
「……へえ。いい立ち姿ですね」
沖田は人懐っこい笑顔で近づいていった。
「君、剣をやるの?」
「は、はい。法神流を少々」
琴は、少し警戒したように答えた。
「法神流か。天狗剣法だね。……ねえ、せっかく来たんだし、少し手合わせしていかない?」
「沖田先生! 部外者を屯所に入れるのは……」
門番が慌てて止めようとするが、沖田は聞く耳を持たない。
「いいじゃないですか。兄上を探しに来たんでしょう? 少し休んでいけばいい。……それに、君の剣、見てみたいんだ」
沖田の無邪気な、しかし有無を言わせぬ圧力に、琴は戸惑いつつも頷いた。
「……わかりました。ご指南、お願いいたします」
屯所の中庭。
隊士たちが固唾を飲んで見守る中、沖田と琴が木刀を構えて対峙していた。
沖田は正眼。
対する琴は、独特の構えを取った。切っ先をやや下げ、半身になって相手を見据える。法神流特有の、実戦的な構えだ。
「参る!」
琴が裂帛の気合と共に踏み込んだ。
速い。
長身から繰り出される突きは、まるで槍のように鋭く、沖田の喉元を狙う。
沖田はそれを紙一重でかわし、木刀を打ち下ろす。
だが、琴は体を沈めてそれを躱し、下から斬り上げるような軌道で反撃した。
「おっ!」
沖田が驚きの声を上げ、バックステップで距離を取る。
隊士たちからどよめきが起こった。
一番隊組長である沖田を、一合目で退かせたのだ。
「やるねえ! その間合い、そして柔軟な身のこなし……ただの道場剣術じゃないね」
沖田の顔に、楽しげな笑みが浮かぶ。
「次は、本気で行くよ」
沖田の構えが変わった。
平青眼。
彼の代名詞である「三段突き」の予備動作だ。
空気が張り詰める。
琴もそれを察知し、全身の筋肉をバネのように収縮させた。
瞬間。
二つの影が交錯した。
パァン! という乾いた音が響き渡る。
両者、相打ち。
沖田の木刀は琴の肩口で止まり、琴の木刀は沖田の脇腹に突きつけられていた。
もちろん、実戦なら沖田の突きが先に喉を貫いていただろう。だが、寸止めとはいえ、沖田の懐に飛び込み、相打ちに持ち込んだその度胸と技量は、並大抵のものではない。
「……参りました」
琴が木刀を引き、深々と頭を下げた。
「いやいや、僕の負けだよ。君、すごいね!」
沖田は満面の笑みで琴の肩を叩いた。
「法神流って、こんなに面白い剣なんだ。君、名前は?」
「中沢……琴と申します」
「琴くんか。いい筋をしてるね! どう? 新選組に入らない?」
その言葉に、琴は目を丸くした。
そして、少し困ったように頬を染めた。
「あ、あの……拙者、実は……」
彼女が言い淀んでいると、奥から井上源三郎が現れた。
「総司、何を騒いでおる。……おや、客か?」
「源さん! この人、すごいんですよ。僕と互角に渡り合ったんです」
「ほう。それは見事な」
井上は琴をじっと見つめ、そしてふっと笑った。
「総司。……相手をよく見ろ。この方は、おなごだぞ」
「えっ!?」
沖田が素っ頓狂な声を上げた。
隊士たちも「ええーっ!?」と驚愕の声を上げる。
琴は観念したように編み笠を取り、長い黒髪をさらりと流した。
その姿は、男装の麗人という言葉が相応しい、凛とした美しさに満ちていた。
「……申し訳ありません。旅の用心のため、男の格好をしております」
「お、おなご……? 嘘だろ、あんな鋭い突きを……」
沖田は目をぱちくりさせている。
その様子がおかしくて、琴は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ。……沖田様は、面白い方ですね」
その笑顔を見て、沖田は一瞬、言葉を失った。
剣を交えている時の鬼気迫る表情とは違う、年相応の少女の笑顔。
それが、不意に彼の胸を打ったのだ。
「あ、いや……その……」
天才剣士・沖田総司が、珍しくしどろもどろになっている。
「中沢殿」
井上が助け舟を出した。
「兄上を探しておられるとか。新徴組は、庄内藩預かりとなり、江戸の市中警護を任されております。ここから江戸へ戻るのは骨でしょうが……」
「いいえ。兄の無事がわかれば十分です。それに……」
琴は沖田をちらりと見た。
「強い剣士にお会いできて、光栄でした」
「……僕もだ」
沖田が照れくさそうに頭を掻いた。
「琴さん。……また、手合わせしてくれる?」
「はい。機会があれば、ぜひ」
琴は丁寧に一礼し、屯所を後にした。
その背中を見送りながら、沖田はまだ呆然としていた。
「……強いなぁ。そして、綺麗だったなぁ」
「総司、惚れたか?」
井上がニヤニヤしながら肘でつつく。
「なっ! 違いますよ源さん! ただ、剣筋に惚れ込んだだけです!」
「はいはい、そういうことにしておこう」
屯所に、和やかな笑い声が響いた。
だが、この出会いは単なる偶然では終わらない。
新選組と新徴組。
京と江戸を守る二つの「誠」が、やがて彼女を通じて結びつくことになるのだ。
そして、その背後では、歴史の歯車が大きく軋み始めていた。
永倉新八が江戸で蒔いた種が芽吹く一方で、京には新たな嵐が迫っている。
風雲急を告げる幕末の空の下、若き剣士たちの運命もまた、激流に飲み込まれようとしていた。
沖田をも唸らせる女剣士・中沢琴の鮮烈なデビューでした。
京と江戸を結ぶ新たな縁が、物語をどう動かすのか。
皆様、良いお年を!




