第125話:戦うヒロインの覚醒
道場を後にした新八と佐那。
守られるだけの存在から、共に歩む同志へ。
夕暮れの神田川沿いを歩く二人の間に、新たな空気が流れます。
玄武館の門を出て、俺たちは神田川沿いの土手を歩いていた。
夕日が川面を黄金色に染め、川面を渡る風が心地よく頬を撫でる。
隣を歩く佐那の足取りは軽く、袴の裾がリズミカルに揺れている。だが、その横顔には、先ほどの涙の跡はなく、代わりに凛とした決意の色が浮かんでいた。
「……新八さん」
佐那が静かに口を開いた。
「先ほど、泥を被ると仰いましたね。具体的には、何をなさるおつもりなのですか?」
その問いかけに、俺は足を止めた。
彼女はもう、ただ守られるだけの存在ではない。共に戦うと誓った同志だ。ならば、隠し立てをする必要はない。
「俺がやろうとしているのは、この国の『形』を変えることだ」
俺は川面を見つめながら言った。
「今の幕府は、将軍を頂点とした武士の組織だ。だが、これからは違う。身分に関係なく、能力のある者が国を動かす仕組みを作る。将軍でさえも、その仕組みの中の一つの『役職』になる」
「……将軍様が、役職に?」
「ああ。徳川家茂という個人が、その才覚によって国の指導者に選ばれる。そういう時代を作るんだ」
佐那は少し考え込むように眉を寄せたが、すぐに納得したように頷いた。
「それは……険しい道ですね。古くからの特権にしがみつく武士たちが、黙ってはいないでしょう」
「その通りだ。だからこそ、敵が多い。薩長のような外敵だけでなく、幕府内部にも敵を作るかもしれない」
俺は佐那に向き直った。
「それでも、やるしかないんだ。そうしなければ、この国は異国に食い荒らされ、内戦で血の海になる。……俺は、そんな未来を見たくない」
俺の脳裏には、史実の戊辰戦争、そしてその後の混乱が焼き付いている。
会津の悲劇、函館の戦い、そして多くの仲間たちの死。
それを回避するためなら、俺はどんな汚名でも被る覚悟だ。
「……孤独ですね」
佐那がポツリと言った。
「え?」
「あなたは、誰にも理解されない未来を見て、一人で戦おうとしている。周りには仲間がいるようで、本当の意味であなたの見ている景色を共有できる人はいない……そうではありませんか?」
ドキリとした。
彼女の言う通りだ。
近藤さんも土方さんも、俺の言葉を信じてはくれるが、俺が「未来から来た」という真実までは知らない。家茂や勝海舟も、俺の知識には驚嘆するが、その根源にある孤独までは理解できないだろう。
俺は、常に「異邦人」なのだ。
だが、佐那は違った。
彼女は、俺の言葉の奥にある「孤独」を見抜いていた。
「私にできることはありますか?」
佐那が、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「剣の腕なら、少しは自信があります。あなたの背中を守ることくらいなら、できるはずです」
「佐那さん……」
「それに、私は女です。男の人たちが気づかないような、細やかな変化や、人の心の機微にも敏感です。……あなたの『目』になれるかもしれません」
その言葉に、俺はハッとした。
そうだ。俺に足りないもの。それは、政治や軍事といった「大きな視点」ではなく、もっと身近な、人々の感情や生活といった「小さな視点」かもしれない。
そして何より、俺自身が人間として壊れてしまわないための「支え」が必要なのだ。
「……君は、強いな」
俺は思わず微笑んだ。
「いいえ、弱いです。あなたがいないと、泣いてしまうくらいに」
佐那は少し顔を赤らめたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「でも、あなたのためなら、強くなれます。……鬼にでも、修羅にでもなります」
その瞬間、俺の中で彼女の像が完全に書き換わった。
可憐な道場の娘ではない。
歴史の荒波に立ち向かう、一人の戦士。
そして、俺の魂の半身。
「ありがとう、佐那さん」
俺は彼女の手を取り、強く握りしめた。
「君がいてくれるなら、俺はどんな敵とも戦える。……君は、俺の『心の剣』だ」
「心の、剣……」
佐那はその言葉を噛み締めるように繰り返した。
そして、パッと花が咲くような笑顔を見せた。
「はい! お任せください。錆びつかぬよう、毎日磨いておきますから!」
その笑顔に、俺は救われた気がした。
重圧で押しつぶされそうだった心が、ふっと軽くなる。
俺は、彼女の手を引いて歩き出した。
「行こう。まずは、江戸の情報を集めたい。君の顔の広さを貸してほしいんだ」
「はい、喜んで。……どこへ参りましょうか?」
「そうだな……まずは、勝先生のところへ。あそこには、面白い連中が集まっているからな」
俺たちは、夕暮れの神田川沿いを並んで歩いた。
二人の影が、長く伸びて重なり合う。
それはまるで、これから訪れる激動の時代を、二人三脚で歩んでいく未来を暗示しているかのようだった。
数日後。
俺は再び、江戸城の奥御殿にいた。
目の前には、将軍・徳川家茂。
そして、その傍らには和宮。
だが、今日の俺は一人ではない。心の中に、佐那という確かな支えがある。
「……永倉。今日は顔色がよいな」
家茂が不思議そうに言った。
「何か、良いことでもあったか?」
「はっ。……強力な援軍を得まして」
「援軍? 薩摩か? それともフランスか?」
家茂が身を乗り出す。
俺はニヤリと笑った。
「いえ。もっと頼りになる、一人の女性です」
家茂はきょとんとしたが、和宮が扇子の陰でクスクスと笑った。
「まあ、上様。野暮なことを聞いてはいけませんよ。……永倉、その方を大切になさい」
「はい、肝に銘じます」
俺は居住まいを正し、手元の資料を広げた。
「さて、本日は『国家魔改造計画』の核心部分……財政と経済についてお話しいたします」
「うむ。聞かせてもらおう」
家茂の表情が引き締まる。
俺は深呼吸をした。
ここからが本番だ。
佐那との約束を守るためにも、そしてこの国の未来のためにも、俺は持てる知識の全てをこの若き将軍に叩き込む。
偽りの夜明けを、本物の夜明けに変えるために。
俺の声が、奥御殿に朗々と響き渡った。
佐那の覚悟を受け止め、新八は孤独な戦いから解放されました。
心強いパートナーを得て、再び江戸城へ。
家茂への「国家魔改造計画」講義にも一層熱が入ります。




