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第123話:天子様の家庭教師、将軍の師となる

将軍・徳川家茂の「話し相手」として江戸城奥御殿へ通う新八。

そこには意外な人物の姿も。

新八が語る「立憲君主制」と「内閣制度」は、若き将軍の心にどう響くのか。

 江戸城、奥御殿の一室。

 本来ならば、将軍の私的な空間であり、臣下はおろか、老中であっても容易には立ち入れぬ聖域だ。

 その一室に、俺は座していた。

 目の前には、第十四代将軍・徳川家茂。

 そして、その傍らには、一人の女性の気配がある。御簾みすの向こうに控えるその人物こそ、皇女和宮。孝明天皇の妹であり、家茂の正室だ。


「……永倉。誰も見ておらぬ。楽にせよ」

 家茂が柔らかな声で言った。

 俺は一礼し、居住まいを正す。

「はっ。では、お言葉に甘えまして」


 数日前の謁見以来、俺は「将軍の話し相手」という名目で、頻繁に城へ呼ばれるようになっていた。表向きは、京の情勢や剣術の話ということになっているが、実態は全く異なる。

 これは、講義だ。

 生徒は、日本国の最高権力者。

 そして教師は、未来の知識を持つ一介の浪士。


「前回は『経済』の話であったな。信用を貨幣とする仕組み、あれから予なりに考えてみたが、実に奥が深い。だが、今日は別の話を聞きたい」

 家茂は身を乗り出し、少年のように目を輝かせた。

「そなたが言っていた『公議政体』……そして、その先にある『近代国家』における統治のあり方についてだ」


 俺は頷き、手元の書物に視線を落とした。これは俺が夜なべして書き上げた、即席の教科書だ。

「では、本日は『立憲君主制』と『内閣制度』についてお話しいたします」

「リッケン……クンシュセイ? ナイカク?」

「はい。簡単に言えば、憲法という法によって国家の骨組みを定め、帝を国の『象徴』として戴きつつ、実際の政治は『総理』と呼ばれる宰相が全責任を持って行う仕組みです」


 俺は、現代の政治学を、可能な限りこの時代の言葉に置き換えて説明を始めた。

 帝は、歴史と伝統、そして神々と民を繋ぐ『祭主』として、国家の精神的支柱となる。

 一方、政治の実務は、議会によって選ばれたリーダーが行う。

 責任は政治家が負い、栄誉は帝が受ける。

 それにより、政治的な失敗があっても、帝の権威は傷つかない。


「……なるほど。帝を政治の泥沼から遠ざけ、高みにおわす存在とするか。それは義兄上(孝明天皇)の御心にも叶うやもしれん」

 家茂は深く頷いた後、鋭い視線を俺に向けた。

「だが、永倉。その『総理』とやらは、誰がなるのだ? 薩摩か? 長州か? それとも……」


 俺は真っ直ぐに家茂を見つめ返した。

「公方様。あなた様です」

「予が?」

「はい。徳川家が将軍職を返上し、代わりに初代の『総理大臣』として、新しい政府の舵取りを行うのです」


 家茂は息を呑んだ。

 俺は言葉を続ける。

「これまでの将軍は、世襲によってその地位を約束されていました。しかし、これからは違います。実力と実績によって、民と議会から選ばれる指導者とならねばなりません。徳川だから偉いのではなく、徳川家茂という個人が優れているからこそ、国を任される。そういう時代が来ます」


 それは、徳川家にとっては茨の道かもしれない。世襲の特権を捨てることになるからだ。

 だが、家茂の反応は違った。

 彼の瞳に、野心とも覚悟ともつかぬ、強い光が宿ったのだ。


「……面白い」

 家茂は口元を歪めた。

「予は常々思っていたのだ。家柄だけで老中が決まり、前例だけでまつりごとが決まる。そんな幕府に、何の意味があるのかと。……実力で選ばれるか。望むところだ」


 頼もしい。

 この人は、俺が思っていた以上に「政治家」だ。

 彼はすでに、将軍という枠組みを超えて、一人の指導者として覚醒しつつある。


「ですが、公方様。そのためには、薩長のような勢力も『議会』という土俵に引きずり込まねばなりません。彼らが武力で訴えようとすれば、それは『法』への挑戦となり、大義名分を失います」

「毒を以て毒を制す、か。……いや、違うな。彼らの『正義』を、言論の場で問うということか。ならば予は、言葉と政策で彼らをねじ伏せればよい」


 家茂は自信に満ちた笑みを浮かべた。

 その時、御簾の向こうで衣擦れの音がした。

 家茂がちらりとそちらを見て、苦笑する。

みやも、熱心に聞いておられるようだ」


 和宮。

 史実では、公武合体の象徴として降嫁し、家茂とは仲睦まじい夫婦だったと伝えられている。だが、当初は武家への不信感も強かったはずだ。

 俺のような得体の知れない男が、夫に「異国の毒」を吹き込んでいると思われても仕方がない。


 すると、御簾の奥から、凛とした声が響いた。

「……永倉、と申しましたね」

「は、はい。御台所みだいどころ様」

「そなたの申す『新しい国』では、上様は……徳川は、帝をお守りできるのですか? 将軍という職を捨ててまで」


 核心を突く質問だ。彼女にとって最も重要なのは、実家である朝廷と、夫である家茂の安泰だ。

 俺は背筋を正した。

「お守りできます。いえ、今よりも強く、確実にお守りできます」

「その根拠は?」

「将軍職は、武家の棟梁に過ぎません。しかし、総理大臣は『総ての民の代表』です。日本中の民の支持を背負った指導者として、帝を支える。それは、武力による支配よりも遥かに強固な絆となります」


 俺は言葉を継いだ。

「公方様が、泥を被ってでも政治の最前線に立ち、国を富ませ、民を安んじる。その実績こそが、帝の御威光を輝かせるのです。……公方様には、その才覚がおありです」


 沈黙が流れた。

 やがて、御簾が静かに上げられた。

 そこに現れたのは、透き通るような美貌を持つ女性だった。その瞳には、警戒の色はなく、代わりに強い探究心と、夫への信頼が宿っていた。


「……兄上(孝明天皇)が、そなたを信頼した理由が少しわかりました……。上様、この者の話、まことに聞こえます」

 和宮は扇子で口元を隠しながら、家茂に視線を移した。

「わらわも、京の兄上にふみを書きます。徳川が……いいえ、上様が、新しい形で朝廷を支えようとしていることを、兄上にも知っていただかねば」


 家茂の顔が、ぱっと明るくなった。

「宮がそう言ってくれるなら、百人力だ」

 彼は俺に向き直り、力強く言った。

「永倉。予は決めたぞ。そなたを『師』とし、新しい日本を創る。……予は、初代の『総理』とやらになってみせる。そして、薩長ごときにこの国の舵取りは渡さん」


 その言葉に、俺は震えた。

 これだ。この覇気だ。

 史実の家茂は、幕閣の調整役に徹し、その才能を発揮しきれずに終わった。だが、今の彼は違う。自らの意思で、権力を掴み取ろうとしている。


「御意。……では、まずは何から始めましょうか」

「うむ。まずは、健康管理から始めようか」

 家茂が、いたずらっぽく笑った。

「……は?」

 俺が呆気にとられると、家茂は真顔で言った。

「そなた、前に言っていたではないか。新しい国を創るには体力が要ると。それに、予が倒れれば、宮が悲しむ」


 俺は思わず吹き出しそうになった。

 まさか、将軍の方からそれを言い出すとは。

史実における家茂の死因は、脚気による心不全。そして、その背景には極度の虫歯と偏食があったとされる。

 彼を死なせないこと。

 それが、この改革を成功させるための絶対条件だ。


「仰る通りです。甘い物はお控えいただき、玄米と豚肉を……」

「う、うむ。……羊羹は、一日二切れまでならよいか?」

「ダメです」

「ええー……」


 将軍の情けない声が、奥御殿に響いた。和宮が「まあ、上様ったら」とクスクス笑う。

 だが、その空気は温かく、希望に満ちていた。

 俺は確信した。

 この二人となら、歴史を変えられる。

 偽りの夜明けを、本物の夜明けに変えてみせる。


 城を出ると、空は茜色に染まっていた。

 心地よい疲労感を感じながら、俺は大手門をくぐる。

 ふと、懐の感触を確かめた。

 そこには、家茂から預かった「直筆の書状」が入っている。宛先は、勝海舟。

 次なる一手は、海軍力の掌握と、近代的な軍制改革だ。

 休んでいる暇はない。


 だがその前に、一つだけ寄りたい場所があった。

 神田お玉ヶ池。

 北辰一刀流、玄武館。

 かつて俺が剣を学び、そして淡い想いを残した場所。


「……佐那さん」


 風に乗って、懐かしい木刀の音が聞こえてきた気がした。

 俺は足を速めた。

 国を動かす大仕事の合間に、少しだけ、自分自身の過去とも向き合いたかったのかもしれない。

 あるいは、未来を変えるための勇気を、彼女から貰いたかったのかもしれない。


 夕日が、俺の影を長く伸ばしていた。


家茂が「総理大臣」を目指すと宣言し、和宮も協力を約束。

歴史の歯車が大きく回り始めました。

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