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第122話:若き将軍

江戸城へ足を踏み入れた新八。

帝からの御宸翰を切り札に、将軍・徳川家茂への拝謁を試みます。

老中たちの冷ややかな視線の中、新八が放つ言葉は、若き将軍の心に届くのか?


 江戸城、西の丸大手門。

 見上げるような巨大な石垣と、その上に鎮座する白亜のやぐら。かつて教科書や観光写真で何度も目にした光景だが、当時の威容は現代のそれとは比較にならない。

 張り詰めた空気。行き交う武士たちの鋭い視線。ここが日本の心臓部であり、徳川三百年の権威が凝縮された場所であることを、肌で感じる。


 俺は、会津藩邸からの紹介状を懐に、大手門の前に立っていた。

 本来なら、新選組の一隊士ごときが足を踏み入れることなど許されない領域だ。だが、俺の手には切り札がある。

 孝明天皇からの御宸翰ごしんかんの写し。そして、会津中将・松平容保公の添え状。

 これらが意味するのは、「帝の使い」としての資格だ。


「新選組、永倉新八。会津中将様の命により、公方様くぼうさまへ言上仕りたく参上いたしました」


 番所の役人に告げると、一瞬の動揺が走った。だが、容保公の書状を確認すると、彼らの態度は一変した。

 数刻の後、俺は城内の一室に通された。

 質素だが品のある部屋。そこに現れたのは、一人の老齢の武士だった。

 老中首座、板倉勝静いたくらかつきよ


「……新選組の永倉と申したか。中将殿からの書状、拝見した。帝より賜りしお言葉があるとか」

 板倉の声は低く、威圧的だ。その目は、俺という異分子を値踏みするように細められている。

「はい。京の情勢、ならびに帝の御心みこころについて、公方様へ直接お伝えすべき儀がございます」

「ふん。陪臣ばいしんの分際で、上様に直接お目通り願うとは。身の程を知らぬにも程がある」


 板倉の言葉は辛辣だが、想定内だ。幕閣にとって、俺のような存在は秩序を乱すノイズでしかない。

 だが、俺は怯まなかった。

「身の程は弁えております。しかし、事態は一刻を争います。薩摩と長州の不穏な動き、そして帝が憂慮されている『偽りの夜明け』について、公方様のお耳に入れねば、徳川の御世みよに関わりまする」


「偽りの夜明け、だと……?」

 板倉の眉がピクリと動く。

 俺は畳み掛けた。

「薩長が手を結び、倒幕の機を伺っていることはご存知でしょう。彼らが狙うのは、単なる政権奪取ではありません。徳川を『朝敵』とし、武力をもって討ち滅ぼすことです。そのための口実作りが、今まさに京で進んでおります」


 板倉は沈黙した。老中として、彼も京の不穏な空気は感じ取っているはずだ。だが、具体的な情報と対策を持たない彼らにとって、俺の言葉は無視できない重みを持つ。

「……よかろう。上様にお伺いを立てる。だが、粗相があれば即座に首が飛ぶと思え」


 そして、その時は来た。

 黒書院。

 広大な畳の間の上段に、その人は座していた。

 第十四代将軍、徳川家茂。

 まだ二十歳そこそこの若さだが、その顔立ちには気品と知性が漂っている。史実では、この数ヶ月後に大阪城で病没することになる悲劇の将軍。

 だが、目の前の家茂は、多少顔色は白いものの、眼光は鋭く、生命力に満ちていた。


「面を上げよ」

 涼やかな声が響く。

 俺はゆっくりと顔を上げた。

 周囲には板倉をはじめとする老中たちが控えている。彼らの視線は冷ややかだが、家茂の視線だけは違った。純粋な好奇心と、何かを探るような深みがある。


「永倉新八。そなたが京で帝をお守りした忠臣であることは、中将より聞いておる。して、予に伝えたいこととは何だ」


 俺は平伏し、言葉を選んで話し始めた。

「恐れながら申し上げます。現在、京では薩摩と長州が手を組み、倒幕の準備を進めております。彼らの狙いは、幕府を『朝敵』に仕立て上げ、錦の御旗を掲げて討ち取ること。このままでは、日本を二分する大戦おおいくさとなります」


「……薩長が手を組むか。水と油のはずだが」

「はい。ですが、彼らには共通の敵がおります。それが、今の幕府です」

 俺は言葉を続ける。

「彼らは、幕府を『旧態依然とした悪』と断じ、自らを『新しい時代の正義』と位置づけています。この構図を崩さぬ限り、幕府はいずれ追い詰められましょう」


「では、どうすればよいと言うのだ。長州を討つか? 薩摩を問いただすか?」

 家茂の問いに、俺は首を横に振った。

「いいえ。武力で抑え込めば、彼らに『幕府の横暴』という口実を与えるだけです。必要なのは、幕府自らが変わること。薩長以上に近代的で、合理的な統治機構へと生まれ変わることです」


「幕府が変わる……?」

 家茂が身を乗り出した。

 周囲の老中たちがざわめく。「控えよ!」「上様の前で何を言うか!」という怒声が飛ぶが、家茂は手でそれを制した。

「続けよ」


 俺は深呼吸をし、脳内の引き出しを開けた。

 現代知識という武器を、この時代に合わせて解き放つ。


「公方様。異国の言葉に『エコノミー』というものがございます。これは『経世済民』、すなわち世を治め民を救うという意味ですが、その本質は『かねの流れ』にあります」

「金の流れ……」

「はい。薩長は密貿易で富を蓄え、最新の武器を買い揃えております。対して幕府は、米の石高こくだかに頼る古い仕組みのまま。これでは、戦になれば兵站……補給と資金力で負けます」


 俺は、中央銀行の設立、統一通貨の発行、そして国債による資金調達の概念を、できるだけ平易な言葉で説明した。

 「幕府が信用を担保に紙幣を発行し、それを元手に産業を興す」「諸藩からも出資を募り、利益を配分する」

 老中たちは口をあんぐりと開けている。「何を言っているのかわからん」「紙切れが金になるわけがなかろう」という反応だ。

 だが、家茂だけは違った。

 彼は目を輝かせ、俺の言葉を咀嚼するように頷いている。


「……なるほど。米ではなく、信用を貨幣とするか。それは、大名の力を削ぎ、幕府に力を集める策ともなるな」

 鋭い。

 家茂は、俺が説明しなかった政治的な効果まで瞬時に見抜いた。

 この人は、本物だ。


「さらに、政治の仕組みも変える必要があります」

 俺は一気に畳み掛けた。

「帝を頂点とし、公方様がその下の『総理』として実務を取り仕切る。そして、諸藩の大名や有識者を集めた『議会』を作り、そこで国の方針を決める。これを『公議政体』と呼びます」


「公議政体……。だが、それでは徳川の権威が失われるのではないか?」

「逆です。議会を作ることで、薩長のような不満分子を土俵に上げ、言葉で戦わせるのです。もし彼らが議会の決定に従わず武力を行使すれば、それは『国家への反逆』となります。幕府ではなく、国全体を敵に回すことになるのです」


 家茂は腕を組み、天井を仰いだ。

 長い沈黙が流れる。

 老中たちは、将軍が激怒し、この無礼な浪士を手討ちにするのを待っているようだった。

 だが、家茂の口から出た言葉は、彼らの予想を裏切るものだった。


「……面白い」

 家茂はニヤリと笑った。

「そなた、名はなんと言ったか」

「永倉新八にございます」

「永倉。そなたの言葉、一介の剣客のものとは思えぬ。まるで、遥か未来から来た学者のようだな」


 ドキリとした。

 だが、俺は表情を崩さずに答える。

「……ただの、歴史好きの浪士にございます」


「ふふ、謙遜するな。……板倉」

「は、はっ!」

「この男を、予の『客分』として城内に留め置け。もっと話を聞きたい」


「なっ……! 上様、正気でございますか!? どこの馬の骨とも知れぬ者を!」

「馬の骨ではない。帝が認めた男だ。それに、今の幕府に必要なのは、このような『外の風』かもしれん」

 家茂は立ち上がり、俺を見下ろした。

「永倉。そなたの描く『新しい幕府』、もっと詳しく聞かせよ。予は、この国を守りたい。そのためなら、徳川の形が変わることも厭わぬ」


 その言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じた。

 この人なら、できる。

 史実では果たせなかった改革を、この若き将軍となら成し遂げられる。

 俺は深く、深く平伏した。


「御意。この身命を賭して、お仕えいたします」


 謁見が終わり、部屋を出た俺の背中は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。

 だが、心は晴れやかだった。

 第一関門突破。

 歴史の歯車が、ギシリと音を立てて動き出したのを感じた。


将軍・家茂の聡明さと柔軟性が、新八の現代知識と共鳴しました。

「経済」と「議会」という劇薬を提示した新八に対し、家茂が見せた反応はまさに英主のそれでした。

歴史のifが動き出し、新八は幕府の「客分」として改革の中枢へ!

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― 新着の感想 ―
この時代には既に『藩札』が存在していることから、紙が金に代わることは知っているのでは?
そりゃ正式じゃないけど帝の使いの首をハネたら徳川が薩長関係なく朝敵にならない?そこまでじゃないのかな?でもすぐ将軍に会えるほどの効果あるお手紙だしな。この小説、面白いんだけど勢い任せなところもあるしな…
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