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第121話:次なる一手

第3部「江戸激闘編」のスタートです。

薩長同盟という史実の大きなうねりを前に、新八が選んだ次なる戦場は、日本の心臓部・江戸城。

龍馬の焦燥、土方の懸念を背に、新八は歴史を覆す驚天動地の一手に打って出ます。

「……偽りの、夜明けか」


 俺の口から漏れた言葉は、京の隠れ家の淀んだ空気に重く沈殿した。

 目の前には、坂本龍馬がいる。薩長同盟という、日本史における特異点をその手で結びつけた男。だが、その表情に英雄の凱旋めいた高揚感はない。あるのは、深い徒労と、それ以上に濃い焦燥の色だった。


「ああ、そうじゃ。わしは夢を見た。薩摩と長州が手を結び、帝の下に新しい国を創る夢を。じゃが、西郷と木戸が見ていた夢は違った」


 龍馬は湯呑みの縁を指でなぞりながら、自嘲気味に笑う。

「あやつらが欲しているのは『和解』やない。『討幕』の剣じゃ。幕府という巨大な敵を倒すための、大義名分と武力。それが手に入った今、奴らは止まらんぜよ。……いや、止まれんのじゃろう」


 俺は腕組みをし、天井の染みを見上げた。

 現代知識を持つ俺には、龍馬の言うことが痛いほど理解できる。史実において、薩長同盟は倒幕への決定的なターニングポイントとなった。彼らは「王政復古」を旗印に掲げるが、その本質は武力による政権奪取、すなわちクーデターだ。

 俺がこれまで積み上げてきた、帝の警護や京の治安維持といった実績も、薩長が「錦の御旗」を掲げてしまえば、すべて「朝敵」の所業として塗り替えられてしまう。


「歴史の修正力、ってやつか……」


 俺が呟くと、龍馬が怪訝な顔をした。

「なんじゃ、その難しい言葉は」

「いや、独り言だ。……つまり、薩長は遠からず、幕府に対して牙を剥く。それも、話し合いではなく、戦という形で」

「そうなる。わしが描いた『大政奉還』による平和的な政権移譲なんぞ、奴らにとっては生ぬるい戯言に過ぎん。……新八、すまん。わしは、とんでもない怪物を解き放ってしまったのかもしれん」


 龍馬が頭を抱える。その姿を見て、俺の中で冷徹な官僚人格が覚醒した。

 感傷に浸っている時間はない。状況は最悪だ。だが、絶望するにはまだ早い。

 俺の脳内で、思考の歯車が高速で回転を始める。


 敵の狙いは「倒幕の大義名分」だ。幕府を「旧態依然とした悪」と定義し、それを討つことで正義を成す。それが彼らのシナリオだ。

 ならば、そのシナリオを根底から覆すにはどうすればいい?

 幕府が「悪」でなくなればいい? いや、そんな道徳的な話ではない。

 幕府が、薩長以上に「近代的」で「合理的」な統治機構へと変貌してしまえばいいのだ。彼らが戦争を仕掛けるための口実そのものを、物理的に消滅させる。


「……龍馬。あんたはまだ、諦めちゃいないんだろう?」


 俺の問いに、龍馬が顔を上げた。その瞳の奥には、まだ消えぬ火が宿っている。

「当たり前じゃ。わしは日本の洗濯がしたいだけじゃ。血の雨で国を洗うつもりはない」

「なら、俺に賭けろ」

「おんしに?」

「ああ。薩長が戦の支度を整える前に、俺が幕府を変える。奴らが『倒すべき徳川』を見失うほどにな」


 俺は立ち上がり、刀を腰に差した。

 永倉新八としての剣技。そして、元エリート官僚としての知略。そのすべてを動員する時が来た。

 目指すは京ではない。この国の心臓部、江戸だ。


 新選組屯所、局長室。

 俺の言葉を聞いた近藤勇は、案の定、目を丸くして絶句した。


「え、江戸へ行く!? 今、この時期にか!?」


 近藤の声が部屋中に響き渡る。隣に座る土方歳三は、眉一つ動かさずに煙管を燻らせていたが、その目は鋭く俺を射抜いていた。

「新八。京の情勢が不安定なのはお前が一番よく知っているはずだ。薩長の動きが怪しい今、お前という戦力を欠くのは新選組にとって痛手だぞ」


 土方の指摘はもっともだ。俺は今や、新選組の作戦参謀的な役割も担っている。俺が抜ければ、現場の指揮系統に少なからず混乱が生じるだろう。

 だが、俺は首を横に振った。


「土方さん、近藤さん。これは、京一都市の治安維持の問題ではありません。もっと大きな、国家の存亡に関わる話なんです」


 俺は龍馬から得た情報――薩長同盟の真実と、彼らが画策する倒幕のシナリオについて、かいつまんで説明した。もちろん、龍馬の名前は伏せ、「独自の諜報網」からの情報として。

 話が進むにつれ、近藤の顔色が悪くなっていく。


「まさか……薩摩と長州が手を組むなど……。水と油ではないか」

「その水と油を混ぜ合わせるほどの『熱』が、今の幕府への不満だということです。このままでは、遠からず戦になります。それも、鳥羽伏見の小競り合いでは済まない。日本を二分する大戦乱に」


 俺の言葉に、室内の空気が凍りついた。

 土方が煙管の灰を叩き落とす音が、やけに大きく響く。


「……で、お前が江戸に行って何をするつもりだ。老中たちに直訴でもするか? あいつらが一介の浪士の言葉なんぞ聞く耳持つわけがねぇだろう」

「老中ではありません」

 俺は真っ直ぐに二人を見据えた。

「俺が会うのは、将軍・徳川家茂公です」


「なっ……!?」

 近藤が椅子から転げ落ちそうになった。「上様にか!? 馬鹿を言え! 会津公への拝謁とはわけが違うぞ! 御目見得以下の我らが、将軍家に直接お目通りなど、天地がひっくり返ってもあり得ん!」


 常識で考えれば近藤の言う通りだ。身分制度の厳しいこの時代、俺たちのような存在が将軍に会うことなど、万に一つも許されない。

 だが、俺には切り札があった。


「近藤さん。俺たちが守ったあの方を、お忘れですか」


 俺は懐から、紫の袱紗ふくさに包まれた一通の書状を取り出した。

 それは、かつて孝明天皇暗殺未遂事件を阻止した際、帝から内々に賜った、俺個人への信任状とも言える御宸翰ごしんかんの写しだ。もちろん、原本は厳重に保管してあるが、これには帝の署名と、俺を「忠勇無双の士」と称える言葉が記されている。


「こ、これは……帝の……」

 近藤が震える手でそれを見つめる。

「会津の中将様(松平容保)を通じれば、この書状の意味を将軍家にお伝えすることは可能です。帝が最も信頼を置く新選組の、その隊長が急ぎ奏上したき儀ありとあれば、家茂公も無下にはできません」


 これは賭けだ。だが、勝算はある。

 史実の知識によれば、徳川家茂という人物は、歴代将軍の中でも稀に見る聡明さと、臣下の言葉に耳を傾ける度量を持っていた。そして何より、彼は孝明天皇を義兄として深く敬愛している。その帝からの信任があるとなれば、会うためのハードルは劇的に下がるはずだ。


 土方が、ふっと笑った。

「……呆れたもんだ。お前、最初からそのつもりで、あの時帝の覚えをめでたくしたのか?」

「まさか。結果論ですよ」

「嘘をつけ。お前の目は、いつも俺たちの見えない遥か先を見てやがる」


 土方は立ち上がり、俺の肩を強く叩いた。

「行け、新八。京のことは俺たちに任せろ。近藤さん、いいですね?」

「と、歳三がそう言うなら……。しかし、大丈夫なのか? 江戸城といえば、伏魔殿だぞ。古狸のような幕閣たちが手ぐすね引いて待っている」

「狸退治なら、俺の得意分野ですよ。なにせ、こっちは未来の……いや、異国の知識という武器がありますから」


 俺は近藤に深く頭を下げた。

「必ず、朗報を持ち帰ります。それまで、新選組を頼みます」

「うむ……。新八、死ぬなよ。お前は今や、新選組の要なのだからな」

「肝に銘じます」


 翌朝、俺は旅装を整え、京の町を出た。

 見送りは最小限にした。原田や藤堂たちが騒ぎ出せば、目立って仕方がないからだ。

 それでも、屯所の門前には、沖田総司の姿があった。


「永倉さん」

 病から回復し、以前よりも精悍さを増した天才剣士は、いつもの人懐っこい笑顔で俺を迎えた。

「水臭いですねえ。黙って行っちゃうなんて」

「お前には隠し事はできないな、総司」

「なんとなくですよ。永倉さんの背中が、いつになく張り詰めていたから」


 沖田は俺の荷物に視線を落とし、それから真剣な眼差しで俺を見た。

「……斬り合いに行くわけじゃないんですよね?」

「ああ。だが、ある意味では斬り合いよりも危険な戦場だ」

「言葉の戦、ですか」

「そんなところだ。俺が負ければ、新選組も、幕府も、この国も終わる」


 大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは事実だ。

 俺が江戸で失敗すれば、薩長は計画通りに倒幕戦争を仕掛けるだろう。そうなれば、多くの血が流れ、俺が知る悲劇的な歴史が繰り返される。あるいは、それ以上の地獄が待っているかもしれない。


「永倉さんなら、大丈夫です」

 沖田は迷いのない声で言った。

「僕の病気を治す方法を見つけてくれた人だもの。腐った幕府を治す方法だって、きっと見つけてくれますよ」

「……重圧をかけるなよ」

 苦笑しながらも、俺の心は少し軽くなった。

 そうだ。俺はもう、一人ではない。守るべき仲間がいて、信じてくれる人たちがいる。

 かつて霞が関の官庁街で、過労死するまで働いていた孤独な官僚だった俺は、もういない。


「行ってくる。留守の間、土方さんが気苦労で倒れんように支えてやってくれ」

「あはは、それは難題ですね! 努力します」


 沖田の笑い声を背に、俺は東海道へと足を踏み出した。

 目指すは江戸城。

 かつて俺が教科書で学んだ「江戸幕府滅亡」の歴史。その確定した未来シナリオを、俺はこの手で書き換える。


 道中、俺は脳内の整理を始めた。

 将軍・家茂に会えたとして、何を語るべきか。

 単なる「改革案」では足りない。幕閣たちを黙らせ、将軍の心を鷲掴みにし、即座に実行に移させるだけの衝撃が必要だ。

 俺が持っているのは、現代日本の行政知識、経済理論、そして世界史の知識。

 これらを、幕末の言語に翻訳し、彼らが受け入れられる形に整えなければならない。


「……まずは『公議政体』か。いや、その前に経済だ」


 歩きながら、俺は独りごちる。

 幕府の最大の弱点は、財政基盤の脆さと、意思決定プロセスの旧弊さだ。

 薩長は、密貿易と藩政改革によって経済力を蓄えている。対する幕府は、相変わらずの米本位制と、硬直した税収システムに頼りきりだ。これでは戦争になれば兵站で負ける。

 中央銀行の設立、統一通貨の発行、そして国債による資金調達。

 これらを提案すれば、間違いなく「狂人」扱いされるだろう。だが、家茂なら理解できるかもしれない。彼は若く、柔軟だ。


 そして、政治体制。

 大政奉還は、政権を朝廷に返すことで徳川家の存続を図る策だが、史実ではそれが裏目に出た。朝廷内に岩倉具視という怪物がいたからだ。

 ならば、政権は返さない。

 代わりに、朝廷をトップに戴きつつ、徳川家が首相として実権を握る「立憲君主制」を先取りして構築する。

 議会を作り、諸藩の大名を議員として取り込む。薩長が武力を行使しようとすれば、「議会への反逆」すなわち「国家への反逆」となる仕組みを作るのだ。


「……魔改造だな、こりゃ」


 自分の考えたプランの壮大さに、思わず笑いがこみ上げる。

 一介の剣客が、国家の青写真を描く。

 痛快じゃないか。

 これぞ、転生者の特権だ。


 旅の日数は、思考の海に沈んでいる間に飛ぶように過ぎた。

 やがて、視界の先に巨大な城郭が姿を現した。

 江戸城。

 徳川三百年の栄華の象徴であり、今は沈みゆく巨船。


 俺は草鞋の紐を締め直した。

 ここからが本番だ。

 刀の柄に手を添え、俺は深く息を吸い込む。


「待っていろ、旧態依然とした幕臣のお歴々。そして、岩倉具視、大久保利通。……お前たちの筋書きは、ここで俺が叩き折る」


 現代知識フル活用の、国盗りならぬ「国直し」の始まりだ。

 俺は、江戸の雑踏へと力強く踏み込んでいった。


動き出した新八の「国直し」。

ターゲットは将軍・徳川家茂。

現代知識を武器に、幕府そのものを魔改造するという壮大なプランが始動しました。

伏魔殿・江戸城での論戦が幕を開けます。

新八の策は幕閣に通じるのか?

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お疲れ様です。第三部も楽しみにしております!
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