第12話:剣術の再定義
沖田総司との立ち合いで一躍注目を浴びた新八。その剣を高く評価した近藤勇から、新入門の門弟たちへの指導を任される。
しかし、新八が教えるのは気合や根性ではない。「てこの原理」や「重心」といった物理法則に基づく、あまりに合理的な剣術だった。
戸惑う門弟たちを前に、彼の風変わりな講義が始まる。果たして新八の「理」は、侍たちに受け入れられるのか。
いつも拙作をお読みいただき、誠にありがとうございます。
皆様の温かい応援のおかげで、この度、本作が「小説家になろう」の [日間] 歴史〔文芸〕ランキングにて、第一位という栄誉をいただくことができました。
この知らせを聞いたときは、ただただ驚くと同時に、胸が熱くなるのを感じました。
これもひとえに、日々本作を読んでくださり、ブックマークや評価、そして心温まる感想を送ってくださる読者の皆様一人ひとりのお力添えあってのことです。心より感謝申し上げます。
皆様からの応援を何よりの励みに、これからも物語の世界をより深く、より面白く描いていけるよう、一層筆に力を込めてまいります。
今後とも、本作の登場人物たち、そしてこの物語を、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、本編をお楽しみください。
沖田総司との立ち合いから数日後、俺は近藤勇に呼び出された。沖田君の神速の突きを三度も見切った(実際は転がって避けただけだが)一件は、道場内で瞬く間に広まり、俺を見る門弟たちの目に、以前とは違う色が混じるようになっていた。それは畏敬とも、あるいは単なる好奇心ともつかない、複雑な光だった。
「新八、お前に頼みたいことがある」
近藤さんは、普段の豪放磊落な様子とは少し違い、真剣な面持ちで俺に向き直った。
「新しく入った者たちに、剣を教えてやってはくれんだろうか」
「俺が、ですか?」
思わず聞き返した。試衛館には、近藤さんをはじめ、土方歳三、沖田総司といった錚々たる師範格がいる。序列から言っても、俺が教える立場になるのはまだ早い。
「うむ。お前の剣は、ここ最近で目覚ましい進境を遂げている。特に、先日の沖田との立ち合いは見事だった。力だけに頼らず、相手の動きを読み、理で戦う。その剣を、ぜひ若い者たちに伝えてやってほしいのだ」
近藤さんの目は真剣だった。俺が沖田君の動きを「読んだ」ことを見抜いている。そして、それを評価してくれている。断る理由はなかった。いや、むしろ、これは好機だった。
(俺の知識が、この時代にどこまで通用するのか。そして、この試衛館という組織を、来るべき動乱の時代を生き抜けるだけの精強な集団に変えるための、第一歩になるかもしれない)
官僚としての血が騒ぐのを感じながら、俺は深々と頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします」
こうして、俺の風変わりな剣術講義が始まることになった。
翌日の午後。道場の一角に、新入門の門弟たちが十数人、緊張した面持ちで整列していた。まだ髷も結えないような少年から、俺と同じくらいの年の若者まで、年齢は様々だ。彼らの前に立った俺は、まず一本の木刀を手に取り、こう切り出した。
「今日から君たちに剣を教えることになった、永倉新八だ。よろしく頼む。早速だが、君たちは、剣術で最も大事なものは何だと思う?」
俺の問いに、門弟たちは顔を見合わせる。やがて、一番年嵩の男がおずおずと口を開いた。
「は、はい!気合と……根性かと!」
「なるほど、気合と根性か。それも大事だ」
俺は頷き、他の者たちにも視線を送る。別の少年が、元気よく手を挙げた。
「腕力です!強い力で打ち込めば、相手を打ち負かせます!」
「腕力、か。ふむ」
俺はにやりと笑い、道場の隅に転がっていた手頃な大きさの石を拾い上げた。そして、先ほど腕力と答えた少年に、こう言った。
「君、ちょっと前に出てきてくれ。そして、この石を片手で持ち上げてみろ」
少年は戸惑いながらも前に出て、石に手をかける。だが、十貫(約37.5kg)はあろうかという石は、びくともしない。少年は顔を真っ赤にして力むが、石は地面に根が生えたかのようだ。
「無理です……」
「そうか。では、俺がやってみよう」
俺は少年を下がらせると、持っていた木刀の端を石の下に差し込んだ。そして、木刀の真ん中あたりに、足元にあった別の小さな石を置く。
「いいか、よく見てろ」
俺は、木刀の、石とは反対側の端を、片手でゆっくりと押し下げた。すると、あれほど重かった石が、いとも簡単に持ち上がったのだ。
「なっ……!?」
少年だけでなく、周りの門弟たちから驚きの声が上がる。
「これが、『てこ』の原理だ」
俺は地面に、簡単な図を描いてみせた。支点、力点、作用点。そして、その関係性。
「剣も、これと全く同じだ。刀そのものを『てこ』と考えろ。腕力だけで振り回すのは、一番効率が悪い。自分の身体をどう使い、どこを支点にして、最小の力で最大の威力を生み出すか。それを考えるのが、本当の剣術だ」
俺は木刀を構え、ゆっくりと素振りを見せる。
「手首をこねるな。肩を支点に、腕全体をしなやかな一本の棒のように使え。腰の回転という力を、腕を通して、剣先に伝えるんだ。力むべきは、振り下ろす瞬間だけ。それ以外は、徹底的に力を抜け」
門弟たちは、狐につままれたような顔で、俺の説明と図、そして素振りを食い入るように見つめている。彼らがこれまで教わってきたであろう「型を覚えろ」「千本素振りをしろ」といった教えとは、あまりにもかけ離れていたからだ。
「次に大事なのは、『重心』だ」
俺は講義を続ける。
「重心を制する者が、戦いを制す。いいか、人間の身体の中心は、大体このへそ周りにある。ここを意識しろ。常に自分の重心を安定させ、相手の重心を崩すことだけを考えろ」
俺は再び地面に、二つの人型を描いた。片方は、両足を大きく開いて腰を落とした、安定した姿勢。もう片方は、片足立ちで上体が傾いた、不安定な姿勢。
「どんなに腕力があっても、どんなに速い剣を振れても、体勢が崩れていては全く意味がない。相手が打ち込んできた時、力で受け止めようとするな。相手の力のベクトルを、自分の剣でわずかに逸らしてやればいい。そうすれば、相手は勝手に体勢を崩す。そこを、すかさず突くんだ」
俺は門弟の一人を呼び、実際にやってみせた。相手が力任せに打ち込んできた木刀を、俺は最小限の動きで受け流す。相手は前のめりになり、がら空きになった胴体に、俺の木刀の切っ先が吸い込まれるように収まっていた。
「……わかったか?これが理で戦うということだ。闇雲に稽古を重ねるだけでは、上達には限界がある。なぜそう動くのか、どうすれば効率的なのか、常に頭で考えろ。君たちの身体は、君たちが思っている以上に、合理的で精密な機械なんだ」
俺の講義が終わると、道場はしばし奇妙な沈黙に包まれた。
門弟たちの反応は、二つに分かれた。
半数は、俺の言っていることが理解できず、戸惑いを隠せないでいる。彼らにとって剣術とは、師の動きを真似、ひたすら反復練習を繰り返すことでしか体得できないものだったのだ。
だが、残りの半数、特にこれまで体力や筋力で劣り、伸び悩んでいた者たちの目は、爛々と輝いていた。彼らは、俺が地面に描いた図を食い入るように見つめ、仲間と何かを議論し、実際に木刀を振って感触を確かめている。
「おい、今の話、わかったか?」
「ああ、つまり、こうだろ?腕の力じゃなくて、腰を使うって……」
「なるほど、こうか!さっきよりずっと、木刀が軽く感じるぞ!」
彼らの動きは、明らかに変わっていた。ぎこちなかった素振りが、滑らかになる。無駄な力が抜け、剣筋が安定し始める。上達の速度が、目に見えて速かった。
俺はその様子を、満足げに眺めていた。
(これでいい。これで、試衛館はもっと強くなる)
史実の新選組は、個々の隊士の剣腕は高かったが、組織としての戦闘技術は、旧来の剣術の域を出なかった。だが、俺の知識を加えれば、それを変えられる。個人の才能や身体能力に依存しない、合理的で、再現性の高い戦闘集団。それこそが、俺が目指す新しい組織の姿だった。
その時、道場の隅に、一人の男が腕を組み、静かにこちらを見つめていることに気づいた。
土方歳三だ。
いつからそこにいたのか。彼は一切の表情を浮かべず、ただじっと、俺の指導と、それによって変わりつつある門弟たちの姿を観察していた。
彼の目は、単なる剣術稽古としてこれを見ているのではない。もっと深く、俺の行動の意図と、それがもたらすであろう結果を、冷徹に分析しているようだった。
やがて、俺と視線が合うと、彼は何も言わずにすっと立ち上がり、道場から出て行った。
その日の稽古が終わり、俺が一人で井戸端で汗を拭っていると、その土方さんがふらりとやってきた。
「永倉」
「土方さん」
「今日の稽古、面白い趣向だったな」
彼の口調は、からかっているようでもあり、感心しているようでもあった。
「理で剣を教える、か。まるで算術の指南だな」
「ですが、理に適っているでしょう。力や才能に恵まれぬ者でも、強くなる道はある。俺はそう思います」
俺の言葉に、土方さんはふっと口元を緩めた。それは、笑みと呼ぶにはあまりに微かで、すぐに消えてしまったが。
「お前のやり方は、気に入った」
彼はそれだけ言うと、俺に背を向けた。
「だがな、永倉。戦場は、算術の通りにはいかんぞ。理屈を超えたものが、人の生死を分けることもある。それを忘れるな」
その背中に、俺は何も言えなかった。
わかっている。官僚だった俺が、誰よりも。計画通りに進まないのが、世の常だということを。
だが、それでも。
俺は、この手にある知識と理屈で、運命という不条理に抗うつもりだった。仲間たちが、理不尽に死んでいく未来を、この手で変えるために。
井戸水を含んだ手拭いが、やけに重く感じられた。俺は、これから自分が背負っていくものの重さを、改めて実感していた。
新八の合理的な指導は、伸び悩んでいた門弟たちに光明を与え、試衛館に変化の兆しをもたらしました。
しかし、その様子を冷静に見ていた土方歳三は「戦場は理屈通りにはいかん」と静かに告げます。
彼の言葉の重みを理解しつつも、新八は自らの知識で未来を変える決意を新たにします。
合理主義の新八と、戦場の非情さを知る土方。二人の対比が、今後の試衛館をどう変えていくのでしょうか。