第106話:新選組の近代化
江戸での大仕事を終え、京の壬生屯所に帰還した新八。
そこで彼を待っていたのは、奇跡的な回復を見せる沖田総司と、仲間たちの温かい歓迎でした。
しかし、新八に休息の時間はありません。
彼は幹部たちを招集し、新選組の未来を左右する重大な提案を行います。
江戸での激動の日々を終え、俺が京の壬生屯所へと帰還した時、隊士たちはまるで凱旋将軍を迎えるかのような熱気で俺を包んだ。勝海舟、そして小栗忠順という幕府の中枢と渡り合い、徳川の未来を左右する巨大な計画の第一歩を刻んできた。その興奮と疲労が入り混じった心に、仲間たちの顔はなによりの薬だった。
「永倉さん、お帰りなさい!」
「江戸での大仕事、ご苦労様でした!」
口々にねぎらいの言葉をかけてくれる隊士たち。その輪の中心には、以前よりも顔色が良く、穏やかな笑みを浮かべる沖田総司の姿があった。
「永倉さん。江戸は、楽しかったですか?」
「ああ、総司か。息災そうだな。まあ、楽しいというよりは骨の折れることばかりだったが、お前の顔を見たら疲れも吹き飛んだよ」
俺の言葉に、沖田は悪戯っぽく笑う。
「僕も、永倉さんのおかげでずいぶん楽になりました。松本先生が江戸から送ってくださる薬が、本当によく効くんです」
沖田総司の労咳(結核)は、史実では彼の命を蝕む不治の病だった。しかし、俺が持つ現代の衛生知識と栄養学、そして松本良順先生の西洋医学の知識を組み合わせた治療法は、奇跡的に彼の病状を安定させていた。ペニシリンそのものはなくとも、徹底した隔離と対症療法、そしてなにより患者自身の気力が病の進行を食い止めていた。
この「沖田の回復」こそが、俺の隊内における発言力を決定的なものにした最大の功績だった。剣の腕や未来の知識もさることながら、死の淵にあった仲間を救ったという事実は、何よりも雄弁に俺の言葉の正しさを証明していたのだ。
近藤さんや土方さんへの帰還の挨拶もそこそこに、俺は休む間もなく幹部たちを招集した。議題は、もちろん「新選組の未来」についてだ。
「――というわけで、勘定奉行の小栗忠順様という、幕府最強の頭脳を我々の後ろ盾につけることに成功しました」
上座に座る近藤さん、そして俺の隣に座る土方さんをはじめ、斎藤、原田、井上といった面々が、固唾を飲んで俺の話に聞き入っている。俺は江戸での勝海舟との出会いから、小栗忠順との知的な死闘、そして彼らと共に描いた富国強兵の構想を、可能な限り具体的に語って聞かせた。
「小栗様は、俺の提案を全面的に受け入れ、幕府の近代化を断行する覚悟を固められた。横須賀に製鉄所と造船所を建設し、西洋列強に伍する海軍を創設する。そのための財源確保も、小栗様の手腕で必ずや実現されるだろう」
場の空気が、興奮にざわめく。俺たちが日夜、京の治安のために剣を振るっている間、はるか東の江戸で、日本の未来そのものを変える巨大な歯車が動き出していたのだ。
「すげえ話だ、永倉……。俺たちが、そんな途方もない計画の一端を担ってるってのか」
原田左之助が、興奮を隠しきれない様子で呟く。俺は、その言葉に力強く頷いた。
「そうだ。そして、その計画を成功させるため、我々新選組もまた、生まれ変わらねばならない」
俺は一呼吸置き、この日の本題を切り出した。
「新選組の、装備の近代化。具体的には、隊の主武装を刀槍から、最新式の銃へと転換する」
その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気は一変した。興奮は戸惑いへ、そして一部の者からは明確な拒絶の色が浮かび上がった。
「銃、だと……?」
近藤さんが、訝しげな表情で問い返す。彼の傍らに置かれた愛刀「虎徹」の柄に、無意識に手が伸びている。
「永倉、それはどういう意味だ。我らは武士だ。刀こそが我らの魂ではないのか」
「近藤さんの仰る通りです!」
声を荒らげたのは、やはり原田だった。彼は槍の名手であり、白兵戦にこそ己の存在価値を見出している。
「飛び道具に頼るなど、武士の風上にも置けぬ! そんなものは、卑怯者の戦い方だ!」
予想通りの反発だった。彼らの言い分は、この時代の武士として当然の感覚だろう。だが、俺はその感傷を断ち切らなければならない。
「原田、気持ちはわかる。だが、もはや個人の武勇で戦がどうにかなる時代は終わったんだ」
俺は冷静に、しかし強い口調で反論する。
「思い出してくれ。俺がなぜ、中岡慎太郎率いる陸援隊に、あえてミニエー銃を渡したのかを」
俺は坂本龍馬を通じてグラバーから購入したミニエー銃を、敵対する可能性のある陸援隊へ横流しするという挙に出た。それは「国を守る」という大義の前では、幕府も藩も関係ないという俺の信念の表れだったが、同時に、新選組の仲間たちに銃の脅威を身をもって理解させるための布石でもあった。
「彼らが持つミニエー銃は、旧式のゲベール銃とは比較にならん威力と射程を持つ。もし仮に、今の我々が刀や槍だけで陸援隊と正面からぶつかれば、一方的に蹂躏されるだけだ。近づくことすらできずに、蜂の巣にされて終わる」
俺の言葉に、幹部たちは押し黙る。池田屋や禁門の変で、銃を持つ敵の厄介さは誰もが理解していた。
「だが、永倉。ならばなぜ、我々ではなく陸援隊に銃を渡した。我々こそが、幕府の兵として最新の武器を持つべきではなかったのか」
静かに口を開いたのは、斎藤一だった。彼の指摘はもっともだ。
「理由は二つある。一つは、あの時点では、我々が正規のルートで銃を大量に調達する手段がなかったこと。そしてもう一つは――」
俺は言葉を切り、江戸から持ち帰った革の鞄から、一本の銃を取り出した。ずしりとした重みを持つ、黒光りする銃身。洗練された、しかし無骨なフォルム。それは、この時代のいかなる銃とも一線を画す存在感を放っていた。
「――我々新選組は、彼らよりもさらに先を行く。これが、小栗様を通じて幕府から正式に下賜される、我々の新しい力だ」
俺は、その銃を机の中央に置いた。
「フランス製、シャスポー銃。現在、欧州で最強と謳われる最新式の後装式ライフルだ」
「シャスポー……?」
土方さんが、鋭い目で銃を検分しながら呟く。
「後装式、だと? 元込め式ということか?」
「その通りだ、土方さん。ミニエー銃は、まだ弾と火薬を銃口から詰める前装式だ。一発撃つごとに、装填に時間がかかる。だがこのシャスポー銃は、銃の後ろから弾を込める。そして使うのは、弾と火薬が一体となった紙製の薬莢だ」
俺は、懐から取り出した紙薬莢を銃の薬室に装填し、ボルトを閉鎖してみせる。その滑らかな動作に、誰もが息を飲んだ。
「熟練すれば、一分間に十発以上の連射が可能だ。有効射程、威力、いずれもミニエー銃を遥かに凌駕する。これが百丁、二百丁と揃えば、我々は京における最強の武装集団となる。いや、一個大隊にも匹敵する戦力となるんだ」
俺は立ち上がり、幹部たちを見渡して言い放った。
「我々の役割は、もはや京の街のゴロツキを斬り捨てることじゃない。この国の未来を左右する、政治の中枢を守護することだ。そのためには、武士の意地や古い慣習は捨てねばならん。我々は、徳川の、そして帝の最後の盾となる『近代軍隊』に生まれ変わるんだ!」
俺の熱弁に、部屋は静まり返っていた。刀への愛着、武士としての誇り。それらを捨て去ることへの抵抗が、まだ彼らの中には渦巻いている。
その重い沈黙を破ったのは、意外にも近藤さんだった。
「……永倉。その銃、試させてもらえるか」
彼の目は真剣だった。局長として、彼は感傷だけでは判断しない。組織の未来のために、自らの目で真価を見極めようとしていた。
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翌日、壬生屯所の裏手にある練兵場に、新選組の主要隊士たちが集められていた。その中心には、俺と土方さん、そして三十間(約54メートル)先に設置された、分厚い木の板と畳を重ねた的がある。
「いいか、お前ら! 今日は永倉先生が江戸から持ち帰った、新選組の新しい力を見せてやる! 目ん玉ひんむいて、よっく見とけ!」
土方さんが、腹の底から響くような大声で檄を飛ばす。隊士たちの間には、期待と疑念が入り混じった空気が流れていた。特に、原田や永倉自身の組に所属する、剣の腕に覚えのある者たちの視線は厳しい。
俺はシャスポー銃を構え、ゆっくりと狙いを定める。この一発が、新選組の未来を決める。
(頼むぞ……!)
心の中で叫び、引き金を引いた。
ズドン!
腹に響く、乾いた轟音。それは、火縄銃の湿った音とは全く違う、鋭く、力強い破裂音だった。発射の反動が肩を打つ。硝煙の匂いが鼻をつく。
次の瞬間、三十間先の的が、まるで巨人に殴られたかのように弾け飛んだ。分厚い木の板は無惨に砕け散り、その奥の畳は、大きな風穴を開けて向こう側まで貫通していた。
「「「なっ……!?」」」
隊士たちから、驚愕の声が上がる。
「嘘だろ……あの厚さの板を……」
「しかも、畳まで貫通してやがる……」
俺は構わず、素早くボルトを操作して空薬莢を排出させ、次弾を装填する。そして再び、今度は少し離れた場所に設置された別の的に向けて発射。再び轟音と共に、的が木っ端微塵になる。その間、わずか数秒。
立て続けに五発撃ち込み、五つの的をすべて破壊し尽くした俺は、銃を降ろし、呆然と立ち尽くす隊士たちに向き直った。
「これが、シャスポー銃の威力だ。我々が刀で斬りかかる前に、敵は蜂の巣になる。これが、これからの戦だ」
誰もが、その圧倒的な破壊力を前にして言葉を失っていた。刀や槍がいかに無力であるかを、理屈ではなく、現実として突きつけられたのだ。
最初に沈黙を破ったのは、昨日、最も強く反対していた原田左之助だった。彼は目を爛々と輝かせ、俺の持つ銃に近づいてきた。
「永倉……! なんて威力だ……! 俺にも、そいつを撃たせてくれ!」
彼の目には、もはや古い武士の意地はない。純粋な強さへの渇望と、新しい武器への興味が溢れていた。
俺はニヤリと笑い、彼に銃を手渡した。
その日の午後、俺の指導のもと、フランス式の軍事教練が始まった。
「気をつけ! 番号!」
「イチ! ニ! サン! シ! ゴ!」
慣れない号令に、隊士たちは戸惑いながらも必死に声を張り上げる。直立不動の姿勢、右へ倣え、回れ右。一つ一つの動作に、武士のそれとは全く異なる合理性が貫かれている。
「銃、取れ!」
「構え、筒!」
「狙え!」
俺は、フランス軍事顧問団が幕府伝習隊に教えた教練の記憶を呼び覚ましながら、号令をかけていく。フランス語の号令をそのまま使うことも考えたが、まずは日本語で基本を叩き込むことにした。
ぎこちない手つきでシャスポー銃を構える隊士たち。昨日まで腰の大小こそが己の誇りだった男たちが、今は鉄の筒を抱えている。その姿は、滑稽であると同時に、時代の大きな転換点を象
徴しているようでもあった。
もちろん、すべての隊士がすぐに順応できたわけではない。刀を置くことに最後まで抵抗を示す者、慣れない訓練に不満を漏らす者もいた。
そんな時、練兵場に響き渡ったのは土方さんの怒声だった。
「ぐずぐずするな! 永倉先生の言うことが聞けねえのか! これは遊びじゃねえんだぞ! 俺たちは生まれ変わるんだ! この銃と、この訓練が、俺たちを本物の『武士』にするんだ! 文句があるやつは、俺が斬る!」
鬼の副長の言葉に、弛緩しかけた空気が再び引き締まる。土方さんの、俺に対する絶対的な信頼。そして、新選組を最強の組織にするという彼の執念が、反対派の声を力ずくで封じ込めた。彼の全面的な支持がなければ、この近代化は決して成し遂げられなかっただろう。
夕暮れ時、訓練を終えて屯所に戻る隊士たちの顔には、疲労と同時に、確かな手応えが浮かんでいた。
俺は練兵場の隅で、その光景を静かに見守っていた。傍らには、縁側に腰掛けた沖田が、穏やかな笑みを浮かべている。
「すごいですね、永倉さん。みんなの顔つきが、昨日までとはまるで違う」
「ああ。だが、まだ始まったばかりだ。これからが本当の地獄だよ」
俺は軽口を叩きながら、彼の隣に腰を下ろした。夕陽が、ずらりと並べられたシャスポー銃を赤く染めている。
小栗忠順との約束、シャスポー銃の導入、そしてフランス式軍事教練の開始。新選組の近代化という、俺が描いた未来図の重要なピースが、今、確かに嵌まった。
これは単なる戦力強化ではない。武士という存在が、その生き方そのものを変革される時代の始まりなのだ。刀を置き、銃を取る。それは、一つの時代の終わりと、新しい時代の幕開けを意味していた。
俺は、この先に待ち受けるであろう更なる困難と、そして希望に満ちた未来に思いを馳せる。沖田の病状は安定している。江戸には頼もしい仲間ができた。そして新選組は、最強の近代部隊へと生まれ変わろうとしている。
(次は、お前の番だ、沖田)
俺は心の中で呟きながら、隣で穏やかに息をする天才剣士の横顔を見つめた。彼の笑顔を守り、彼が再び剣を振るえる未来を作る。そのために、俺はどんな困難にも立ち向かう覚悟だった。江戸で出会った、あの強い女剣士の話を、いつか彼にしてやろう。そんなことを考えながら、俺は京の夕暮れを眺めていた。
ついに明かされた新選組の新たな力、フランス製最新鋭ライフル「シャスポー銃」
その圧倒的な性能差を前に、刀槍へのこだわりを見せていた隊士たちも言葉を失います。
新八が描く「最強の軍団」への道筋は、もはや誰にも止められません。




