第101話:希望の光
連載100話を越え、新たな100話への第一歩となる今回は、新選組の悲しき天才剣士・沖田総司に焦点を当てます。
池田屋事件の代償として悪化した沖田の病。
未来の知識を持つ新八は、死の病「労咳」にどう立ち向かうのか。
京の屯所は、池田屋事件のときの熱狂が嘘のように、張り詰めた空気に満ちていた。あの一件で新選組の名は京に轟き、隊士たちの士気はかつてなく高かった。だが、俺の心は、鉛のように重かった。原因は、日に日に悪化していく、沖田総司の病状だった。
試衛館にいた頃を思い出す。激しい稽古の後に、沖田が時折見せる空咳。俺だけが気づいた、その小さな異変。未来の知識を持つ俺は、それが死に至る病「労咳」の兆候だと知っていた。放ってはおけなかった。俺は「安静、栄養、清潔」という、この時代にはまだ浸透していない衛生観念を、がむしゃらに実践した。道場を掃除し、換気を徹底し、乏しい食材の中から滋養のある食事を作って、半ば強引に沖田に勧めた。
最初はいぶかしがっていた沖田も、俺の必死さに根負けし、そして何より、それによって実際に体調が少し上向くのを感じて、次第に心を開いてくれた。「永倉さんは、面白い人だね」。そう言って笑った彼の顔を、今でもはっきりと覚えている。俺の知識が、たとえわずかでも運命に抗う力になるかもしれない。そんな希望を抱き始めていた。
だが、京での現実は、そんなささやかな希望を打ち砕くには、あまりにも過酷だった。
浪士組として上洛し、新選組が結成されてからの日々は、まさに激動だった。不逞浪士の取り締まり、市中見廻り、そして絶え間ない緊張。試衛館の頃のように、俺一人が彼のそばで体調を管理できる環境では、もはやなかった。規則正しい生活など望むべくもなく、栄養満点の食事など夢のまた夢。そして、決定打となったのが、池田屋での激しい戦闘だった。
あの夜、沖田は獅子奮迅の働きを見せた。だが、その代償は、あまりにも大きかった。彼の体は、見た目以上に消耗していたのだ。高揚感が過ぎ去った後、彼の咳は明らかに数を増し、その音は、以前よりも深く、湿ったものに変わっていた。
「……総司の様子は、どうです?」
屯所の廊下で、土方歳三に声をかけると、彼は苦々しい表情で首を横に振った。
「良くない。咳はますます酷くなり、時折、血を吐くようにもなった。松本先生に診てもらってはいるが……」
その言葉に、俺の胸は締め付けられるような痛みを覚えた。試衛館で一度は抑え込めたはずの病魔が、息を吹き返し、牙を剥いている。
(俺のやり方が、中途半端だったからだ……!)
対症療法だけでは駄目なのだ。もっと、根本的な治療をしなければ。俺は固く拳を握りしめ、土方さんと共に沖田が療養している部屋へと向かった。
障子を開けると、薬の匂いに混じって、微かに血の匂いが鼻をついた。布団の上に横たわる沖田は、試衛館の頃とは比べ物にならないほど痩せ、顔色は青白い。俺たちの気配に気づいたのか、薄っすらと目を開け、力なく微笑んだ。
「……永倉さん。すみません、稽古にも出られず……。池田屋で、少し、無理をしすぎたみたいです」
そう言って、彼は激しく咳き込んだ。その小さな背中が、痛々しく震える。俺はその背中をさすりながら、傍らにいた幕府の奥医師、松本良順先生に向き直った。
「松本先生。総司の病状は、いかがでしょうか」
松本先生は、難しい顔で腕を組んだ。
「……労咳だ。正直に言って、今の医学では、特効薬はない。あとは、本人の体力次第、としか……」
その言葉は、事実上の死の宣告だった。だが、俺は諦めるつもりはなかった。試衛館での経験は、無駄ではなかったはずだ。あれは、正しい道筋への第一歩だったのだ。
「松本先生。お願いがあります。どうか、私の言うことを、一度、試していただけないでしょうか」
俺は、真剣な眼差しで松本先生に訴えかけた。
「……君の言うこと?」
「はい。まず、総司をこの屯所から、もっと空気の綺麗な、静かな場所に移すべきです。そして、徹底的に、安静にさせるんです」
「馬鹿なことを言うな!」
俺の言葉を遮ったのは、土方さんだった。
「病人をみだりに動かすべきではない。それに、試衛館の頃とは訳が違う。ここは京のど真ん中だぞ」
「違うんだ、土方さん!労咳は、人にうつる病なんだ!このままでは、総司だけでなく、他の隊士たちも危険に晒すことになる!」
「……何だと?」
俺の言葉に、土方さんだけでなく、松本先生も目を見開いた。この時代、結核が伝染病であるという認識は、まだ一般的ではない。
「永倉君。君は、一体、どこでそのような知識を?」
松本先生が訝しげに俺を問い詰める。俺は、とっさに、用意していた嘘を口にした。
「以前、長崎でオランダの書物を読む機会がありまして。そこには、労咳は患者の吐く息や咳によって、人から人へと伝染すると記されていました。だからこそ、患者を隔離し、清潔な環境で栄養のある食事を与え、安静にさせることが最も重要だと」
俺は必死に、未来の知識をこの時代の言葉に置き換えて説明した。試衛館での俺の行動を見てきた土方さんは、ただの戯言ではないと感じているのか、黙って腕を組んでいる。
松本先生は、難しい顔で俺の話に耳を傾けていたが、やがて口を開いた。
「……にわかには信じがたい話だ。だが、君の言うことには一理あるかもしれん。確かに、労咳患者が多く出る家というのは存在する。もし伝染する病なのだとすれば、説明がつく」
「先生!」
「しかし、問題は薬だ。安静と栄養だけでは、気休めにしかならん。何か、病原そのものを叩く、強力な薬がなければ……」
その言葉を待っていたかのように、俺は懐から一枚の紙を取り出した。そこには、俺が未来の知識を元に書き出した、ある植物や菌類の名が記されている。
「先生。ここに書かれているものを、集めていただけないでしょうか」
松本先生が紙を受け取り、怪訝そうに眉を寄せる。
「……『青カビ』? それに、土の中の菌……?」
「はい。その書物には、ある種の菌類が、別の菌を殺す作用を持つとありました」
俺は慎重に言葉を選んだ。本当なら、結核の特効薬は「ストレプトマイシン」だ。だが、それは土壌中の放線菌由来のもので、史実では1940年代のワクスマン博士による発見まで待たなければならない。この時代の設備で特定し培養するのは、砂漠でダイヤモンドを探すようなものだ。
だから、俺は次善の策を提案した。
「先生。労咳そのものを叩く薬を土の中から見つけ出すのは、今の日の本の技術では困難を極めます。ですが、労咳患者の命を縮める大きな原因は、弱った肺に感染する『別の菌』による肺炎や化膿だと書かれていました」
「……ふむ。合併症、ということか」
「そうです。この『青カビ』には、そうした二次的な感染症を引き起こす菌を殺す力があるそうです。労咳菌そのものは殺せなくとも、余計な敵を排除し、総司の体力を温存できれば……」
「自身の治癒力で、病魔を抑え込めるかもしれない、か」
松本先生の目の色が、変わった。
「……これは、理にかなっている。確かに、労咳の末期には高熱と膿が患者を苦しめる。あれを抑えられるだけでも、生存率は段違いだ」
松本先生は、俺が差し出した紙を食い入るように見つめた。その表情が、驚きと興奮に彩られていく。
「それに、カビが薬になるなど……毒をもって毒を制す、か。面白い」
松本先生は、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、目を輝かせている。その様子を見て、俺は確信した。この人なら、きっと協力してくれる、と。
「先生。総司を、救いたいんです。そのためなら、僕はどんな協力も惜しみません。どうか、僕に力を貸してください」
俺は、松本先生の前に深々と頭を下げた。
傍らで話を聞いていた土方さんは、まだ納得のいかない表情をしていたが、彼の目には迷いの色が浮かんでいた。
「……分かった」
長い沈黙の後、口を開いたのは、松本先生だった。
「永倉君。君を信じよう。いや、君のその知識と、沖田君を救いたいという、その想いを信じよう」
そして、松本先生は土方さんに向き直った。
「土方君。私は、永倉君の提案に乗る。沖田君を人里離れた静かな場所に移し、彼が言う新しい治療法を試す。これは、医者としての私の判断だ」
「……先生が、そこまでおっしゃるのなら」
土方さんは、苦虫を噛み潰したような顔で、そう答えるしかなかった。
その時、それまで静かに俺たちの会話を聞いていた近藤勇さんが、口を開いた。
「新八。お前は、本当に凄い奴だな」
近藤さんは、穏やかな笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。
「俺には難しいことはよく分からん。だが、お前が試衛館の頃からずっと、総司のために必死になってくれていることは、誰よりも伝わっている。お前のやりたいように、やってみろ。責任は、俺が取る」
「近藤さん……」
その言葉が、何よりも俺の心を強くさせた。
こうして、沖田総司の、未来の知識に基づいた、第二段階の治療が始まろうとしていた。試衛館でのささやかな成功と、京での挫折を経て、俺は今、もっと大きな希望の光を掴もうとしている。
俺は、布団の上で浅い呼吸を繰り返す沖田の手に、そっと自分の手を重ねた。
(待ってろ、総司。今度こそ、お前を死なせやしない。俺が必ず、お前を未来へ連れて行くからな)
その手の、以前より少しだけ熱を帯びた感触が、俺の決意をさらに固くさせた。
松本良順医師をも驚愕させた新八の提案。
それは、抗生物質の可能性を示唆するものだった。
(この時代に転生すれば、誰でも思い付きそうですが……( ´艸`)
沖田を救いたいという一心が生んだ、起死回生の策。
果たして、この時代の死病、労咳に打ち勝つことができるのか?




