【短編小説】100日病
「先生それで、この症状は一体なんなのでしょう」
医師はレントゲンを睨むように凝視し、腕を組んだ。
『そうですねぇ‥‥これはきっと100日病ですね』
「100日病?」
『はい。鼻水、咳、頭痛など、人によって症状は様々なのですが、100日間症状が続くという流行病です。つい先日、咳が止まらないといらっしゃった方も100日病でした。ここ最近急激に増加しているんですよ』
「そんな病気が‥‥私は一体どうすればよいのでしょうか」
『これがまた厄介でして、病の原因がまだ解明されていないのです。つまり、薬を飲んで100日過ぎるのを待つしか方法がないのです』
「そんな‥‥それでは残り80日間ほど、謎の動悸とソワソワと睡眠不足に悩まされるしかないということですか‥‥」
『まぁそう心配なさらないで。今日は動悸を抑える薬と睡眠導入剤を出しておきますので、それで様子をみてください。ですが症状が重くなったと感じたらすぐに病院に来てください。命の危険にも繋がりますから』
「はぁ‥‥まぁ私には死んで泣いてくれる人も、病気を心配してくれる友人も恋人もいないのですが‥‥」
医師の診断通り、動悸と睡眠不足は何日にもわたり男を悩ませた。薬の効果はほとんどなく、男は耐え凌ぐほかなかった。
カレンダーにバツ印をつけ、残りの日付をカウントしていく。
50日を過ぎたあたりで、男は別の症状が現れていることに気づいた。
「あれ、傘がない。電車に置いてきてしまった」
「あれ、携帯を家に忘れた」
「定期はどこにしまっただろうか‥‥なんだか最近忘れっぽくなったな」
それだけではない。物忘れに加え、足が浮いているような浮遊感の症状まで出てきたのだ。
しかし、明日でとうとう100日である。
ついにこの謎の症状とおさらばできると、男はその夜早めに眠りについた。
翌朝。目が覚めて男は落胆した。
謎の症状は改善されているどころか、少しばかり強く感じるようになっていたのだ。1番ひどいのは、心臓をくすぐられているようなソワソワ感と浮遊感であった。
これでは仕事にならないと、男は寝巻きのまま病院へ駆け込んだ。
「すみません‥‥以前ここで100日病と診断されたものです。今日で100日経ったのですが、どういうわけか症状がひどくなっていて‥‥」
それを聞いた新人の看護師は、急いで男を奥のベッドへ案内した。しばらくするとゆっくりと医師が現れ、険しい表情でカルテに目を通した。
『ん〜‥‥症状は治まりませんでしたか。それどころか強くなっていると‥‥。しかしですね、検査の結果特に異常は見当たらなかったのです。血液検査も心電図も正常値ですので、これ以上強い薬を出すわけにも‥‥。どんな時に症状が強くなるか教えていただけますか』
「‥‥そうですね‥‥。初めに浮遊感を感じるようになったのは、会社の受付を通った時でした。足首あたりがふらふらするというか、浮き足立つ感じでした」
『ん〜、以前のお話だと、会社でストレスを抱えているとか、そういったことはなかったですよね』
「はい。ストレスとは違って‥‥なんというのでしょう。心地のよい浮遊感とでもいいましょうか」
『‥‥心地のよい?』
「そうです。胸のソワソワも、くすぐったいような、落ち着かないのに不思議と幸福感があるのです」
『それって‥‥』
医師はピンときた表情で、続けた。
『もしや、100日病を発症する前にどなたかにお会いされましたか』
「え‥‥?」
男は斜め上を見上げ考えた。
「あぁ、そういえば、発症した時と同じタイミングで私の会社に新しい受付の女性がやってきました。毎朝廊下で挨拶してくれるのです。それはもう、太陽を浴びた朝顔のように美しい笑顔で」
彼女を思い出しながら、青白かった男の顔は赤みを帯び、柔らかくほぐれていった。
医師は確信し、大きく頷いた。
『これは100日病ではありませんね』
「やはりそうですか‥‥」
『まぁ、非常に厄介な病気にかかりましたね』
「一体なんという病気なんでしょう」
『恋の病ですよ』