上 リヒトの記憶
「ローザマリア!お前のこれまでの悪行には愛想が尽きた!お前との婚約は破棄させてもらう。」
ボールルームの中央、ダンスを止めて固唾を飲んで見守る紳士淑女に囲まれる中、先ほどまで婚約者であった公爵令嬢に対し、右手を突き付けて高らかに宣言した。左手にはか細い腕が震えながらしがみついている。
「・・・・・・・・。」
ローザマリアは何も答えなかった。
眉ひとつ動かさず、無表情のまま、ただ鳶色の瞳をこちらに向けていた・・・・・。
★★
目を開けると、そこには合板でできた天井と白い蛍光灯があった。どうやら僕は小さなパイプベッドに寝かされているようだ。
「あっ・・・気が付いた?」
ベッド横を見ると、先ほど見た鳶色の瞳があった。
「ローザマリア?」
「・・・・いや、誰だよ。わたしだって!」
ベッド横の椅子に座った彼女は黒髪を後ろに束ね、制服を着てメガネをかけている。しかし、それ以外は少し険のある地味な顔だちも、貧弱な体形も、低いハスキーな声もローザマリアにうり二つだった。
「先生、気が付いたみたいですよ。」
彼女がカーテンの仕切りの外に声をかけると、白衣を着た中年くらいの女性が入って来た。
「ああ、気づいたのね。じゃあ意識レベルテストをするわね。名前と年齢を言ってみて?」
「市之瀬理人、17歳、高校2年生です。」
「よしっ、じゃあ隣にいる人が誰だかわかる?」
「花本真理子。家が隣のご近所さんで、現在はクラスメート。」
そう言うとその中年女性はうなずいた。
「問題なさそうね。でも、脳震盪は怖いから病院へ行っておきなさいね。」
「大丈夫そうでよかった。あ、おばさんには連絡しといたから。」
だんだんと記憶が戻って来た・・・。僕は体育のバスケで転倒し、床で頭を打って保健室に運び込まれたんだった。
そうすると、さっきのは夢?いや、夢にしては鮮明に記憶に残っているが・・・。
「歩ける?心配だし、家まで送って行こうか?隣だし普通に帰るだけだけど。」
「ああ、うん。ありがとう。」
そう言いながら僕はベッドの上で体を起こした。まだ頭が少し痛いが、他にケガはないようだ。
その時、ガラガラッと引き戸が開く音がした。
「理人先輩!大丈夫ですか?」
ベッドを仕切るカーテンをいきなりシャッと開けて入ってきたのは、目を惹くような美少女だった。小さな顔、つぶらな瞳に長いまつげ、透けるような白い肌、ボブカットの栗色の髪、小柄だがメリハリのきいた体とすらっとした手足。声も鈴を鳴らしたようにかわいらしい。
彼女の名前は・・・三条紗良、高校1年生・・・僕の彼女だ。
「ああ、うん。心配かけてごめんね。」
「体育で倒れたって聞いてホント心配しました~。もう授業中も生きている心地がしなくって、ここまで走って来たんです。でも無事でよかった~。」
紗良は抱きつかんばかりの勢いで僕のベッドの脇まで来た。
真理子はいつの間にか仕切りの外へ出たようで姿が見えなくなった。
「じゃあ、三条さんに送ってもらってね。わたしはこれで・・・。」
カーテンの向こうでそう言いながら真理子は音もなく去って行った。
★★
「エヘヘ、エヘヘへ、なにげに理人先輩の家に行くの、はじめてですよね!」
先ほどから僕の左腕に両手を絡めながら歩く紗良が、ニコニコしながら上目遣いで話しかけてきた。
紗良と付き合うことになったのは約1か月前、紗良が高校に入学してから数えると1か月もたたない頃である。
ある日、一面識もない紗良に突然呼び出され、『ひとめで運命の人だとわかりました。付き合ってください』と告白された。
・・・・・・いや、ウソじゃない。僕自身も怪しいと思ったが、アイドル級の美少女からの突然の告白に、あらゆる点でごくごく平均的な男子高校生である僕が抗う術はなく、すぐに付き合うことになった。
ちなみに、まだ彼女から宗教やマルチ商法の勧誘は受けていない。
「あれ~、理人先輩、今日はなんか口数少なめですね~。どうしたんですか~?」
紗良が眉を寄せ、心配そうな顔をして見上げてきた。
「あ~、うん。まだ転んだ衝撃で頭がぼ~っとするみたいで・・・。」
「え~!かわいそう。紗良が頭を撫でてあげますね。早く良くなりますように。」
体は紗良のなすがままに任せているが、さっきから頭の中は別のことでいっぱいだ。
夢で見たローザマリアに婚約破棄を宣言したシーン。さっきからそのローザマリアに関する記憶が次から次へと蘇ってくるのだ。
生まれながらにして許嫁と決められた公爵令嬢のローザマリア。
士官学校で机を並べて学び、軍人となってからも数々の戦場で参謀として僕の武功に貢献してくれた。
そのおかげで第11王子という立場でありながら競争に勝ち抜き王位継承者に選ばれることができた。
しかしそれに慢心した僕に、ローザマリアは耳に痛い諫言を繰り返したため、僕は彼女を疎んじるようになり・・・。
「あれ?理人先輩の家ってこのへんじゃないですか~?」
「あっ、そうそう。ここだ。送ってくれてありがとうね。」
ぼんやり歩いていたため、思わず家の前を通り過ぎそうになった僕がそう言うと、紗良は上目遣いのまま、もじもじし始めた。
「ちょっとだけ・・・、理人先輩のおうちにおじゃましてもいいですか・・・?」
「あ~、うん・・・。」
両親はいつも仕事で遅いし、妹も部活でいないよな・・・と思いながらふと隣の家を見ると、二階の窓から真理子の姿が見えた気がした。
「あっ、ごめん。この後すぐに病院なんだ。保健の先生に脳震盪の検査を受けるように言われてて。だからごめんね。」
僕が手を合わせると、紗良は「え~!」と言いながら手足をじたばたさせたが、最後には「でも、理人先輩の健康が一番大事ですもんね!」と言っておとなしく帰ってくれた。
★★
「おはよう、真理子。」
「おはよう。市之瀬。あっ!昨日病院行かなかったでしょ?おばさんに聞いたわよ。」
次の日に登校し、隣の席の真理子に挨拶した時も、まだ少しうわの空だった。
「おばさんに頼まれてるし、今日はわたしが病院へ付き添うから!必ず行くのよ!」
真理子はそう言うと、手元に置いた本を広げた。
その表紙は『婚約破棄された悪役令嬢はアホな王子に小粋な復讐をする』とあった。
「真理子、その本って・・・。」
「ああ、市之瀬がライトノベルに興味示すなんて珍しいよね。これはいわゆるざまあ系の復讐物で、馬鹿な女の口車に乗って悪役令嬢である許嫁に婚約破棄を告げたアホな王子が、その元許嫁に復讐されて転落していくっていう、まあライトノベルでは定番のフォーマットに沿った物語よ。なんでかわかんないけどこういうの好きなんだよね。」
「えっ?ちょっと読ませてもらっていい?」
僕は、真理子からその本を借りると一気にその本を読んだ・・・。
その話の流れは、僕の中に蘇った記憶とほとんど同じだった。婚約者がいるにもかかわらず若い女に目がくらみ、ついには婚約者を意地悪ばかりする性悪女と思い込み、一方的に婚約破棄を告げるところまでは・・・。
ただ、その後の展開は、ただの復讐譚で終わるその物語とは大きく異なっていた。
★★
ローザマリアへの婚約破棄宣言の後、私は転落の一途にあった。
私は、ローザマリアの価値を見誤っていた。婚約者としてではなく腹心としての価値を。ローザマリアが抜けた私の陣営は一気に力を失い、悪手を繰り返すことになった。
かつての競争相手であった他の王子たちはその機を逃さず、私の追い落としを諮り、王に言葉巧みに働きかけ、王位継承者の決定を白紙に戻させるだけではなく、私を西の大国との国境方面の戦場における司令官に任命させた。
そこは歴代の司令官がすべて戦死し『司令官の墓場』と呼ばれる激戦地であった・・・。
「・・・・まさか自分があの司令官の墓場に送られるとは・・・。いよいよ死に場所を得るのかもしれない。」
私は任地に向かう馬車に揺られながら、物思いにふけっていた。
「せめてローザマリアがいてくれたら、万に一つの可能性もあったのだが・・・。」
その時、突然馬車が急停止した。
「どうした?」
「この先の崖の橋の前に立ちふさがっている者がいます。わが国の軍服を着ているので友軍とは思いますが・・・。」
馬車の窓から外を覗くとそこには懐かしい顔があり、引き止める手に構わず、馬車を飛び降りて駆け寄った。
「ローザマリア!どうしてここに?」
「小官はローザマリアではありません。シュトロンハイム参謀大佐です。少将閣下!西方国境方面軍の配備に就くため、ただいま参上いたしました。」
小柄で貧弱な身体には到底似つかわしくない軍服を着て、参謀肩章を付けたローザマリアは、敬礼しまっすぐと私を見つめてきた。私も反射的に敬礼を返した。
「しかし・・・。まさか来てくれるとは・・・。」
「小官は、閣下との婚約を解消されましたが、閣下の参謀職を解任された覚えはありません。シュトロンハイム参謀大佐としてお供させていただきます。」
「ローザマリア・・・、知っていると思うが任地は司令官の墓場だ。おそらく生きては帰れない。讒言に唆されて、君との婚約を一方的に解消した馬鹿な私に付いてくる必要はない。」
ローザマリアは口の端をわずかに歪めた。
「士官学校を出て、最初の戦地であるフライデンブルグに赴く際、閣下はこう言いました。『この戦場で死ぬこととなって、もしも来世があるならば、軍人である閣下と小官はきっと地獄へ行くことになるだろう、その来世となっても、地獄の果てまで供をして欲しい』と。小官はその約束を果たしに来ただけです。」
「ローザマリア・・・。」
なんと自分は愚かだったのだろう。
こんなにも自分に忠誠を誓い、何度も一緒に死地を乗り越えてきたローザマリアを疎んじて一方的に婚約を解消するなんて。
いや、まだやり直せる。ローザマリアと一緒ならば、司令官の墓場からも生きて帰ることができるかもしれない。
そしたらまた二人でやり直したい。そう思い手を差し出そうとした瞬間だった。
ドンッ
突然の衝撃によりローザマリアが体をぐらつかせ、崖下に向かって転倒しそうになった。
「ローザマリア!」
私は必死で手を伸ばし、何とかローザマリアの腕を掴むことはできた。しかし、その体を支えることはできず二人で崖下に転落した・・・・。
★★
「ありがとう。真理子、この本返すよ。グスッ。」
「ちょっと!授業中に読んだの・・・?って、え?なんでそんなに泣いてるの?そんな感動要素のある話だったけ?」
「読んでたらいろいろ思い出しちゃって・・・。真理子にも謝りたい。ごめん。」
「いやわけわからんし。あとさっきから思ってたけど、なんでずっと名前呼びなの?誤解されるからやめな。」
真理子はきょとんとしているが僕は確信に至った。
僕の蘇った記憶は前世であるリヒト・ケーニッヒブルグのころのもの。そして、あの崖下への転落の後、ローザマリアとともに今世に転生したと・・・。