9 結晶部屋
先ほどの地点から歩いてしばし。
ルグランは見つからないまま、イルゼとフェルトは奇妙な部屋へと辿り着いた。
部屋の大きさは”胃”サイズの部屋と同じくらいだが、明らかにそことは雰囲気が違っている。あちこちに青色透明な結晶が生えているのだ。結晶の大きさはイルゼ達がすっぽり入るサイズから、手のひらにちょこんと乗るくらいのサイズまで様々だ。
そんな結晶が部屋中に生えているせいで、次の通路へ行くためには、まるで迷路のように部屋の中を進む必要がある。
「何でしょうね、この部屋」
「色的にはさっきの壁に似ていますよね」
結晶に近付いて、剣の先でちょんちょんとつついてみる。すると、カツン、と音がした。どうやら硬度があるらしい。
色で考えるならば恐らくこれも、人喰い遺跡にとって何かしらの器官ではないかと思うのだが。先ほどのゼリー壁とは用途が違うのかもしれない。
結晶を見ながら歩いていると、ふとその中に、綺麗なアクセサリーや花、可愛い見た目の小型の魔物や、若干いかがわしいタイトルの本などが入っている事に気が付いた。
「何でしょうね。まるで琥珀みたいな」
琥珀とは色を含めて違うが、それに近い印象をイルゼは受けた。
アクセサリーはともかく、花や魔物が消化されている雰囲気はない。つまりこの結晶は保存するための器官なのだろうか。例えば冬眠で使うような雰囲気の。
(人喰いダンジョンが冬眠……というか休眠する事例は確かありましたね)
餌が足りないか、ダンジョンが大きく変化をする時かだった気がする。
以前に読んだ、魔物について書かれた本の内容を思い出していると、ぐに、と何か柔らかいものを踏んだ感触がした。
「んん?」
何だろうかと足を持ち上げれば、その下にあったのは靴跡のしっかりついた青色透明な結晶――ではなく、結晶の形になろうとしている件のゼリー。
「これが固まって結晶になるのか……」
流れとしては、まぁ、正しい気もする。
ふむふむとゼリーを見ていると、似たような状態のものがぽつぽつと続いている事に気が付いた。
液体が運ばれた時に零れて落ちたような。そんな感じの間隔で小さなゼリーが生えている。
何となくそれを目で追っていくと、ひと際大きな結晶に辿り着いた。大人がまるまる一人入るくらいのサイズだ。
「…………」
大人が。まるまる一人。
……何となく嫌な予感がして、イルゼはその結晶に近付く。するとその中に見慣れた人物が入っている事に気が付いた。
ルグランである。
「「うわーっ!?」」
イルゼとフェルとは同時に叫んだ。
青色透明な結晶の中にいるルグランは、目を閉じたままピクリとも動かない。
これ、絶対、まずい奴。
それを見てイルゼとフェルトの顔がサアッと青褪めた。
「救助しましょう!」
「ええ!」
イルゼとフェルトは武器を抜くと刃を結晶に近付ける。
ひとまずそっと差し込んでみると、それぞれの武器はするりとそれに入った。どうやらまだ完全に結晶にはなっていないらしい。
これならば何とかなる。中のルグランが無事かどうかは分からないが、とにかくゼリーから引っ張り出さなければ。
イルゼとフェルトがせっせっとゼリーを切る。そうして一部が薄くなると、二人は手を突っ込んで、
「「せーのっ!」」
とルグランの腕を掴んで、力いっぱい引っ張った。
思ったよりも抵抗なくルグランの身体は動く。
そのまま、きゅぽん、と何とも小気味よい音がしてゼリーの中からルグランが飛び出した。
少々勢いをつけ過ぎたため、イルゼとフェルトは床に倒れ込む。その上にルグランの身体がドシンと乗った。
「ぐえ」
「きゅう」
カエルの潰れたような声が二人分。どちらがどちらかはご想像にお任せするとして、とにもかくにもルグランの救出は成功である。
イルゼとフェルトは何とかルグランの身体の下から這い出る。
「団長、ルグラン団長! しっかりしてください!」
「生きてますか! 生きていてください! 奥さんのところへ帰らないと!」
ルグランの身体を仰向けにすると、揺さぶり、叩き、イルゼとフェルトは声を掛け続ける。
すると少しして「げほっ」と彼は大きく咽た。
反応があった事にイルゼはホッと胸を撫でおろす。げほげほと咽続けるルグランの背中をさすっていると、しばらくして彼は落ち着いたようで目を開けた。
「ああ……死ぬかと、思った」
はぁ、と大きく息を吐いて、ルグランは掠れた声でそう呟いた。咳のし過ぎだろう。
しかし生きている。ちゃんと会話も出来る。イルゼとフェルトはハイタッチした。
「良かった、生きてた!」
「本当にダメかと思いましたよ~」
「ありがとう、助かったよ……」
ルグランはよろよろと上半身を起こすと、眉を下げて笑う。
「何があったんですか?」
「ああ、いや。恐らく幻覚だったと思うのだが……妻が現れてね」
「奥さん」
「ああ。偽物だとは理解しているのだが……どうしても斬れなくてなぁ」
面目ない、とルグランは肩を落とす。
(ルグラン団長、愛妻家らしいですからねぇ)
アロイスの婚約者候補仲間からちらっと聞いた話を思い出す。
まぁ、その辺りは仕方がない。どんな人間にだって弱点はあるものだ。
「二人は大丈夫だったんだな」
「美人でしたけど斬り飛ばしました!」
「イケメンでしたけどしっかり股間を蹴り上げました!」
「そうか……そうか?」
頷くルグランだったが、イルゼのところでちょっと止まった。小さい声で「股間……?」と呟いている。急所と言った方が良かったかもしれない。まぁ、以前に急所のどこかを切り飛ばすと発言したイルゼである。特に深く突っ込まれもせずに「そうか……」と納得されてしまった。
「とりあえずいったん部屋から出ますか」
「そうですね。今のを見てしまうと長居はしない方が良さそう」
またゼリー壁が襲ってきたら困る。そう判断したイルゼ達は、いったん大部屋を出て通路の方へと移動した。
そのまま部屋から少し離れると、座ってカンテラを点ける。すると上部に空いた小さな穴から落ち着いた良い香りが漂い始めた。カンテラに使う油に魔物除けの薬草を混ぜてあるのだろう。イルゼの好きな香りだ。
「イルゼ嬢の地図とこちらの地図を合わせると……今はこの辺りか」
「ですね。団長、あの部屋は前からあったんですか?」
「いいや。部屋の場所は地図にあるが、ああはなっていなかったはずだ」
「あらまぁ」
床に広げた地図を見ながら、イルゼ達はお互いの情報を交換する。
ルグランが指さした場所は人喰い遺跡の五層。つまり最下層である。
ゼリー壁に飲み込まれる前は四層だったはず。どうやら多少の距離は移動させられていたようだ。
「アロイス殿下がどこにいるかも、分からなくなってしまいましたねぇ。地図からすると、五層へ繋がる階段側の通路っぽいですが」
「ええ。そこから下りたと考えて良いかもしれませんね。僕達みたいに襲われているかもしれませんけれど」
「まぁ、そこの部屋の中にはいなかったから無事だろう……と思いたい」
ついにルグランからも希望的観測が出てしまった。
先ほどの一件でだいぶ精神が消耗しているようだ。
そんな彼の顔を見て、ハンサムの疲労顔もまた良いものだ……なんて事はさすがに不謹慎なのでイルゼも言葉にはしない。それを言った場合、ドン引きされた方がマシなレベルの心情を向けられる事になってしまう。信頼関係に致命的な亀裂が入りそうだ。
思うだけ、思うだけ。そう心の中で呟きながら、イルゼは地図を指さす。
「地図の通りだと……ここから王族の避難部屋までは、大体一本道ですね」
「そうですね。ひとまず、そちらを先に確認するとしましょう」
避難部屋までにアロイスを発見出来れば良し。そうでなくても、来た道を戻ればその途中でアロイスと遭遇出来るかもしれない。
「手段は困り物でしたが、移動させられた場所はある意味良かったかもですね」
先ほどの結晶部屋にアロイスがいなかった事も含めて、わりと幸運なのかもしれない。
ローズの意図は分からないが、アロイスを探すという点においてはマイナスにならなかったのは幸いである。
運が良い。ならば良し。結果的に三人共無事だったのだ。最悪、アロイスがどうにかなかっていてもイルゼにとっては上々である。
冷たい言い方になってしまうが、アロイスがもし命を落とす事になっても、救助に来た人間から逃げるような悪手を取ったのだ。どう考えてもアロイスが悪い。
(……でもまぁ、私が声を掛けちゃったのも悪いんですよね)
憔悴していたところに女性の声を聞いて、パニックになってしまったのだ。
アロイスが悪いとは思っても、イルゼだってちょっとは罪悪感がある。なので間に合うならば頑張って助けようと思った。
そこで問題なのが人喰い遺跡だ。彼女の行動の意図がいまいち掴めない。
イルゼはアロイスについては「ノーランの子孫を捕まえた」と言っていた。
それからルグランやフェルトの事も「なかなかのイケメン」と評している。
アロイスへの発言はともかくルグランやフェルトへ向けられた言葉から考えるに、ローズはイルゼと同じ面食いだ。しかし人喰い遺跡にとって人間はただの餌、食糧だ。そこにイケメン度合いは関係あるだろうか。
(味……だろうか……)
顔で味が決まるかどうかは知らないが、イルゼは人喰い遺跡ではない。何か好みがあるのだろう。
しかしそう考えると、やはりイルゼを襲った理由が不明瞭だ。
ローズと対峙した時に、彼女はイルゼに対して一切の興味を持っていなかった。ゼリー壁に双剣を突き立てた事で恨まれてはいそうだが、ルグランやフェルトと同様の手段を取られるのは不可解である。
ゼリー壁で襲ったのなら、そのまま消化してしまえば良い。……いや、イルゼとしては良くないが、そういう話だ。
なのにイルゼを生かした理由は何か?
……分からない。しかもフェルトの姿を使って、ハニートラップみたいな真似をするなんて。
ローズは何がしたかったのだろう。そう思いながらイルゼはフェルトを見た。
『イルゼ様、イルゼ様。どうか、僕と……この遺跡の中でずっと……一緒に……』
フェルトを見ていたら、頭の中で先ほどのフェルトもどきの声が再生された。
遺跡の中で。ずっと一緒。
まるでプロポーズのような言い方だった。
プロポーズ。つまりは結婚。フェルトもどきと遺跡でずっと暮らす。その先にあるのは……。
「…………」
何となく嫌な思い付きが頭の中を過ったので、イルゼはそこで考えるのを止めた。
これははっきりと言葉にしない方が精神衛生上良さそうである。
うん、とイルゼは頷くと、
「それじゃあ、進みましょうか!」
微妙にもやもやしてしまった気持ちを振り払うように元気な声を出し、イルゼは二人を促して歩き出した。